作品MENU  
a 1 あけがた a 2 秋田街道 a 3 ありときのこ        
b 1 化物丁場 b 2 茨海小学校 b 3 葡萄水        
c 1 注文の多い料理店                
d 1 台川 d 2 毒蛾 d 3 毒もみのすきな署長さん d 4 どんぐりと山猫    
f 1 双子の星 f 2 二人の役人            
g 1 ガドルフの百合 g 2 学者アラムハラドの見た着物 g 3 銀河鐵道の夜 g 4 グスコーブドリの伝記    
h 1 花椰菜《はなやさい》 h 2 畑のへり h 3 林の底 h 4 ひかりの素足 h 5 ひのきとひなげし
h 6 北守将軍と三人兄弟の医者 h 7 洞熊学校を卒業した三人 h 8 フランドン農学校の豚 h 9 氷河鼠の毛皮    
i 1 いてふの実 i 2 イーハトーボ農学校の春 i 3 インドラの網 i 4 泉ある家    
j 1 十月の末 j 2 十六日            
k 1 家長制度 k 2 蛙のゴム靴 k 3 貝の火 k 4 カイロ団長 k 5 烏の北斗七星
k 6 雁の童子 k 7 かしはばやしの夜 k 8 革トランク k 9 風の又三郎 k10 けだもの運動会
k11 虔十《ケンジュ》公園林 k12 黄いろのトマト k13 気のいい火山弾 k14 氷と後光 k15 耕耘部の時計
k16 蜘蛛となめくじと狸 k17 クねずみ k18 黒ぶだう k19    
m 1 マグノリアの木 m 2 マリヴロンと少女 m 3 まなづるとダァリヤ m 4 祭の晩 m 5 めくらぶどうと虹
m 6 みじかい木ぺん                
n 1 なめとこ山の熊 n 2 楢ノ木大学士の野宿 n 3 猫の事務所 n 4 虹の絵具皿 n 5 二十六夜
n 6 沼森                
o 1 狼森と笊森、盗森 o 2 おきなぐさ o 3 オツベルと象        
p 1 ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記 p 2 ポランの広場        
s 1 サガレンと八月 s 2 さいかち淵 s 3 さるのこしかけ s 4 セロ弾きのゴーシュ s 5 疾中
s 6 紫紺染について s 7 鹿踊りのはじまり s 8 シグナルとシグナレス s 9 水仙月の四日    
t 1 大礼服の例外的効果 t 2 タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった t 3 種山ヶ原 t 4
t 5 とっこべとら子 t 6 鳥箱先生とフウねずみ t 7 鳥をとるやなぎ t 8 土神と狐 t 9 ツェねずみ
t10 月夜のでんしんばしら t11 月夜のけだもの t12 チュウリップの幻術        
u 1 馬の頭巾     v 1 ビジテリアン大祭     w 1 若い木霊《こだま》
y 1 やまなし y 2 山男の四月 y 3 柳沢 y 4 よだかの星 y 5 よく利く薬とえらい薬
y 6 四又《よまた》の百合 y 7 雪渡り     z 1 ざしき童子《ぼっこ》のはなし z 2 税務署長の冒険


TNo 題名 No 擬音語・擬態語等 擬音語・擬態語等が使用されている文
a 1
あけがた

あけがた
1 そわそわ おれはその時その青黒く淀んだ室の中の堅い灰色の自分の席にそわそわ立ったり座ったりしてゐた。二人の男がその室の中に居た。一人はたしかに獣医の有本でも一人はさまざまのやつらのもやもやした区分キメラであった。
2 もやもや おれはその時その青黒く淀んだ室の中の堅い灰色の自分の席にそわそわ立ったり座ったりしてゐた。二人の男がその室の中に居た。一人はたしかに獣医の有本でも一人はさまざまのやつらのもやもやした区分キメラであった。
3 きいっ おれはどこかへ出て行かうと考へてゐるらしかった。飛ぶんだぞ霧の中をきいっとふっとんでやるんだなどと頭の奥で叫んでゐた。
4 むしゃくしゃ おれはひどくむしゃくしゃした。そして卓をガタガタゆすってゐた。
5 ガタガタ おれはひどくむしゃくしゃした。そして卓をガタガタゆすってゐた。
6 ぴかぴか いきなり霧積が入って来た。霧積は変に白くぴかぴかする金襴の羽織を着てゐた。 そしてひどく嬉しさうに見えた。今朝は支那版画展覧会があって自分はその幹事になってゐるから そっちへ行くんだと云ってかなり大声で笑った。おれはそれがしゃくにさわった。
7 けらけら 第一霧積は今日はおれと北の方の野原へ出かける約束だったのだ、 それを白っぽい金襴の羽織などを着込んでわけもわからない処へ行ってけらけら笑ったりしやうといふのはあんまり失敬だと  おれは考へた。
8 もにゃもにゃ それから今度は有本が何かもにゃもにゃ云っておれを慰めるやうにした。おれにはどういふわけで自分に着物が斯う足りないのかどう考へても判らなくてひどく悲しかった。
9 ぷい 「あたりまへさ。おれなんぞまだ着物など三つも四つもためられる訳はないんだ。 おれはこれで沢山だ。」有本や霧積は何か眩しく光る絵巻か角帯らしいものをひろげて引っぱってしゃべってゐた。 おれはぷいと外へ出た。
10 ぼろぼろ 川はあんまり冷たく物凄かった。おれは少し上流にのぼって行った。そこの所で川はまるで白と水色とぼろぼろになって崩れ落ちてゐた。そして殊更空の光が白く冷たかった。
11 ぎらぎら ひどい洪水の後らしかった。もう水は澄んでゐた。それでも非常な水勢なのだ。 波と波とが激しく拍って青くぎらぎら した。支流が北から落ちてゐた。おれはだまってその岸について溯った。
12 ツンツン 空がツンツンと光ってゐる。水はごうごうと鳴ってゐた。おれはかなしかった。それから口笛を吹いた。口笛は向ふの方に行ってだんだん広く大きくなってしまひには手もつけられないやうにひろがった。
13 ごうごう 空がツンツンと光ってゐる。水はごうごうと鳴ってゐた。おれはかなしかった。それから口笛を吹いた。口笛は向ふの方に行ってだんだん広く大きくなってしまひには手もつけられないやうにひろがった。
14 ぴちゃぴちゃ たしかにそれは水が切れて小さなぴちゃぴちゃの瀬になってゐたのだ。
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a 2
秋田街道

秋田街道
1 プイ 道が小さな橋にかゝる。螢がプイと飛んで行く。誰かがうしろで手をあげて大きくためいきをついた。 それも間違ひかわからない。とにかくそらが少し明るくなった。 夜明けにはまだ途方もないしきっと雲が薄くなって月の光が透《とほ》って来るのだ。
2 ぺたぺた 向ふの方は小岩井農場だ。四っ角山にみんなぺたぺた一緒に座る。月見草が幻よりは少し明るくその辺一面浮んで咲いてゐる。 マッチがパッとすられ莨《たばこ》の青いけむりがほのかにながれる。
3 パッ 向ふの方は小岩井農場だ。四っ角山にみんなぺたぺた一緒に座る。月見草が幻よりは少し明るくその辺一面浮んで咲いてゐる。 マッチがパッとすられ莨《たばこ》の青いけむりがほのかにながれる。
4 どしりどしり 葛根田《かっこんだ》川の河原におりて行く。すぎなに露が一ぱいに置き美しくひらめいてゐる。 新鮮な朝のすぎなに。いつかみんな睡ってゐたのだ。河本さんだけ起きてゐる。冷たい水を渉《わた》ってゐる。 変に青く堅さうなからだをはだかになって体操をやってゐる。 睡ってゐる人の枕もとに大きな石をどしりどしりと投げつける。安山岩の柱状節理、安山岩の板状節理。
5 よろよろ 水に落ちてはつめたい波を立てうつろな音をあげ、目を覚ました、目を覚ました。 低い銀の雲の下で愕いてよろよろしてゐる。それから怒ってゐる。 今度はにがわらひをしてゐる。銀色の雲の下。
6 ぐらりぐらり すっかり晴れて暑くなった。雫石川の石垣は烈しい草のいきれの中に ぐらりぐらりとゆらいでゐる。その中でうとうとする。
7 うとうと すっかり晴れて暑くなった。雫石川の石垣は烈しい草のいきれの中に ぐらりぐらりとゆらいでゐる。その中でうとうとする。
8 うんうん 遠くの楊の中の白雲でくゎくこうが啼いた。「あの鳥はゆふべ一晩なき通しだな。」「うんうん鳴いてゐた。」誰かが云ってゐる。
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arito      
a 3
ありときのこ

ありときのこ
1 ぽしゃぽしゃ 苔いちめんに、霧がぽしゃぽしゃ降って、蟻の歩哨は鉄の帽子のひさしの下から、するどいひとみであたりをにらみ、 青く大きな羊歯の森の前をあちこち行ったり来たりしています。
2 ぷるぷるぷるぷる 向こうからぷるぷるぷるぷる一ぴきの蟻の兵隊が走って来ます。 「停まれ、誰かッ」「第百二十八聯隊の伝令!」「どこへ行くか」「第五十聯隊 聯隊本部」
3 ふらっ 伝令はいそがしく羊歯の森のなかへはいって行きました。  霧の粒はだんだん小さく小さくなって、いまはもう、うすい乳いろのけむりに変わり、 草や木の水を吸いあげる音は、あっちにもこっちにも忙しく聞こえだしました。 さすがの歩哨もとうとうねむさにふらっとします。
4 じっ 二疋の蟻の子供らが、手をひいて、何かひどく笑いながらやって来ました。 そしてにわかに向こうの楢の木の下を見てびっくりして立ちどまります。 「あっ、あれなんだろう。あんなところにまっ白な家ができた」・・・ 「兵隊さんにきいてみよう」・・・  「この森をはいって行ってアルキル中佐どのにお目にかかる。それからおまえはうんと走って陸地測量部まで行くんだ。 そして二人ともこう言うんだ。北緯二十五度東経六厘の処に、目的のわからない大きな工事ができましたとな。」・・・  歩哨は剣をかまえて、じっとそのまっしろな太い柱の、大きな屋根のある工事をにらみつけています。
5 ぶるぶるぶるぶる それはだんだん大きくなるようです。だいいち輪廓のぼんやり白く光ってぶるぶるぶるぶるふるえていることでもわかります。
6 ぐらぐら にわかにぱっと暗くなり、そこらの苔はぐらぐらゆれ、蟻の歩哨は夢中で頭をかかえました。眼をひらいてまた見ますと、 あのまっ白な建物は、柱が折れてすっかり引っくり返っています。
7 だんだん 蟻の子供らが両方から帰ってきました。 「兵隊さん。かまわないそうだよ。あれはきのこというものだって。なんでもないって。 アルキル中佐はうんと笑ったよ。それからぼくをほめたよ」「・・・ おや! 引っくりかえってらあ」・・・  向こうに魚の骨の形をした灰いろのおかしなきのこが、とぼけたように光りながら、枝がついたり手が出たり だんだん地面からのびあがってきます。
8 ぱっ そのとき霧の向こうから、大きな赤い日がのぼり、羊歯もすぎごけもにわかにぱっ と青くなり、蟻の歩哨は、またいかめしくスナイドル式銃剣を南の方へ構えました。
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bakemono      
b 1
化物丁場

化物丁場
1 ふらふら 五六日続いた雨の、やっとあがった朝でした。黄金の日光が、青い木や稲を、照してはゐましたが、 空には、方角の決まらない雲がふらふら飛び、山脈も非常に近く見えて、 なんだかまだほんたうに霽《は》れたといふやうな気がしませんでした。
2 がやがや 私は、西の仙人鉱山に、小さな用事がありましたので、黒沢尻で、軽便鉄道に乗りかへました。  車室の中は、割合空いて居りました。それでもやっぱり二十人ぐらゐはあったでせう。がやがや話して居りました。
3 ちらっ ところが私のうしろの席で、突然太い強い声がしました。 「雫石、橋場間、まるで滅茶苦茶だ。レールが四間も突き出されてゐる。枕木も何もでこぼこだ。 十日や十五日でぁ、一寸六ヶ敷《むつかし》ぃな。」  ははあ、あの化物丁場だな、私は思ひながら、急いでそっちを振り向きました。・・・  「あゝ、あの化物丁場ですか、壊れたのは。」私は頭を半分そっちへ向けて、笑ひながら尋ねました。 鉄道工夫の人はちらっと私を見てすぐ笑ひました。
4 ふと その時汽笛が鳴って汽車は発ちました。私は行手の青く光ってゐる仙人の峡を眺め、それからふと空を見て、思はず、こいつはひどい、と、 つぶやきました。・・・ 「また嵐になりますよ。風がまったく変です。」私は工夫に云ひました。
5 きらっ その人も一寸立って窓から顔を出してそれから、 「まだまだ降ります、今日は一寸あらしの日曜といふ訳だ。」と、つぶやくやうに云ひながら、又席に戻りました。 電信柱の瀬戸の碍子が、きらっと光ったり、青く葉をゆすりながら楊がだんだんめぐったり、汽車は丁度黒沢尻の町をはなれて、 まっすぐに西の方へ走りました。
6 だんだん その人も一寸立って窓から顔を出してそれから、 「まだまだ降ります、今日は一寸あらしの日曜といふ訳だ。」と、つぶやくやうに云ひながら、又席に戻りました。 電信柱の瀬戸の碍子が、きらっと光ったり、青く葉をゆすりながら楊がだんだんめぐったり、汽車は丁度黒沢尻の町をはなれて、 まっすぐに西の方へ走りました。
7 ずうっ 「それが、又、崩れたのですか。」私は尋ねました。「崩れたのです。それも百人からの人夫で、 八日かゝってやったやつです。積み直しといっても大部分は雫石の河原から、トロで運んだんです。 前に崩れた分もそっくり使って。だからずうっと脚がひろがっていかにも丈夫さうになったんです。」
8 ほっ 「ほんたうにお容易ぢゃありませんね。」 「なあに、さうやって、やっと積み上ったんです。進行検査にも間に合ったてんで、監督たちもほっとしてゐたやうでした。」
9 ゴーッ 「その晩は実は、春木場で一杯やったんです。それから小舎《こや》に帰って寝ましたがね、 いゝ晩なんです、・・・ あしたは霜がひどいぞ、砂利も悪くすると凍るぞって云ひながら、寝たんです。 すると夜中になって、さう、二時過ぎですな、ゴーッと云ふやうな音が、夢の中で遠くに聞えたんです。」
10 ガタッ 「ぼんやりした黄いろのランプの下へ頭をあげたまゝ誰も何とも云はないんです。 だまってその音のした方へ半分からだを起してほかのものの顔ばかり見てゐたんです。 すると俄かに監督が戸をガタッとあけて走って入って来ました。 『起きろ、みんな起きろ、今日のとこ崩れたぞ。早く起きろ、みんな行って呉れ。』って云ふんです。」
11 コロコロ 「間もなく、私たちは、アセチレンを十ばかりつけて出かけました。 水をかけられたやうに寒かったんです。天の川がすっかりまはってしまってゐました。 野原や木はまっくろで、山ばかりぼんやり白かったんです。場処へ着いて見ますと、 もうすっかり崩れてゐるらしいんです。そのアセチレンの青の光の中をみんなの見てゐる前でまだ石がコロコロ崩れてころがって行くんです。 気味の悪いったら。」
12 じっ 「それから又工事をやったんですか。」「やったんです。すぐその場からです。・・・  けれどもどうしたって誰も仕事に実が入りませんや。さうでせう。 一度別段の訳もなく崩れたのならいづれ又格別の訳もなしに崩れるかもしれない、・・・  いくらつまらないと思っても、・・・ その通りやるより仕方ありませんや。ハッハッハ。一寸。」 その工夫の人は立ちあがって窓から顔を出し手をかざして行手の線路をじっと見てゐましたが、俄かに下の方へ「よう、」と叫んで、挙手の礼をしました。
13 ずんずん 私も、窓から顔を出して見ましたら、一人の工夫がシャベルを両手で杖にして、線路にまっすぐに立ち、 笑ってこっちを見てゐました。それもずんずんうしろの方へ遠くなってしまひ、向ふには栗駒山が青く光って、 カラッとしたそらに立ってゐました。私たちは又腰掛けました。
14 カラッ 私も、窓から顔を出して見ましたら、一人の工夫がシャベルを両手で杖にして、線路にまっすぐに立ち、 笑ってこっちを見てゐました。それもずんずんうしろの方へ遠くなってしまひ、向ふには栗駒山が青く光って、 カラッとしたそらに立ってゐました。私たちは又腰掛けました。
15 しいん 「その出来あがった晩は、私たちは十六人、たき火を三つ焚いて番をしてゐました。・・・  酒を呑んで騒いでゐましたから、大して淋しいことはありませんでした。・・・  それでも夜中になって月も沈み話がとぎれるとしいんとなるんですね、遠くで川が ざあと流れる音ばかり、俄に気味が悪くなることもありました。」
16 ざあ 「その出来あがった晩は、私たちは十六人、たき火を三つ焚いて番をしてゐました。・・・  酒を呑んで騒いでゐましたから、大して淋しいことはありませんでした。・・・  それでも夜中になって月も沈み話がとぎれるとしいんとなるんですね、遠くで川が ざあと流れる音ばかり、俄に気味が悪くなることもありました。」
17 どんどん 「そこで工事はだんだん延びて行って、尤《もっと》もそこをやってゐるうちに向ふの別の丁場では別の組が どんどんやってゐましたからね、レールだけは敷かなくてもまあ敷地だけは橋場に届いたんです。 そのうちたうとう十二月に入ったでせう。雪も二遍か降りました。降っても又すぐ消えたんです。」
18 ポシャポシャ 「ところが、十二月の十日でしたが、まるで春降るやうなポシャポシャ雨が、半日ばかり降ったんです。なあに河の水が出るでもなし、 ほんの土をしめらしただけですよ。」
19 ざあっ 「それでゐて、その夕方に又あの丁場がざあっと来たもんです。折角入れた乱杭もあっちへ向いたりこっちへまがったりです。 もうこの時はみんなすっかり気落ちしました。」
20 ぎらぎら 「天気がよくて雪がぎらぎらしてました。橋場では吹雪も吹いたんですが。一月の六七日頃ですよ。」 「ではそれだ。その検査官が来ましてね、この化物丁場はよくあちこちにある、 山の岩の層が釣合がとれない為に起るって云ったさうですがね、誰もあんまりほんとにはしませんや。」
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baraumi      
b 2
茨海小学校

1 きらきら 浜茄は見附からず、小さな火山弾を一つ採って、私は草に座りました。空がきらきらの白いうろこ雲で一杯でした。 茨には青い実がたくさんつき、萱はもうそろそろ穂を出しかけていました。
2 そろそろ 浜茄は見附からず、小さな火山弾を一つ採って、私は草に座りました。空がきらきらの白いうろこ雲で一杯でした。 茨には青い実がたくさんつき、萱はもうそろそろ穂を出しかけていました。
3 ぶらぶら 私は背嚢の中に火山弾を入れて、面倒くさいのでかけ金もかけず、 締革をぶらさげたまませなかにしょい、パンの袋だけ手にもって、又ぶらぶら と向うへ歩いて行きました。
4 ずうっ この辺でパンをたべてしまおうと立ちどまったとき、私はずうっと向うの方で、 ベルの鳴る音を聞きました。それはどこの学校でも鳴らすベルの音のようで、 空のあの白いうろこ雲まで響いていたのです。
5 しぃん この野原には、学校なんかあるわけはなし、 これはきっと俄に立ちどまった為に、私の頭がしぃんと鳴ったのだと考えても見ましたが、 どうしても心からさっきの音を疑うわけには行きませんでした。
6 がやがや それどころじゃない、こんどは私は、子供らのがやがや云う声を聞きました。それは少しの風のために、ふっとはっきりして来たり、 又俄かに遠くなったりしました。
7 ふっ それどころじゃない、こんどは私は、子供らのがやがや云う声を聞きました。それは少しの風のために、ふっとはっきりして来たり、 又俄かに遠くなったりしました。
8 だんだん いかにも何か面白そうなのです。・・・ 一生けん命そっちへ走って行きました。 すると野原は、だんだん茨が少くなって、 あのすずめのかたびらという、一尺ぐらいのけむりのような穂を出す草があるでしょう、 あれがたいへん多くなったのです。私はどしどしその上をかけました。
9 どしどし いかにも何か面白そうなのです。・・・ 一生けん命そっちへ走って行きました。 すると野原は、だんだん茨が少くなって、 あのすずめのかたびらという、一尺ぐらいのけむりのような穂を出す草があるでしょう、 あれがたいへん多くなったのです。私はどしどしその上をかけました。
10 どたっ そしたらどう云うわけか俄かに私は棒か何かで足をすくわれたらしくどたっと草に倒れました。急いで起きあがって見ますと、 私の足はその草のくしゃくしゃ もつれた穂にからまっているのです。
11 くしゃくしゃ そしたらどう云うわけか俄かに私は棒か何かで足をすくわれたらしくどたっと草に倒れました。急いで起きあがって見ますと、 私の足はその草のくしゃくしゃ もつれた穂にからまっているのです。
12 ばったり 私はにが笑いをしながら起きあがって又走りました。又ばったり と倒れました。おかしいと思ってよく見ましたら、そのすずめのかたびらの穂は、 ただくしゃくしゃにもつれているのじゃなくて、ちゃん と両方から門のように結んであるのです。一種のわなです。
13 ちゃん 私はにが笑いをしながら起きあがって又走りました。又ばったり と倒れました。おかしいと思ってよく見ましたら、そのすずめのかたびらの穂は、 ただくしゃくしゃにもつれているのじゃなくて、ちゃん と両方から門のように結んであるのです。一種のわなです。
14 どっ なるべく足を横に引きずらず抜きさしするような工合にして そっと歩きましたけれどもまだ二十歩も行かないうちに、又ばったりと倒されてしまいました。 それと一緒に、向うの方で、どっ と笑い声が起り、それからわあわあ はやすのです。
15 わあわあ なるべく足を横に引きずらず抜きさしするような工合にして そっと歩きましたけれどもまだ二十歩も行かないうちに、又ばったりと倒されてしまいました。 それと一緒に、向うの方で、どっ と笑い声が起り、それからわあわあ はやすのです。
16 はあはあはあはあ 白や茶いろや、狐の子どもらがチョッキだけを着たり半ズボンだけはいたり、 たくさんたくさんこっちを見てはやしているのです。首を横にまげて笑っている子、 口を尖らせてだまっている子、口をあけてそらを向いてはあはあはあはあ 云う子、はねあがってはねあがって叫んでいる子、白や茶いろやたくさんいます。 ああこれはとうとう狐小学校に来てしまった、いつかどこかで誰かに聴いた茨海《ばらうみ》狐小学校へ 来てしまったと、私はまっ赤になって起きあがって、からだをさすりながら考えました。
17 そろそろ 私は先生の狐について行きました。生徒らは小さくなって、私を見送りました。 みんなで五十人は居たでしょう。私たちが過ぎてから、みんなそろそろ立ちあがりました。  先生はふっとうしろを振りかえりました。そして強く命令しました。 「わなをみんな解け。こんなことをして学校の名誉に関するじゃないか。今に主謀者は処罰するぞ。」
18 くるくる 生徒たちはくるくる はねまわってその草わなをみんなほどいて居りました。  私は向うに、七尺ばかりの高さのきれいな野ばらの垣根を見ました。
19 ちらちら 教員室や教室やみんなばらの木できれいにしきられていました。みんな私たちの小学校と同じです。 ただちがうところは教室にも廊下にも窓のないことそれから屋根のないことですが、 これは元来屋根がなければ窓はいらない筈ですからおまけに室の上を白い雲が光って行ったりしますから、 実に便利だろうと思いました。校長室の中では、白服の人の動いているのがちらちら見えます。
20 エヘンエヘン エヘンエヘンと云っているのも聞えます。 私はきょろきょろあちこち見まわしていましたら、 先生が少し笑って云いました。 「どうぞスリッパをお召しなすって。只今校長に申しますから。」
21 きょろきょろ エヘンエヘンと云っているのも聞えます。 私はきょろきょろあちこち見まわしていましたら、 先生が少し笑って云いました。 「どうぞスリッパをお召しなすって。只今校長に申しますから。」
22 がさがさ そこへ隣りの教員室から、黒いチョッキだけ着た、がさがさ した茶いろの狐の先生が入って来て私に一礼して云いました。 「武田金一郎をどう処罰いたしましょう。」
23 すごすご 三学年担任の茶いろの狐の先生は、恭《うやうや》しく礼をして出て行きました。 間もなく青い格子縞の短い上着を着た狐の生徒が、今の先生のうしろについてすごすご と入って参りました。
24 くんくん 校長さんの狐は下を向いて二三度くんくん 云ってから、新らしく紅茶を私に注いでくれました。そのときベルが鳴りました。 午后の課業のはじまる十分前だったのでしょう。
25 よろよろ 「ご挨拶に麻生農学校の校歌を歌うのです。そら、一、二、三、」先生は手を振りはじめました。 生徒たちは高く高く私の学校の校歌を歌いはじめました。私は全くよろよろ して泣き出そうとしました。誰だっていきなり茨海狐小学校へ来て 自分の学校の校歌を狐の生徒にうたわれて泣き出さないでいられるもんですか。
26 ばたばた 先生はみんなの書いてしまう間、両手をせなかにしょってじっとしていましたがみんながばたばた 鉛筆を置いて先生の方を見始めますと、又講義をつづけました。 「そこで今の『正直は最良の方便』という格言は、・・・」
27 ぐらぐら 私は何だか修身にしても変だし頭がぐらぐら して来たのでしたが、この時さっき校長が修身と護身とが今学年から一科目になって、 多分その方が結果がいいだろうと云ったことを思い出して、ははあ、なるほどと、うなずきました。
28 はあはあ 武巣という子がまるで息をはあはあ して入って来ました。さっき校長室のガラス戸棚の中に入っていた、 わなの標本を五つとも持って来たのです。それを先生の机の上に置いてしまうと、 その子は席に戻り、先生はその一つを手にとりあげました。
29 ぴかぴか 「これはアメリカ製でホックスキャッチャーと云います。 ニッケル鍍金でこんなにぴかぴか 光っています。ここの環の所へ足を入れると ピチン と環がしまって、もうとれなくなるのです。
30 ピチン 「これはアメリカ製でホックスキャッチャーと云います。 ニッケル鍍金でこんなにぴかぴか 光っています。ここの環の所へ足を入れると ピチン と環がしまって、もうとれなくなるのです。
31 どんどん 「時間がも少しですから、次の教室をご案内いたしましょう。」校長がそっと私にささやきました。 そこで私はうなずき校長は先に立って室を出ました。「第三教室は向うの端になって居ります。」 校長は云いながら廊下をどんどん 戻りました。
32 もちゃもちゃ 校長は又私の茶椀に紅茶をついで云いました。「ご感想はいかがですか。」  私は答えました。「正直を云いますと、実は何だか頭がもちゃもちゃ しましたのです。」校長は高く笑いました。
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budosui      
b 3
葡萄水

葡萄水
1 のっしのっし 空が光って青いとき、黄いろなすぢの入った兵隊服を着て、大手をふって野原を行くのは、 誰だっていゝ気持ちです。耕平だって、もちろんです。大きげんでのっしのっしと、野原を歩いて参ります。
2 ぱちゃぱちゃ 野原の上の空などは、あんまり青くて、光ってうるんで、・・・  その気の毒なそらか、すきとほる風か、それともうしろの畑のへりに立って、 玉蜀黍《たうもろこし》のやうな赤髪を、ぱちゃぱちゃした小さなはだしの子どもか誰か、とにかく斯う歌ってゐます。
3 どしゃどしゃ 夕方です。向ふの山は群いろの・・・、耕平はせなかいっぱい荷物をしょって、 遠くの遠くのあくびのあたりの野原から、だんだん帰って参ります。 しょってゐるのはみな野葡萄の実にちがひありません。参ります、参ります。日暮れの草をどしゃどしゃふんで、もうすぐそこに来てゐます。
4 ふんふん すっかり夜になりました。耕平のうちには黄いろのラムプがぼんやりついて、馬屋では馬もふんふん云ってゐます。
5 ふうふう 耕平は、さっき頬っぺたの光るくらゐご飯を沢山喰べましたので、まったく嬉しがって赤くなって、ふうふう息をつきながら、大きな木鉢へ葡萄のつぶをパチャパチャむしってゐます。
6 パチャパチャ 耕平は、さっき頬っぺたの光るくらゐご飯を沢山喰べましたので、まったく嬉しがって赤くなって、ふうふう息をつきながら、大きな木鉢へ葡萄のつぶをパチャパチャむしってゐます。
7 ポツンポツン 耕平のおかみさんは、ポツンポツンとむしってゐます。耕平の子は、葡萄の房を振りまはしたり、パチャンと投げたりするだけです。何べん叱られてもまたやります。
8 パチャン 耕平のおかみさんは、ポツンポツンとむしってゐます。耕平の子は、葡萄の房を振りまはしたり、パチャンと投げたりするだけです。何べん叱られてもまたやります。 ・・・ その黒光りの房の中に、ほんの一つか二つ、小さな青いつぶがまじってゐるのです。
9 きょろきょろ 宝石は宝石です。青い葡萄は青い葡萄です。それをくらべたりなんかして全く私がいけないのです。 実際コンネテクカット大学校で、私の習ってきたことは、「お前はきょろきょろ、自分と人とをばかりくらべてばかりゐてはならん。」といふことだけです。
10 てかてか あれから丁度、今夜で三日になるのです。おとなしい耕平のおかみさんが、 葡萄のはひったあの桶を、てかてか の板の間のまん中にひっぱり出しました。子供はまはりを ぴょんぴょんとびます。
11 ぴょんぴょん あれから丁度、今夜で三日になるのです。おとなしい耕平のおかみさんが、 葡萄のはひったあの桶を、てかてか の板の間のまん中にひっぱり出しました。子供はまはりを ぴょんぴょんとびます。
12 すっこすっこ 耕平はじっとしばらく見てゐましたが、いきなり高く叫びました。 「ぢゃ、今年ぁ、こいつさ砂糖入れるべな。」「罰金取らへらんすぢゃ。」 「うんにゃ。税務署に見っけらへれば、罰金取らへる。見っけらへなぃば、すっこすっこど葡ん萄酒呑む。」 「なじょして蔵《かぐ》して置ぐあんす。」「うん。砂糖入れで、すぐに今夜、瓶さ詰めでしむべぢゃ。 そして落しの中さ置ぐべすさ。瓶、去年なのな、あったたぢゃな。」
13 こちこち 砂糖が来ました。耕平はそれを鉢の汁の中に投げ込んで掻きまはし、 その汁を今度は布の袋にあけました。袋はぴんとはり切ってまっ赤なので、 「ほう、こいづはまるで牛《べご》の胆のよだな。」と耕平が云ひました。そのうちにおかみさんは流しでこちこち瓶を洗って持って来ました。 それから二人はせっせと汁を瓶につめて栓をしました。
14 キラキラ さて瓶がずらりと板の間にならんで、まるでキラキラします。 おかみさんは足もとの板をはづして床下の落しに入って、そこからこっちに顔を出しました。 耕平は、「さあ、いゝが。落すな。瓶の脚揃ぇでげ。」なんて云ひながら、それを一本づつ渡します。
15 ボッ ボッ」といふ爆発のやうな音が、 どこからとなく聞えて来ました。・・・ 「ボッ。」音がまた聞えます。・・・ 「ボッ。」音まだやみません。・・・  「あっ葡萄酒だ、葡萄酒だ。葡ん萄酒はじけでるぢゃ。」・・・ 二十本の葡萄の瓶は、 大抵はじけて黒い立派な葡萄酒は、落しの底にながれてゐます。
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c 1
注文の多い料理店

