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          挨拶の出来る人間になろう。これも清水東高校サッカー部の部訓の一つといえるものです。
          最近の若い人は挨拶もろくに出来ない、という指摘をよく聞きます。高校生を指導する私どもにとって
          これは耳の痛い指摘です。確かにウチの高校でも、挨拶一つ満足に出来ない生徒がいます。運動部員の
          中にもそういう子は、少ないけれどもいます。
          「あいさつ」という言葉の語源は、辞書を調べると「胸を開いて 相手の心に迫る」ということだそうです。こ
          れはすばらしいことだと思います。
          運動部員の場合、お世話になっている先生や先輩にはきちんと挨拶するよう、普段からしつけられていま
          すが、本来、これだけでは十分とはいえません。「胸を開いて相手の心に迫る」のですから、全ての人間に
          対して、そうするべきなのです。私は清水東高校のグラウンドを訪れる方全てに、たとえその人が自分たち
          の知らない人であっても、ちゃんと挨拶するよう、部員たちにやかましく言っています。極端に言えばサッカー
          の技術など未熟でもなんでもいいから、挨拶だけはしっかりしてほしいのです。
          自分の胸を堂々と開いて相手の心に迫れない、そういう人は結局勇気や度胸のない人間だと私は思いま
          す。勇気や度胸のない人間は、きっとサッカー選手としても大成しないでしょう。
          確かに高校生くらいの年頃というのは、挨拶することにある種の”照れ”を感じるものです。別にその人のこ
          とを嫌いなわけでもうとんじているわけでもないのに、挨拶するのは何となく照れくさい。恥ずかしい。そういう
          心理もわからないではありませんが、しかしそれではやはりダメなのです。ある集団の中で人間が人間として
          暮らしていく以上、挨拶するのは最低限のマナー・エチケットなのです。挨拶というのはまた、自発的に行うも
          のです。”ルール”だからイヤイヤする挨拶に何の意味もありません。
          よく誰か一人が挨拶して、周りの人間はそれにつられて儀礼的に挨拶するといったことがありますが、ああ
          いうコーラス的な挨拶も挨拶本来の在り方からはずれます。自分の方から積極的に相手の心に迫る、もしく
          は相手を敬う、そういう意識があって初めて、挨拶は挨拶たりえるのです。自分は恥ずかしがり屋だからとか、
          性格的におとなしいから挨拶はどうも苦手だという人は、結局自分で逃げているのです。
          色々なチームを観察しているとよくわかりますが、いい(強い)チームほど、きちんと挨拶が出来ます。こちら
          が「こんにちは!」と言うと、向こうからもパッと「こんにちは!」の声が返ってきます。反対に弱いチームだとか
          教育の行き届いていないチームだと、挨拶がヘタで、みんなジーット下を向いてしまいます。挨拶がよく出来る
          ということは、チームのムードを明るくします。又挨拶を交わすということは、他人に対する思いやりにもつなが
          ります。そしてそれはその人を認め、敬うことにつながります。
          明るいチーム、相互を思いやる心を持ったチームでないと、強くは決してなれません。挨拶はチームプレーの
          第一歩です。 





                                                                 
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