注文の多い料理店
1 ぴか/\ 二人の若い紳士が、すつかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴか/\する鉄砲をかついで、白熊のやうな犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさ/\したとこを、こんなことを云ひながら、あるいてをりました。
2 かさ/\ 二人の若い紳士が、すつかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴか/\する鉄砲をかついで、白熊のやうな犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさ/\したとこを、こんなことを云ひながら、あるいてをりました。
3 タンタアーン 「ぜんたい、こゝらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構はないから、早くタンタアーンと、やつて見たいもんだなあ。」
4 くる/\ 「鹿の黄いろな横つ腹なんぞに、二三発お見舞まうしたら、ずゐぶん痛快だらうねえ。くる/\まはつて、それからどたっと倒れるだらうねえ。」
5 どたっ 「鹿の黄いろな横つ腹なんぞに、二三発お見舞まうしたら、ずゐぶん痛快だらうねえ。くる/\まはつて、それからどたっと倒れるだらうねえ。」
6 じっ はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、じっと、もひとりの紳士の、顔つきを見ながら云ひました。 「ぼくはもう戻らうとおもふ。」「さあ、ぼくもちやうど寒くはなつたし腹は空いてきたし戻らうとおもふ。」
7 どう 風がどうと吹いてきて、 草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
8 かさかさ 風がどうと吹いてきて、 草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
9 ごとんごとん 風がどうと吹いてきて、 草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
10 ざわざわ 「どうも腹が空いた。さつきから横つ腹が痛くてたまらないんだ。」 「ぼくもさうだ。もうあんまりあるきたくないな。」「あるきたくないよ。あゝ困つたなあ、何かたべたいなあ。」 「喰べたいもんだなあ」二人の紳士は、ざわざわ鳴るすゝきの中で、こんなことを云ひました。  その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。  そして玄関には
RESTAURANT
西洋料理店
WILDCAT HOUSE
山猫軒

といふ札がでてゐました。
11 ずんずん 二人は戸を押して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下になつてゐました。 その硝子戸の裏側には、金文字でかうなつてゐました。「ことに肥つたお方や若いお方は、大歓迎いたします」  二人は大歓迎といふので、もう大よろこびです。ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗りの扉がありました。・・・  また扉が一つありました。そして・・・  「お客さまがた、こゝで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落してください。」と書いてありました。
12 ぼうっ 「作法の厳しい家だ。きつとよほど偉い人たちが、たびたび来るんだ。」  そこで二人は、きれいに髪をけづつて、靴の泥を落しました。  そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否や、そいつがぼうっとかすんで無くなつて、風がどうつと室の中に入つてきました。
13 がたん 二人はびつくりして、互によりそつて、扉をがたんと開けて、次の室へ入つて行きました。・・・   扉の内側に、また変なことが書いてありました。「鉄砲と弾丸をこゝへ置いてください。」
14 ぺたぺた また黒い扉がありました。「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。」・・・  二人は帽子とオーバコートを釘にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはひりました。
15 ぱちん 扉の裏側には、「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、  ことに尖つたものは、みんなこゝに置いてください」と書いてありました。・・・  二人はめがねをはづしたり、カフスボタンをとつたり、みんな金庫の中に入れて、 ぱちんと錠をかけました。
16 ぱちゃぱちゃ するとすぐその前に次の戸がありました。 「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。  早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。」  そして戸の前には金ピカの香水の瓶が置いてありました。二人はその香水を、頭へ ぱちゃぱちゃ振りかけました。  ところがその香水は、どうも酢のやうな匂がするのでした
17 ぎよっ 扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。 「いろいろ注文が多くてうるさかつたでせう。お気の毒でした。  もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」  なるほど立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、こんどといふこんどは二人とも ぎよっとしてお互にクリームをたくさん塗つた顔を見合せました。
18 がたがたがたがた 「どうもをかしいぜ。」「ぼくもをかしいとおもふ。」 「沢山の注文といふのは、向ふがこつちへ注文してるんだよ。」 「だからさ、西洋料理店といふのは、・・・ その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるへだしてもうものが言へませんでした。
19 さあさあ 奥の方にはまだ一枚扉があつて、大きなかぎ穴が二つつき、 銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあつて、 「いや、わざわざご苦労です。大へん結構にできました。さあさあおなかにおはひりください。」 と書いてありました。
20 きょろきょろ おまけにかぎ穴からはきょろきょろ二つの青い眼玉がこつちをのぞいてゐます。 「うわあ。」がたがたがたがた。
21 こそこそ すると戸の中では、こそこそこんなことを云つてゐます。 「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないやうだよ。」 「あたりまへさ。親分の書きやうがまづいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかつたでせう、 お気の毒でしたなんて、間抜けたことを書いたもんだ。」
22 くしゃくしゃ 二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のやうになり、お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるへ、声もなく泣きました。
23 ぶるぶる 二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のやうになり、お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるへ、声もなく泣きました。
24 ふつふつ 中ではふつふつ とわらつてまた叫んでゐます。「いらつしやい、いらつしやい。 そんなに泣いては折角のクリームが流れるぢやありませんか。へい、たゞいま。ぢきもつてまゐります。 さあ、早くいらつしやい。」
25 くるくる そのときうしろからいきなり、「わん、わん、ぐわあ。」といふ声がして、 あの白熊のやうな犬が二疋、扉をつきやぶつて室の中に飛び込んできました。鍵穴の眼玉はたちまちなくなり、 犬どもはううとうなつてしばらく室の中をくるくる廻つてゐましたが、・・・
26 がさがさ その扉の向ふのまつくらやみのなかで、「にやあお、くわあ、ごろごろ。」といふ声がして、それからがさがさ鳴りました。 室はけむりのやうに消え、二人は寒さにぶるぶるふるへて、草の中に立つてゐました。
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daigawa      
d 1
台川

台川
1 ぞろぞろ 後ろで誰かこゞんで石ころを拾ってゐるものもある。小松ばやしだ。混んでゐる。 このみちはずうっと上流まで通ってゐるんだ。造林のときは苗や何かを一杯つけた馬が ぞろぞろこゝを行くんだぞ。
2 ふんふん 〔志戸平のちかく豊沢川の南の方に杉のよくついた奇麗な山があるでせう。 あすことこゝとはとても木の生え工合や較べにも何にもならないでせう。向ふは安山岩の集塊岩、 こっちは流紋凝灰岩です。石灰や加里や植物養料がずうっと少いのです。 ここにはとても杉なんか育たないのです。〕うしろでふんふんうなづいてゐるのは藤原清作だ。
3 ごろごろ 坂になったな。ごろごろ 石が落ちてゐる。「先生この石何て云ふのす。」どうせきまってる。 〔凝灰岩。流紋凝灰岩だ。凝灰岩の温泉の為に硅化を受けたのだ。〕
4 ゆらゆら 光が網になってゆらゆらする。みんなの足並。小松の密林。「釜淵だら俺ぁ前になんぼがへりも見だ。 それでも今日も来た。」うしろで云ってゐる。あの顔の赤い、 そしていつでも少し眼が血走ってどうかすると泣いてゐるやうに見える、あの生徒だ。
5 パチン 巨礫がごろごろしてゐる。一つ欠いて見せるかな。うまくいった。パチンといった。 〔これは安山岩です。上流の方から流れて来たのです。〕
6 すっ すっと歩き出せ。関さんだ。 「この石は安山岩であります。上流から流れて来たのです。」まねをしてゐる。堀田だな。 堀田は赤い毛糸のジャケツを着てゐるんだ。物を言ふ口付きが覚束なくて眼はどこを見てゐるかはっきりしないで 黒くてうるんでゐる。今はそれがうしろの横でちらっ と光る。
7 ちらっ すっと歩き出せ。関さんだ。 「この石は安山岩であります。上流から流れて来たのです。」まねをしてゐる。堀田だな。 堀田は赤い毛糸のジャケツを着てゐるんだ。物を言ふ口付きが覚束なくて眼はどこを見てゐるかはっきりしないで 黒くてうるんでゐる。今はそれがうしろの横でちらっ と光る。
8 ずうっ 黒い松の幹とかれくさ。みんなぞろぞろ従いて来る。渓が見える。水が見える。 波や白い泡も見える。あゝまだ下だ。ずうっと下だ。 釜淵は。ふちの上の滝へ平らになって水がするする 急いで行く。
9 するする 黒い松の幹とかれくさ。みんなぞろぞろ従いて来る。渓が見える。水が見える。 波や白い泡も見える。あゝまだ下だ。ずうっと下だ。 釜淵は。ふちの上の滝へ平らになって水がするする 急いで行く。
10 もぢゃもぢゃ 光って木がはねかへる。おれはそんなことをしたかな。いやそれはもうよく気をつけたんだ。 藪だ。もぢゃもぢゃしてゐる。大内はよくあるく。
11 ぐらぐら 引率の教師が飛石をつくるのもをかしいが又えらい。やっぱりをかしい。ありがたい。うまく行った。  ひとりが渡る。ぐらぐらする。あぶなく渡る、二人がわたる。もう一つはどれにするかな、もう四人だけ渡ってゐる。 飛石の上に両あしを揃へてきちんと立って四人つゞいて待ってゐるのは面白い。
12 ぴちゃぴちゃ おれははだしで行かうかな。いゝややっぱり靴ははかう。面倒くさい靴下はポケットへ押し込め、 ポケットがふくれて気持ちがいゝぞ。素あしにゴム靴でぴちゃぴちゃ水をわたる。
13 ずんずん みんなさっきはあしをぬらすまいとしたんだが 日が照るし水はきれいだし自分でも気がつかず川にはひったんだ。もう ずんずん瀑《たき》をのぼって行く。cascade だ。 こんな広い平らな明るい瀑はありがたい。上へ行ったらもっと平らで明るいだらう。
14 ざりざり 岩は何といふ円くなめらかに削られたもんだらう。水苔も生えてゐる。滑るだらうか。滑らない。 ゴム靴の底のざりざりの摩擦がはっきり知れる。 滑らない。大丈夫だ。
15 さらさら さらさら水が落ちてゐる。靴はビチャビチャ 云ってゐる。みんないゝ。それにみんなは後からついて来る。苔がきれいにはえてゐる。 実に円く柔らかに水がこの瀑のところを削ったもんだ。この浸蝕の柔らかさ。
16 ビチャビチャ さらさら水が落ちてゐる。靴はビチャビチャ 云ってゐる。みんないゝ。それにみんなは後からついて来る。苔がきれいにはえてゐる。 実に円く柔らかに水がこの瀑のところを削ったもんだ。この浸蝕の柔らかさ。
17 がりがり 「ほこの穴こまん円けぢゃ。先生。」あゝいゝ、これはいゝ標本だ。こいつなら持って来いだ。 〔さあ、見て下さい。これはいゝ標本です。そら。この中に石ころが入ってませう。みんな円くなってるでせう。 水ががりがり擦《こす》ったんです。 そら。〕
18 ぐんぐん あんまり溯る。もう帰らう。校長もあの路の岐れ目で待ってゐる。 〔ほお。戻れ。ほお。〕向ふの崖は明るいし声はよく出ない。聞えないやうだ。市野川や ぐんぐんのぼって行く。
19 どんどん 〔おゝい。もう少し斜におりろ。〕おりるおりる。 どんどん下りる。もう水へ入った。 〔どうしたのです。〕「先生。河童取りあんすた。ガバンも何も、すっかりぬらすたも。」〔どこで。……〕
20 さあさあ あれは葛丸川だ。足をさらはれて淵に入ったのは。いゝや葛丸川ぢゃない。空想のときの暗い谷だ。 どっちでもいゝ。水がさあさあ云ってゐる。「いゝな。あそごの水の跳ね返る処よ。」  うん、いゝ、早池峯《はやちね》山の七折の滝だってこんなのの大きなだけだらう。
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dokuga      
d 2
毒蛾

毒蛾
1 てかてか 私は給仕に、「おいどうしたんだ。窓をあけたらいゝぢゃないか。」と云ったんです。すると給仕は てかてかの髪を一寸撫でて、 「はい、誠にお気の毒でございますが、当地方には、毒蛾がひどく発生して居りまして、 夕刻からは窓をあけられませんのでございます。只今、扇風機を運んで参ります。」と云ったのでした。
2 ぶうぶう 髪もひげもまるで灰いろの、肥ったふくろふのやうなおぢいさんが、安楽椅子にぐったり腰かけて、 扇風機にぶうぶう吹かれながら、 「給仕をやってゐながら、一通りのホテルの作法も知らんのか。」と頬をふくらして給仕を叱りつけてゐました。
3 どしどし 給仕がちょっとこっちを向いて、いかにも申し訳けないといふやうに眼をつぶって見せました。 私はそれですっかり気分がよくなったのです。そして、どしどし階段を踏んで、通りに下りました。
4 ずんずん さて、私の頭はずんずん奇麗になり、気分も大へん直りました。
5 ぞろっ 私は一軒の床屋に入りました。マリオの町だなんて、仲々大きな床屋がありますよ。 向側の鏡が、九枚も上手に継いであって、店が丁度二倍の広さに見えるやうになって居り、 糸杉やこめ栂の植木鉢がぞろっとならび、親方はもちろん理髪アーティストで、外にもアーティストが六人もゐるんですからね、 ・・・
6 チャキチャキ 気もちよく青い植木鉢や、アーティストの白い指の動くのや、チャキチャキ鳴る鋏の銀の影をながめて居りました。
7 プイッ 「それは間違ひです。アムモニアの効くことは県の衛生課長も声明してゐます。」 「あてにならんさ。」「さうですか。とにかく、だいぶ腫れて参ったやうです。」親方のアーティストは、 少ししゃくにさはったと見えて、プイッとうしろを向いて、フラスコを持ったまゝ向ふへ行ってしまひました。
8 シャアシャア アーティストは、つめたい水でシャアシャアと私の頭を洗ひ時々は指で顔も拭ひました。
9 ぐらぐら マリオの市のやうな大きな西洋造りの並んだ通りに、電気が一つもなくて、並木のやなぎには、 黄いろの大きなラムプがつるされ、みちにはまっ赤な火がならび、 そのけむりはやさしい深い夜の空にのぼって、カシオピイアもぐらぐらゆすれ、琴座も朧にまたゝいたのです。
10 ホクホク どうしてもこれは遙かの南国の夏の夜の景色のやうに思はれたのです。 私はひとりホクホク しながら通りをゆっくり歩いて行きました。 いろいろな羽虫が本当にその火の中に飛んで行くのも私は見ました。 ・・・ まちの人たちが火をたいてゐるのも見ました。
11 ガラン それは頑丈さうな変に小さな腰の曲ったおぢいさんで、 一枚の板きれの上に四本の鯨油蝋燭をともしたのを両手に捧げてしきりに斯う叫んで来るのでした。 「家の中のあかりを消せい。電燈を消してもほかのあかりをつけちゃなんにもならん。 ・・・」その声はガラン とした通りに何べんも反響してそれから闇に消えました。
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d 3
毒もみのすきな署長さん

毒もみ
1 ごうごう 四つのつめたい谷川が、カラコン山の氷河から出て、ごうごう白い泡をはいて、プハラの国にはいるのでした。
2 あぶあぶ その毒もみというのは、・・・山椒の皮を・・・乾かしうすでよくつく、 ・・・もみじの木を焼いてこしらえた木灰七百匁とまぜる、それを袋に入れて水の中へ手でもみ出すことです。 そうすると、魚はみんな毒をのんで、口をあぶあぶ やりながら、白い腹を上にして浮びあがるのです。
3 ぴん ある夏、この町の警察へ、新らしい署長さんが来ました。この人は、 どこか河獺《かわうそ》に似ていました。赤ひげがぴんとはねて、歯はみんな銀の入歯でした。
4 つるり あの河原のあちこちの大きな水たまりからいっこう魚が釣れなくなって 時々は死んで腐ったものも浮いていました。また春の午の日の夜の間に町の中にたくさんある山椒の木がたびたび つるりと皮を剥かれておりました。
5 ずうっ とうとう小さな子供らまでが、巡査を見ると、わざと遠くへ遁げて行って、 「毒もみ巡査、なまずはよこせ。」なんて、力いっぱいからだまで曲げて叫んだりするもんですから、・・・  プハラの町長さんも仕方なく、家来を六人連れて警察に行って、署長さんに会いました。 二人が一緒に応接室の椅子にこしかけたとき、署長さんの黄金いろの眼は、 どこかずうっと遠くの方を見ていました。
6 カーン 署長さんは落ち着いて、卓子の上の鐘を一つ カーンと叩いて、赤ひげの もじゃもじゃ生えた、第一等の探偵を呼びました。 さて署長さんは縛られて、裁判にかかり死刑ということにきまりました。
7 もじゃもじゃ 署長さんは落ち着いて、卓子の上の鐘を一つ カーンと叩いて、赤ひげの もじゃもじゃ生えた、第一等の探偵を呼びました。 さて署長さんは縛られて、裁判にかかり死刑ということにきまりました。
8 いよいよ いよいよ巨きな曲った刀で、 首を落されるとき、署長さんは笑って云いました。「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、 全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」
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d 4
どんぐりと山猫

どんぐりと山猫
1 がさがさ をかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。・・・ 字はまるでへたで、墨もがさがさして指につくくらゐでした。けれども一郎はうれしくてうれしくてたまりませんでした。
2 にゃあ ね床にもぐつてからも、山猫のにゃあとした顔や、そのめんだうだといふ裁判のけしきなどを考へて、おそくまでねむりませんでした。
3 うるうる 一郎が眼をさましたときは、もうすつかり明るくなつてゐました。おもてにでてみると、まはりの山は、みんなたつたいまできたばかりのやうにうるうるもりあがつて、まつ青なそらのしたにならんでゐました。
4 ざあっ すきとほつた風がざあっと吹くと、栗の木はばらばらと実をおとしました。
5 ばらばら すきとほつた風がざあっと吹くと、栗の木はばらばらと実をおとしました。
6 ごうごう 笛ふきの滝といふのは、まつ白な岩の崖のなかほどに、小さな穴があいてゐて、そこから水が笛のやうに鳴つて飛び出し、すぐ滝になつて、ごうごう谷におちてゐるのをいふのでした。
7 ぴーぴー 一郎は滝に向いて叫びました。「おいおい、笛ふき、やまねこがここを通らなかつたかい。」滝がぴーぴー答へました。「やまねこは、さつき、馬車で西の方へ飛んで行きましたよ。」
8 どってこどってこ きのこはみんないそがしさうに、どってこどってこと、あのへんな楽隊をつづけました。
9 ぽとぽと 一郎が顔をまつかにして、汗をぽとぽとおとしながら、その坂をのぼりますと、にはかにぱっと明るくなつて、眼がちくっとしました。
10 ぱっ 一郎が顔をまつかにして、汗をぽとぽとおとしながら、その坂をのぼりますと、にはかにぱっと明るくなつて、眼がちくっとしました。
11 ちくっ 一郎が顔をまつかにして、汗をぽとぽとおとしながら、その坂をのぼりますと、にはかにぱっと明るくなつて、眼がちくっとしました。
12 ざわざわ そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まはりは立派なオリーヴいろのかやの木のもりでかこまれてありました。
13 びくびく その男は、片眼で、見えない方の眼は、白くびくびくうごき、上着のやうな半纏のやうなへんなものを着て、だいいち足が、ひどくまがつて山羊のやう、
14 にたにたにたにた 男はまたよろこんで、まるで、顔ぢゆう口のやうにして、にたにたにたにた笑つて叫びました。
15 パチパチ そのとき、一郎は、足もとでパチパチ塩のはぜるやうな、音をきゝました。
16 ぴかぴか びつくりして屈んで見ますと、草のなかに、あつちにもこつちにも、黄金いろの円いものが、ぴかぴかひかつてゐるのでした。 よくみると、みんなそれは赤いずぼんをはいたどんぐりで、もうその数ときたら、三百でも利かないやうでした。
17 ざっくざっく 馬車別当もたいへんあわてて、腰から大きな鎌をとりだして、ざっくざっくと、やまねこの前のとこの草を刈りました。
18 ぎらぎら そこへ四方の草のなかから、どんぐりどもが、ぎらぎらひかつて、飛び出して、 わあわあわあわあ言ひました。
19 わあわあわあわあ そこへ四方の草のなかから、どんぐりどもが、ぎらぎらひかつて、飛び出して、 わあわあわあわあ言ひました。
20 がらんがらんがらんがらん 馬車別当が、こんどは鈴をがらんがらんがらんがらんと振りました。
21 ひゅうぱちっ 別当がむちをひゅうぱちっとならしましたのでどんぐりどもは、やつとしづまりました。
22 ぱちぱち やまねこはまだなにか言ひたさうに、しばらくひげをひねつて、眼をぱちぱちさせてゐましたが、たうとう決心したらしく言ひ出しました。
23 ばたばた 山ねこの陣羽織が風にばたばた鳴りました。
24 ぐらぐら 馬車は草地をはなれました。木や藪がけむりのやうにぐらぐらゆれました。一郎は黄金のどんぐりを見、やまねこはとぼけたかほつきで、遠くをみてゐました。
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  双子の星

双子の星
1 カツカツカツ ある朝、お日様がカツカツカツと厳かにお身体をゆすぶって、東から昇っておいでになった時、 チュンセ童子は銀笛を下に置いてポウセ童子に申しました。「ポウセさん。もういいでしょう。 お日様もお昇りになったし、雲もまっ白に光っています。今日は西の野原の泉へ行きませんか。」
2 ころころころころ 底は青い小さなつぶ石でたいらにうずめられ、石の間から奇麗な水が、 ころころころころ湧き出して泉の一方のふちから天の川へ小さな流れになって走って行きます。
3 くびくび 私共の世界が旱《ひでり》の時、瘠せてしまった夜鷹やほととぎすなどが、それをだまって見上げて、 残念そうに咽喉をくびくび させているのを時々見ることがあるではありませんか。 どんな鳥でもとてもあそこまでは行けません。けれども、天の大烏の星や蠍の星や兎の星ならもちろんすぐ行けます。
4 ざわざわ もう空のすすきをざわざわと分けて大烏が向うから肩をふって、のっしのっしと大股にやって参りました。まっくろなびろうどのマントを着て、まっくろなびろうどの股引をはいて居ります。
5 のっしのっし もう空のすすきをざわざわと分けて大烏が向うから肩をふって、のっしのっしと大股にやって参りました。まっくろなびろうどのマントを着て、 まっくろなびろうどの股引をはいて居ります。
6 パチパチ 大烏は息もつかずに三分ばかり咽喉を鳴らして呑んでからやっと顔をあげて一寸眼を パチパチ云わせてそれからブルルッと頭をふって水を払いました。
7 ブルルッ 大烏は息もつかずに三分ばかり咽喉を鳴らして呑んでからやっと顔をあげて一寸眼を パチパチ云わせてそれからブルルッと頭をふって水を払いました。
8 ゆらゆら チュンセ童子が「大烏さん。それはいけないでしょう。王様がご存じですよ。」 という間もなくもう赤い眼の蠍星が向うから二つの大きな鋏をゆらゆら動かし長い尾をカラカラ引いてやって来るのです。その音はしずかな天の野原中にひびきました。
9 カラカラ チュンセ童子が「大烏さん。それはいけないでしょう。王様がご存じですよ。」 という間もなくもう赤い眼の蠍星が向うから二つの大きな鋏をゆらゆら動かし長い尾をカラカラ引いてやって来るのです。その音はしずかな天の野原中にひびきました。
10 ぶるぶる 大烏はもう怒ってぶるぶる顫《ふる》えて今にも飛びかかりそうです。双子の星は一生けん命手まねでそれを押えました。  蠍は大烏を尻眼にかけてもう泉のふち迄這って来て云いました。
11 ごくりごくり そして蠍は十分ばかりごくりごくりと水を呑みました。その間も、いかにも大烏を馬鹿にする様に、毒の鉤のついた尾をそちらにパタパタ動かすのです。
12 パタパタ そして蠍は十分ばかりごくりごくりと水を呑みました。その間も、いかにも大烏を馬鹿にする様に、毒の鉤のついた尾をそちらにパタパタ動かすのです。
13 どくどく 蠍は頭に深い傷を受け、大烏は胸を毒の鉤でさされて、 両方ともウンとうなったまま重なり合って気絶してしまいました。 蠍の血がどくどく空に流れて、 いやな赤い雲になりました。
14 よろよろ チュンセ童子が申しました。「早く流れでその傷口をお洗いなさい。歩けますか。」大烏は よろよろ 立ちあがって蠍を見て身体をふるわせて云いました。 「畜生。空の毒虫め。空で死んだのを有り難いと思え。」
15 ゆるゆる さあ、ゆるゆる 歩いて明るいうちに早くおうちへお帰りなさい。これからこんな事をしてはいけません。 王様はみんなご存じですよ。大烏はすっかり悄気《しょげ》て翼を力なく垂れ、何遍もお辞儀をして 「ありがとうございます。ありがとうございます。これからは気をつけます。」と云いながら脚を引きずって 銀のすすきの野原を向うへ行ってしまいました。
16 ふっふっ 二人は泉の水をすくって、傷口にかけて奇麗に洗いました。 そして交る交るふっふっと息をそこへ吹き込みました。お日様が丁度空のまん中においでになった頃蠍はかすかに目を開きました。
17 ギーギー 蠍は尾をギーギーと石ころの上に引きずっていやな息をはあはあ吐いてよろりよろりとあるくのです。一時間に十町とも進みません。
18 はあはあ 蠍は尾をギーギーと石ころの上に引きずっていやな息をはあはあ吐いてよろりよろりとあるくのです。一時間に十町とも進みません。
19 よろりよろり 蠍は尾をギーギーと石ころの上に引きずっていやな息をはあはあ吐いてよろりよろりとあるくのです。一時間に十町とも進みません。
20 きらきら もう童子たちは余り重い上に蠍の手がひどく食い込んで痛いので、 肩や胸が自分のものかどうかもわからなくなりました。空の野原はきらきら 白く光っています。七つの小流れと十の芝原とを過ぎました。
21 ぐるぐる 童子たちは頭がぐるぐるしてもう自分が歩いているのか立っているのかわかりませんでした。 それでも二人は黙ってやはり一足ずつ進みました。
22 サッサッサッ お日様がもうサッサッサッと三遍厳かにゆらいで西の山にお沈みになりました。 「もう僕らは帰らないといけない。困ったな。ここらの人は誰か居ませんか。」ポウセ童子が叫びました。 天の野原はしんとして返事もありません。
23 ちらちら 下で別の子供が叫んでいます。もう西の山はまっ黒です。 あちこち星がちらちら現われました。 チュンセ童子は背中がまがってまるで潰れそうになりながら云いました。 「蠍さん。もう私らは今夜は時間に遅れました。きっと王様に叱られます。・・・」
24 バッタリ 「私はもう疲れて死にそうです。蠍さん。もっと元気を出して早く帰って行って下さい。」 と云いながらとうとうバッタリ 倒れてしまいました。蠍は泣いて云いました。 「どうか許して下さい。私は馬鹿です。あなた方の髪の毛一本にも及びません。 きっと心を改めてこのおわびは致します。きっといたします。」
25 ギラッ この時水色の烈しい光の外套を着た稲妻が、向うからギラッとひらめいて飛んで来ました。そして童子たちに手をついて申しました。 「王様のご命でお迎いに参りました。さあご一緒に私のマントへおつかまり下さい。・・・」
26 ぎらぎら 稲妻がぎらぎら っと光ったと思うともういつかさっきの泉のそばに立って居りました。 そして申しました。「さあ、すっかりおからだをお洗いなさい。王様から新らしい着物と沓を下さいました。 まだ十五分間があります。」
27 すがすが 双子のお星様たちは悦んでつめたい水晶のような流れを浴び、 匂のいい青光りのうすものの衣を着け新らしい白光りの沓をはきました。 するともう身体の痛みもつかれも一遍にとれてすがすがしてしまいました。
28 ザアッザアッ ある晩空の下の方が黒い雲で一杯に埋まり雲の下では雨がザアッザアッと降って居りました。
29 フッフッ 二人はいつものようにめいめいのお宮にきちんと座って向いあって笛を吹いていますと 突然大きな乱暴ものの彗星がやって来て二人のお宮にフッフッと青白い光の霧をふきかけて云いました。「おい、双子の青星。すこし旅に出て見ないか。・・・」
30 くるくる 「・・・ お前たちが笛なんか吹かなくたって星はみんなくるくるまわるさ。どうだ。一寸旅へ出よう。あしたの晩方までにはここに連れて来てやるぜ。」
31 ヒョロヒョロ 彗星が云いました。・・・ 俺のあだ名は空の鯨と云うんだ。知ってるか。 俺は鰯のようなヒョロヒョロの星やめだかのような黒い隕石はみんなパクパク 呑んでしまうんだ。
32 パクパク 彗星が云いました。・・・ 俺のあだ名は空の鯨と云うんだ。知ってるか。 俺は鰯のようなヒョロヒョロの星やめだかのような黒い隕石はみんなパクパク 呑んでしまうんだ。
33 ミシミシ それから一番痛快なのはまっすぐに行ってそのまままっすぐに戻る位ひどくカーブを切って廻るときだ。まるで身体が壊れそうになってミシミシ云うんだ。光の骨までカチカチ云うぜ。
34 カチカチ それから一番痛快なのはまっすぐに行ってそのまままっすぐに戻る位ひどくカーブを切って廻るときだ。まるで身体が壊れそうになってミシミシ云うんだ。光の骨までカチカチ云うぜ。
35 ばらばら チュンセ童子が云いました。「けれども王様がお許しになったなんて一体本当でしょうか。」  彗星が云いました。「へん。偽なら俺の頭が裂けてしまうがいいさ。頭と胴と尾と ばらばらになって海へ落ちて海鼠《なまこ》にでもなるだろうよ。偽なんか云うもんか。」
36 フウ 二人は彗星のしっぽにしっかりつかまりました。彗星は青白い光を一つ フウとはいて云いました。 「さあ、発つぞ。ギイギイギイフウ。ギイギイフウ。」実に彗星は空のくじらです。 弱い星はあちこち逃げまわりました。もう大分来たのです。 二人のお宮もはるかに遠く遠くなってしまい今は小さな青白い点にしか見えません。
37 ガラリ チュンセ童子が申しました。「もう余程来たな。天の川の落ち口はまだだろうか。」 ガラリと変ってしまいました。 「へん。天の川の落ち口よりお前らの落ち口を見ろ。それ一ぃ二の三。」  彗星は尾を強く二三遍動かしおまけにうしろをふり向いて青白い霧を烈しくかけて二人を吹き落してしまいました。  二人は青ぐろい虚空をまっしぐらに落ちました。
38 パチパチ この双子のお星様はどこ迄でも一緒に落ちようとしたのです。 二人のからだが空気の中にはいってからは雷のように鳴り赤い火花が パチパチあがり見ていてさえめまいがする位でした。 そして二人はまっ黒な雲の中を通り暗い波の咆えていた海の中に矢のように落ち込みました。 二人はずんずん沈みました。けれども不思議なことには水の中でも自由に息ができたのです。
39 もやもや 海の底はやわらかな泥で大きな黒いものが寝ていたりもやもやの藻がゆれたりしました。
40 ほやほや 何だと。星だって。ひとではもとはみんな星さ。お前たちはそれじゃ今やっとここへ来たんだろう。 何だ。それじゃ新米のひとでだ。ほやほやの悪党だ。
41 がやがや 赤いひとでが沢山集って来て二人を囲んでがやがや 云って居りました。「こら着物をよこせ。」「こら。剣を出せ。」「税金を出せ。」 「もっと小さくなれ。」「俺の靴をふけ。」
42 ゴーゴーゴー その時みんなの頭の上をまっ黒な大きな大きなものがゴーゴーゴー と哮《ほ》えて通りかかりました。ひとではあわててみんなお辞儀をしました。
43 ねとねと 「・・・ このくじら様を知らんのか。俺のあだなは海の彗星と云うんだ。・・・  それから一番痛快なのはまっすぐに行ってぐるっと円を描いてまっすぐにかえる位ゆっくりカーブを切るときだ。 まるでからだの油がねとねとするぞ。 さて、お前は天からの追放の書き付けを持って来たろうな。早く出せ。」
44 ぐうっ チュンセ童子が「僕らはそんなもの持たない。」と申しました。 すると鯨が怒って水を一つぐうっと口から吐きました。 ひとではみんな顔色を変えてよろよろしましたが二人はこらえてしゃん と立っていました。
45 しゃん チュンセ童子が「僕らはそんなもの持たない。」と申しました。 すると鯨が怒って水を一つぐうっと口から吐きました。 ひとではみんな顔色を変えてよろよろしましたが二人はこらえてしゃん と立っていました。
46 パッ その時向うから銀色の光がパッと射《さ》して小さな海蛇がやって来ます。 くじらは非常に愕ろいたらしく急いで口を閉めました。
47 ぞろっ 海蛇が凄い目をして鯨をにらみつけて云いました。・・・ くじらが頭をかいて平伏しました。 愕ろいた事には赤い光のひとでが幅のひろい二列にぞろっとならんで丁度街道のあかりのようです。
48 そろりそろり 童子たちは門の外に出ました。竜巻が銀のとぐろを巻いてねています。  一人の海蛇が二人をその頭に載せました。・・・ 竜巻がそろりそろりと立ちあがりました。「さよなら、さよなら。」
49 バリバリバリ 竜巻はもう頭をまっくろな海の上に出しました。と思うと急にバリバリバリッと烈しい音がして竜巻は水と一所に矢のように高く高くはせのぼりました。
50 ずんずん まだ夜があけるのに余程間があります。天の川がずんずん近くなります。二人のお宮がもうはっきり見えます。
51 ガリガリ 「一寸あれをご覧なさい。」と闇の中で竜巻が申しました。 見るとあの大きな青白い光りのほうきぼしはばらばら にわかれてしまって頭も尾も胴も別々にきちがいのような凄い声をあげ ガリガリ光ってまっ黒な海の中に落ちて行きます。
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二人の役人

二人の役人
1 すらすら その頃の風穂の野はらは、ほんたうに立派でした。・・・  九月の末のある日曜でしたが、朝早く私が慶次郎をさそっていつものやうに野原の入口にかゝりましたら、 一本の白い立札がみちばたの栗の木の前に出てゐました。私どもはもう尋常五年生でしたからすらすら読みました。 「本日は東北長官一行の出遊につきこれより中には入るべからず。東北庁」
2 ずうっ 「困ったねえ、えらい人が来るんだよ。叱られるといけないからもう帰らうか。」 私が云ひましたら慶次郎は少し怒って答へました。「構ふもんか、入らう、入らう。・・・  ずうっと奥へ行かうよ。」私もにはかに面白くなりました。
3 ぐるっ 「おい、東北長官といふものを見たいな。どんな顔だらう。」・・・  「どこかにかくれて見てようか。」「見てよう。寺林のとこはどうだい。」  寺林といふのは今は練兵場の北のはじになってゐますが野原の中でいちばん奇麗な所でした。 はんのきの林がぐるっと輪になってゐて中にはみじかいやはらかな草がいちめん生えてまるで一つの公園地のやうでした。
4 しんしん ・・・ 走って走ってたうとう寺林についたのです。 そこでみちからはなれてはんのきの中にかくれました。けれども虫がしんしん鳴き時々鳥が百匹も一かたまりになってざぁと通るばかり、 一向人も来ないやうでしたからだんだん私たちは恐くなくなって はんのきの下の萱をがさがさわけて初茸をさがしはじめました。
5 ざぁ ・・・ 走って走ってたうとう寺林についたのです。 そこでみちからはなれてはんのきの中にかくれました。けれども虫がしんしん鳴き時々鳥が百匹も一かたまりになってざぁと通るばかり、 一向人も来ないやうでしたからだんだん私たちは恐くなくなって はんのきの下の萱をがさがさわけて初茸をさがしはじめました。
6 そっ いつものやうにたくさん見附かりましたから私はいつか長官のことも忘れてしきりにとって居りました。  すると俄かに慶次郎が私のところにやって来てしがみつきました。まるで私の耳のそばで そっと云ったのです。「来たよ、来たよ。たうとう来たよ。そらね。」
7 ずんずん 私は萱の間からすかすやうにして私どもの来た方を見ました。 向ふから二人の役人が大急ぎで路をやって来るのです。 それも何だかみちから外れて私どもの林へやって来るらしいのです。 さあ、私どもはもう息もつまるやうに思ひました。ずんずん近づいて来たのです。
8 うろうろ ところが二人の役人はべつに私どもをつかまへに来たのでもないやうでした。 うろうろ木の高いところを見てゐましたしそれに林の前でぴたっと立ちどまったらしいのでした。
9 ぴたっ ところが二人の役人はべつに私どもをつかまへに来たのでもないやうでした。 うろうろ木の高いところを見てゐましたしそれに林の前でぴたっと立ちどまったらしいのでした。
10 バラッバラッ 「この辺でよからうな。」一人が云ひました。「うん、いゝだらう。」も一人が答へたと思ふとバラッバラッと音がしました。たしかに何か撒いたのです。
11 ばらっばらっ 「だって君、これは何といふ木かしらんが栗の木ぢゃないぜ、途方もないとこに栗の実が落ちてちゃ、 ばれるよ。」・・・ 「ふん、そんなことは心配ないよ・・・ 」・・・  「そんなわけにも行くまいぜ。困ったな、どこか栗の木の下へまかう。あ、うまい、 こいつはうまい。栗の木だ。・・・ 」それからばらっばらっと栗の実が栗の木の幹にぶっつかったりはね落ちたりする音がしばらくしました。
12 がさがさ 「誰か居るぞ。入るなって云ったのに。」「誰だ。」も一人が叫びました。・・・ 役人はもう がさがさと向ふの萱の中から出て来ました。そのとき林の中は黄金いろの日光で点々になってゐました。
13 ぷつぷつ 「おい、誰だ、お前たちはどこから入って来た。」・・・  だんだん近くなって見ますとその役人の顔はまっ赤でまるで湯気が出るばかり殊に鼻からはぷつぷつ油汗が出てゐましたので何だか急にこはくなくなりました。
14 ぽいっ 「うん、やっぱり子供らは入ってるねえ、しかし構はんさ。この林からさへ追ひ出しとけぁいゝんだ。 おい。お前たちね、今日はここへ非常なえらいお方が入らっしゃるんだから此処に居てはいけないよ。・・・ 」 慶次郎はぽいっとおじぎをしましたから私もしました。
15 ぎくっ 私たちは行かうとしました。すると黒服の役人がうしろからいきなり云ひました。 「おいおい。おまへたちはこゝでその蕈《きのこ》をとったのか。」  又かと私はぎくっとしました。・・・  「まだあるだらうな。どこかこゝらで、沢山ある所をさがして呉れないか。ごほうびをあげるから。」
16 ちょっと 「さあ、お前たちもう行って呉れ、この袋はやるよ。」 「うん、さうだ、そら、ごほうびだよ。」・・・   そんなもの要らないと私たちは思ひましたが・・・ だまって受け取りました。そして林を出ました。林を出るとき  又かと私はちょっとふりかへって見ましたら二人がまっすぐに立ってしきりにそのこしらへた蕈の公園をながめてゐるやうでしたが・・・ 
17 ちゃん その日の晩方おそく私たちはひどくまはりみちをしてうちへ帰りましたが 東北長官はひるころ野原へ着いて夕方まで家族と一緒に大へん面白く遊んで帰ったといふことを聞きました。 その次の年私どもは町の中学校に入りましたがあの二人の役人にも時々あひました。・・・  私たちはちゃんとおぼえてゐたのです。けれども向ふではいつも、 どうも見たことのある子供だが思ひ出せないといふやうな顔をするのでした。
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ガドルフの百合

ガドルフの百合
1 ぶりぶり ハックニー馬のしっぽのような、巫戯《ふざ》けた楊の並木と陶製の白い空との下を、 みじめな旅のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いておりました。・・・  (楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉に変ったり、どこまで人をばかにするのだ。 殊にその青いときは、まるで砒素をつかった下等の顔料のおもちゃじゃないか。) ガドルフはこんなことを考えながら、ぶりぶり憤って歩きました。
2 がたっ それに俄かに雲が重くなったのです。(卑しいニッケルの粉だ。淫らな光だ。)  その雲のどこからか、雷の一切れらしいものが、がたっと引きちぎったような音をたてました。
3 むしゃくしゃ そして間もなく、雨と黄昏とがいっしょに襲いかかったのです。実にはげしい雷雨になりました。 いなびかりは、まるでこんな憐れな旅のものなどを漂白してしまいそう、並木の青い葉がむしゃくしゃにむしられて、 雨のつぶと一緒に堅いみちを叩き、枝までがガリガリ引き裂かれて降りかかりました。
4 ガリガリ 実にはげしい雷雨になりました。いなびかりは、まるでこんな憐れな旅のものなどを漂白してしまいそう、並木の青い葉がむしゃくしゃにむしられて、雨のつぶと一緒に堅いみちを叩き、枝までがガリガリ引き裂かれて降りかかりました。
5 ずうっ ガドルフはあらんかぎりすねを延ばしてあるきながら、並木のずうっと向うの方のぼんやり白い水明りを見ました。 (あすこはさっき曖昧な犬の居たとこだ。あすこが少ぅしおれのたよりになるだけだ。)
6 くしゃくしゃ その稲光りのそらぞらしい明りの中で、ガドルフは巨きなまっ黒な家が、 道の左側に建っているのを見ました。・・・ 家の中はまっ暗で、しんとして返事をするものもなく、 そこらには厚い敷物や着物などが、くしゃくしゃ散らばっているようでした。
7 ガンガン そのガドルフの頭と来たら、旧教会の朝の鐘のようにガンガン鳴っておりました。長靴を抱くようにして急いで脱《と》って、少しびっこを引きながら、 そのまっ暗なちらばった家にはね上って行きました。すぐ突きあたりの大きな室は、たしか階段室らしく、 射し込む稲光りが見せたのでした。
8 ありあり その室の闇の中で、ガドルフは眼をつぶりながら、まず重い外套を脱ぎました。 そのぬれた外套の袖を引っぱるとき、ガドルフは白い貝殻でこしらえあげた、 昼の楊の木をありありと見ました。ガドルフは眼をあきました。
9 ほっ ガドルフはそれからぬれた頭や、顔をさっぱりと拭って、はじめてほっと息をつきました。電光がすばやく射し込んで、 床におろされて蟹のかたちになっている自分の背嚢をくっきり照らしまっ黒な影さえ落して行きました。
10 ぐるぐる ガドルフはしきいをまたいで、もとの階段室に帰り、・・・ 二階に行こうと段に一つ足をかけた時、 紫いろの電光が、ぐるぐる するほど明るくさし込んで来ましたので、 ガドルフはぎくっと立ちどまり、 階段に落ちたまっ黒な自分の影とそれから窓の方を一緒に見ました。 その稲光りの硝子窓から、たしかに何か白いものが五つか六つ、だまってこっちをのぞいていました。
11 ぎくっ ガドルフはしきいをまたいで、もとの階段室に帰り、・・・ 二階に行こうと段に一つ足をかけた時、 紫いろの電光が、ぐるぐるするほど明るくさし込んで来ましたので、 ガドルフはぎくっと立ちどまり、 階段に落ちたまっ黒な自分の影とそれから窓の方を一緒に見ました。 その稲光りの硝子窓から、たしかに何か白いものが五つか六つ、だまってこっちをのぞいていました。
12 ガタピシ ガドルフはそっちへ進んで行ってガタピシの壊れかかった窓を開きました。 たちまち冷たい雨と風とが、ぱっ とガドルフの顔をうちました。その風に半分声をとられながら、 ガドルフは叮寧に云いました。「どなたですか。今晩は。どなたですか。今晩は。」 向うのぼんやり白いものは、かすかにうごいて返事もしませんでした。却って注文通りの電光が、 そこら一面ひる間のようにしてくれたのです。
13 ぱっ ガドルフはそっちへ進んで行ってガタピシの壊れかかった窓を開きました。 たちまち冷たい雨と風とが、ぱっ とガドルフの顔をうちました。その風に半分声をとられながら、 ガドルフは叮寧に云いました。「どなたですか。今晩は。どなたですか。今晩は。」 向うのぼんやり白いものは、かすかにうごいて返事もしませんでした。却って注文通りの電光が、 そこら一面ひる間のようにしてくれたのです。
14 じっ 「ははは、百合の花だ。なるほど。ご返事のないのも尤もだ。」・・・   けれども窓の外では、いっぱいに咲いた白百合が、十本ばかり息もつけない嵐の中に、その稲妻の八分一秒を、 まるでかがやいてじっと立っていたのです。
15 サッサッ 間もなく次の電光は、明るくサッサッと閃めいて、庭は幻燈のように青く浮び、雨の粒は美しい楕円形の粒になって宙に停まり、 そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋《いか》って立ちました。
16 かっ 間もなく次の電光は、明るくサッサッと閃めいて、庭は幻燈のように青く浮び、雨の粒は美しい楕円形の粒になって宙に停まり、 そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋《いか》って立ちました。
17 ぎざぎざ 美しい百合の憤りは頂点に達し、灼熱の花弁は雪よりも厳めしく、 ガドルフはその凛と張る音さえ聴いたと思いました。  暗《やみ》が来たと思う間もなく、また稲妻が向うのぎざぎざの雲から、北斎の山下白雨のように赤く這って来て、 触れない光の手をもって、百合を擦《かす》めて過ぎました。
18 きらきら そして全くその通り稲光りがまた新らしく落ちて来たときその気の毒ないちばん丈の高い花が、 あまりの白い興奮に、とうとう自分を傷つけて、きらきら顫《ふる》うしのぶぐさの上に、 だまって横わるのを見たのです。
19 ぶるぶる そして背嚢から小さな敷布をとり出してからだにまとい、寒さにぶるぶるしながら階段にこしかげ、 手を膝に組み眼をつむりました。
20 がたがた そして睡ろうと思ったのです。けれども電光があんまりせわしくガドルフのまぶたをかすめて過ぎ、 飢えとつかれとが一しょにがたがた湧きあがり、 さっきからの熱った頭はまるで舞踏のようでした。(おれはいま何をとりたてて考える力もない。 ただあの百合は折れたのだ。おれの恋は砕けたのだ。)ガドルフは思いました。
21 だんだん 昼の楊がだんだん延びて白い空までとどいたり、いろいろなことをしているうちに、 いつかとろとろ睡ろうとしました。そしてまた睡っていたのでしょう。
22 とろとろ 昼の楊がだんだん延びて白い空までとどいたり、いろいろなことをしているうちに、 いつかとろとろ睡ろうとしました。そしてまた睡っていたのでしょう。
23 どんどんどん ガドルフは、俄かにどんどんどんという音をききました。 ばたんばたんという足踏みの音、 怒号や潮罵《ちょうば》が烈しく起りました。
24 ばたんばたん ガドルフは、俄かにどんどんどんという音をききました。 ばたんばたんという足踏みの音、 怒号や潮罵《ちょうば》が烈しく起りました。
25 ずんずん ただその音は、たちまち格闘らしくなり、やがてずんずんガドルフの頭の上にやって来て、二人の大きな男が、組み合ったりほぐれたり、 けり合ったり撲り合ったり、烈しく烈しく叫んで現われました。
26 だぶだぶ それは丁度奇麗に光る青い坂の上のように見えました。一人は闇の中に、 ありありうかぶ豹の毛皮のだぶだぶの着物をつけ、一人は烏の王のように、まっ黒くなめらかによそおっていました。
27 しん 窓の外の一本の木から、一つの雫が見えていました。 それは不思議にかすかな薔薇いろをうつしていたのです。 (これは暁方の薔薇色ではない。南の蝎の赤い光がうつったのだ。・・・  その証拠にはまだ夜中にもならないのだ。雨さえ晴れたら出て行こう。・・・  ガドルフはしばらくの間、しん として斯う考えました。
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学者アラムハラドの見た着物

学者アラムハラドの見た着物
1 ちらっ このおはなしは結局学者のアラムハラドがある日自分の塾でまたある日山の雨の中でちらっと感じた不思議な着物についてであります。
2 くるっ アラムハラドが言いました。「火が燃えるときは焔をつくる。焔というものはよく見ていると奇体なものだ。・・・  硫黄を燃せばちょっと眼のくるっとするような紫いろの焔をあげる。 それから銅を灼くときは孔雀石のような明るい青い火をつくる。
3 ぴんぴん 「よろしい。よくお前は答えた。全く人はあるかないでいられない。 病気で永く床の上に居る人はどんなに歩きたいだろう。ああ、ただも一度二本の足でぴんぴん歩いて あの楽地の中の泉まで行きあの冷たい水を両手で掬《すく》って呑むことができたら そのまま死んでもかまわないと斯う思うだろう。
4 ぼうっ 小さなセララバアドは少しびっくりしたようでしたがすぐ落ちついて答えました。 「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」  アラムハラドはちょっと眼をつぶりました。眼をつぶったくらやみの中ではそこら中 ぼうっ と燐の火のように青く見え、 ずうっ と遠くが大へん青くて明るくてそこに黄金の葉をもった立派な樹が ぞろっ とならんで さんさんさん と梢を鳴らしているように思ったのです。
5 ずうっ 小さなセララバアドは少しびっくりしたようでしたがすぐ落ちついて答えました。 「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」  アラムハラドはちょっと眼をつぶりました。眼をつぶったくらやみの中ではそこら中 ぼうっ と燐の火のように青く見え、 ずうっ と遠くが大へん青くて明るくてそこに黄金の葉をもった立派な樹が ぞろっ とならんで さんさんさん と梢を鳴らしているように思ったのです。
6 ぞろっ 小さなセララバアドは少しびっくりしたようでしたがすぐ落ちついて答えました。 「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」  アラムハラドはちょっと眼をつぶりました。眼をつぶったくらやみの中ではそこら中 ぼうっ と燐の火のように青く見え、 ずうっ と遠くが大へん青くて明るくてそこに黄金の葉をもった立派な樹が ぞろっ とならんで さんさんさん と梢を鳴らしているように思ったのです。
7 さんさんさん 小さなセララバアドは少しびっくりしたようでしたがすぐ落ちついて答えました。 「人はほんとうのいいことが何だかを考えないでいられないと思います。」  アラムハラドはちょっと眼をつぶりました。眼をつぶったくらやみの中ではそこら中 ぼうっ と燐の火のように青く見え、 ずうっ と遠くが大へん青くて明るくてそこに黄金の葉をもった立派な樹が ぞろっ とならんで さんさんさん と梢を鳴らしているように思ったのです。
8 じっ 子供らがじっ とアラムハラドを見上げていました。アラムハラドは言いました。 「うん。そうだ。人はまことを求める。真理を求める。・・・」 アラムハラドは礼をうけ自分もしずかに立ちあがりました。そして自分の室に帰る途中ふとまた眼をつぶりました。 さっきの美しい青い景色がまたはっきりと見えました。そしてその中に はねのような軽い黄金いろの着物を着た人が四人まっすぐに立っているのを見ました。
9 くしゃくしゃ アラムハラドは子供らにかこまれながらしずかに林へはいって行きました。  つめたいしめった空気がしんとみんなのからだにせまったとき子供らは歓呼の声をあげました。 そんなに樹は高く深くしげっていたのです。それにいろいろの太さの蔓がくしゃくしゃ にその木をまといみちも大へんに暗かったのです。
10 ゆさゆさ まっ黒な木の梢から一きれのそらがのぞいておりましたがアラムハラドは思わず眼をこすりました。 さっきまでまっ青で光っていたその空がいつかまるで鼠いろに濁って大へん暗く見えたのです。樹はゆさゆさ とゆすれ大へんにむしあつくどうやら雨が降って来そうなのでした。
11 ぱちぱち けれどもアラムハラドはまだ降るまではよほど間があると思っていました。 ところがアラムハラドの斯う云ってしまうかしまわないうちにもう林が ぱちぱち鳴りはじめました。
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銀河鐵道の夜

ありときのこ
1 もぢもぢ 先生はしばらく困つたやうすでしたが、眼をカムパネルラの方へ向けて、「ではカムパネルラさん。」と名指しました。するとあんなに元氣に手をあげたカムパネルラが、もぢもぢ立ち上つたままやはり答へができませんでした。
2 はきはき このごろぼくが、朝にも午後にも仕事がつらく、學校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云はないやうになつたので、カムパネルラがそれを知つて氣の毒がつてわざと返事をしなかつたのだ。
3 ばたり、ばたり 中にはまだ晝なのに電燈がついて、たくさんの輪轉器がばたり、ばたりとまはり、きれで頭をしばつたり、ラムプシエードをかけたりした人たちが、何か歌ふように讀んだり數へたりしながらたくさん働いて居りました。
4 むしゃむしゃ ジヨバンニは窓のところからトマトの皿をとつてパンといつしよにしばらくむしゃむしゃたべました。
5 くるっくるっ 時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさへたふくろふの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな寶石が海のやうな色をした厚い硝子の盤に載つて、星のやうにゆつくりめぐつたり、
6 ぴょんぴょん わああと云ひながら片足でぴょんぴょん跳んでゐた小さな子供らは、ジヨバンニが面白くてかけるのだと思つて、わあいと叫びました。
7 どかどか ジヨバンニは、頂の天氣輪の柱の下に來て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。
8 わくわくわくわく みんなもぢつと河を見てゐました。誰も一言も物を云ふ人もありませんでした。ジヨバンニはわくわくわくわく足がふるへました。
9 しげしげ すると博士はジヨバンニが挨拶に來たとでも思つたものですか、しばらくしげしげとジヨバンニを見てゐましたが、「あなたはジヨバンニさんでしたね。どうも今晩はありがたう。」と叮ねいに云ひました。
10 ごとごとごとごと 氣がついてみると、さつきから、ごとごとごとごと、ジヨバンニの乘つてゐる小さな列車が走りつづけてゐたのでした。
11 ぐるぐる そして、カムパネルラは、圓い板のやうになつた地圖を、しきりにぐるぐるまはして見てゐました。
12 さらさらさらさら そつちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
13 こつこつ 「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジヨバンニは云ひながら、まるではね上りたいくらゐ愉快になつて、足をこつこつ鳴らし、窓から顏を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹きながら、一生けん命延びあがつて、その天の川の水を、見きはめようとしましたが、
14 ちらちら そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとほつて、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のやうにぎらっと光つたりしながら、聲もなくどんどん流れて行き、
15 ぎらっ そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとほつて、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のやうにぎらっと光つたりしながら、聲もなくどんどん流れて行き、
16 ごうごう 「それに、この汽車石炭をたいてゐないねえ。」ジヨバンニが・・・ 云ひました。「アルコールか電氣だらう。」カムパネルラが云ひました。するとちやうど、それに返事をするやうに、どこか遠くの遠くのもやの中から、セロのやうなごうごうした聲がきこえて來ました。
17 ざわざわ 白鳥の島は、二度ばかりうしろの方に見えましたが、ぢきもうずうつと遠く小さく繪のやうになつてしまひ、またすすきがざわざわ鳴つて、とうとうすつかり見えなくなつてしまひました。
18 きしきし そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原に來ました。カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌にひろげ、指できしきしさせながら、夢のやうに云つてゐるのでした。
19 ぴくぴく カムパネルラも、つい顏を赤くして笑ひだしてしまひました。ところがその人は別に怒つたでもなく、頬をぴくぴくしながら返事しました。
20 ころんころん 二人は眼を擧げ、耳をすましました。ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水の湧くやうな音が聞えて來るのでした。
21 ぽくぽく 鳥捕りは、それを二つにちぎつてわたしました。ジヨバンニは、ちよつと喰べてみて、 (・・・ けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべてゐるのは、大へん氣の毒だ。) と思ひながら、やつぱりぽくぽくそれをたべてゐました。
22 がらん がらんとした桔梗いろの空から、 さつき見たやうな鷺が、まるで雪の降るやうにぎゃあぎゃあ叫びながら、 いつぱいに舞ひおりて來ました。
23 ぎゃあぎゃあ がらんとした桔梗いろの空から、 さつき見たやうな鷺が、まるで雪の降るやうにぎゃあぎゃあ叫びながら、 いつぱいに舞ひおりて來ました。
24 ほくほく するとあの鳥捕りは、すつかり註文通りだといふやうにほくほくして、兩足をかつきり六十度に開いて立つて、鷺のちぢめて降りて來る黒い脚を兩手で片つ端から押へて、布の袋の中に入れるのでした。
25 ぺかぺか すると鷺は螢のやうに、袋の中でしばらく、青くぺかぺか光つたり消えたりしてゐましたが、おしまひにはとうとう、みんなぼんやり白くなつて、眼をつぶるのでした。
26 ずんずん そのうち船はもうずんずん沈みますから、私たちはかたまつて、もうすつかり覺悟して、この人たち二人を抱いて、浮べるだけは浮ばうと船の沈むのを待つてゐました。
27 さめざめ そして青い橄欖の森が、見えない天の川の向うにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行つてしまひ、そこから流れて來るあやしい樂器の音も、もう汽車のひびきや風の音にすり耗らされてずうつとかすかになりました。
28 ぴしゃぁん そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は、俄かに赤い旗をあげて狂氣のやうにふりうごかしました。するとぴたつと鳥の群は通らなくなり、それと同時にぴしゃぁんといふ潰れたやうな音が川下の方で起つて、それからしばらくしいんとしました。
29 ぐるぐる その葉はぐるぐるに縮れ、葉の下にはもう美しい緑いろの大きな苞が赤い毛を吐いて、眞珠のやうな實もちらつと見えたのでした。
30 きらきら その立派なちぢれた葉のさきからは、まるでひるの間にいつぱい日光を吸つた金剛石のやうに、露がいつぱいについて赤や緑やきらきら燃えて光つてゐるのでした。
31 カチッカチッ その正面の青じろい時計はかつきり第二時を示し、その振子は、風もなくなり汽車もうごかずしづかなしづかな野原のなかに、カチッカチッと正しく時を刻んで行くのでした。
32 きらっきらっ 1.電しんばしらの碍子がきらっきらっと續いて二つばかり光つて、・・・
2.大きな鮭や鱒が
きらっきらっと白く腹を光らせて空中に抛り出されて、
33 ぎらっ 少し下流の方で、見えない天の川の水がぎらっと光つて、柱のやうに高くはねあがり、どおと烈しい音がしました。
34 どお 少し下流の方で、見えない天の川の水がぎらっと光つて、柱のやうに高くはねあがり、どおと烈しい音がしました。
35 ギーギーフーギーギーフー それから彗星が、ギーギーフーギーギーフーて云つて來たねえ。
36 さんさん ただたくさんのくるみの木が葉をさんさんと光らしてその霧の中に立ち、黄金の圓光をもつた電氣栗鼠が、可愛い顏をその中からちらちらのぞかしてゐるだけでした。
37 ぽかっ その小さな豆いろの火はちやうど挨拶でもするやうにぽかっと消え、二人が過ぎて行くときまた點くのでした。
38 どほん 天の川の一ととこに大きなまつくらな孔が、どほんとあいてゐるのです。その底がどれほど深いか、その奧に何があるか、いくら眼をこすつてのぞいてもなんにも見えず、ただ眼がしんしんと痛むのでした。
39 しんしん 天の川の一ととこに大きなまつくらな孔が、どほんとあいてゐるのです。その底がどれほど深いか、その奧に何があるか、いくら眼をこすつてのぞいてもなんにも見えず、ただ眼がしんしんと痛むのでした。
40 カチカチ ジヨバンニはまつすぐに走つて丘をおりました。そしてポケツトが大へん重くカチカチ鳴るのに氣がつきました。林の中でとまつてそれをしらべて見ましたら、・・・ 天の切符の中に、大きな二枚の金貨が包んでありました。
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gusuko      
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グスコーブドリの伝記

1 ごしっごしっ ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日森で遊びました。ごしっごしっとおとうさんの木を挽く音が、やっと聞こえるくらいな遠くへも行きました
2 ぽう、ぽう 二人はそこで木いちごの実をとってわき水につけたり、空を向いてかわるがわる山鳩の鳴くまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぽう、ぽう、と鳥が眠そうに鳴き出すのでした。
3 ぱさぱさ するとこんどは、もういろいろの鳥が、二人のぱさぱさした頭の上を、まるで挨拶するように鳴きながらざあざあざあざあ通りすぎるのでした。
4 ざあざあざあざあ するとこんどは、もういろいろの鳥が、二人のぱさぱさした頭の上を、まるで挨拶するように鳴きながらざあざあざあざあ通りすぎるのでした。
5 ぐしゃぐしゃ その年は、お日さまが春から変に白くて、いつもなら雪がとけるとまもなく、まっしろな花をつけるこぶしの木もまるで咲かず、五月になってもたびたび霙《みぞれ》がぐしゃぐしゃ降り、 七月の末になってもいっこうに暑さが来ないために、去年播いた麦も粒の入らない白い穂しかできず、 たいていの果物も、花が咲いただけで落ちてしまったのでした。
6 よろよろ ある日おとうさんは、じっと頭をかかえて、いつまでもいつまでも考えていましたが、 にわかに起きあがって、「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」と言いながら、よろよろ家を出て行きましたが、まっくらになっても帰って来ませんでした。
7 ちらちら 森の木の間からは、星がちらちら何か言うようにひかり、鳥はたびたびおどろいたように暗《やみ》の中を飛びましたけれども、 どこからも人の声はしませんでした。
8 ぶらぶら ブドリがふっと目をひらいたとき、いきなり頭の上で、いやに平べったい声がしました。 「やっと目がさめたな。まだお前は飢饉のつもりかい。起きておれに手伝わないか。」 見るとそれは茶いろなきのこしゃっぽをかぶって外套にすぐシャツを着た男で、何か針金でこさえたものを ぶらぶら持っているのでした。
9 ぶりぶり ブドリはしかたなく力いっぱいにそれを青空に投げたと思いましたら、 にわかにお日さまがまっ黒に見えて逆しまに下へおちました。そしていつか、その男に受けとめられていたのでした。 男はブドリを地面におろしながらぶりぶりおこり出しました。「お前もいくじのないやつだ。 なんというふにゃふにゃだ。・・・」
10 ふにゃふにゃ ブドリはしかたなく力いっぱいにそれを青空に投げたと思いましたら、 にわかにお日さまがまっ黒に見えて逆しまに下へおちました。そしていつか、その男に受けとめられていたのでした。 男はブドリを地面におろしながらぶりぶりおこり出しました。「お前もいくじのないやつだ。 なんというふにゃふにゃだ。・・・」
11 はあはあ 男はポケットから、まりを十ばかり出してブドリに渡すと、 すたすた向こうへ行ってしまいました。ブドリはまた三つばかりそれを投げましたが、 どうしても息がはあはあして、 からだがだるくてたまらなくなりました。もう家へ帰ろうと思って、そっちへ行って見ますと、 おどろいたことには、家にはいつか赤い土管の煙突がついて、戸口には、 「イーハトーヴてぐす工場」という看板がかかっているのでした。そして中からたばこをふかしながら、 さっきの男が出て来ました。
12 むしゃむしゃ ブドリはもうやけになって、だまってその男のよこした蒸しパンをむしゃむしゃたべて、またまりを十ばかり投げました。
13 ぐらぐら するとてぐす飼いの男は、狂気のようになって、ブドリたちをしかりとばして、 その繭を籠に集めさせました。それをこんどは片っぱしから鍋に入れてぐらぐら 煮て、手で車をまわしながら糸をとりました。夜も昼もがらがらがらがら三つの糸車をまわして糸をとりました。
14 がらがらがらがら するとてぐす飼いの男は、狂気のようになって、ブドリたちをしかりとばして、 その繭を籠に集めさせました。それをこんどは片っぱしから鍋に入れてぐらぐら 煮て、手で車をまわしながら糸をとりました。夜も昼もがらがらがらがら三つの糸車をまわして糸をとりました。
15 ぽろぽろぽろぽろ こうしてこしらえた黄いろな糸が小屋に半分ばかりたまったころ、外に置いた繭からは、大きな白い蛾がぽろぽろぽろぽろ飛びだしはじめました。
16 どーん にわかにぐらぐらっと地震がはじまりました。それからずうっと遠くでどーんという音がしました。 しばらくたつと日が変にくらくなり、こまかな灰がばさばさばさばさ降って来て、 森はいちめんにまっ白になりました。
17 ばさばさ ブドリは、いっぱいに灰をかぶった森の間を、町のほうへ半日歩きつづけました。 灰は風の吹くたびに木からばさばさ落ちて、 まるでけむりか吹雪のようでした。けれどもそれは野原へ近づくほど、だんだん浅く少なくなって、 ついには木も緑に見え、みちの足跡も見えないくらいになりました。
18 ぴしゃっ それからブドリは、毎日毎日沼ばたけへはいって馬を使って泥をかき回しました。・・・  馬はたびたびぴしゃっと泥水をはねあげて、みんなの顔へ打ちつけました。
19 どろどろ こうして二十日ばかりたちますと、やっと沼ばたけはすっかりどろどろになりました。
20 しおしお ブドリはしゃがんでしらべてみますと。なるほどどの葉にも、いままで見たことのない赤い点々がついていました。主人はだまってしおしおと沼ばたけを一まわりしましたが、家へ帰りはじめました。
21 おろおろ おかみさんはおろおろ泣きはじめました。すると主人がにわかに元気になってむっくり起き上がりました。
22 のろのろ ブドリは主人に言われたとおり納屋へはいって眠ろうと思いましたが、 なんだかやっぱり沼ばたけが苦になってしかたないので、またのろのろそっちへ行って見ました。
23 ぎらぎら するといつ来ていたのか、主人がたった一人腕組みをして土手に立っておりました。 見ると沼ばたけには水がいっぱいで、オリザの株は葉をやっと出しているだけ、上にはぎらぎら石油が浮かんでいるのでした。
24 かんかん 「そんならなんだっておれのほうへ水こないように水口とめないんだ。」 「なんだっておまえのほうへ水行かないように水口とめないかったって、 あすこはおれのみな口でないから水とめないのだ。」となりの男は、かんかん おこってしまってもう物も言えず、いきなりがぶがぶ水へはいって、自分の水口に泥を積みあげはじめました。 主人はにやりと笑いました。
25 がぶがぶ 「そんならなんだっておれのほうへ水こないように水口とめないんだ。」 「なんだっておまえのほうへ水行かないように水口とめないかったって、 あすこはおれのみな口でないから水とめないのだ。」となりの男は、かんかん おこってしまってもう物も言えず、いきなりがぶがぶ水へはいって、自分の水口に泥を積みあげはじめました。 主人はにやりと笑いました。
26 ゆらゆら オリザの株はみんなそろって穂を出し、その穂の一枝ごとに小さな白い花が咲き、 花はだんだん水いろの籾にかわって、風にゆらゆら波をたてるようになりました。
27 のんのん 汽車はその日のひるすぎ、イーハトーヴの市に着きました。停車場を一足出ますと、地面の底から、 何かのんのん わくようなひびきやどんよりとしたくらい空気、行ったり来たりするたくさんの自動車に、 ブドリはしばらくぼうとしてつっ立ってしまいました。
28 ぎらり 「今日はあ。」ブドリはあらん限り高く叫びました。するとすぐ頭の上の二階の窓から、 大きな灰いろの顔が出て、めがねが二つぎらり と光りました。それから、「今授業中だよ、やかましいやつだ。 用があるならはいって来い。」とどなりつけて、すぐ顔を引っ込めますと、中ではおおぜいでどっと笑い、 その人はかまわずまた何か大声でしゃべっています。
29 じろじろ ブドリはそっとききました。「ね、この先生はなんて言うんですか。」  すると学生はばかにしたように鼻でわらいながら答えました。 「クーボー大博士さ、お前知らなかったのかい。」それからじろじろ ブドリのようすを見ながら「はじめから、この図なんか書けるもんか。 ぼくでさえ同じ講義をもう六年もきいているんだ。」
30 ばたばた 大博士が向こうで言いました。「いまや夕べははるかにきたり、拙講もまた全課をおえた。 諸君のうちの希望者は、けだしいつもの例により、そのノートをば拙者に示し、さらに数箇の試問を受けて、 所属を決すべきである。」学生たちはわあと叫んで、みんなばたばた ノートをとじました。
31 こくっ ブドリがその小さなきたない手帳を出したとき、クーボー大博士は大きなあくびをやりながら、 かがんで目をぐっと手帳につけるようにしましたので、手帳はあぶなく大博士に吸い込まれそうになりました。  ところが大博士は、うまそうにこくっ と一つ息をして、「よろしい。この図は非常に正しくできている。・・・」
32 ぽろっ まもなく大博士は、向こうの大きな灰いろの建物の平屋根に着いて、 船を何かかぎのようなものにつなぐと、そのままぽろっと建物の中へはいって見えなくなってしまいました。
33 もじもじ その人が・・・ 一枚の名刺をブドリに出しながら「あなたが、グスコーブドリ君ですか。 私はこういうものです。」と言いました。見ると、〔イーハトーヴ火山局技師ペンネンナーム〕と書いてありました。 その人はブドリの挨拶になれないでもじもじ しているのを見ると、重ねて親切に言いました。
34 むくむく ある日ブドリが老技師とならんで仕事をしておりますと、 にわかにサンムトリという南のほうの海岸にある火山が、むくむく 器械に感じ出して来ました。
35 ぎしぎし 老技師は忙しく局へ発信をはじめました。その時足の下では、つぶやくようなかすかな音がして、観測小屋はしばらくぎしぎしきしみました。
36 ぼろぼろ 「お茶をよばれに来たよ。ゆれるかい。」大博士はにやにやわらって言いました。老技師が答えました。 「まだそんなでない。けれども、どうも岩がぼろぼろ 上から落ちているらしいんだ。」
37 すたすた 地震はやっとやみ、クーボー大博士は起きあがってすたすたと小屋へはいって行きました。中ではお茶がひっくり返って、アルコールが青くぽかぽか燃えていました。
38 ぽかぽか 地震はやっとやみ、クーボー大博士は起きあがってすたすたと小屋へはいって行きました。中ではお茶がひっくり返って、アルコールが青くぽかぽか燃えていました。
39 わくわく 「旱魃《かんばつ》だってちっともこわくなくなるからな。」ペンネン技師も言いました。 ブドリは胸がわくわくしました。山まで踊りあがっているように思いました。じっさい山は、 その時はげしくゆれ出して、ブドリは床へ投げ出されていたのです。
40 きらきら にわかにサンムトリの左のすそがぐらぐらっとゆれ、 まっ黒なけむりがぱっと立ったと思うとまっすぐに天までのぼって行って、おかしなきのこの形になり、 その足もとから黄金色の熔岩がきらきら 流れ出して、見るまにずうっと扇形にひろがりながら海へはいりました。
41 ごうっ と思うと地面ははげしくぐらぐらゆれ、百合の花もいちめんゆれ、それからごうっというような大きな音が、みんなを倒すくらい強くやってきました。それから風がどうっと吹いて行きました。
42 どうっ と思うと地面ははげしくぐらぐらゆれ、百合の花もいちめんゆれ、それからごうっというような大きな音が、みんなを倒すくらい強くやってきました。それから風がどうっと吹いて行きました。
43 ばらばらばらばら たちまちそらはまっ暗になって、熱いこいしがばらばらばらばら降ってきました。
44 どんどん 野原はまるで一めんねずみいろになって、灰は一寸ばかり積もり、百合の花はみんな折れて灰に埋まり、 空は変に緑いろでした。そしてサンムトリのすそには小さなこぶができて、そこから灰いろの煙が、 まだどんどんのぼっておりました。
45 ジー 受話器がジーと鳴りました。 ペンネン技師の声でした。「飛行船はいま帰って来た。下のほうのしたくはすっかりいい。雨はざあざあ降っている。もうよかろうと思う。 はじめてくれたまえ。」
46 ざあざあ 受話器がジーと鳴りました。 ペンネン技師の声でした。「飛行船はいま帰って来た。下のほうのしたくはすっかりいい。雨はざあざあ降っている。もうよかろうと思う。 はじめてくれたまえ。」
47 パッパッ ブドリはぼたんを押しました。見る見るさっきのけむりの網は、美しい桃いろや青や紫に、パッパッと目もさめるようにかがやきながら、ついたり消えたりしました。 ブドリはまるでうっとりとしてそれに見とれました。
48 ぶつぶつぶつぶつ ブドリは受話器を置いて耳をすましました。雲の海はあっちでもこっちでも、ぶつぶつぶつぶつつぶやいているのです。 よく気をつけて聞くとやっぱりそれはきれぎれの雷の音でした。
49 がらん ところがある日、ブドリがタチナという火山へ行った帰り、とりいれの済んでがらんとした沼ばたけの中の小さな村を通りかかりました。 ちょうどひるころなので、パンを買おうと思って、一軒の雑貨や菓子を買っている店へ寄って、 「パンはありませんか。」とききました。
50 どっ するとそこには三人のはだしの人たちが、目をまっ赤にして酒を飲んでおりましたが、 一人が立ち上がって、「パンはあるが、どうも食われないパンでな。石盤《セキパン》だもな。」 とおかしなことを言いますと、みんなはおもしろそうにブドリの顔を見てどっと笑いました。
51 ぷいっ ブドリはいやになって、ぷいっと表へ出ましたら、 向こうから髪を角刈りにしたせいの高い男が来て、いきなり、 「おい、お前、ことしの夏、電気でこやし降らせたブドリだな。」と言いました。
52 げらげら 「火山局のブドリが来たぞ。みんな集まれ。」  すると今の家の中やそこらの畑から、十八人の百姓たちが、げらげらわらってかけて来ました。 「この野郎、きさまの電気のおかげで、おいらのオリザ、みんな倒れてしまったぞ。 何《な》してあんなまねしたんだ。」一人が言いました。・・・  それからみんなは寄ってたかってブドリをなぐったりふんだりしました。・・・  気がついてみるとブドリはどこかの病院らしい室の白いベッドに寝ていました。
53 おずおず ブドリは夢ではないかと思いましたら、まもなく一人の日に焼けた百姓のおかみさんのような人が、おずおずとはいって来ました。 それはまるで変わってはいましたが、あの森の中からだれかにつれて行かれたネリだったのです。
54 ぼつぼつ 二人はしばらく物も言えませんでしたが、やっとブドリが、その後のことをたずねますと、ネリもぼつぼつとイーハトーヴの百姓のことばで、 今までのことを話しました。ネリを連れて行ったあの男は、三日ばかりの後、めんどうくさくなったのか、 ある小さな牧場の近くへネリを残して、どこかへ行ってしまったのでした。
55 ぐんぐん そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、 日や月が銅《あかがね》いろになったのを見ました。けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、 その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、 たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、 その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした。
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hanayasai      
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花椰菜《はなやさい》

1 ぎしぎし そこはカムチャッカの横の方の地図で見ると山脈の褐のケバが明るくつらなってゐるあたりらしかったが・・・  とにかく私は粗末な白木の小屋の入口に座ってゐた。  その小屋といふのも南の方は明けっぱなしで壁もなく窓もなくたゞ二尺ばかりの腰板がぎしぎし張ってあるばかりだった。
2 もぢゃもぢゃ 一人の髪のもぢゃもぢゃした女と私は何か談《はな》してゐた。その女は日本から渡った百姓のおかみさんらしかった。 たしかに肩に四角なきれをかけてゐた。
3 ぞろり 私は談しながら自分の役目なのでしきりに横目でそっと外を見た。  外はまっくろな腐植土の畑で向ふには暗い色の針葉樹が ぞろりとならんでゐた。
4 くしゃくしゃ 畑には灰いろの花椰菜が光って百本ばかりそれから蕃茄《トマト》の緑や黄金の葉がくしゃくしゃにからみ合ってゐた。
5 ガサガサ 馬鈴薯もあった。馬鈴薯は大抵倒れたりガサガサに枯れたりしてゐた。
6 ふらふら ロシア人やだったん人がふらふら と行ったり来たりしてゐた。 全体祈ってゐるのだらうか畑を作ってゐるのだらうかと私は何べんも考へた。
7 ちらちら 実にふらふらと踊るやうに泳ぐやうに往来してゐた。そして横目でちらちら私を見たのだ。 黒い繻子《しゅす》のみじかい三角マントを着てゐたものもあった。 むやみにせいが高くて頑丈さうな曲った脚に脚絆をぐるぐる 捲いてゐる人もあった。
8 ぐるぐる 実にふらふらと踊るやうに泳ぐやうに往来してゐた。そして横目でちらちら私を見たのだ。 黒い繻子《しゅす》のみじかい三角マントを着てゐたものもあった。 むやみにせいが高くて頑丈さうな曲った脚に脚絆をぐるぐる 捲いてゐる人もあった。
9 チラッ そして腰につけてゐた刀の模型のやうなものを今にも抜くやうなそぶりをして見せた。私はつまらないと思った。それからチラッと愛を感じた。すべて敵に遭って却ってそれをなつかしむ、これがおれのこの頃の病気だと私はひとりでつぶやいた。
10 ゴリゴリ そして黒いゴリゴリ のマントらしいものを着てまっ白に光った髪のひどく陰気なばあさんが黙って出て来て 黙って座った。そして不思議さうにしげしげ私の顔を見つめた。
11 しげしげ そして黒いゴリゴリ のマントらしいものを着てまっ白に光った髪のひどく陰気なばあさんが黙って出て来て 黙って座った。そして不思議さうにしげしげ私の顔を見つめた。
12 うろうろ そして又横目でそっと作物の発育の工合を眺めた。一エーカー五百キログラム、 いやもっとある、などと考へた。人がうろうろしてゐた。せいの高い顔の滑らかに黄いろな男がゐた。 あれは支那人にちがひないと思った。
13 きんきん 白崎特務曹長がそこに待ってゐた。そして二人はでこぼこの丘の斜面のやうなところをあるいてゐた。 柳の花がきんきんと光って飛んだ。
14 ぐんぐん 向ふにベつの畑が光って見えた。そこにも花椰菜がならんでゐた。 これから本国へたづねてやるのも返事の来るまで容易でない、それにまだ二百里だ、 と私は考へて又たよりないやうな気がした。白崎特務曹長は先に立って ぐんぐん歩いた。
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hatake      
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畑のへり

ありときのこ
1 ひらひら たうもろこしには、もう頂上にひらひらした穂が立ち、大きな縮れた葉のつけねには尖った青いさやができてゐました。そして風にざわざわ鳴りました。
2 ざわざわ たうもろこしには、もう頂上にひらひらした穂が立ち、大きな縮れた葉のつけねには尖った青いさやができてゐました。そして風にざわざわ鳴りました。
3 ひょろひょろ 「おや、へんな動物が立ってゐるぞ。からだは瘠せてひょろひょろだが、ちゃんと列を組んでゐる。ことによるとこれはカマジン国の兵隊だぞ。どれ、よく見てやらう。」
4 ぎゃあ そこで蛙は上等の遠めがねを出して眼にあてました。そして大きくなったたうもろこしのかたちをちらっと見るや蛙はぎゃあと叫んで遠めがねも何もはふり出して一目散に遁げだしました。
5 ばりばり その幽霊は歯が七十枚あるぞ。あの幽霊にかじられたら、もうとてもたまらんぜ。かあいさうに、麻はもうみんな食はれてしまった。みんなまっすぐな、いい若い者だったのになあ。ばりばり骨まで噛じられたとは本当に人ごととも思はれんなあ。」
6 ばしゃばしゃ どうしてどうしてまあ見るがいゝ。どの幽霊も青白い髪の毛がばしゃばしゃで歯が七十枚おまけに足から頭の方へ青いマントを六枚も着てゐる
7 がりがり ああ、とってるとってる。みんながりがりとってるねえ。たうもろこしは恐がってみんな葉をざあざあうごかしてゐるよ。娘さんたちは髪の毛をふって泣いてゐる。
8 ざあざあ ああ、とってるとってる。みんながりがりとってるねえ。たうもろこしは恐がってみんな葉をざあざあうごかしてゐるよ。娘さんたちは髪の毛をふって泣いてゐる。
9 ぎゅっくぎゅっく 「うたってごらん。こっちへ来たらその葉のかげにかくれよう。」「いゝかい、うたふよ。ぎゅっくぎゅっく。」
10 ひらひら たうもろこしはさやをなくして大変さびしくなりましたがやっぱり穂をひらひら空にうごかしてゐました。
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hayashi      
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林の底

林の底
1 どっしり 「わたしらの先祖やなんか、鳥がはじめて、天から降って来たときは、  どいつもこいつも、みないち様に白でした。」「黄金の鎌」が西のそらにかゝつて、風もないしづかな晩に、 一ぴきのとしよりの梟が、林の中の低い松の枝から、斯う私に話しかけました。・・・  ちょっと見ると梟は、いつでも頬をふくらせて、滅多にしゃべらず、たまたま云へば声も どっしり してますし、・・・ 誰も一ペんは欺されさうです。 私はけれども仲々信用しませんでした。
2 ぱちっ 梟ははじめ私が返事をしだしたとき、こいつはうまく思ふ壺にはまったぞといふやうに、 眼をすばやくぱちっ としましたが、私が三毛と云ひましたら、俄かに機嫌を悪くしました。 「そいつは無理でさ。三毛といふのは猫の方です。鳥に三毛なんてありません。」
3 もぢもぢ 私もすっかり向ふが思ふ壺にはまったとよろこびました。 「そんなら鳥の中には猫が居なかったかね。」すると梟が、少しきまり悪さうに もぢもぢしました。この時だと私は思ったのです。 「どうも私は鳥の中に、猫がはひってゐるやうに聴いたよ。たしか夜鷹もさう云ったし、烏も云ってゐたやうだよ。」
4 ぱちぱち 「さうか、君のあだ名か。君のあだ名を猫といったのかい。ちっとも猫に似てないやな。」  なあにまるっきり猫そっくりなんだと思ひながら、私はつくづく梟の顔を見ました。  梟はいかにもまぶしさうに、眼をぱちぱち して横を向いて居りましたが、たうとう泣き出しさうになりました。
5 ぼつぼつ (あゝ、あの楢の木の葉が光ってゆれた。たゞ一枚だけどうしてゆれたらう。) 私はまるで別のことを考へながら斯うふくろふに聴きました。ところが梟はよろこんでぼつぼつ話をつゞけました。 「そこでもうどの鳥も、なんとか工夫をしなくてはとてもいけない、 こんな工合ぢゃ鳥の文明は大ていこゝらでとまってしまふと、・・・   「ところが早くも鳥類のこのもやうを見てとんびが染屋を出しました。」
6 ひやひや 「さうです。・・・ いったい鳶は手が長いので鳥を染壺に入れるには大へん都合がようございました。」  あっ、私が染ものといったのは鳥のからだだった、あぶないことを云ったもんだ、 よくそれで梟が怒り出さなかったと私はひやひやしました。ところが梟はずんずん 話を作り替えしました。
7 ずんずん 「さうです。・・・ いったい鳶は手が長いので鳥を染壺に入れるには大へん都合がようございました。」  あっ、私が染ものといったのは鳥のからだだった、あぶないことを云ったもんだ、 よくそれで梟が怒り出さなかったと私はひやひやしました。ところが梟はずんずん 話を作り替えしました。
8 きゃっきゃっ 「いや、もう鳥どものよろこびやうと云ったらございません。殊にも雀ややまがらやみそさざい、 めじろ、ほゝじろ、ひたき、うぐひすなんといふ、いつまでたっても誰にも見まちがはれるてあひなどは、 きゃっきゃっ叫んだり、 手をつないだりしてはねまはり、さっそくとんびの染屋へ出掛けて行きました。」
9 のしのし 「いや、さうですか。なるほど。さうかねえ。鳥はみんな染めて貰ひに行ったかねえ。」 「えゝ、行きましたとも。鷲や駝鳥など大きな方も、みんな のしのし出掛けました。・・・  鳶ははじめは自分も油が乗ってましたから、頼まれたのはもう片っぱしから、 どんどんどんどん染めました。
10 どんどんどんどん 「いや、さうですか。なるほど。さうかねえ。鳥はみんな染めて貰ひに行ったかねえ。」 「えゝ、行きましたとも。鷲や駝鳥など大きな方も、みんな のしのし出掛けました。・・・  鳶ははじめは自分も油が乗ってましたから、頼まれたのはもう片っぱしから、 どんどんどんどん染めました。
11 とっぷり 川岸の赤土の崖の下の粘土を、五とこ円くほりまして、その中に染料をとかし込み、 たのまれた鳥をしっかりくはへて、大股に足をひらき、その中に とっぷりと漬けるのでした。
12 ぽっちょり 「そんな工合でだんだんやって行ったんだねえ。そして鶴だの鷺だのは、 結局染めなかったんだねえ。」「いゝえ。鶴のはちゃんと注文で、自分の好みの注文で、しつぽのはじだけ ぽっちょり黒く染めて呉れと云ふのです。そしてその通り染めました。」
13 にやにや 梟はにやにや笑ひました。私は、さっきひとの云ったことを、うまく使ひやがったなとは思ひましたが、 元来それは梟をよろこばせようと思って云ったことですから、私もだまってうなづきました。
14 ぶちぶち 「ところがとんびはだんだんいゝ気になりました。・・・ それでもいやいや日に二つ三つはやってましたが、 そのやり方もごく大ざっぱになって来て、茶いろと白と黒とで、 細いぶちぶちにして呉れと頼んでも、 黒は抜いてしまったり、赤と黒とで縞にして呉れと頼んでも、燕のやうにごく雑作なく染めてしまったり、 ・・・ そのときは残ったものもわづかでした。烏と鷺とはくてうとこの三疋だけだったのです。
15 ざぶん 烏は少し怒りをしづめました。『黒と紫で大きなぶちぶちにしてお呉れ。 友禅模様のごくいきなのにしてお呉れ。』とんびがぐっとしゃくにさはりました。そしてすぐ立ちあがって云ひました。 『よし、染めてやらう。よく息を吸ひな。』烏もよろこんで立ちあがり、胸をはって深く深く息を吸ひました。 『さあいゝか。眼をつぶって。』とんびはしっかり烏をくはへて、墨壺の中に ざぶんと入れました。からだ一ぱい入れました。
16 ばたばたばたばた 烏はこれでは紫のぶちができないと思ってばたばたばたばた しましたがとんびは決してはなしませんでした。そこで烏は泣きました。 泣いてわめいてやっとのことで壺からあがりはしましたがもうそのときはまっ黒です。
17 くしゃくしゃ 烏は怒ってまっくろのまま染物小屋をとび出して、仲間の鳥のところをかけまはり、 とんびのひどいことを云ひつけました。・・・ みな一ぺんにやって来て、今度はとんびを墨つぼに漬けました。 鳶はあんまり永くつけられたのでたうとう気絶をしたのです。鳥どもは・・・  どっと笑ってそれから染物屋の看板をくしゃくしゃ に砕いて引き揚げました。 とんびはあとでやっとのことで、息はふき返しましたが、もうからだ中まっ黒でした。  そして鷺とはくてうは、染めないまゝで残りました。」
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hikari      
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ひかりの素足

1 ついつい 土間のまん中では榾《ほだ》が赤く燃えてゐました。日光の棒もそのけむりのために青く見え、 またそのけむりはいろいろなかたちになってついついとその光の棒の中を通って行くのでした。 「ほう、すっかり夜ぁ明げだ。」一郎はひとりごとを云ひながら弟の楢夫の方に向き直りました。
2 すやすや 楢夫の顔はりんごのやうに赤く口をすこしあいてまだすやすや 睡って居ました。白い歯が少しばかり見えてゐましたので 一郎はいきなり指でカチンとその歯をはじきました。
3 カチン 楢夫の顔はりんごのやうに赤く口をすこしあいてまだすやすや 睡って居ました。白い歯が少しばかり見えてゐましたので 一郎はいきなり指でカチンとその歯をはじきました。
4 すうすう 楢夫は目をつぶったまゝ一寸顔をしかめましたがまたすうすう息をしてねむりました。「起ぎろ、楢夫、夜ぁ明げだ、起ぎろ。」一郎は云ひながら楢夫の頭をぐらぐらゆすぶりました。
5 ぐらぐら 楢夫は目をつぶったまゝ一寸顔をしかめましたがまたすうすう息をしてねむりました。「起ぎろ、楢夫、夜ぁ明げだ、起ぎろ。」一郎は云ひながら楢夫の頭をぐらぐらゆすぶりました。
6 ぶつぶつ 楢夫はいやさうに顔をしかめて何かぶつぶつ云ってゐましたがたうとううすく眼を開きました。そしていかにもびっくりしたらしく 「ほ、山さ来てらたもな。」とつぶやきました。
7 ごうごう 外では谷川がごうごうと流れ鳥がツンツン鳴きました。その時にはかにまぶしい黄金の日光が一郎の足もとに流れて来ました。
8 ツンツン 外では谷川がごうごうと流れ鳥がツンツン鳴きました。その時にはかにまぶしい黄金の日光が一郎の足もとに流れて来ました。
9 パッ 顔をあげて見ますと入口がパッとあいて向ふの山の雪がつんつんと白くかゞやきお父さんがまっ黒に見えながら入って来たのでした。
10 つんつん 顔をあげて見ますと入口がパッとあいて向ふの山の雪がつんつんと白くかゞやきお父さんがまっ黒に見えながら入って来たのでした。
11 ツルツル 何といふきれいでせう。空がまるで青びかりでツルツルしてその光はツンツンと二人の眼にしみ込みまた太陽を見ますとそれは大きな空の宝石のやうに橙や緑やかゞやきの粉をちらし
12 くらくら あたらしく眼をひらいては前の青ぞらに桔梗いろや黄金やたくさんの太陽のかげぼふしがくらくらとゆれてかゝってゐます。
13 ことこと お父さんは火を見ながらじっと何か考へ、鍋はことこと鳴ってゐました。二人も座りました。  日はもうよほど高く三本の青い日光の棒もだいぶ急になりました。
14 パッ 向ふの山の雪は青ぞらにくっきりと浮きあがり見てゐますと何だかこゝろが遠くの方へ行くやうでした。  にはかにそのいたゞきにパッ とけむりか霧のやうな白いぼんやりしたものがあらはれました。  それからしばらくたってフィーとするどい笛のやうな声が聞えて来ました。
15 フィー 向ふの山の雪は青ぞらにくっきりと浮きあがり見てゐますと何だかこゝろが遠くの方へ行くやうでした。  にはかにそのいたゞきにパッ とけむりか霧のやうな白いぼんやりしたものがあらはれました。  それからしばらくたってフィーとするどい笛のやうな声が聞えて来ました。
16 だんだん 「何した、楢夫、腹痛ぃが。」一郎もたづねましたがやっぱり泣くばかりでした。  お父さんは立って楢夫の額に手をあてて見てそれからしっかり頭を押へました。  するとだんだん 泣きやんでつひにはたゞしくしく泣きじゃくるだけになりました。
17 しくしく 「何した、楢夫、腹痛ぃが。」一郎もたづねましたがやっぱり泣くばかりでした。  お父さんは立って楢夫の額に手をあてて見てそれからしっかり頭を押へました。  するとだんだん 泣きやんでつひにはたゞしくしく泣きじゃくるだけになりました。
18 ぞっ 「お父さんおりゃさ新らしきもの着せるって云ったか。」楢夫はまた泣きました。 一郎もなぜかぞっとしました。けれどもお父さんは笑ひました。 「ああははは、風の又三郎ぁ、いゝ事云ったな。四月になったら新らし着物買ってけらな。 一向泣ぐごとぁなぃぢゃぃ。泣ぐな泣ぐな。」
19 もりもり 馬はもりもりかひばをたべてそのたてがみは茶色でばさばさしその眼は大きくて眼の中にはさまざまのをかしな器械が見えて大へんに気の毒に思はれました。
20 ばさばさ 馬はもりもりかひばをたべてそのたてがみは茶色でばさばさしその眼は大きくて眼の中にはさまざまのをかしな器械が見えて大へんに気の毒に思はれました。
21 ツァリンツァリン 「さ、そいでぁ、まんつ、」その人は牽づなを持ってあるき出し鈴はツァリンツァリンと鳴り馬は首を垂れてゆっくりあるきました。
22 ちょんちょん 栗の木が何本か立って枯れた乾いた葉をいっぱい着け、鳥がちょんちょんと鳴いてうしろの方へ飛んで行きました。
23 チリンチリン そのとき向ふから一列の馬が鈴をチリンチリンと鳴らしてやって参りました。
24 どんどん 楢夫はもう早くうちへ帰りたいらしくどんどん 歩き出し一郎もたびたびうしろをふりかへって見ましたが 馬が雪の中で茶いろの首を垂れ二人の人が話し合って白い大きな手甲がちらっと見えたりするだけでしたから やっぱり歩いて行きました。
25 はあはあ みちはだんだんのぼりになりつひにはすっかり坂になりましたので楢夫はたびたび膝に手をつっぱって 「うんうん」とふざけるやうにしながらのぼりました。一郎もそのうしろからはあはあ 息をついて「よう、坂道、よう、山道」なんて云ひながら進んで行きました。
26 ちらっちらっ まっしろに光ってゐる白いそらに暗くゆるやかにつらなってゐた峠の頂の方が少しぼんやり見えて来ました。そしてまもなく小さな小さな乾いた雪のこなが少しばかりちらっちらっと二人の上から落ちて参りました。
27 せかせか 楢夫は兄の少し変わった声を聞いてにはかにあわてました。そしてまるでせかせかとのぼりました。「あんまり急ぐな。大丈夫だはんて、なあにあど一里も無ぃも。」 一郎も息をはづませながら云ひました。
28 ゴリゴリ だんだんいたゞきに近くなりますと雪をかぶった黒いゴリゴリの岩がたびたびみちの両がはに出て来ました。
29 ばたばた 二人はだまってなるべく落ち着くやうにして一足づつのぼりました。 一郎はばたばた毛布をうごかしてからだから雪をはらったりしました。  そしていゝことはもうそこが峠のいたゞきでした。
30 しん 声がしんと空へ消えてしまひました。 返事もなくこだまも来ずかへってそらが暗くなって雪がどんどん舞ひおりるばかりです。
31 ヒィウ にはかに空のほうでヒィウと鳴って風が来ました。 雪はまるで粉のやうにけむりのやうに舞ひあがりくるしくて息もつかれずきもののすきまからはひやひやとからだにはひりました。
32 ひやひや にはかに空のほうでヒィウと鳴って風が来ました。雪はまるで粉のやうにけむりのやうに舞ひあがりくるしくて息もつかれずきもののすきまからはひやひやとからだにはひりました。
33 さらさら こんどは前より一そうひどく風がやって来ました。その音はおそろしい笛のやう、 二人のからだも曲げられ足もとをさらさら雪の横にながれるのさへわかりました。
34 よちよち けれども一郎は風がやむとすぐ歩き出しましたし、 うしろはまるで暗く見えましたから楢夫はほんたうに声を立てないで泣くばかりよちよち兄に追ひ付いて進んだのです。
35 ずんずん 雪がもう沓《くつ》のかゝと一杯でした。 ところどころには吹き溜りが出来てやっとあるけるぐらゐでした。それでも一郎はずんずん進みました。 楢夫もそのあしあとを一生けん命ついて行きました。
36 ひゅう 一郎はたびたびうしろをふりかへってはゐましたがそれでも楢夫はおくれがちでした。 風がひゅうと鳴って雪がぱっとつめたいけむりをあげますと、 一郎は少し立ちどまるやうにし楢夫は小刻みに走って兄に追ひすがりました。
37 ぱっ 一郎はたびたびうしろをふりかへってはゐましたがそれでも楢夫はおくれがちでした。 風がひゅうと鳴って雪がぱっとつめたいけむりをあげますと、 一郎は少し立ちどまるやうにし楢夫は小刻みに走って兄に追ひすがりました。
38 えらえら いきが苦しくてまるでえらえらする毒をのんでゐるやうでした。一郎はいつか雪の中に座ってしまってゐました。 そして一そう強く楢夫を抱きしめました。
39 だらだら 一郎は自分のからだを見ました。そんなことが前からあったのか、 いつかからだには鼠いろのきれが一枚まきついてあるばかりおどろいて足を見ますと 足ははだしになってゐて今までもよほど歩いて来たらしく深い傷がついて血がだらだら流れて居りました。
40 ふっ 「楢夫は。」ふっと一郎は思ひ出しました。 「楢夫ぉ。」一郎はくらい黄色なそらに向って泣きながら叫びました。しいんとして何の返事もありませんでした。
41 しいん 「楢夫は。」ふっと一郎は思ひ出しました。 「楢夫ぉ。」一郎はくらい黄色なそらに向って泣きながら叫びました。しいんとして何の返事もありませんでした。
42 ぼろぼろ すると俄かに風が起って一郎のからだについてゐた布はまっすぐにうしろの方へなびき、 一郎はその自分の泣きながらはだしで走って行って ぼろぼろの布が風でうしろへなびいてゐる景色を頭の中に考へて一そう恐ろしくかなしくてたまらなくなりました。
43 ぺかぺか そして向ふに一人の子供が丁度風で消えようとする蝋燭の火のやうに光ったり又消えたり ぺかぺかしてゐるのを見ました。それが顔に両手をあてて泣いてゐる楢夫でした。 一郎はそばへかけよりました。そしてにはかに足がぐらぐらして倒れました。
44 ぐらぐら そして向ふに一人の子供が丁度風で消えようとする蝋燭の火のやうに光ったり又消えたり ぺかぺかしてゐるのを見ました。それが顔に両手をあてて泣いてゐる楢夫でした。 一郎はそばへかけよりました。そしてにはかに足がぐらぐらして倒れました。
45 バリバリ 「早くあすこまで行かう。あすこまでさへ行けばいゝんだから。」一郎は自分の足があんまり痛くて バリバリ白く燃えてるやうなのをこらへて云ひました。けれども楢夫はもうとてもたまらないらしく泣いて地面に倒れてしまひました。
46 ひらひら ふと振りかへって見ますと来た方はいつかぼんやり灰色の霧のやうなものにかくれてその向ふを何かうす赤いやうなものが ひらひらしながら一目散に走って行くらしいのです。
47 ぐったり 一郎はあんまりの怖さに息もつまるやうにおもひました。それでもこらへてむりに立ちあがってまた楢夫を肩にかけました。楢夫は ぐったりとして気を失ってゐるやうでした。
48 ちらちらちらちら 一郎はもうあらんかぎりの力を出してそこら中いちめん ちらちらちらちら白い火になって燃えるやうに思ひながら楢夫を肩にしてさっきめざした方へ走りました。
49 ぞろぞろ すぐ眼の前は谷のやうになった窪地でしたが その中を左から右の方へ何ともいへずいたましいなりをした子供らがぞろぞろ追はれて行くのでした。
50 おどおど みんなからだを前にまげておどおど何かを恐れ横を見るひまもなくたゞふかくふかくため息をついたり声を立てないで泣いたり、 ぞろぞろ追はれるやうに走って行くのでした。
51 ぎざぎざ そして本たうに恐ろしいことは その子供らの間を顔のまっ赤な大きな人のかたちのものが灰いろの棘のぎざぎざ生えた鎧を着て、髪などはまるで火が燃えてゐるやう、 たゞれたやうな赤い眼をして太い鞭を振りながら歩いて行くのでした。
52 がりがり その足が地面にあたるときは地面はがりがり鳴りました。 一郎はもう恐ろしさに声も出ませんでした。
53 よろよろ 楢夫ぐらゐの髪のちゞれた子が列の中に居ましたがあんまり足が痛むと見えてたうとうよろよろつまづきました。 そして倒れさうになって思はず泣いて「痛いよう。おっかさん。」と叫んだやうでした。
54 ぴくっ するとすぐ前を歩いて行ったあの恐ろしいものは立ちどまってこっちを振り向きました。 その子はよろよろして恐ろしさに手をあげながらうしろへ遁《に》げようとしましたら忽《たちま》ち その恐ろしいものの口が ぴくっとうごきばっと鞭が鳴ってその子は声もなく倒れてもだえました。
55 ばっ するとすぐ前を歩いて行ったあの恐ろしいものは立ちどまってこっちを振り向きました。 その子はよろよろして恐ろしさに手をあげながらうしろへ遁《に》げようとしましたら忽《たちま》ち その恐ろしいものの口が ぴくっとうごきばっと鞭が鳴ってその子は声もなく倒れてもだえました。
56 ふらふら あとから来た子供らはそれを見てもたゞふらふらと避けて行くだけ一語も云ふものがありませんでした。
57 ぎょっ 鬼はぎょっとしたやうに一郎を見てそれから口がしばらく ぴくぴくしてゐましたが大きな声で斯う云ひました。その歯が ギラギラ光ったのです。「罪はこんどばかりではないぞ。歩け。」
58 ぴくぴく 鬼はぎょっとしたやうに一郎を見てそれから口がしばらく ぴくぴくしてゐましたが大きな声で斯う云ひました。その歯が ギラギラ光ったのです。「罪はこんどばかりではないぞ。歩け。」
59 ギラギラ 鬼はぎょっとしたやうに一郎を見てそれから口がしばらく ぴくぴくしてゐましたが大きな声で斯う云ひました。その歯が ギラギラ光ったのです。「罪はこんどばかりではないぞ。歩け。」
60 シィン 「罪はこんどばかりではないぞ。歩け。」  一郎はせなかがシィンとしてまはりが くるくる青く見えました。それからからだ中からつめたい汗が湧きました。  こんなにして兄弟は追はれて行きました。
61 くるくる 「罪はこんどばかりではないぞ。歩け。」  一郎はせなかがシィンとしてまはりが くるくる青く見えました。それからからだ中からつめたい汗が湧きました。  こんなにして兄弟は追はれて行きました。
62 ほっ 「にょらいじゅりゃうぼん第十六。」 といふやうな語《ことば》がかすかな風のやうに又匂のやうに一郎に感じました。 すると何だかまはりがほっと楽になったやうに思って 「にょらいじゅりゃうぼん。」と繰り返してつぶやいてみました。 すると前の方を行く鬼が立ちどまって不思議さうに一郎をふりかへって見ました。 列もとまりました。どう云ふわけか鞭の音も叫び声もやみました。しぃんとなってしまったのです。
63 ぼうっ 気がついて見るとそのうすくらい赤い瑪瑙《めなう》の野原のはづれがぼうっと黄金いろになって その中を立派な大きな人がまっすぐにこっちへ歩いて来るのでした。 どう云ふわけかみんなはほっとしたやうに思ったのです。
64 チラチラ またたくさんの樹が立ってゐました。それは全く宝石細工としか思はれませんでした。・・・  みんなその葉がチラチラ 光ってゆすれ互いにぶっつかり合って微妙な音をたてるのでした。
65 すうっ 一人の天人が黄いろな三角を組みたてた模様のついた立派な鉢を捧げてまっすぐに下りて参りました。 そして青い地面に降りて虔《うやうや》しくその大きな人の前にひざまづき鉢を捧げました。 「さあたべてごらん。」その大きな人は一つを楢夫にやりながらみんなに云ひました。 みんなはいつか一つづつその立派な菓子を持ってゐたのです。 それは一寸嘗《な》めたときからだ中すうっと涼しくなりました。
66 ピン 舌のさきで青い蛍のやうな色や橙いろの火やらきれいな花の図案になってチラチラ見えるのでした。 たべてしまったときからだがピン となりました。
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hinoki      
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ひのきとひなげし

ありときのこ
1 ぐらぐら ひなげしはみんなまっ赤に燃えあがり、めいめい風にぐらぐらゆれて、息もつけないようでした。
2 さっさっさっ ところがこのときお日さまは、さっさっさっと大きな呼吸を四五へんついてるり色をした山に入ってしまいました。
3 どしどし 風が一そうはげしくなってひのきもまるで青黒馬《あおうま》のしっぽのよう、ひなげしどもはみな熱病にかかったよう、てんでに何かうわごとを、南の風に云ったのですが風はてんから相手にせずどしどし向うへかけぬけます。
4 ぼろん 悪魔の弟子はさっそく大きな雀の形になってぼろんと飛んで行きました。
5 きらきら よろしい。早速薬をあげる。一服、二服、三服とな。まずわたしがここで第一服の呪文をうたう。するとここらの空気にな。きらきら赤い波がたつ。それをみんなで呑むんだな。
6 ちらちら 空気へうすい蜜のような色がちらちら波になりました。ひなげしはまた一生けん命です。
7 ぽかっ すると医者はたいへんあわてて、・・・ 途方もない方へ飛んで行ってしまいました。その足さきはまるで釘抜きのように尖り黒い診察鞄もけむりのように消えたのです。ひなげしはみんなあっけにとられてぽかっとそらをながめています。
8 がりがり そうじゃあないて。おまえたちが青いけし坊主のまんまでがりがり食われてしまったらもう来年はここへは草が生えるだけ、それに第一スターになりたいなんておまえたち、スターて何だか知りもしない癖に。
9 ぴかぴか けしはやっぱり怒っています。けれども、もうその顔もみんなまっ黒に見えるのでした。それは雲の峯がみんな崩れて牛みたいな形になり、そらのあちこちに星がぴかぴかしだしたのです。
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hokushu      
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北守将軍と三人兄弟の医者

北守将軍
1 ぱたぱた むかしラユーといふ首都に、兄弟三人の医者がゐた。いちばん上のリンパーは、普通の人の医者だつた。 その弟のリンプーは、馬や羊の医者だつた。いちばん末のリンポーは、草だの木だのの医者だつた。 そして兄弟三人は、・・・青い瓦の病院を、三つならべて建ててゐて、てんでに白や朱の旗を、 風にぱたぱた云はせてゐた。
2 ざわざわ ある日のちやうど日の出ごろ、ラユーの町の人たちは、はるかな北の野原の方で、 鳥か何かがたくさん群れて、声をそろへて鳴くやうな、をかしな音を、ときどき聴いた。 ・・・ だんだんそれが近づいて、みんな立派なチヤルメラや、ラツパの音だとわかつてくると、 町ぢゆうにはかにざわざわした。
3 どきどき そしてその日の午ちかく、ひづめの音や鎧の気配、また号令の声もして、向ふはすつかり、 この町を、囲んでしまつた模様であつた。番兵たちや、あらゆる町の人たちが、 まるでどきどきやりながら、矢を射る孔からのぞいて見た。
4 ひらひら 壁の外から北の方、まるで雲霞《うんか》の軍勢だ。ひらひらひかる三角旗や、ほこがさながら林のやうだ。ことになんとも奇体なことは、兵隊たちが、みな灰いろでぼさぼさして、なんだかけむりのやうなのだ。
5 ぼさぼさ 壁の外から北の方、まるで雲霞《うんか》の軍勢だ。ひらひらひかる三角旗や、ほこがさながら林のやうだ。ことになんとも奇体なことは、兵隊たちが、みな灰いろでぼさぼさして、なんだかけむりのやうなのだ。
6 ぴん するどい眼をして、ひげが二いろまつ白な、せなかのまがつた大将が、尻尾が箒のかたちになつて、 うしろにぴんとのびてゐる白馬に乗つて先頭に立ち、大きな剣を空にあげ、声高々と歌つてゐる。
7 ペタン 風は乾いて砂を吹き雁さへ干せてたびたび落ちた おれはその間馬でかけ通し 馬がつかれてたびたびペタンと座り涙をためてはじつと遠くの砂を見た。
8 ぴしゃん さあ城壁のこつちでは、沸きたつやうな騒動だ。・・・  王のお宮へは使が急いで走つて行き、城門の扉はぴしゃんと開いた。
9 くしゃくしゃ おもての方の兵隊たちも、もううれしくて、馬にすがつて泣いてゐる。  顔から肩から灰いろの、北守将軍ソンバーユーは、わざとくしゃくしゃ顔をしかめ、しづかに馬のたづなをとつて、まつすぐを向いて先登に立ち、・・・
10 ぎちぎち 馬は太鼓に歩調を合せ、殊にもさきのソン将軍の白馬は、歩くたんびに膝がぎちぎち音がして、ちやうどひやうしをとるやうだ。
11 ぞろっ みんなは、みちの両側に、垣をきづいて、ぞろっとならび、泪を流してこれを見た。  かくて、バーユー将軍が、三町ばかり進んで行つて、町の広場についたとき、向ふのお宮の方角から、 黄いろな旗がひらひらして、誰かこつちへやつてくる。
12 がっしり ソン将軍は馬をとめ、ひたひに高く手をかざし、よくよくそれを見きはめて、 それから俄かに一礼し、急いで、馬を降りようとした。ところが馬を降りれない、もう将軍の両足は、 しつかり馬の鞍につき、鞍はこんどは、がっしりと馬の背中にくつついて、もうどうしてもはなれない。
13 びくびく さすが豪気の将軍も、すつかりあわてて赤くなり、口をびくびく横に曲げ、一生けん命、はね下りようとするのだが、どうにもからだがうごかなかつた。
14 ばたばた 王様からのお迎ひです。将軍、馬を下りなさい。向ふの列で誰か云ふ。 将軍はまた手をばたばたしたが、やつぱりからだがはなれない。  ところが迎ひの大臣は、鮒よりひどい近眼だつた。わざと馬から下りないで、両手を振つて、 みんなに何か命令してると考へた。
15 くるっ 「謀叛だな。よし。引き上げろ。」さう大臣はみんなに云つた。そこで大臣一行は、 くるっと馬を立て直し、黄いろな塵をあげながら、一目散に戻つて行く。
16 じいっ ソン将軍はみんに云つた。「全軍しづかに馬をおり、兜をぬいで地に座れ。ソン大将はたゞ今から、 ちよつとお医者へ行つてくる。そのうち音をたてないで、 じいっとやすんでゐてくれい。わかつたか。」
17 がたがたがたがた 「わかりました。将軍」兵隊共は声をそろへて一度に叫ぶ。将軍はそれを手で制し、 急いで馬に鞭うつた。たびたびと砂漠に寝た、この有名な白馬は、こゝで最後の力を出し、 がたがたがたがた鳴りながら、 風より早くかけ出した。
18 ぶつぶつ 「上手な医者はいつたい誰だ。」一人の大工が返事した。「それはリンパー先生です。」 「そのリンパーはどこに居る。」「すぐこの坂のま上です。あの三つある旗のうち、一番左でございます。」 ・・・ 大工はあとでぶつぶつ云つた。 「何だ、あいつは野蛮なやつだ。ひとからものを教はつて、・・・」
19 うろうろ ところがバーユー将軍は、そんなことには構はない。 そこらをうろうろあるいてゐる、 病人たちをはね越えて、門の前まで上つてゐた。なるほど門のはしらには、小医リンパー先生と、 金看板がかけてある。
20 ぱかぱか 「ははあ、馬から降りられない。そいつは脚の硬直だ。そんならいゝです。おいでなさい。」  弟子は向ふの扉をあけた。ソン将軍はぱかぱか と馬を鳴らしてはひつて行つた。中には人がいつぱいで、そのまん中に先生らしい、 小さな人が床几に座り、しきりに一人の眼を診てゐる。
21 びくっ 「ひとつこつちをたのむのぢや。馬から降りられないでなう。」さう将軍はやさしく云つた。 ところがリンパー先生は、見向きもしないし動きもしない。やつぱりじつと眼を見てゐる。 「おい、きみ、早くこつちを見んか。」将軍が怒鳴り出したので、病人たちはびくっ とした。
22 ぱくっ ところがリンパー先生は、やつぱりびくともしてゐない、てんでこつちを見もしない。 その先生の右手から、黄の綾を着た娘が立つて、花瓶にさした何かの花を、一枝とつて水につけ、 やさしく馬につきつけた。馬はぱくっ とそれを噛み、大きな息を一つして、ぺたんと四つ脚を折り、 今度はごうごういびきをかいて、首を落してねむつてしまふ。
23 ごうごう ところがリンパー先生は、やつぱりびくともしてゐない、てんでこつちを見もしない。 その先生の右手から、黄の綾を着た娘が立つて、花瓶にさした何かの花を、一枝とつて水につけ、 やさしく馬につきつけた。馬はぱくっ とそれを噛み、大きな息を一つして、ぺたんと四つ脚を折り、 今度はごうごういびきをかいて、首を落してねむつてしまふ。
24 ぐうぐう ソン将軍はまごついた。・・・ 「おい、起きんかい。・・・ 」 それでも馬は、やつぱりぐうぐうねむつてゐる。ソン将軍はたうとう泣いた。 「おい、きみ、わしはとにかくに、馬だけどうかみてくれたまへ。こいつは北の国境で、三十年もはたらいたのだ。」
25 がたがた 「狐とそれから、砂鶻《サコツ》ぢやね、砂鶻というて鳥なんぢや。 こいつは人の居らないときは、・・・ 馬のしつぽを抜いたりね。目をねらつたりするもんで、 こいつがでたらもう馬は、がたがたふるへてようあるかんね。」
26 ざぶざぶ パー先生は片袖まくり、布巾に薬をいつぱいひたし、かぶとの上からざぶざぶかけて、両手でそれをゆすぶると、兜はすぐにすぱりととれた。
27 すぱり パー先生は片袖まくり、布巾に薬をいつぱいひたし、かぶとの上からざぶざぶかけて、両手でそれをゆすぶると、兜はすぐにすぱりととれた。
28 じゃぶじゃぶ 「もうぢきです。」とパー先生は、つゞけてじゃぶじゃぶ洗つてゐる。雫がだんだん茶いろになつて、それからうすい黄いろになつた。 それからたうとうもう色もなく、ソン将軍の白髪は、熊より白く輝いた。
29 ぶるっ そこでリンパー先生は、布巾を捨てて両手を洗ひ、弟子は頭と顔を拭く。 将軍はぶるっと身ぶるひして、馬にきちんと起きあがる。「どうです、 せいせいしたでせう。
30 せいせい そこでリンパー先生は、布巾を捨てて両手を洗ひ、弟子は頭と顔を拭く。 将軍はぶるっと身ぶるひして、馬にきちんと起きあがる。「どうです、 せいせいしたでせう。
31 けろり 「ところで百と百とをたすと、答はいくらになりますか。」「もちろんそれは二百だらう。」 ・・・ 「十の二倍はどれだけですか。」「それはもちろん二十ぢやな。」さつきのことは忘れた風で、 ソン将軍はけろりと云ふ。 「すつかりおなほりなりました。・・・」
32 がばっ 「それではそつちへ行くとしよう。ではさやうなら。」  さつきの白いきものをつけた、むすめが馬の右耳に、息を一つ吹き込んだ。馬はがばっとはねあがり、ソン将軍は俄かに背が高くなる、将軍は馬のたづなをとり、弟子とならんで室を出る。
33 ぶるるるふう ソン将軍が、お医者の弟子と、けしの畑をふみつけて向ふの方へ歩いて行くと、もうあつちからもこつちからも、ぶるるるふうといふやうな、馬の仲間の声がする。
34 ことこと もう四方から馬どもが、二十疋もかけて来て、蹄をことこと鳴らしたり、頭をぶらぶらしたりして、将軍の馬に挨拶する。
35 ぶらぶら もう四方から馬どもが、二十疋もかけて来て、蹄をことこと鳴らしたり、頭をぶらぶらしたりして、将軍の馬に挨拶する。
36 ごとごと プー先生は弟子を呼ぶ。弟子はおじぎを一つして、小さな壺をもつて来た。 プー先生は蓋をとり、何か茶いろな薬を出して、馬の眼に塗りつけた。それから「フーシユ」とまた呼んだ。 弟子はおじぎを一つして、となりの室へ入つて行つて、しばらくごとごとしてゐたが、まもなく赤い小さな餅を、皿にのつけて帰つて来た。
37 ぱくり 先生はそれをつまみあげ、しばらく指ではさんだり、匂をかいだりしてゐたが、何か決心したらしく、 馬にぱくりと喰べさせた。・・・ すると俄かに白馬は、がたがたがたがた ふるへ出しそれからからだ一面に、あせとけむりを噴き出した。
38 ごほんごほん がたがたがたがた鳴りながら、馬はけむりをつゞけて噴いた。そのまた煙が無暗に辛い。 ソン将軍も、はじめは我慢してゐたが、たうとう両手を眼にあてて、ごほんごほんとせきをした。
39 すぱり プー先生は近くへよつて、両手をちよつと鞍にあて、二つつばかりゆすぶつた。  たちまち鞍はすぱりとはなれ、はずみを食つた将軍は、床にすとんと落された。
40 すとん プー先生は近くへよつて、両手をちよつと鞍にあて、二つつばかりゆすぶつた。  たちまち鞍はすぱりとはなれ、はずみを食つた将軍は、床にすとんと落された。
41 ぱしゃぱしゃ ところがさすが将軍だ。いつかきちんと立つてゐる。おまけに鞍と将軍も、もうすつかりとはなれてゐて、 将軍はまがつた両足を、両手でぱしゃぱしゃ叩いたし、馬は俄かに荷がなくなつて、さも見当がつかないらしく、せなかをゆらゆらゆすぶつた。
42 ゆらゆら ところがさすが将軍だ。いつかきちんと立つてゐる。おまけに鞍と将軍も、もうすつかりとはなれてゐて、 将軍はまがつた両足を、両手でぱしゃぱしゃ叩いたし、馬は俄かに荷がなくなつて、さも見当がつかないらしく、せなかをゆらゆらゆすぶつた。
43 ぐっ するとバーユー将軍はこんどは馬のはうきのやうなしつぽを持つて、 いきなりぐっと引つ張つた。すると何やらまつ白な、尾の形した塊が、ごとりと床にころがり落ちた。
44 ごとり するとバーユー将軍はこんどは馬のはうきのやうなしつぽを持つて、 いきなりぐっと引つ張つた。すると何やらまつ白な、尾の形した塊が、ごとりと床にころがり落ちた。
45 ふさふさ 馬はいかにも軽さうに、いまは全く毛だけになつたしつぼを、ふさふさ振つてゐる。弟子が三人集つて、馬のからだをすつかりふいた。
46 ぎちぎち 馬はしづかに歩きだす。あんなにぎちぎち軋んだ膝がいまではすつかり鳴らなくなつた。
47 ひらり 「いや謝しますぢや。それではこれで。」将軍は、急いで馬に鞍を置き、ひらりとそれにまたがれば、そこらあたりの病気の馬は、ひんひん別れの挨拶をする。ソン将軍は室を出て塀をひらりと飛び越えて、 となりのリンポー先生の、菊のはたけに飛び込んだ。
48 ひんひん 「いや謝しますぢや。それではこれで。」将軍は、急いで馬に鞍を置き、ひらりとそれにまたがれば、そこらあたりの病気の馬は、ひんひん別れの挨拶をする。ソン将軍は室を出て塀をひらりと飛び越えて、 となりのリンポー先生の、菊のはたけに飛び込んだ。
49 ふはふは ポー先生は黄いろな粉を、薬函から取り出して、ソン将軍の顔から肩へ、もういつぱいにふりかけて、 それから例のうちはをもつて、ばたばたばたばた扇ぎ出す。するとたちまち、将軍の、顔ぢゆうの毛はまつ赤に変り、 みんなふはふは飛び出して、 見てゐるうちに将軍は、すつかり顔がつるつる なつた。じつにこのとき将軍は、三十年ぶりにつこりした。
50 つるつる ポー先生は黄いろな粉を、薬函から取り出して、ソン将軍の顔から肩へ、もういつぱいにふりかけて、 それから例のうちはをもつて、ばたばたばたばた扇ぎ出す。するとたちまち、将軍の、顔ぢゆうの毛はまつ赤に変り、 みんなふはふは飛び出して、 見てゐるうちに将軍は、すつかり顔がつるつる なつた。じつにこのとき将軍は、三十年ぶりにつこりした。
51 かさかさ 王はしづかに斯ういつた。「じつに永らくご苦労だつた。これからはもうこゝに居て、 大将たちの大将として、なほ忠勤をはげんでくれ。」・・・ 「おことばまことに畏《かしこ》くて、・・・  何卒これでお暇を願ひ、郷里に帰りたうございます。」「それでは誰かおまへの代り、大将五人の名を挙げよ。」・・・  そこでバーユー将軍は、大将四人の名をあげた。そして残りの一人の代り、リン兄弟の三人を国のお医者におねがひした。 王は早速許されたので、その場でバーユー将軍は、鎧もぬげば兜もぬいで、かさかさ薄い麻を着た。そしてじぶんの生れた村のス山の麓へ帰つて行つて、粟をすこうし播いたりした。
52 がぶがぶ けれどもそのうち将軍は、だんだんものを食はなくなつてせつかくじぶんで播いたりした、 粟も一口たべただけ、水をがぶがぶ呑んでゐた。 ところが秋の終りになると、水もさつぱり呑まなくなつて、・・・   そのうちいつか将軍は、どこにも形が見えなくなつた。そこでみんなは将軍さまは、 もう仙人になつたと云つて、ス山の山のいたゞきへ小さなお堂をこしらへて、あの白馬は神馬に祭り、 あかしや粟をさゝげたり、麻ののぼりをたてたりした。
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horakuma      
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洞熊学校を卒業した三人

(注) 本作品は、「蜘蛛となめくぢと狸」に推敲が加えられて作成されたもの。
1 くうん 夜あけごろ、遠くから小さなこどものあぶがくうんとうなってやって来て網につきあたった。けれどもあんまりひもじいときかけた網なので、糸に少しもねばりがなくて、子どものあぶはすぐ糸を切って飛んで行かうとした
2 ギラギラ 蜘蛛はまた枝のかげに戻って、六つの眼をギラギラ光らせながらじっと網をみつめて居た。「ここはどこでござりまするな。」と云ひながらめくらのかげろふが杖をついてやって来た。「ここは宿屋ですよ。」と蜘蛛が六つの眼を別々にパチパチさせて云った。
3 パチパチ 蜘蛛はまた枝のかげに戻って、六つの眼をギラギラ光らせながらじっと網をみつめて居た。「ここはどこでござりまするな。」と云ひながらめくらのかげろふが杖をついてやって来た。「ここは宿屋ですよ。」と蜘蛛が六つの眼を別々にパチパチさせて云った。
4 スルスル その時下の方でいゝ声で歌ふのをききました。「赤いてながのくぅも、天のちかくをはひまはり、スルスル光のいとをはき、きぃらりきぃらり巣をかける。」見るとそれはきれいな女の蜘蛛でした。
5 きぃらりきぃらり その時下の方でいゝ声で歌ふのをききました。「赤いてながのくぅも、天のちかくをはひまはり、スルスル光のいとをはき、きぃらりきぃらり巣をかける。」見るとそれはきれいな女の蜘蛛でした。
6 へらへら ある日夫婦のくもは、葉のかげにかくれてお茶をのんでゐますと、下の方でへらへらした声で歌ふものがあります。・・・ 見るとそれはいつのまにかずっと大きくなったあの銀色のなめくぢでした。
7 すうすう 網は時々風にやぶれたりごろつきのかぶとむしにこはされたりしましたけれどもくもはすぐすうすう糸をはいて修繕しました。
8 キリキリキリ 見るとそれは顔を洗ったことのない狸でした。蜘蛛はキリキリキリッとはがみをして云ひました。
9 みしみし かたつむりは死んでしまひました。そこで銀色のなめくぢはかたつむりを殻ごとみしみし喰べてしまひました。
10 もがもが そしてなめくぢはとかげの傷に口をあてました。・・・ 「も少しよく嘗めないとあとで大変ですよ。今度又来てももう直してあげませんよ。ハッハハ。」となめくぢはもがもが返事をしながらやはりとかげを嘗めつゞけました。
11 ヘラヘラ なめくぢはいつでもハッハハと笑って、そしてヘラヘラした声で物を言ふけれども、どうも心がよくなくて蜘蛛やなんかよりは却って悪いやつだといふのでみんなが軽べつをはじめました。
12 どくどくどくどく 蛙はどくどくどくどく水を呑んでからとぼけたやうな顔をしてしばらくなめくぢを見てから云ひました。「なめくぢさん。ひとつすまふをとりませうか。」
13 シュウ かへるは又投げつけられました。するとかへるは大へんあわててふところから塩のふくろを出して云ひました。「土俵へ塩をまかなくちゃだめだ。そら。シュウ。」塩が白くそこらへちらばった。
14 むにゃむにゃ 狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、「なまねこ、なまねこ、世の中のことはな、みんな山猫さまのおぼしめしのとほりぢゃ。・・・」と云ひながら、たうとう兎の両方の耳をたべてしまひました。
15 ぎろぎろ 狸は眼をぎろぎろして外へ聞えないやうにしばらくの間口をしっかり閉ぢてそれから手で鼻をふさいでゐました。
16 ちくちく ところが狸は次の日からどうもからだの工合がわるくなった。どういふわけか非常に腹が痛くて、のどのところへちくちく刺さるものがある。
17 ボローン たうとう狼をたべてから二十五日めに狸はからだがゴム風船のやうにふくらんでそれからボローンと鳴って裂けてしまった。
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hurandon      
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フランドン農学校の豚

1 ちらちら 豚の方でも時々は、あの小さなそら豆形の怒ったような眼をあげて、そちらをちらちら見ていたのだ。
2 にやにや 豚がすっかり幸福を感じ、あの頭のかげの方の鮫によく似た大きな口を、にやにや曲げてよろこんだのも、けして無理とは云われない。
3 ぎょっ 豚は実にぎょっとした。 一体、その楊子の毛をみると、自分のからだ中の毛が、風に吹かれた草のよう、 ザラッザラッと鳴ったのだ。
4 ザラッザラッ 豚は実にぎょっとした。 一体、その楊子の毛をみると、自分のからだ中の毛が、風に吹かれた草のよう、 ザラッザラッと鳴ったのだ。
5 さくさく 気分がいいと云ったって、結局豚の気分だから、苹果のようにさくさくし、青ぞらのように光るわけではもちろんない。これ灰色の気分である。灰色にしてややつめたく、透明なるところの気分である。
6 どしゃっ 最も想像に困難なのは、豚が自分の平らなせなかを、棒でどしゃっとやられたとき何と感ずるかということだ。さあ、日本語だろうか伊太利亜語だろうか独乙語だろうか英語だろうか。さあどう表現したらいいか。
7 カサカサ おまけにその晩は強いふぶきで、外では風がすさまじく、乾いたカサカサした雪のかけらが、小屋のすきまから吹きこんで豚のたべものの余りも、雪でまっ白になったのだ。
8 げたげた 次の朝になって、やっと太陽が登った頃、寄宿舎の生徒が三人、げたげた笑って小屋へ来た。そして一晩睡らないで、頭のしんしん痛む豚に、又もや厭な会話を聞かせたのだ。
9 しんしん 次の朝になって、やっと太陽が登った頃、寄宿舎の生徒が三人、げたげた笑って小屋へ来た。そして一晩睡らないで、頭のしんしん痛む豚に、又もや厭な会話を聞かせたのだ。
10 ほやほや 「豚のやつは脂肪でできた、厚さ一寸の外套を着てるんだもの、暖かいさ。」「暖かそうだよ。どうだ。湯気さえほやほやと立っている。」豚はあんまり悲しくて、辛くてよろよろしてしまう。
11 よろよろ 「豚のやつは脂肪でできた、厚さ一寸の外套を着てるんだもの、暖かいさ。」「暖かそうだよ。どうだ。湯気さえほやほやと立っている。」豚はあんまり悲しくて、辛くてよろよろしてしまう。
12 キリキリ 教師は実に口惜しそうに、しばらくキリキリ歯を鳴らし腕を組んでから又云った。
13 びくびく 豚は口をびくびく横に曲げ、 短い前の右肢を、きくっ と挙げてそれからピタリ と印をおす。
14 きくっ 豚は口をびくびく横に曲げ、 短い前の右肢を、きくっ と挙げてそれからピタリ と印をおす。
15 ピタリ 豚は口をびくびく横に曲げ、 短い前の右肢を、きくっ と挙げてそれからピタリ と印をおす。
16 ゴツゴツ あんまり豚はつらいので、頭をゴツゴツ板へぶっつけた。
17 ゴウゴウ 豚が又畜舎へ入ったら、敷藁がきれいに代えてあった。寒さはからだを刺すようだ。それに今朝からまだ何も食べないので、胃ももうからになったらしく、あらしのようにゴウゴウ鳴った。
18 ギーギー 生徒が沢山やって来た。助手もやっぱりやって来た。「外でやろうか。外の方がやはりいいようだ。連れ出して呉れ。おい。連れ出してあんまりギーギー云わせないようにね。まずくなるから。」
19 はあはあ 豚は全く異議もなく、はあはあ頬をふくらせて、ぐたっぐたっと歩き出す。前や横を生徒たちの、二本ずつの黒い足が夢のように動いていた。
20 ぐたっぐたっ 豚は全く異議もなく、はあはあ頬をふくらせて、ぐたっぐたっと歩き出す。前や横を生徒たちの、二本ずつの黒い足が夢のように動いていた。
21 カッ 俄かにカッと明るくなった。 外では雪に日が照って豚はまぶしさに眼を細くし、やっぱりぐたぐた歩いて行った。
22 ぐたぐた 俄かにカッと明るくなった。外では雪に日が照って豚はまぶしさに眼を細くし、やっぱりぐたぐた歩いて行った。
23 ピカッ 俄かに豚はピカッという、はげしい白光のようなものが花火のように眼の前でちらばるのを見た。そいつから億百千の赤い火が水のように横に流れ出した。天上の方ではキーンという鋭い音が鳴っている。
24 キーン 俄かに豚はピカッという、はげしい白光のようなものが花火のように眼の前でちらばるのを見た。そいつから億百千の赤い火が水のように横に流れ出した。天上の方ではキーンという鋭い音が鳴っている。
25 ごうごう 横の方ではごうごう水が湧いている。
26 はあはあ とにかく豚のすぐよこにあの畜産の、教師が、大きな鉄槌を持ち、息をはあはあ吐きながら、少し青ざめて立っている。又豚はその足もとで、たしかにクンクンと二つだけ、鼻を鳴らしてじっとうごかなくなっていた。
27 クンクン とにかく豚のすぐよこにあの畜産の、教師が、大きな鉄槌を持ち、息をはあはあ吐きながら、少し青ざめて立っている。又豚はその足もとで、たしかにクンクンと二つだけ、鼻を鳴らしてじっとうごかなくなっていた。
28 ザクッ 助手が大きな小刀で豚の咽喉をザクッと刺しました。一体この物語は、あんまり哀れ過ぎるのだ。もうこのあとはやめにしよう。
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hyoga      
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氷河鼠の毛皮

1 ばさ/\ 十二月の二十六日はイーハトヴはひどい吹雪でした。町の空や通りはまるつきり白だか水色だか変にばさ/\した雪の粉でいつぱい、風はひつきりなしに電線や枯れたポプラを鳴らし、鴉なども半分凍つたやうになつてふら/\と空を流されて行きました。
2 ふら/\ 十二月の二十六日はイーハトヴはひどい吹雪でした。町の空や通りはまるつきり白だか水色だか変にばさ/\した雪の粉でいつぱい、風はひつきりなしに電線や枯れたポプラを鳴らし、鴉なども半分凍つたやうになつてふら/\と空を流されて行きました。
3 チリンチリン たゞ、まあ、その中から馬そりの鈴のチリンチリン鳴る音が、やつと聞えるのでやつぱり誰か通つてゐるなといふことがわかるのでした。
4 ほう/\ 何せ北極のぢき近くまで行くのですからみんなはすつかり用意してゐました。着物はまるで厚い壁のくらゐ着込み、馬油を塗つた長靴をはきトランクにまで寒さでひびが入らないやうに馬油を塗つてみんなほう/\してゐました。
5 わい/\ すぐ改札のベルが鳴りみんなはわい/\切符を切つて貰つてトランクや袋を車の中にかつぎ込みました。
6 パリパリ 間もなくパリパリ呼子が鳴り汽罐車は一つポーとほえて、汽車は一目散に飛び出しました。何せベーリング行の最大急行ですから実にはやいもんです。
7 ポー 間もなくパリパリ呼子が鳴り汽罐車は一つポーとほえて、汽車は一目散に飛び出しました。何せベーリング行の最大急行ですから実にはやいもんです。
8 ぴかぴか その人は毛皮を一杯に着込んで、二人前の席をとり、アラスカ金の大きな指環をはめ、十連発のぴかぴかする素敵な鉄砲を持つていかにも元気さう、声もきつとよほどがらがらしてゐるにちがひないと思はれたのです。
9 がらがら その人は毛皮を一杯に着込んで、二人前の席をとり、アラスカ金の大きな指環をはめ、十連発のぴかぴかする素敵な鉄砲を持つていかにも元気さう、声もきつとよほどがらがらしてゐるにちがひないと思はれたのです。
10 ぎらぎら そのカーテンのうしろには湯気の凍り付いたぎらぎらの窓ガラスでした。たしかにその窓ガラスは変に青く光つてゐたのです。船乗りの青年はポケツトから小さなナイフを出してその窓の羊歯の葉の形をした氷をガリガリ削り落しました。
11 ガリガリ そのカーテンのうしろには湯気の凍り付いたぎらぎらの窓ガラスでした。たしかにその窓ガラスは変に青く光つてゐたのです。船乗りの青年はポケツトから小さなナイフを出してその窓の羊歯の葉の形をした氷をガリガリ削り落しました。
12 ちらちら 野原の雪は青じろく見え煙の影は夢のやうにかけたのです。唐檜やとゞ松がまつ黒に立つてちらちら窓を過ぎて行きます。
13 ぶり/\ よその紳士はすつかりぶり/\してそれでもきまり悪さうにやはりうつ/\寝たふりをしました。
14 うつ/\ よその紳士はすつかりぶり/\してそれでもきまり悪さうにやはりうつ/\寝たふりをしました。
15 きょときょと きちんと起きてゐるのはさつきの窓のそばの一人の青年と客車の隅でしきりに鉛筆をなめながらきょときょと聴き耳をたてて何か書きつけてゐるあの痩た赤髯の男だけでした。
16 もく/\ そのあとから二十人ばかりのすさまじい顔つきをした人がどうもそれは人といふよりは白熊といつた方がいゝやうな、いや、白熊といふよりは雪狐と云つた方がいいやうなすてきにもく/\した毛皮を着た、・・・
17 クシャンクシャン ドアがあけてあるので室の中は俄に寒くあつちでもこつちでもクシャンクシャンとまじめ腐つたくしやみの声がしました。
18 スポン 『よし、さあでは引きあげ、おい誰でもおれたちがこの車を出ないうちに一寸でも動いたやつは胸にスポンと穴をあけるから、さう思へ』その連中はぢりぢりとあと退りして出て行きました。
19 ぢりぢり 『よし、さあでは引きあげ、おい誰でもおれたちがこの車を出ないうちに一寸でも動いたやつは胸にスポンと穴をあけるから、さう思へ』その連中はぢりぢりとあと退りして出て行きました。
20 ばちゃばちゃ タイチは髪をばちゃばちゃにして口をびくびくまげながら前からはひつぱられうしろからは押されてもう扉の外へ出さうになりました。
21 びくびく タイチは髪をばちゃばちゃにして口をびくびくまげながら前からはひつぱられうしろからは押されてもう扉の外へ出さうになりました。
22 がりがり 氷ががりがり 鳴つたりばたばた かけまはる音がしたりして汽車は動き出しました。
23 ばたばた 氷ががりがり 鳴つたりばたばた かけまはる音がしたりして汽車は動き出しました。
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icho      
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いてふの実

いてふの実
1 カチカチ そらのてっぺんなんか冷たくて冷たくてまるでカチカチの灼きをかけた鋼です。そして星が一杯です。けれども東の空はもう優しい桔梗の花びらのやうにあやしい底光りをはじめました。
2 サラサラサラサラ その明け方の空の下、ひるの鳥でも行かない高い所を鋭い霜のかけらが風に流されてサラサラサラサラ南の方へ飛んで行きました。
3 ドキッ 実にその微《かす》かな音が丘の上の一本いてふの木に聞える位澄み切った明け方です。  いてふの実はみんな一度に目をさましました。そしてドキッとしたのです。今日こそはたしかに旅立ちの日でした。 みんなも前からさう思ってゐましたし、昨日の夕方やって来た二羽の烏もさう云ひました。
4 ばらばら そして今日こそ子供らがみんな一緒に旅に発つのです。 お母さんはそれをあんまり悲しんで扇形の黄金の髪の毛を昨日までにみんな落してしまひました。 「ね、あたしどんな所へ行くのかしら。」一人のいてふの女の子が空を見あげて呟やくやうに云ひました。・・・  「そしてあたしたちもみんなばらばらにわかれてしまふんでせう。」
5 ざわざわ 星がすっかり消えました。東のそらは白く燃えてゐるやうです。 木が俄かにざわざわしました。もう出発に間もないのです。
6 ユラリユラリ 東の空が白く燃え、ユラリユラリと揺れはじめました。おっかさんの木はまるで死んだやうになってじっと立ってゐます。
7 ゴーッ 突然光の束が黄金の矢のやうに一度に飛んで来ました。子供らはまるで飛びあがる位輝やきました。  北から氷のやうに冷たい透きとほった風がゴーッと吹いて来ました。「さよなら、おっかさん。」「さよなら、おっかさん。」 子供らはみんな一度に雨のやうに枝から飛び下りました。・・・  お日様は燃える宝石のやうに東の空にかかり、 あらんかぎりのかゞやきを悲しむ母親の木と旅に出た子供らとに投げておやりなさいました。
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ihatobu      
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イーハトーボ農学校の春

1 ごうごうごうごう 太陽マジックのうたはもう青ぞらいっぱい、ひっきりなしにごうごうごうごう鳴っています。
2 がたがた わたしたちは黄いろの実習服を着て、 くずれかかった煉瓦の肥溜のとこへあつまりました冬中いつも唇が青ざめて、 がたがたふるえていた阿部時夫などが、 今日はまるでいきいきした顔いろになってにかにかにかにか笑っています。
3 にかにかにかにか わたしたちは黄いろの実習服を着て、 くずれかかった煉瓦の肥溜のとこへあつまりました冬中いつも唇が青ざめて、 がたがたふるえていた阿部時夫などが、 今日はまるでいきいきした顔いろになってにかにかにかにか笑っています。
4 ひゅうひゅう それにせいが高いので、教室でもいちばん火に遠いこわれた戸のすきまから風のひゅうひゅう入って来る北東の隅だったのです。
5 わくわく けれども今日は、こんなにそらがまっ青で、見ているとまるで わくわくするよう、かれくさも桑ばやしの黄いろの脚もまばゆいくらいです。
6 もくもく もう誰だって胸中からもくもく湧いてくるうれしさに笑い出さないでいられるでしょうか。 そうでなければ無理に口を横に大きくしたり、わざと額をしかめたりしてそれをごまかしているのです。
7 ちらちら 楊の木の中でも樺の木でも、またかれくさの地下茎でも、月光いろの甘い樹液がちらちらゆれだし、早い萱草《かんぞう》やつめくさの芽にはもう黄金いろのちいさな澱粉の粒がつうつう浮いたり沈んだりしています。
8 つうつう 楊の木の中でも樺の木でも、またかれくさの地下茎でも、月光いろの甘い樹液がちらちらゆれだし、早い萱草《かんぞう》やつめくさの芽にはもう黄金いろのちいさな澱粉の粒がつうつう浮いたり沈んだりしています。
9 どんどん そこらいっぱいこんなにひどく明るくて、ラジウムよりももっとはげしく、 そしてやさしい光の波が一生けん命一生けん命ふるえているのに、 いったいどんなものがきたなくてどんなものがわるいのでしょうか。もう どんどん泡があふれ出してもいいのです。 青ぞらいっぱい鳴っているあのりんとした太陽マジックの歌をお聴きなさい。
10 こくっ まぶしい山の雪の反射です。わたくしがはたらきながら、また重いものをはこびながら、 手で水をすくうことも考えることのできないときは、そこから白びかりが氷のようにわたくしの咽喉に寄せてきて、 こくっとわたくしの咽喉を鳴らし、すっかりなおしてしまうのです。
11 ひらひら 風野又三郎だって、もうガラスのマントをひらひらさせ大よろこびで髪をぱちゃぱちゃやりながら野はらを飛んであるきながら春が来た、春が来たをうたっているよ。
12 ぱちゃぱちゃ 風野又三郎だって、もうガラスのマントをひらひらさせ大よろこびで髪をぱちゃぱちゃやりながら野はらを飛んであるきながら春が来た、春が来たをうたっているよ。
13 つやつや いままでやすんでいた虫どもが、ぼんやりといま眼をさまし、しずかに息をするらしいのです。 麦はつやつや光っています。 雪の下からうまくとけて出て青い麦です。早く走って行こう、かけさえしたらすぐに麦は吸い込むのだ。
14 ぐちゃっ おや、このせきの去年のちいさな丸太の橋は、雪代水で流れたな、 からだだけならすぐ跳べるんだが肥桶をどうしような。阿部君、まず跳び越えてください。 うまい、少しぐちゃっと苔にはいったけれども、 まあいいねえ・・・
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indora      
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インドラの網

1 みんみん 稀薄な空気がみんみん鳴っていましたがそれは多分は白磁器の雲の向うをさびしく渡った日輪がもう高原の西を劃《かぎ》る黒い尖々《とげとげ》の山稜の向うに落ちて薄明が来たためにそんなに軋《きし》んでいたのだろうとおもいます。
2 きんきん 私は全体何をたずねてこんな気圏《きけん》の上の方、きんきん痛む空気の中をあるいているのか
3 きしきし 砂がきしきし鳴りました。私はそれを一つまみとって空の微光にしらべました。すきとおる複六方錐の粒だったのです。
4 きいん 全く私のてのひらは水の中で青じろく燐光を出していました。 あたりが俄にきいんとなり、(風だよ、草の穂だよ。 ごうごうごうごう。) こんな語《ことば》が私の頭の中で鳴りました。
5 ごうごうごうごう 全く私のてのひらは水の中で青じろく燐光を出していました。 あたりが俄にきいんとなり、(風だよ、草の穂だよ。 ごうごうごうごう。) こんな語《ことば》が私の頭の中で鳴りました。
6 ぷりぷり 金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろわれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手にぷりぷりふるえました。
7 ちらちら 私はまた足もとの砂を見ましたらその砂粒の中にも黄いろや青や小さな火がちらちらまたたいているのでした。恐らくはそのツェラ高原の過冷却湖畔も天の銀河の一部と思われました。
8 かちかち 厳かにそのあやしい円い熔けたようなからだをゆすり間もなく正しく空に昇った天の世界の太陽でした。光は針や束になってそそぎそこらいちめんかちかち鳴りました。
9 クウクウ まことに空のインドラの網のむこう、数しらず鳴りわたる天鼓のかなたに空一ぱいの不思議な大きな蒼い孔雀が宝石製の尾ばねをひろげかすかにクウクウ鳴きました。
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izumi      
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泉ある家

泉ある家
1 しげしげ (宿屋ここらにありません。)(青金の鉱山できいて来たのですが、 何でも鉱山の人たちなども泊めるそうで。)老人はだまってしげしげと二人の疲れたなりを見た。 二人とも巨きな背嚢をしょって地図を首からかけて鉄槌《かなづち》を持っている。
2 しん (青金で誰か申し上げたのはうちのことですが、何分汚ないし、 いろいろ失礼ばかりあるので。)(いいえ、何もいらないので。)・・・   老人はわずかに腰をまげて道と並行にそのまま谷をさがった。五、六歩行くとそこにすぐ小さな柾屋があった。・・・  (とき、とき、お湯持って来《こ》。)老人は叫んだ。家のなかは しんとして誰も返事をしなかった。
3 じっ けれども富沢はその夕暗と沈黙の奥で誰かが じっと息をこらして聴き耳をたてているのを感じた。
4 ことこと そしてすっかり夜になった。さっきから台所でことことやっていた二十ばかりの眼の大きな女がきまり悪そうに夕食を運んで来た。 その剥《は》げた薄い膳には干した川魚を煮た椀と幾片かの酸《す》えた塩漬けの胡瓜を載せていた。
5 うとうと 女はまた入って来た。そして黙って押入れをあけて 二枚のうすべりといの角枕をならべて置いてまた台所の方へ行った。  二人はすっかり眠る積りでもなしにそこへ長くなった。 そしてそのままうとうとした。
6 がやがや 強い老人らしい声が剣舞の囃しを叫ぶのにびっくりして富沢は目をさました。 台所の方で誰か三、四人の声ががやがや しているそのなかでいまの声がしたのだ。  ランプがいつか心をすっかり細められて障子には月の光が斜めに青じろく射している。
7 むっ (踊りはねるも三十がしまいって、さ。あんまりじさまの浮かれだのも見だぐなぃもんさ。) むっ としたような慓悍《ひょうかん》な三十台の男の声がした。 そしてしばらくしんとした。(雀百まで踊り忘れずでさ。)さっきの女らしい細い声が取りなした。
8 たんたん (女《あね》こ、引ぱりも百までさ。)またその慓悍な声が刺すように云った。そしてまたしんとした。 そして心配そうな息をこくりとのむ音が近くにした。 富沢は蚊帳の外にここの主人が寝ながらじっと台所の方へ耳をすましているのを半分夢のように見た。 (さあ帰って寝るかな。もっ切り二っつだな。そいでぁこいづと。)(戻るすか。)さっきの女の声がした。 こっちではきせるをたんたん続けて叩いていた。(亦来るべぃさ。)何だか哀れに云って外へ出たらしい音がした。
9 だんだん あとはもう聞えないくらいの低い物言いで隣りの主人からは安心に似たようなしずかな波動がだんだんはっきりなった月あかりのなかを流れて来た。
10 とろとろ そして富沢はまたとろとろした。
11 きらきら 次々うつるひるのたくさんの青い山々の姿や、 きらきら 光るもやの奥を誰かが高く歌を歌いながら通ったと思ったら 富沢はまた弱く呼びさまされた。おもての扉を誰か酔ったものが歌いながら烈しく叩いていて 主人が「返事するな、返事するな。」と低く娘に云っていた。 さっきの男も帰って娘もどこかに寝ているらしかった。「寝たのか、まだ明るぞ。起きろ。」 外ではまたはげしくどなった。
12 こくり 外ではいよいよ暴れ出した。とうとう娘が屏風の向うで起きた。 そして(酔ったぐれ、大きらいだ。)とどうやらこっちを見ながらわびるように誘うようになまめかしく呟いた。・・・  それから二人はしばらく押問答をしていたが間もなく一人ともつかず二人ともつかず家のなかにはいって来て わずかに着物のうごく音などした。そしていっぱいに気兼ねや恥で緊張した老人が悲しく こくり と息を呑む音がまたした。
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jyugatsu      
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十月の末

十月の末
1 ふっふっ 嘉ッコは、小さなわらぢをはいて、赤いげんこを二つ顔の前にそろへて、 ふっふっと息をふきかけながら、土間から外へ飛び出しました。外はつめたくて明るくて、 そしてしんとしてゐます。
2 しん 嘉ッコは、小さなわらぢをはいて、赤いげんこを二つ顔の前にそろへて、 ふっふっと息をふきかけながら、土間から外へ飛び出しました。外はつめたくて明るくて、 そしてしんとしてゐます。
3 ぐぢゃぐぢゃ 「母《があ》、昨夜《ゆべな》、土ぁ、凍《し》みだぢゃぃ。」嘉ッコはしめった黒い地面を、 ばたばた踏みながら云ひました。 「うん、霜ぁ降ったのさ。今日は畑ぁ、土ぁぐぢゃぐぢゃづがべもや。」と嘉ッコのお母さんは、半分ひとりごとのやうに答へました。
4 ツンツン 嘉ッコはもう走って垣の出口の柳の木を見てゐました。それはツンツンツンツンと鳴いて、枝中はねあるく小さなみそさゞいで一杯でした。
5 カラッ みそさざいどもは、とんだりはねたり、柳の木のなかで、じつにおもしろさうにやってゐます。 柳の木のなかといふわけは、葉の落ちてカラッとなった柳の木の外側には、 すっかりガラスが張ってあるやうな気がするのです。
6 ダァ けれどもたうとう、そのすきとほるガラス函もこはれました。 それはお母さんやおばあさんがこっちへ来ましたので、嘉ッコが「ダァ。」と云ひながら、 両手をあげたものですから、小さなみそさざいどもは、みんなまるでまん円になって、 ぼろんと飛んでしまったのです。
7 ぼろん けれどもたうとう、そのすきとほるガラス函もこはれました。 それはお母さんやおばあさんがこっちへ来ましたので、嘉ッコが「ダァ。」と云ひながら、 両手をあげたものですから、小さなみそさざいどもは、みんなまるでまん円になって、 ぼろんと飛んでしまったのです。
8 パサパサ 嘉ッコは・・・ 松並木のあっちこっちをよくよく眺めましたが、 松の葉がパサパサ続くばかり、そのほかにはずうっとはづれのはづれの方に、 白い牛のやうなものが頭だか足だか一寸出してゐるだけです。
9 ずうっ 嘉ッコは・・・ 松並木のあっちこっちをよくよく眺めましたが、 松の葉がパサパサ続くばかり、そのほかにはずうっとはづれのはづれの方に、 白い牛のやうなものが頭だか足だか一寸出してゐるだけです。
10 ちゃん 嘉ッコは街道を横ぎって、山の畑の方へ走りました。お母さんたちもあとから来ます。 けれども、この路ならば、お母さんよりおばあさんより、嘉ッコの方がよく知ってゐるのでした。 路のまん中に一寸顔を出してゐる円いあばたの石ころさへも、嘉ッコはちゃんと知ってゐるのでした。厭《あ》きる位知ってゐるのでした。
11 つんつん 嘉ッコは林にはひりました。松の木や楢の木が、つんつんと光のそらに立ってゐます。
12 ぎっしり 林を通り抜けると、そこが嘉ッコの家の豆畑でした。  豆ばたけは、今はもう、茶色の豆の木で ぎっしりです。
13 サッサッ 豆はみな厚い茶色の外套を着て、百列にも二百列にもなって、サッサッと歩いてゐる兵隊のやうです。
14 だんだん その時丁度嘉ッコのお母さんが畦《あぜ》の向ふの方から豆を抜きながらだんだんこっちへ来ましたので、嘉ッコは高く叫びました。
15 ばたばた 「母《があ》、かう云にしてガアガアど聞えるものぁ何だべ。」 「西根山の滝の音さ。」お母さんは豆の根の土をばたばた落しながら云ひました。 二人は西根山の方を見ました。けれどもそこから滝の音が聞えて来るとはどうも思はれませんでした。
16 ガアガアコーコー 「ばさん。かう云にしてガアガアコーコーど鳴るものぁ何だべ。」おばあさんはやれやれと腰をのばして、手の甲で額を一寸こすりながら、二人の方を見て云ひました。 「天の邪鬼の小便の音さ。」
17 やれやれ 「ばさん。かう云にしてガアガアコーコーど鳴るものぁ何だべ。」おばあさんはやれやれと腰をのばして、手の甲で額を一寸こすりながら、二人の方を見て云ひました。 「天の邪鬼の小便の音さ。」
18 グー 見るとその人は赤ひげで西洋人なのです。おまけにその男が口を大きくして叫びました。 「グルルル、グルウ、ユー、リトル、ラズカルズ、ユー、プレイ、トラウント、ビ、オッフ、ナウ、スカッド、アウヰイ、テゥ、スクール。」  と雷のやうな声でどなりました。そこで二人はもうグーとも云はず、まん円になって一目散に逃げました。
19 ギッ 嘉ッコは、黒猫をしっぽでつかまへて、ギッと云ふくらゐに抱いてゐました。
20 ガタアッ 嘉ッコがすばやく逃げかかったとき、俄《にはか》に途方もない、空の青セメントが一ぺんに落ちたといふやうなガタアッといふ音がして家は ぐらぐらっとゆれ、みんなはぼかっとして呆れてしまひました。
21 ぐらぐら 嘉ッコがすばやく逃げかかったとき、俄《にはか》に途方もない、空の青セメントが一ぺんに落ちたといふやうなガタアッといふ音がして家は ぐらぐらっとゆれ、みんなはぼかっとして呆れてしまひました。
22 ぼかっ 嘉ッコがすばやく逃げかかったとき、俄《にはか》に途方もない、空の青セメントが一ぺんに落ちたといふやうなガタアッといふ音がして家は ぐらぐらっとゆれ、みんなはぼかっとして呆れてしまひました。
23 ぶるるっ 猫は嘉ッコの手から滑り落ちて、ぶるるっ とからだをふるはせて、それから一目散にどこかへ走って行ってしまひました。
24 ガリガリ ガリガリッ、 ゴロゴロゴロゴロ。」音は続き、それから バァッ と表の方が鳴って何か石ころのやうなものが一散に降って来たやうすです。
25 ゴロゴロゴロゴロ ガリガリッ、 ゴロゴロゴロゴロ。」音は続き、それから バァッ と表の方が鳴って何か石ころのやうなものが一散に降って来たやうすです。
26 バァッ ガリガリッ、 ゴロゴロゴロゴロ。」音は続き、それから バァッ と表の方が鳴って何か石ころのやうなものが一散に降って来たやうすです。
27 ガアガア 「お雷《らい》さんだ。」おぢいさんが云ひました。 「雹《ひょう》だ。」お父さんが云ひました。ガアガアッと云ふその雹の音の向ふから、「ホーォ。」ととなりの善コの声が聞えます。 「ホーォ。」と嘉ッコが答へました。
28 ぎらぎら 空はまるで新らしく拭いた鏡のやうになめらかで、青い七日ごろのお月さまがそのまん中にかゝり、 地面はぎらぎら 光って嘉ッコは一寸氷砂糖をふりまいたのだとさへ思ひました。 南のずうっと向ふの方は、白い雲か霧かがかかり、稲光りが月あかりの中をたびたび白く渡ります。 二人は雀の卵ぐらゐある雹の粒をひろって愕ろきました。
29 プイッ 「ホーォ。」嘉ッコと嘉ッコの兄さんとは一所に叫びながら垣根の柳の木の下まで出て行きました。 となりの垣根からも小さな黒い影がプイッ と出てこっちへやって参ります。善コです。嘉ッコは走りました。 「ほお、雹だぢゃぃ。大きぢゃぃ。こったに大きぢゃぃ。」
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jyuroku      
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十六日

十六日
1 ごろごろ よく晴れて前の谷川もいつもとまるでちがって楽しく ごろごろ鳴った。 盆の十六日なので鉱山も休んで給料は呉れ畑の仕事も一段落ついて 今日こそ一日そこらの木やとうもろこしを吹く風も家のなかの煙に射す青い光の棒も みんな二人のものだった。
2 すうすう 嘉吉は朝いつもの時刻に眼をさましてから寝そべったまま煙草を二、三服ふかしてまたすうすう眠ってしまった。
3 しんしん この一年に二日しかない恐らくは太陽からも許されそうな休みの日を 外では鳥が針のように啼き日光がしんしんと降った。嘉吉がもうひる近いからと起されたのはもう十一時近くであった。
4 ざあざあ 嘉吉は楊子をくわいて峠へのみちをよこぎって川におりて行った。 それは白と鼠いろの縞のある大理石で上流に家のないそのきれいな流れがざあざあ 云ったりごぼごぼ 湧いたりした。
5 ごぼごぼ 嘉吉は楊子をくわいて峠へのみちをよこぎって川におりて行った。 それは白と鼠いろの縞のある大理石で上流に家のないそのきれいな流れがざあざあ 云ったりごぼごぼ 湧いたりした。
6 せいせい 鉱山も今日はひっそりして鉄索《てつさく》もうごいていず青ぞらにうすくけむっていた。嘉吉はせいせいして それでもまだどこかに溶けない熱いかたまりがあるように思いながら小屋へ帰って来た。
7 カーンカーン 嘉吉は子供のように箸をとりはじめた。ふと表の河岸でカーンカーン と岩を叩く音がした。二人はぎょっ として聞き耳をたてた。
8 ぎょっ 嘉吉は子供のように箸をとりはじめた。ふと表の河岸でカーンカーン と岩を叩く音がした。二人はぎょっ として聞き耳をたてた。
9 こちこち 音はなくなった。(今頃探鉱など来るはずあなぃな。)嘉吉は豆の餅を口に入れた。 音がこちこちまた起った。
10 もぐもぐ (今日はちょっとお訪ねいたしますが。)門口で若い水々しい声が云った。 (はあい。)嘉吉は用があったからこっちへ廻れといった風で口をもぐもぐしながら云った。けれどもその眼はじっとおみちを見ていた。
11 じっ (今日はちょっとお訪ねいたしますが。)門口で若い水々しい声が云った。 (はあい。)嘉吉は用があったからこっちへ廻れといった風で口をもぐもぐしながら云った。けれどもその眼はじっとおみちを見ていた。
12 てきぱき (いやお食事のところをお邪魔しました。ありがとうございました。)  学生は立とうとした。嘉吉はおみちの前でもう少し てきぱき話をつづけたかったし、 学生がすこしもこっちを悪く受けないのが気に入ってあわてて云った。(まあ、ひとつおつき合いなさい。 ここらは今日盆の十六日でこうして遊んでいるんです。 かかあもせっ角拵《こさ》えたのお客さんに食べていただかなぃと恥かきますから。)
13 さっさ 学生は鞄から敷島を一つとキャラメルの小さな箱を出して置いた。(なあにす、そたなごとお前さん。) おみちは顔を赤くしてそれを押し戻した。(もうほんの。)学生は さっさと出て行った。・・・  おみちは娘のような顔いろでまだぼんやりしたように座っていた。
14 かっ おみちはまだぼんやりして何か考えていた。嘉吉はかっ となった。(じゃぃ、 はきはきど返事せじゃ。何でぁ、 あたな人形こさ奴さぁすぐにほれやがて。)
15 はきはき おみちはまだぼんやりして何か考えていた。嘉吉はかっ となった。(じゃぃ、 はきはきど返事せじゃ。何でぁ、 あたな人形こさ奴さぁすぐにほれやがて。)
16 さぁっ (何云うべこの人ぁ。) おみちはさぁっ と青じろくなってまた赤くなった。
17 しくしく 嘉吉はまたそう云ったけれどもすこしもそれに逆うでもなくただ辛そうに しくしく 泣いているおみちのよごれた小倉の黒いえりや顫《ふる》うせなかを見ていると 二人とも何年ぶりかのただの子供になってこの一日をままごとのようにして遊んでいたのを めちゃめちゃにこわしてしまったようで からだが風と青い寒天で ごちゃごちゃ にされたような情ない気がした。
18 めちゃめちゃ 嘉吉はまたそう云ったけれどもすこしもそれに逆うでもなくただ辛そうに しくしく 泣いているおみちのよごれた小倉の黒いえりや顫《ふる》うせなかを見ていると 二人とも何年ぶりかのただの子供になってこの一日をままごとのようにして遊んでいたのを めちゃめちゃにこわしてしまったようで からだが風と青い寒天で ごちゃごちゃ にされたような情ない気がした。
19 ごちゃごちゃ 嘉吉はまたそう云ったけれどもすこしもそれに逆うでもなくただ辛そうに しくしく 泣いているおみちのよごれた小倉の黒いえりや顫《ふる》うせなかを見ていると 二人とも何年ぶりかのただの子供になってこの一日をままごとのようにして遊んでいたのを めちゃめちゃにこわしてしまったようで からだが風と青い寒天で ごちゃごちゃ にされたような情ない気がした。
20 びくびく 嘉吉はマッチをすってたばこを二つ三つのんだ。 それから横からじっとおみちを見るとまだ泣きたいのを無理にこらえて口をびくびくしながらぼんやり眼を赤くしているのが酔った狸のようにでも見えた。 嘉吉は矢もたてもたまらず俄かにおみちが可哀そうになってきた。
21 ぱりぱり 及びもしないあんな男をいきなり一言二言はなしてそんなことを考えるなんてあることでない。 そうだとするとおれがあんな大学生とでも引け目なしにぱりぱり談《はな》した。そのおれの力を感じていたのかも知れない。
22 ひょろひょろ それにおれには鉱夫どもにさえ馬鹿にはされない肩や腕の力がある。あんなひょろひょろした若造にくらべては 何と云ってもおみちにはおれのほうが勝ち目がある。
23 くしゃくしゃ (・・・ こう云うごとほんと云うごそ実ぁあるづもんだ。な。好ぎだべ。) おみちは子供のようにうなずいた。 嘉吉はまだくしゃくしゃ 泣いておどけたような顔をしたおみちを抱いて こっそり 耳へささやいた。
24 こっそり (・・・ こう云うごとほんと云うごそ実ぁあるづもんだ。な。好ぎだべ。) おみちは子供のようにうなずいた。 嘉吉はまだくしゃくしゃ 泣いておどけたような顔をしたおみちを抱いて こっそり 耳へささやいた。
25 どかどか おみちの胸はこの悪魔のささやきにどかどか 鳴った。それからいきなり嘉吉をとび退いて、 (何云うべ、この人あ、人ばがにして。)そして爽かに笑った。
26 ごろり 嘉吉もごろり と寝そべって天井を見ながら何べんも笑った。
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kacho      
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家長制度

1 どっしり 火皿は油煙をふりみだし、炉の向ふにはここの主人が、大黒柱を二きれみじかく切って投げたといふふうにどっしり がたりと膝をそろへて座ってゐる。
2 がたり 火皿は油煙をふりみだし、炉の向ふにはここの主人が、大黒柱を二きれみじかく切って投げたといふふうにどっしり がたりと膝をそろへて座ってゐる。
3 がらん その息子らがさっき音なく外の闇から帰ってきた。肩はばひろくけらを着て、 汗ですっかり寒天みたいに黒びかりする四匹か五匹の巨きな馬をがらん とくらい厩のなかへ引いて入れ、
4 こっそり なにかいろいろまじなひみたいなことをしたのち土間でこっそり飯をたべ、そのまゝころころ 藁のなかだか草のなかだかうまやのちかくに寝てしまったのだ。
5 ころころ なにかいろいろまじなひみたいなことをしたのち土間でこっそり飯をたべ、そのまゝころころ 藁のなかだか草のなかだかうまやのちかくに寝てしまったのだ。
6 ガタリ 火皿が黒い油煙を揚げるその下で、一人の女が何かしきりにこしらへてゐる。 酒呑童子に連れて来られて洗濯などをさせられてゐるそんなかたちではたらいてゐる。 どうも私の食事の支度をしてゐるらしい。それならさっきもことわったのだ。 いきなりガタリと音がする。 重い陶器の皿などがすべって床にあたったらしい。
7 しん 主人がだまって、立ってそっちへあるいて行った。 三秒ばかりしんとする。 主人はもとの席へ帰ってどしりと座る。 どうも女はぶたれたらしい。音もさせずに撲ったのだな。
8 どしり 主人がだまって、立ってそっちへあるいて行った。 三秒ばかりしんとする。 主人はもとの席へ帰ってどしりと座る。 どうも女はぶたれたらしい。音もさせずに撲ったのだな。
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kaeru      
k 2
蛙のゴム靴

蛙のゴム靴
1 プクプク ある夏の暮れ方、カン蛙ブン蛙ベン蛙の三疋は、・・・ 雲見ということをやって居りました。・・・ じっさいあのまっしろなプクプクした、玉髄のような、玉あられのような、 又蛋白石を刻んでこさえた葡萄の置物のような雲の峯は、誰の目にも立派に見えますが、 蛙どもには殊にそれが見事なのです。
2 だんだん 雲の峰はだんだん 崩れてあたりはよほどうすくらくなりました。 「この頃、ヘロンの方ではゴム靴がはやるね。」ヘロンというのは蛙語です。人間ということです。 「うん。よくみんなはいてるようだね。」「僕たちもほしいもんだな。」
3 ギッギッ あとでカン蛙は腕を組んで考えました。桔梗色の夕暗の中です。 しばらくしばらくたってからやっと「をギッギッ 」と二声ばかり鳴きました。そして草原を ぺたぺた歩いて畑にやって参りました
4 ひょこり 「野鼠さん、野鼠さん。もうし、もうし。」と呼びました。 「ツン。」と野鼠は返事をして、ひょこり と蛙の前に出て来ました。そのうすぐろい顔も、もう見えないくらい暗いのです。 「野鼠さん。今晩は。一つお前さんに頼みがあるんだが、・・・」・・・  「・・・ ゴム靴を一足工夫して呉れないか。・・・ 」 「ああ、いいとも。明日の晩までにはきっと持って来てあげよう。」
5 ぺたぺた あとでカン蛙は腕を組んで考えました。桔梗色の夕暗の中です。 しばらくしばらくたってからやっと「をギッギッ 」と二声ばかり鳴きました。そして草原を ぺたぺた歩いて畑にやって参りました
6 とろん 野鼠はいかにも疲れたらしく、目を とろんとして、 はぁあとため息をついて、 それに何だか大へん憤って出て来ましたが、いきなり小さなゴム靴をカン蛙の前に投げ出しました。 「そら、カン蛙さん。取ってお呉れ。ひどい難儀をしたよ。・・・」
7 はぁあ 野鼠はいかにも疲れたらしく、目を とろんとして、 はぁあとため息をついて、 それに何だか大へん憤って出て来ましたが、いきなり小さなゴム靴をカン蛙の前に投げ出しました。 「そら、カン蛙さん。取ってお呉れ。ひどい難儀をしたよ。・・・」
8 むずむず けれどもカン蛙は、その立派なゴム靴を見ては、もう嬉しくて嬉しくて、 口がむずむず云うのでした。
9 にたにた 早速それを叩いたり引っぱったりして、丁度自分の足に合うようにこしらえ直し、 にたにた笑いながら足にはめ、その晩一ばん中歩きまわり、暁方になってから、 ぐったり疲れて自分の家に帰りました。そして睡りました。
10 ぐったり 早速それを叩いたり引っぱったりして、丁度自分の足に合うようにこしらえ直し、 にたにた笑いながら足にはめ、その晩一ばん中歩きまわり、暁方になってから、 ぐったり疲れて自分の家に帰りました。そして睡りました。
11 すっすっ 「お父さんが、おむこさんを探して来いって。」娘の蛙は顔を少し平ったくしました。 「僕なんかはどうかなあ。」ベン蛙が云いました。「あるいは僕なんかもいいかもしれないな。」 ブン蛙が云いました。ところがカン蛙は一言も物を云わずに、すっすっとそこらを歩いていたばかりです。
12 ぱちぱち 「あら、あたしもうきめたわ。」「誰にさ?」二疋は眼を ぱちぱちさせました。  カン蛙はまだすっすっと歩いています。
13 けろん 「おいカン君、お嬢さんがきみにきめたとさ。」「何をさ?」カン蛙は けろんとした顔つきをしてこっちを向きました。
14 ぶりぶり ベン蛙とブン蛙はぶりぶり怒って、いきなりくるりとうしろを向いて帰ってしまいました。 しゃくにさわったまぎれに、あの林の下の堰を、ただ二足にちぇっちぇっと泳いだのでした。
15 くるり ベン蛙とブン蛙はぶりぶり怒って、いきなりくるりとうしろを向いて帰ってしまいました。 しゃくにさわったまぎれに、あの林の下の堰を、ただ二足にちぇっちぇっと泳いだのでした。
16 ちぇっちぇっ ベン蛙とブン蛙はぶりぶり怒って、いきなりくるりとうしろを向いて帰ってしまいました。 しゃくにさわったまぎれに、あの林の下の堰を、ただ二足にちぇっちぇっと泳いだのでした。
17 ガアガア ところがその夜明方から朝にかけて、いよいよ雨が降りはじめました。 林はガアガアと鳴り、カン蛙のうちの前のつめくさは、うす濁った水をかぶってぼんやりとかすんで見えました。
18 ピチャン カン蛙は、けれども一本のたでから、ピチャンと水に飛び込んで、ツイツイツイツイ泳ぎました。
19 ツイツイツイツイ カン蛙は、けれども一本のたでから、ピチャンと水に飛び込んで、ツイツイツイツイ泳ぎました。
20 ずんずん それから苔の上をずんずん通り、幾本もの虫のあるく道を横切って、大粒の雨にうたれゴム靴をピチャピチャ云わせながら、 楢の木の下のブン蛙のおうちに来て高く叫びました。
21 ピチャピチャ それから苔の上をずんずん通り、幾本もの虫のあるく道を横切って、大粒の雨にうたれゴム靴をピチャピチャ云わせながら、 楢の木の下のブン蛙のおうちに来て高く叫びました。
22 プイプイ 「さよならね。」そしてカン蛙は又ピチャピチャ林の中を歩き、 プイプイ堰を泳いで、おうちに帰ってやっと安心しました。
23 ぐいぐい 「いいや折角来たんだもの。も少し行こう。そら歩きたまえ。」 二疋は両方からぐいぐいカン蛙の手をひっぱって、 自分たちも足の痛いのを我慢しながらぐんぐん 萱の刈跡をあるきました。
24 ぐんぐん 「いいや折角来たんだもの。も少し行こう。そら歩きたまえ。」 二疋は両方からぐいぐいカン蛙の手をひっぱって、 自分たちも足の痛いのを我慢しながらぐんぐん 萱の刈跡をあるきました。
25 ボロボロ 実際ゴム靴はもうボロボロになって、カン蛙の足からあちこちにちらばって、無くなりました。
26 むにゃむにゃ カン蛙はなんとも言えないうらめしそうな顔をして、口をむにゃむにゃ やりました。実はこれは歯を食いしばるところなのですが、 歯がないのですからむにゃむにゃやるより仕方ないのです。
27 しぶしぶ 「君、あんまり力を落さない方がいいよ。靴なんかもうあったってないったって、 お嫁さんは来るんだから。」「もう時間だろう。帰ろう。帰って待ってようか。ね。君。」  カン蛙はふさぎこみながらしぶしぶ あるき出しました。
28 パチパチ お父さんにあたるがん郎がえるが、「こりゃ、むすめ、むこどのはあの三人の中のどれじゃ。」 とルラ蛙をふりかえってたずねました。ルラ蛙は、小さな目をパチパチ させました。というわけは、はじめカン蛙を見たときは、 実はゴム靴のほかにはなんにも気を付けませんでしたので、・・・
29 ガサリ カン蛙も仕方なく、ルラ蛙もつれて、新婚旅行に出かけました。・・・  両方から手をとって、・・・ 無理にカン蛙を穴の上にひっぱり出しました。 するとカン蛙の載った木の葉がガサリ と鳴り、カン蛙はふらふら っと一寸ばかりのめり込みました。
30 ふらふら カン蛙も仕方なく、ルラ蛙もつれて、新婚旅行に出かけました。・・・  両方から手をとって、・・・ 無理にカン蛙を穴の上にひっぱり出しました。 するとカン蛙の載った木の葉がガサリ と鳴り、カン蛙はふらふら っと一寸ばかりのめり込みました。
31 ピタリ ブン蛙とベン蛙がくるりと外の方を向いて逃げようとしましたが、 カン蛙がピタリ と両方共とりついてしまいましたので二疋のふんばった足がぷるぷるっとけいれんし、 そのつぎにはとうとう「ポトン バチャン。」三疋とも、 杭穴の底の泥水の中に陥ちてしまいました。
32 ぷるぷる ブン蛙とベン蛙がくるりと外の方を向いて逃げようとしましたが、 カン蛙がピタリ と両方共とりついてしまいましたので二疋のふんばった足がぷるぷるっとけいれんし、 そのつぎにはとうとう「ポトン バチャン。」三疋とも、 杭穴の底の泥水の中に陥ちてしまいました。
33 ポトン ブン蛙とベン蛙がくるりと外の方を向いて逃げようとしましたが、 カン蛙がピタリ と両方共とりついてしまいましたので二疋のふんばった足がぷるぷるっとけいれんし、 そのつぎにはとうとう「ポトン バチャン。」三疋とも、 杭穴の底の泥水の中に陥ちてしまいました。
34 バチャン ブン蛙とベン蛙がくるりと外の方を向いて逃げようとしましたが、 カン蛙がピタリ と両方共とりついてしまいましたので二疋のふんばった足がぷるぷるっとけいれんし、 そのつぎにはとうとう「ポトン バチャン。」三疋とも、 杭穴の底の泥水の中に陥ちてしまいました。
35 ぐるぐるぐるぐる そこでルラ蛙はまたもとのところへ走ってきてまわりを ぐるぐるぐるぐるまわって泣きました。 そのうちだんだん夜になりました。パチャパチャパチャパチャ。 ルラ蛙はまたお父さんのところへ行きました。
36 パチャパチャパチャパチャ そこでルラ蛙はまたもとのところへ走ってきてまわりを ぐるぐるぐるぐるまわって泣きました。 そのうちだんだん夜になりました。パチャパチャパチャパチャ。 ルラ蛙はまたお父さんのところへ行きました。
37 ぴちゃ お父さんの蛙は落ちないように気をつけながら耳を穴の口へつけて音をききましたら、 かすかにぴちゃという音がしました。 「占めた」と叫んでお父さんは急いで帰って仲間の蛙をみんなつれて来ました。 そして林の中からひかげのかつらをとって来てそれを穴の中につるして、 とうとう一ぴきずつ穴からひきあげました。
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貝の火

貝の火
1 ぴんぴん 今は兎たちは、みんなみじかい茶色の着物です。  野原の草はきらきら光り、あちこちの樺の木は白い花をつけました。・・・  子兎のホモイは、悦んでぴんぴん踊りながら申しました。「ふん、いいにおいだなあ。うまいぞ、うまいぞ、鈴蘭なんかまるでパリパリだ」
2 パリパリ 今は兎たちは、みんなみじかい茶色の着物です。  野原の草はきらきら光り、あちこちの樺の木は白い花をつけました。・・・  子兎のホモイは、悦んでぴんぴん踊りながら申しました。「ふん、いいにおいだなあ。うまいぞ、うまいぞ、鈴蘭なんかまるでパリパリだ」
3 しゃりんしゃりん 風が来たので鈴蘭は、葉や花を互いにぶっつけて、しゃりんしゃりんと鳴りました。ホモイはもううれしくて、息もつかずにぴょんぴょん 草の上をかけ出しました。
4 ほくほく それからホモイはちょっと立ちどまって、腕を組んでほくほくしながら、「まるで僕は川の波の上で芸当をしているようだぞ」と言いました。
5 こぼんこぼん 本当にホモイは、いつか小さな流れの岸まで来ておりました。そこには冷たい水がこぼんこぼんと音をたて、底の砂がピカピカ光っています。
6 ピカピカ 本当にホモイは、いつか小さな流れの岸まで来ておりました。そこには冷たい水がこぼんこぼんと音をたて、底の砂がピカピカ光っています。
7 もじゃもじゃ すると不意に流れの上の方から、「ブルルル、ピイ、ピイ、ピイ、ピイ、ブルルル、 ピイ、ピイ、ピイ、ピイ」とけたたましい声がして、うす黒いもじゃもじゃ した鳥のような形のものが、ばたばたばたばた もがきながら、流れて参りました。
8 ばたばたばたばた すると不意に流れの上の方から、「ブルルル、ピイ、ピイ、ピイ、ピイ、ブルルル、 ピイ、ピイ、ピイ、ピイ」とけたたましい声がして、うす黒いもじゃもじゃ した鳥のような形のものが、ばたばたばたばた もがきながら、流れて参りました。
9 じっ ホモイは急いで岸にかけよって、じっと待ちかまえました。流されるのは、たしかにやせたひばりの子供です。 ホモイはいきなり水の中に飛び込んで、前あしでしっかりそれをつかまえました。
10 ぎょっ 「大丈夫さ、 大丈夫さ」と言いながら、その子の顔を見ますと、ホモイは ぎょっとしてあぶなく手をはなしそうになりました。それは顔じゅうしわだらけで、 くちばしが大きくて、おまけにどこかとかげに似ているのです。  けれどもこの強い兎の子は、決してその手をはなしませんでした。
11 ピチャピチャ 怖ろしさに口をへの字にしながらも、それをしっかりおさえて、高く水の上にさしあげたのです。  そして二人は、どんどん流されました。するとちょうど、小流れの曲がりかどに、一本の小さな楊の枝が出て、 水をピチャピチャたたいておりました。ホモイはいきなりその枝に、青い皮の見えるくらい深くかみつきました。
12 ガタガタ ひばりの子は草の上に倒れて、目を白くしてガタガタ顫《ふる》えています。
13 よろよろ ホモイも疲れでよろよろしましたが、無理にこらえて、楊の白い花をむしって来て、ひばりの子にかぶせてやりました。 ひばりの子は、ありがとうと言うようにその鼠色の顔をあげました。
14 ぞっ ホモイはそれを見るとぞっとして、いきなり跳び退きました。そして声をたてて逃げました。  その時、空からヒュウと矢のように降りて来たものがあります。ホモイは立ちどまって、 ふりかえって見ると、それは母親のひばりでした。 母親のひばりは、物も言えずにぶるぶる顫《ふる》えながら、子供のひばりを強く強く抱いてやりました。 ホモイはもう大丈夫と思ったので、いちもくさんにおとうさんのお家へ走って帰りました。
15 ヒュウ ホモイはそれを見るとぞっとして、いきなり跳び退きました。そして声をたてて逃げました。  その時、空からヒュウと矢のように降りて来たものがあります。ホモイは立ちどまって、 ふりかえって見ると、それは母親のひばりでした。 母親のひばりは、物も言えずにぶるぶる顫《ふる》えながら、子供のひばりを強く強く抱いてやりました。 ホモイはもう大丈夫と思ったので、いちもくさんにおとうさんのお家へ走って帰りました。
16 ぐるぐる 「おっかさん、僕ね、もじゃもじゃの鳥の子のおぼれるのを助けたんです」とホモイが言いました。  兎のお母さんは箱から万能散を一服出してホモイに渡して、  「もじゃもじゃの鳥の子って、ひばりかい」と尋ねました。  ホモイは薬を受けとって、「たぶんひばりでしょう。ああ頭がぐるぐるする。おっかさん、まわりが変に見えるよ」と言いながら、そのまま バッタリ倒れてしまいました。ひどい熱病にかかったのです。
17 バッタリ 「おっかさん、僕ね、もじゃもじゃの鳥の子のおぼれるのを助けたんです」とホモイが言いました。  兎のお母さんは箱から万能散を一服出してホモイに渡して、  「もじゃもじゃの鳥の子って、ひばりかい」と尋ねました。  ホモイは薬を受けとって、「たぶんひばりでしょう。ああ頭がぐるぐるする。おっかさん、まわりが変に見えるよ」と言いながら、そのまま バッタリ倒れてしまいました。ひどい熱病にかかったのです。
18 ブルルッ ホモイは、ある雲のない静かな晩、はじめてうちからちょっと出てみました。  南の空を、赤い星がしきりにななめに走りました。ホモイはうっとりそれを見とれました。 すると不意に、空でブルルッとはねの音がして、二疋の小鳥が降りて参りました。  大きい方は、まるい赤い光るものを大事そうに草におろして、うやうやしく手をついて申しました。 「ホモイさま。あなたさまは私ども親子の大恩人でございます」
19 ちらちら 「私どもは毎日この辺を飛びめぐりまして、あなたさまの外へお出なさいますのをお待ちいたしておりました。 これは私どもの王からの贈物でございます」と言ながら、ひばりはさっきの赤い光るものをホモイの前に出して、 ・・・ 中では赤い火がちらちら 燃えているのです。 ひばりの母親がまた申しました。「これは貝の火という宝珠でございます。 王さまのお言伝ではあなた様のお手入れしだいで、この珠はどんなにでも立派になると申します。 どうかお納めをねがいます」
20 ちらりちらり ホモイは玉を取りあげて見ました。玉は赤や黄の焔をあげて、 せわしくせわしく燃えているように見えますが、実はやはり冷たく美しく澄んでいるのです。 目にあてて空にすかして見ると、もう焔はなく、天の川が奇麗にすきとおっています。 目からはなすと、またちらりちらり 美しい火が燃えだします。
21 そっ ホモイはそっ と玉をささげて、おうちへはいりました。そしてすぐお父さんに見せました。 すると兎のお父さんが玉を手にとって、めがねをはずしてよく調べてから申しました。  「これは有名な貝の火という宝物だ。これは大変な玉だぞ。 これをこのまま一生満足に持っている事のできたものは今までに鳥に二人魚に一人あっただけだという話だ。 お前はよく気をつけて光をなくさないようにするんだぞ」
22 コロリ 兎のおとうさんが申しました。  「そうだ。それは名高いはなしだ。お前もきっと鷲の大臣のような名高い人になるだろう。 よくいじわるなんかしないように気をつけないといけないぞ」ホモイはつかれてねむくなりました。 そして自分のお床にコロリと横になって言いました。「大丈夫だよ。僕なんかきっと立派にやるよ。 玉は僕持って寝るんだからください」・・・  その晩の夢の奇麗なことは、黄や緑の火が空で燃えたり、野原が一面黄金の草に変ったり、・・・ 
23 もくもく ホモイは玉をのぞいて、ひとりごとを言いました。「見える、見える。あそこが噴火口だ。 そら火をふいた。ふいたぞ。おもしろいな。まるで花火だ。おや、おや、おや、火がもくもく湧いている。
24 にこにこ おとうさんはもう外へ出ていました。おっかさんがにこにこして、 おいしい白い草の根や青いばらの実を持って来て言いました。  「さあ早くおかおを洗って、今日は少し運動をするんですよ。どれちょっとお見せ。 まあ本当に奇麗だね。・・・」
25 バラバラ 風が吹いて草の露がバラバラとこぼれます。つりがねそうが朝の鐘を、「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」 と鳴らしています。
26 ぴょんぴょん ホモイはぴょんぴょん跳んで樺の木の下に行きました。すると向こうから、年をとった野馬がやって参りました。 ホモイは少し怖くなって戻ろうとしますと、馬はていねいにおじぎをして言いました。  「あなたはホモイさまでござりますか。こんど貝の火がお前さまに参られましたそうで 実に祝着に存じまする。あの玉がこの前獣の方に参りましてからもう千二百年たっていると申しまする。 いや、実に私めも今朝そのおはなしを承わりまして、涙を流してござります」
27 ボロボロ 馬はボロボロ泣きだしました。
28 せらせら ホモイはあきれていましたが、馬があんまり泣くものですから、ついつりこまれてちょっと鼻がせらせらしました。 馬は風呂敷ぐらいある浅黄のはんけちを出して涙をふいて申しました。  「あなた様は私どもの恩人でございます。どうかくれぐれもおからだを大事になされてくだされませ」 そして馬はていねいにおじぎをして向こうへ歩いて行きました。
29 ぴょん ホモイは、「大丈夫ですよ。おっかさん、僕ちょっと外へ行って来ます」と言ったままぴょんと野原へ飛び出しました。 するとすぐ目の前をいじわるの狐が風のように走って行きます。
30 ぶるぶる ホモイはぶるぶる顫《ふる》えながら思い切って叫んでみました。  「待て。狐。僕は大将だぞ」狐がびっくりしてふり向いて顔色を変えて申しました。  「へい。存じております。へい、へい。何かご用でございますか」
31 わくわく 「お前はずいぶん僕をいじめたな。今度は僕のけらいだぞ」  狐は卒倒しそうになって、頭に手をあげて答えました。  「へい、お申し訳もございません。どうかお赦しをねがいます」ホモイはうれしさに わくわくしました。  「特別に許してやろう。お前を少尉にする。よく働いてくれ」
32 くるくる 「へいへい。これからは決していたしません。なんでもおいいつけを待っていたします」  ホモイは言いました。「そうだ。用があったら呼ぶからあっちへ行っておいで」狐は くるくるまわっておじぎをして向こうへ行ってしまいました。
33 だんだん 次の日ホモイは、お母さんに言いつけられて笊を持って野原に出て、 鈴蘭の実を集めながらひとりごとを言いました。  「ふん、大将が鈴蘭の実を集めるなんておかしいや。誰かに見つけられたらきっと笑われるばかりだ。 狐が来るといいがなあ」すると足の下がなんだかもくもくしました。 見るとむぐらが土をくぐってだんだん向こうへ行こうとします。
34 びくびく むぐらが土の中で言いました。「ホモイさんでいらっしゃいますか。よく存じております」  ホモイは大いばりで言いました。「そうか。そんならいいがね。僕、お前を軍曹にするよ。そのかわり少し働いてくれないかい」  むぐらはびくびくして尋ねました。  「へいどんなことでございますか」ホモイがいきなり、「鈴蘭の実を集めておくれ」と言いました。
35 ばたばた むぐらは、「どうかご免をねがいます。私は長くお日様を見ますと死んでしまいますので」 としきりにおわびをします。ホモイは足をばたばた して、「いいよ。もういいよ。だまっておいで」と言いました。
36 ちょろちょろ その時向こうのにわとこの陰からりすが五疋ちょろちょろ出て参りました。
37 ぴょこぴょこ そしてホモイの前にぴょこぴょこ頭を下げて申しました。「ホモイさま、どうか私どもに鈴蘭の実をお採らせくださいませ」
38 きゃっきゃっ ホモイが、「いいとも。さあやってくれ。お前たちはみんな僕の少将だよ」りすが きゃっきゃっ悦んで仕事にかかりました。
39 しゃりんしゃりん 今日もよいお天気です。けれども実をとられた鈴蘭は、もう前のように しゃりんしゃりんと葉を鳴らしませんでした。
40 パチパチ 狐がまた向こうから走って来ました。そして、  「さあおあがりなさい。・・・」と言いながら盗んで来た角パンを出しました。  ホモイはちょっとたべてみたら、実にどうもうまいのです。・・・  「それでは毎日きっと三つずつ持って来ておくれ。ね」狐がいかにもよくのみこんだというように目を パチパチさせて言いました。 「へい。よろしゅうございます。そのかわり私の鶏をとるのを、あなたがとめてはいけませんよ」
41 むちゃくちゃ ホモイが、「お父さん。いいものを持った来ましたよ。あげましょうか。 まあちょっとたべてごらんなさい」と言いながら角パンを出しました。 「お前はこんなものを狐にもらったな。これは盗んで来たもんだ。こんなものをおれは食べない」 そしておとうさんは、も一つホモイのお母さんにあげようと持っていた分も、 いきなり取りかえして自分のといっしょに土に投げつけて むちゃくちゃにふみにじってしまいました。
42 わっ ホモイはわっと泣きだしました。 兎のお母さんもいっしょに泣きました。お父さんがあちこち歩きながら、  「ホモイ、お前はもう駄目だ。玉を見てごらん。もうきっと砕けているから」と言いました。  お母さんが泣きながら函を出しました。玉はお日さまの光を受けて、まるで天上に昇って行きそうに美しく燃えました。  お父さんは玉をホモイに渡してだまってしまいました。ホモイも玉を見ていつか涙を忘れてしまいました。
43 とんとん ホモイは、「うん、毒むしなら少しいじめてもよかろう」と言いました。 狐は、しばらくあちこち地面を嗅いだり、とんとんふんでみたりしていましたが、とうとう一つの大きな石を起こしました。
44 どんどん するとその下にむぐらの親子が八疋かたまってぶるぶるふるえておりました。狐が、  「さあ、走れ、走らないと、噛み殺すぞ」といって足をどんどんしました。
45 シッシッ いちばん小さな子はもうあおむけになって気絶したようです。狐ははがみをしました。 ホモイも思わず、「シッシッ」と言って足を鳴らしました。その時、「こらっ、何をする」と言》う大きな声がして、 狐がくるくると四遍ばかりまわって、やがていちもくさんに逃げました。見るとホモイのお父さんが来ているのです。
46 ぐんぐん お父さんは、急いでむぐらをみんな穴に入れてやって、上へもとのように石をのせて、 それからホモイの首すじをつかんで、ぐんぐんおうちへ引いて行きました。 ・・・ 「ホモイ。お前はもう駄目だぞ。今日こそ貝の火は砕けたぞ。出して見ろ」
47 ジメジメ 次の朝ホモイはまた野に出ました。今日は陰気な霧がジメジメ 降っています。木も草もじっと黙り込みました。 ぶなの木さえ葉をちらっ とも動かしません。
48 ちらっ 次の朝ホモイはまた野に出ました。今日は陰気な霧がジメジメ 降っています。木も草もじっと黙り込みました。 ぶなの木さえ葉をちらっ とも動かしません。
49 どきどき 狐はどこから持って来たか大きな硝子箱を・・・   本当にその中には、かけすと鶯と紅雀と、ひわと、四疋はいって ばたばたしておりました。鶯が硝子越しに申しました。「ホモイさん。どうかあなたのお力で助けてやってください。 ・・・」ホモイはすぐ箱を開こうとしました。すると、狐が・・・どなりました。  「ホモイ。気をつけろ。その箱に手でもかけてみろ。食い殺すぞ。泥棒め」  ホモイはこわくなってしまって、いちもくさんにおうちへ帰りました。・・・   ホモイはあまり胸がどきどきするので、 あの貝の火を見ようと函を出して蓋を開きました。
50 フッフッ それはやはり火のように燃えておりました。けれども気のせいか、 一所小さな小さな針でついたくらいの白い曇りが見えるのです。  ホモイはどうもそれが気になってしかたありませんでした。 そこでいつものように、フッフッと息をかけて、 紅雀の胸毛で上を軽くこすりました。けれども、どうもそれがとれないのです。
51 ポシャポシャ ホモイは泣きながら狐の網のはなしをお父さんにしました。・・・  お前はいのちがけで狐とたたかうんだぞ。もちろんおれも手伝う」ホモイは泣いて立ちあがりました。・・・  霧がポシャポシャ降って、もう夜があけかかっています。
52 とうとう 「待てこら」とホモイのお父さんがガラスの箱を押えたので、狐はよろよろして、 とうとう函を置いたまま逃げて行ってしまいました。 見ると箱の中に鳥が百疋ばかり、みんな泣いていました。・・・  ホモイのお父さんは蓋をあけました。鳥がみんな飛び出して地面に手をついて・・・   「ありがとうございます。・・・ 」するとホモイのお父さんが申しました。  「どういたしまして、私どもは面目次第もございません。 あなた方の王さまからいただいた玉をとうとう曇らしてしまったのです」
53 ぞろぞろ 「さあどうぞ」と言いながらホモイのお父さんは、みんなをおうちの方へ案内しました。 鳥はぞろぞろついて行きました。
54 のっそのっそ ホモイはみんなのあとを泣きながらしょんぼりついて行きました。 梟が大股にのっそのっそと歩きながら時々こわい眼をしてホモイをふりかえって見ました。
55 カチッ ホモイのお父さんがただの白い石になってしまった貝の火を取りあげて、  「もうこんなぐあいです。どうかたくさん笑ってやってください」と言うとたん、貝の火は鋭く カチッ と鳴って二つに割れました。
56 パチパチパチ と思うと、 パチパチパチ ッとはげしい音がして見る見るまるで煙のように砕けました。
57 アッ ホモイが入口で アッ と言って倒れました。目にその粉がはいったのです。
58 ピチピチピチ みんなは驚いてそっちへ行こうとしますと、今度はそこらに ピチピチピチ と音がして煙がだんだん集まり、やがて立派ないくつかのかけらになり、 おしまいにカタッと二つかけらが組み合って、 すっかり昔の貝の火になりました。
59 カタッ みんなは驚いてそっちへ行こうとしますと、今度はそこらに ピチピチピチ と音がして煙がだんだん集まり、やがて立派ないくつかのかけらになり、 おしまいにカタッと二つかけらが組み合って、 すっかり昔の貝の火になりました。
60 ヒュー 玉はまるで噴火のように燃え、夕日のようにかがやき、ヒューと音を立てて窓から外の方へ飛んで行きました。
61 じろじろ 鳥はみんな興をさまして、一人去り二人去り今はふくろうだけになりました。 ふくろうはじろじろ室の中を見まわしながら、「たった六日だったな。ホッホ   たった六日だったな。ホッホ」とあざ笑って、肩をゆすぶって大股に出て行きました。
62 きらきら 「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。 目はきっとまたよくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな」 窓の外では霧が晴れて鈴蘭の葉がきらきら光り、つりがねそうは、「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」 と朝の鐘を高く鳴らしました。
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カイロ団長

カイロ団長
1 すぱすぱ 朝は、黄金色のお日さまの光が、 とうもろこしの影法師を二千六百寸も遠くへ投げ出すころからさっぱりした空気をすぱすぱ吸って働き出し、夕方は、 お日さまの光が木や草の緑を飴色にうきうき させるまで歌ったり笑ったり叫んだりして仕事をしました。
2 うきうき 朝は、黄金色のお日さまの光が、 とうもろこしの影法師を二千六百寸も遠くへ投げ出すころからさっぱりした空気をすぱすぱ吸って働き出し、夕方は、 お日さまの光が木や草の緑を飴色にうきうき させるまで歌ったり笑ったり叫んだりして仕事をしました。
3 ぞろぞろ ところがある日三十疋のあまがえるが、・・・ 本部へ引きあげる途中で、 新らしい店が一軒出ていました。そして看板がかかって、「舶来ウェスキイ一杯、二厘半」と書いてありました。 あまがえるは珍らしいものですから、ぞろぞろ 店の中へはいって行きました。
4 べろべろ すると店にはうすぐろいとのさまがえるが、のっそりとすわって退くつそうにひとりで べろべろ 舌を出して遊んでいましたが、みんなの来たのを見て途方もないいい声で云いました。 「へい、いらっしゃい。みなさん。一寸おやすみなさい。」
5 ケホン、ケホン 「いや、ありがとう、ウーイ、 ケホン、ケホン 、ウーイうまいね。どうも。」さてこんな工合で、あまがえるはお代りお代りで、 沢山お酒を呑みましたが、呑めば呑むほどもっと呑みたくなります。
6 キーイキーイ そのうちにあまがえるは、だんだん酔がまわって来て、 あっちでもこっちでも、キーイキーイ といびきをかいて寝てしまいました。 とのさまがえるはそこでにやり と笑って、いそいですっかり店をしめて、・・・
7 にやり そのうちにあまがえるは、だんだん酔がまわって来て、 あっちでもこっちでも、キーイキーイ といびきをかいて寝てしまいました。 とのさまがえるはそこでにやり と笑って、いそいですっかり店をしめて、・・・
8 ぴたん とのさまがえるは次の室の戸を開いてその閉口したあまがえるを押し込んで、 戸をぴたん としめました。そしてにやりと笑って、又どっしり と椅子へ座りました。
9 どっしり とのさまがえるは次の室の戸を開いてその閉口したあまがえるを押し込んで、 戸をぴたん としめました。そしてにやりと笑って、又どっしり と椅子へ座りました。
10 キーキー とのさまがえるはあまがえるを又次の室に追い込みました。 それから又どっかりと椅子へかけようとしましたが何か考えついたらしく、いきなりキーキー いびきをかいているあまがえるの方へ進んで行って・・・
11 にこにこにこにこ とのさまがえるは、よろこんで、にこにこにこにこ 笑って、棒を取り直し、 片っぱしからあまがえるの緑色の頭をポンポンポンポン たたきつけました。
12 ポンポンポンポン とのさまがえるは、よろこんで、にこにこにこにこ 笑って、棒を取り直し、 片っぱしからあまがえるの緑色の頭をポンポンポンポン たたきつけました。
13 ひょろひょろ 四方八方から、飛びかかりましたが、何分とのさまがえるは三十がえる力あるのですし、 くさりかたびらは着ていますし、それにあまがえるはみんな舶来ウェスキーでひょろひょろ してますから、片っぱしから ストンストンと投げつけられました。
14 ストンストン 四方八方から、飛びかかりましたが、何分とのさまがえるは三十がえる力あるのですし、 くさりかたびらは着ていますし、それにあまがえるはみんな舶来ウェスキーでひょろひょろ してますから、片っぱしから ストンストンと投げつけられました。
15 もじゃもじゃ おしまいにはとのさまがえるは、十一疋のあまがえるを、もじゃもじゃ堅めて、ぺちゃんと投げつけました。あまがえるはすっかり恐れ入って、ふるえて、 すきとおる位青くなって、その辺に平伏いたしました。
16 ぺちゃん おしまいにはとのさまがえるは、十一疋のあまがえるを、もじゃもじゃ堅めて、ぺちゃんと投げつけました。あまがえるはすっかり恐れ入って、ふるえて、 すきとおる位青くなって、その辺に平伏いたしました。
17 ふうふう あまがえるは一同ふうふうと息をついて顔を見合せるばかりです。
18 キー 「・・・ お前たちの仲間は、・・・  おれのけらいになるという約束をしたがお前たちはどうじゃ。」 この時です、・・・ 向うの室の中の二疋が戸のすきまから目だけ出してキー と低く鳴いたのは。・・・ そこでとのさまがえるは、 「いいか。この団体はカイロ団ということにしよう。わしはカイロ団長じゃ。・・・」
19 スポン 貴様らはみんな死刑になるぞ。その太い首をスポンと切られるぞ。首が太いからスポンとはいかない、シュッポォンと切られるぞ。
20 シュッポォン 貴様らはみんな死刑になるぞ。その太い首をスポンと切られるぞ。首が太いからスポンとはいかない、シュッポォンと切られるぞ。
21 ぶるぶるぶる あまがえるどもは緑色の手足をぶるぶるぶるっとけいれんさせました。そしてこそこそこそこそ、 逃げるようにおもてに出てひとりが三十三本三分三厘強ずつという見当で、 一生けん命いい木をさがしましたが、
22 ひょいひょい 大体もう前々からさがす位さがしてしまっていたのですから、 いくらそこらをみんながひょいひょい かけまわっても、夕方までにたった九本しか見つかりませんでした。
23 うろうろうろうろ さあ、あまがえるはみんな泣き顔になって、うろうろうろうろ やりましたがますますどうもいけません。
24 ケッケッケッケ 蟻はこれを聞いて「ケッケッケッケ」と大笑いに笑いはじめました。それから申しました。
25 くらくら そこでみんなは粟つぶのコップで舶来ウィスキーを一杯ずつ呑んで、 くらくら、キーイキーイと、ねむってしまいました。
26 ぶんぶん ところが丁度幸に花のたねは雨のようにこぼれていましたし蜂もぶんぶん鳴いていましたのであまがえるはみんなしゃがんで一生けん命ひろいました。
27 クゥウ、クゥウ ところがあまがえるの目方が何匁あるかと云ったら、たかが八匁か九匁でしょう。 それが一日に一人で九百貫の石を運ぶなどはもうみんな考えただけでめまいを起してクゥウ、クゥウと鳴ってばたりばたり倒れてしまったことは全く無理もありません。
28 ばたりばたり ところがあまがえるの目方が何匁あるかと云ったら、たかが八匁か九匁でしょう。 それが一日に一人で九百貫の石を運ぶなどはもうみんな考えただけでめまいを起してクゥウ、クゥウと鳴ってばたりばたり倒れてしまったことは全く無理もありません。
29 コツンコツン とのさまがえるは早速例の鉄の棒を持ち出してあまがえるの頭をコツンコツンと叩いてまわりました。あまがえるはまわりが青くくるくるするように思いながら仕事に出て行きました。
30 くるくる とのさまがえるは早速例の鉄の棒を持ち出してあまがえるの頭をコツンコツンと叩いてまわりました。あまがえるはまわりが青くくるくるするように思いながら仕事に出て行きました。
31 くるりくるり お日さまさえ、ずうっと遠くの天の隅のあたりで、三角になってくるりくるり とうごいているように見えたのです。
32 チクチクチクチク みんなあんまり一生けん命だったので、汗がからだ中チクチクチクチク出て、からだはまるでへたへた風のようになり、世界はほとんどまっくらに見えました。
33 へたへた みんなあんまり一生けん命だったので、汗がからだ中チクチクチクチク出て、からだはまるでへたへた風のようになり、世界はほとんどまっくらに見えました。
34 ブルブル 今度は、とのさまがえるは、だんだん色がさめて、飴色にすきとおって、そしてブルブル ふるえて参りました。
35 テクテク カイロ団長は、はやしにつりこまれて、五へんばかり足をテクテクふんばってつなを引っ張りましたが、石はびくとも動きません。
36 キクッ とのさまがえるは又四へんばかり足をふんばりましたが、おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲ってしまいました。
37 くにゃり とのさまがえるは又四へんばかり足をふんばりましたが、おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲ってしまいました。
38 とんとん そこであまがえるは、みんな走り寄って、とのさまがえるに水をやったり、 曲った足をなおしてやったり、 とんとんせなかをたたいたりいたしました。
39 ホロホロ とのさまがえるはホロホロ悔悟のなみだをこぼして、「ああ、みなさん、私がわるかったのです。 私はもうあなた方の団長でもなんでもありません。私はやっぱりただの蛙です。あしたから仕立屋をやります。」 あまがえるは、みんなよろこんで、手をパチパチたたきました。
40 パチパチ とのさまがえるはホロホロ悔悟のなみだをこぼして、「ああ、みなさん、私がわるかったのです。 私はもうあなた方の団長でもなんでもありません。私はやっぱりただの蛙です。あしたから仕立屋をやります。」 あまがえるは、みんなよろこんで、手をパチパチたたきました。
41 さらさらさらさら みなさん。あまあがりや、風の次の日、そうでなくてもお天気のいい日に、 畑の中や花壇のかげでこんなようなさらさらさらさら云う声を聞きませんか。
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烏の北斗七星

烏の北斗七星
1 すれすれ つめたいいぢの悪い雲が、地べたにすれすれに垂れましたので、野はらは雪のあかりだか、 日のあかりだか判らないやうになりました。烏の義勇艦隊は、その雲に圧しつけられて、 しかたなくちよつとの間、亜鉛の板をひろげたやうな雪の田圃のうへに横にならんで仮泊といふことをやりました。
2 しゃん どの艦もすこしも動きません。まつ黒くなめらかな烏の大尉、若い艦隊長もしゃんと立つたまゝうごきません。  からすの大監督はなほさらうごきもゆらぎもいたしません。
3 ギイギイ からすの大監督は、もうずゐぶんの年老りです。眼が灰いろになつてしまつてゐますし、 啼くとまるで悪い人形のやうにギイギイ云ひます。
4 だんだんだんだん 二十九隻の巡洋艦、二十五隻の砲艦が、 だんだんだんだん飛びあがりました。おしまひの二隻は、いつしよに出発しました。 こゝらがどうも烏の軍隊の不規律なところです。
5 があがあがあがあ そのとき烏の大監督が、「大砲撃てつ。」と号令しました。艦隊は一斉に、 があがあがあがあ、大砲をうちました。
6 ぷん 大砲をうつとき、片脚をぷんとうしろへ挙げる艦は、この前のニダナトラの戦役での負傷兵で、 音がまだ脚の神経にひびくのです。
7 かぁお 烏の大尉は、矢のやうにさいかちの枝に下りました。その枝に、さつきからじつと停つて、 ものを案じてゐる烏があります。それはいちばん声のいゝ砲艦で、烏の大尉の許嫁でした。 「があがあ、遅くなつて失敬。今日の演習で疲れないかい。」「かぁお、ずゐぶんお待ちしたわ。 いつかうつかれなくてよ。」
8 キイキイ 雲がすつかり消えて、新らしく灼かれた鋼の空に、つめたいつめたい光がみなぎり、小さな星がいくつか聯合して爆発をやり、水車の心棒がキイキイ云ひます。
9 ピチリ たうとう薄い鋼の空に、ピチリ と裂罅《ひび》がはひつて、まつ二つに開き、その裂け目から、 あやしい長い腕がたくさんぶら下つて、烏を握んで空の天井の向ふ側へ持つて行かうとします。・・・  いや、ちがひました。さうぢやありません。  月が出たのです。青いひしげた二十日の月が、東の山から泣いて登つてきたのです。
10 ばたばた 烏の大尉とたゞ二人、ばたばた 羽をならし、たびたび顔を見合せながら、青黒い夜の空を、 どこまでもどこまでものぼつて行きました。
11 ありあり もうマヂエル様と呼ぶ烏の北斗七星が、 大きく近くなつて、その一つの星のなかに生えてゐる青じろい苹果《りんご》の木さへ、 ありあり と見えるころ、どうしたわけか二人とも、急にはねが石のやうにこはばつて、 まつさかさまに落ちかゝりました。
12 うとうと マヂエル様と叫びながら愕ろいて眼をさましますと、ほんたうにからだが枝から落ちかゝつてゐます。 急いではねをひろげ姿勢を直し、大尉の居る方を見ましたが、またいつかうとうとしますと、こんどは山烏が鼻眼鏡などをかけてふたりの前にやつて来て、 大尉に握手しようとします。
13 ピカピカ 大尉が、いかんいかん、と云つて手をふりますと、山烏はピカピカする拳銃を出していきなりずどん と大尉を射殺し、大尉はなめらかな黒い胸を張つて倒れかゝります。 マヂエル様と叫びながらまた愕いて眼をさますといふあんばいでした。
14 ずどん 大尉が、いかんいかん、と云つて手をふりますと、山烏はピカピカする拳銃を出していきなりずどん と大尉を射殺し、大尉はなめらかな黒い胸を張つて倒れかゝります。 マヂエル様と叫びながらまた愕いて眼をさますといふあんばいでした。
15 きっ じぶんもまたためいきをついて、そのうつくしい七つのマヂエルの星を仰ぎながら、 あゝ、あしたの戦でわたくしが勝つことがいゝのか、山烏がかつのがいゝのかそれはわたくしにわかりません、 たゞあなたのお考のとほりです・・・ としづかに祈つて居りました。 ふと遠い冷たい北の方で、なにか鍵でも触れあつたやうなかすかな声がしました。 烏の大尉は夜間双眼鏡を手早く取つて、 きっとそつちを見ました。
16 ぐらぐら 山烏はあわてて枝をけ立てました。そして大きくはねをひろげて北の方へ遁げ出さうとしましたが、 もうそのときは駆逐艦たちはまはりをすつかり囲んでゐました。・・・  山烏は仕方なく足をぐらぐらしながら上の方へ飛びあがりました。大尉はたちまちそれに追ひ付いて、 そのまつくろな頭に鋭く一突き食らはせました。
17 よろよろ 山烏はよろよろつとなつて地面に落ちかゝりました。そこを兵曹長が横からもう一突きやりました。 山烏は灰いろのまぶたをとぢ、あけ方の峠の雪の上につめたく横《よこた》はりました。
18 ほうほう 杜に帰つて烏の駆逐艦は、みなほうほう白い息をはきました。「けがは無いか。誰かけがしたものは無いか。」 烏の大尉はみんなをいたはつてあるきました。
19 ぎらぎら 夜がすつかり明けました。・・・ ついにはそこらいちめん、雪のなかに白百合の花を咲かせました。ぎらぎらの太陽が、かなしいくらゐひかつて、東の雪の丘の上に懸りました。 「観兵式、用意つ、集れい。」大監督が叫びました。
20 ぴかぴか みんなすつかり雪のたんぼにならびました。烏の大尉は列からはなれて、ぴかぴかする雪の上を、足をすくすく延ばしてまつすぐに走つて大監督の前に行きました。
21 すくすく みんなすつかり雪のたんぼにならびました。烏の大尉は列からはなれて、ぴかぴかする雪の上を、足をすくすく延ばしてまつすぐに走つて大監督の前に行きました。
22 ぼろぼろ 「報告、けふあけがた、セピラの峠の上に敵艦の碇泊を認めましたので、本艦隊は直ちに出動、 撃沈いたしました。わが軍死者なし。報告終りつ。」駆逐艦隊はもうあんまりうれしくて、 熱い涙をぼろぼろ雪の上にこぼしました。烏の大監督も、灰いろの眼から泪をながして云ひました。
23 うらうら 烏の新らしい少佐は・・・ (あゝ、マヂエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝやうに早くこの世界がなりますやうに、・・・) マヂエルの星が、ちやうど来てゐるあたりの青ぞらから、 青いひかりがうらうらと湧きました。
24 きらきらきらきら 美しくまつ黒な砲艦の烏は、そのあひだ中、みんなといつしよに、不動の姿勢をとつて列びながら、 始終きらきらきらきら涙をこぼしました。 砲艦長はそれを見ないふりしてゐました。
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karino      
k 6
雁の童子

雁の童子
1 ぎくぎく 一人の巡礼のおじいさんが、やっぱり食事のために、そこへやって来ました。 私はしばらくその老人の、高い咽喉仏のぎくぎく動くのを、見るともなしに見ていました。・・・  私は老人が、もう食事も終りそうなのを見てたずねました。 「失礼ですがあのお堂はどなたをおまつりしたのですか。」
2 ぼうっ ある明方、須利耶さまが鉄砲をもったご自分の従弟のかたとご一緒に、野原を歩いていられました。 地面はごく麗わしい青い石で、空がぼうっ と白く見え、雪もま近でございました。
3 じっ (・・・ 見ろ、向うを雁が行くだろう、おれは仕止めて見せる。)と従弟のかたは鉄砲を構えて、 走って見えなくなりました。須利耶《すりや》さまは、その大きな黒い雁の列を、 じっ と眺めて立たれました。そのとき俄かに向うから、 黒い尖った弾丸が昇って、まっ先きの雁の胸を射ました。・・・ 六発の弾丸が六疋の雁を傷つけまして、 一ばんしまいの小さな一疋だけが、傷つかずに残っていたのでございます。 ・・・ そのとき須利耶さまの愕ろきには、いつか雁がみな空を飛ぶ人の形に変っておりました。
4 しん 須利耶さまはわれにかえって童子に向って云われました。 (お前は今日からおれの子供だ。もう泣かないでいい。お前の前のお母さんや兄さんたちは、 立派な国に昇って行かれた。さあおいで。)須利耶さまはごじぶんのうちへ戻られました。途中の野原は青い石で しん として子供は泣きながら随いて参りました。
5 ちらちら 遠くの氷の山からは、白い何とも云えず瞳を痛くするような光が、日光の中を這ってまいります。 それから果樹がちらちらゆすれ、 ひばりはそらですきとおった波をたてまする。童子は早くも六つになられました。
6 ひらひら 春のある夕方のこと、須利耶さまは雁から来たお子さまをつれて、町を通って参られました。 葡萄いろの重い雲の下を、影法師の蝙蝠がひらひらと飛んで過ぎました。子供らが長い棒に紐をつけて、それを追いました。 (雁の童子だ。雁の童子だ。)子供らは棒を棄て手をつなぎ合って大きな環になり須利耶さま親子を囲みました。
7 どっ 子供らは声を揃えていつものようにはやしまする。  (雁の子、雁の子雁童子、空から須利耶におりて来た。)と斯うでございます。 けれども一人の子供が冗談に申しまするには、(雁のすてご、雁のすてご、春になってもまだ居るか。)  みんなはどっと笑いましてそれからどう云うわけか小さな石が一つ飛んで来て童子の頬を打ちました。
8 ばらばら 須利耶さまは童子をかばってみんなに申されますのには、  おまえたちは何をするんだ、この子供は何か悪いことをしたか、冗談にも石を投げるなんていけないぞ。 子供らが叫んでばらばら走って来て童子に詫びたり慰めたりいたしました。
9 にこにこ 童子は初めからお了いまでにこにこ笑っておられました。須利耶さまもお笑いになりみんなを赦して童子を連れて其処をはなれなさいました。
10 ぶるぶる 老人はまた語りつづけました。 「また或る晩のこと童子は寝付けないでいつまでも床の上でもがきなさいました。・・・  童子さまの脳はもうすっかり疲れて、白い網のようになって、ぶるぶるゆれ、その中に赤い大きな三日月が浮かんだり、 そのへん一杯にぜんまいの芽のようなものが見えたり、
11 だんだん また四角な変に柔らかな白いものが、だんだん拡がって恐ろしい大きな箱になったりするのでございました。 母さまはその額が余り熱いといって心配なさいました。 須利耶さまは写しかけの経文に、掌を合せて立ちあがられ、それから童子さまを立たせて、 紅革の帯を結んでやり表へ連れてお出になりました。
12 くるっ 須利耶の奥さまは童子の箸をとって、魚を小さく砕きながら、(さあおあがり、おいしいよ。) と勧められます。童子は母さまの魚を砕く間、じっとその横顔を見ていられましたが、 俄かに胸が変な工合に迫ってきて気の毒なような悲しいような何とも堪らなくなりました。 くるっと立って鉄砲玉のように外へ走って出られました。
13 ぐんぐん 黒い粗布を着た馬商人が来て、仔馬を引きはなしもう一疋の仔馬に結びつけ、 そして黙ってそれを引いて行こうと致しまする。母親の馬はびっくりして高く鳴きました。 なれども仔馬はぐんぐん連れて行かれまする。・・・  童子は母馬の茶いろな瞳を、ちらっと横眼で見られましたが、 俄かに須利耶さまにすがりついて泣き出されました。
14 カサカサ 冬が近くて、天山はもうまっ白になり、桑の葉が黄いろに枯れてカサカサ落ちました頃、ある日のこと、童子が俄かに帰っておいでです。
15 ガサガサ (お前はまたそんなおとなのようなことを云って、・・・ 早く帰って勉強して、立派になって、 みんなの為にならないとなりません。) (だっておっかさん。おっかさんの手はそんなにガサガサしているのでしょう。それだのに私の手はこんななんでしょう。)
16 どきっ 童子はやっと歩き出されました。そして、遥かに冷たい縞をつくる雲のこちらに、蘆がそよいで、 やがて童子の姿が、小さく小さくなってしまわれました。俄かに空を羽音がして、雁の一列が通りました時、 須利耶さまは窓からそれを見て、思わずどきっとなされました。
17 ばたばた 須利耶さまが歩きながら、何気なく云われますには、 (どうだ、今日の空の碧いことは、お前がたの年は、丁度今あのそらへ飛びあがろうとして羽を ばたばた云わせているようなものだ。)  童子が大へんに沈んで答えられました。(お父さん。私はお父さんとはなれてどこへも行きたくありません。)  須利耶さまはお笑いになりました。 (勿論だ。この人の大きな旅では、自分だけひとり遠い光の空へ飛び去ることはいけないのだ。) (いいえ、お父さん。私はどこへも行きたくありません。そして誰もどこへも行かないでいいのでしょうか。) とこう云う不思議なお尋ねでございます。(誰もどこへも行かないでいいかってどう云うことだ。)
18 ばったり そこに古い一つの壁がありました。色はあせてはいましたが、 三人の天の童子たちがかいてございました。須利耶さまは思わずどきっとなりました。 何か大きい重いものが、遠くの空からばったりとなされました。かぶさったように思われましたのです。それでも何気なく申されますには、 (・・・ この天童はどこかお前に肖《に》ているよ。)
19 とぼとぼ 老人は、黙って礼を返しました。何か云いたいようでしたが黙って俄かに向うを向き、 今まで私の来た方の荒地にとぼとぼ歩き出しました。私もまた、丁度その反対の方の、さびしい石原を合掌したまま進みました。
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kashiwa      
k 7
かしはばやしの夜

かしはばやしの夜
1 こんこん するとそのせ高の画かきは、にはかに清作の首すぢを放して、まるで咆《ほ》えるやうな声で笑ひだしました。その音は林にこんこんひゞいたのです。
2 ぱちぱち ところが画かきはもうすつかりよろこんで、手をぱちぱち叩いて、それからはねあがつて言ひました。
3 ぐちゃぐちゃ 画かきはにはかにまじめになつて、赤だの白だのぐちゃぐちゃついた汚ない絵の具箱をかついで、さつさと林の中にはひりました。
4 べろべろ 若い柏の木は、ちやうど片脚をあげてをどりのまねをはじめるところでしたが二人の来たのを見てまるでびつくりして、それからひどくはづかしがつて、あげた片脚の膝を、間がわるさうにべろべろ嘗《な》めながら、横目でじつと二人の通りすぎるのをみてゐました。
5 あっはゝ、あっはゝ ところが清作は・・・ 「へらへらへら清作、へらへらへら、ばばあ。」とどなりつけましたので、柏の木はみんな度ぎもをぬかれてしいんとなつてしまひました。画かきはあっはゝ、あっはゝとびつこのやうな笑ひかたをしました。
6 カタン 画かきは絵の具ばこをカタン とおろしました。すると大王はまがつた腰をのばして、低い声で画かきに云ひました。 「もうお帰りかの。待つてましたぢや。・・・
7 とつぷり 見ると東のとつぷりとした青い山脈の上に、大きなやさしい桃いろの月がのぼつたのでした。
8 わははわはは 柏の木大王が機嫌を直してわははわははと笑ひました。
9 ゆらゆら 画かきは、赤いしやつぽもゆらゆら燃えて見え、まつすぐに立つて手帳をもち鉛筆をなめました。
10 すいすいすい 風にふかれて すいすいすい
11 ばらんばらんばらん 風にふかれて ばらんばらんばらん
12 さんさんさん 風にふかれて さんさんさん
13 ぽっしゃんぽっしゃんぽっしゃん 霧、ぽっしゃんぽっしゃんぽっしゃん
14 さらさらさらさら そのとき林の奥の方で、さらさらさらさら 音がして、それから、・・・ とたくさんのふくろふどもが、お月さまのあかりに青じろくはねをひるがへしながら、 するするするする 出てきて、柏の木の頭の上や手の上、肩やむねにいちめんにとまりました。
15 するするする そのとき林の奥の方で、さらさらさらさら 音がして、それから、・・・ とたくさんのふくろふどもが、お月さまのあかりに青じろくはねをひるがへしながら するするするする 出てきて、柏の木の頭の上や手の上、肩やむねにいちめんにとまりました。
16 くうらりくらり くろいあたまをくうらりくらり
17 とうろりとろり あぶら一升でとうろりとろり
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kawato      
k 8
革トランク

革トランク
1 いよいよ すぐに二つの仕事が来ました。一つは村の消防小屋と相談所とを兼ねた二階建、 も一つは村の分教場です。(こんなことは実に稀れです。)  斉藤平太は四日かかって両方の設計図を引いてしまひました。  それからあちこちの村の大工たちをたのんでいよいよ仕事にかゝりました。
2 くるくる 平太が分教場の方へ行って大工さんたちの働きぶりを見て居りますと大工さんたちはくるくる 廻ったり立ったり屈んだりして働くのは大へん愉快さうでしたが どう云ふ訳か横に歩くのがいやさうでした。(こんなことは実に稀です。)
3 カサカサ それから仕事をさがしました。けれども語《ことば》がはっきりしないので どこの家でも工場でも頭ごなしに追ひました。斉藤平太はすっかり困って口の中もカサカサしながら三日仕事をさがしました。
4 だんだん 平太は夏は脚気にかゝり冬は流行感冒です。そして二年は経ちました。それでもだんだん東京の事にもなれて来ましたので つひには昔の専門の建築の方の仕事に入りました。・・・  ですから斉藤平太はうちへ斯う葉書を書いたのです。 「近頃立身致し候。紙幣は障子を張る程|有之《これあり》諸君も尊敬仕《つかまつり》候。 研究も今一足故暫時不便を御辛抱願候。」
5 ぎっしり ところが平太のお母さんが少し病気になりました。・・・   そこで仕方なく村長さんも電報を打ちました。「ハハビャウキ、スグカヘレ。」 平太はいろいろ考へた末二十円の大きな大きな革のトランクを買ひました。・・・  入れるやうなものは何もありませんでしたから親方に頼んで 板の上に引いた要らない絵図を三十枚ばかり貰ってぎっしりそれに詰めました。 (こんなことはごく稀れです。)
6 どっかり もう夕方でしたが雲が縞をつくってしづかに東の方へ流れ、 白と黒とのぶちになったせきれいが水銀のやうな水とすれすれに飛びました。 そのはりがねの綱は大きく水に垂れ舟はいま六七人の村人を乗せてやっと向ふへ着く処でした。 向ふの岸には月見草も咲いてゐました。舟が又こっちへ戻るまで斉藤平太は大トランクを草におろし自分もどっかり腰かけて汗をふきました。
7 ぐちゃぐちゃ 白の麻服のせなかも汗でぐちゃぐちゃ、草にはけむりのやうな穂が出てゐました。  いつの間にか子供らが麻ばたけの中や岸の砂原やあちこちから七八人集って来ました。 全く平太の大トランクがめづらしかったのです。みんなはだんだん近づきました。 「おお、みんな革だんぞ。」「牛の革だんぞ。」
8 じっ 舟がだんだん近よりました。船頭が平太のうしろの入日の雲の白びかりを手でさけるやうにしながらじっと平太を見てゐましたが だんだん近くになっていよいよその白い洋服を着た紳士が平太だとわかると高く叫びました。 「おゝ平太さん。待ぢでだあんす。」
9 ぴたぴた 平太はあぶなく泣かうとしました。そしてトランクを運んで舟にのりました。・・・  船頭もしきりにそのトランクを見ながら船を滑らせました。 波がぴたぴた云ひ針金の綱はしんしんと鳴りました。 それから西の雲の向ふに日が落ちたらしく波が俄かに暗くなりました。 向ふの岸に二人の人が待ってゐました。
10 しんしん 平太はあぶなく泣かうとしました。そしてトランクを運んで舟にのりました。・・・  船頭もしきりにそのトランクを見ながら船を滑らせました。 波がぴたぴた云ひ針金の綱はしんしんと鳴りました。 それから西の雲の向ふに日が落ちたらしく波が俄かに暗くなりました。 向ふの岸に二人の人が待ってゐました。
11 パチパチ 二人の中の一人が飛んで来ました。「お待ぢ申して居りあんした。お荷物は。」  それは平太の家の下男でした。平太はだまって眼をパチパチさせながらトランクを渡しました。 下男はまるでひどく気が立ってその大きな革トランクをしょひました。
12 くんくん それから二人はうちの方へ蚊のくんくん鳴く桑畑の中を歩きました。・・・  村長さんも丁度役場から帰った処でうしろの方から来ましたがその大トランクを見てにが笑ひをしました。
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kazeno      
k 9
風の又三郎

風の又三郎
1 ごぼごぼ 谷川の岸に小さな学校がありました。教室はたった一つでしたが・・・。  運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗の木のあるきれいな草の山でしたし、 運動場のすみにはごぼごぼ つめたい水を噴く岩穴もあったのです。
2 どう さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。
3 ぶるぶる 黒い雪袴をはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、・・・  ちょっと教室の中を見ますと、二人ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせて ぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。
4 しん というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、 まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。
5 ちゃん というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、 まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。
6 どやどや 嘉助がかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。 と思ったらすぐそのあとから佐太郎だの耕助だのどやどややってきました。
7 しゃん 「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。 するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、 教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
8 がやがや みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、 やがて鞄をしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
9 さっさ みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、 やがて鞄をしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
10 きょろきょろ 「早ぐ出はって来、出はって来。」一郎が言いました。 けれどもそのこどもはきょろきょろ室の中やみんなのほうを見るばかりで、 やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
11 だぶだぶ ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革の半靴をはいていたのです。
12 がたがた そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱や栗の木はみんな変に青じろくなってゆれ、 教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。 すると嘉助がすぐ叫びました。「ああわかった。あいつは風の又三郎だぞ。」
13 ぽかん 「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」 と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、 一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。  たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。
14 しょんぼり 「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。  みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れて しょんぼり肩をすぼめて立ったのです。「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」 「二百十日で来たのだな。」
15 ぴかぴか 先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、 そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現さまの尾っぱ持ちのようにすまし込んで、 白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
16 すぱすぱ 先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、 そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現さまの尾っぱ持ちのようにすまし込んで、 白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
17 しいん みんなはしいんとなってしまいました。 やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、 「先生お早うございます。」と言っただけでした。
18 ビルル 「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻ってきました。
19 ビルルル 「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻ってきました。
20 じろじろ するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、 じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。
21 もじもじ するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、 指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、 くすぐったいというふうにもじもじしていました。
22 ぐるっ 「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、 まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱のある入り口にはいって行きました。 四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。
23 どっ 「高田さん名はなんて言うべな。」「高田三郎さんです。」 「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、 大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、・・・ 
24 ばたばた みんなはばたばた鞄をあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。 そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。
25 ぎょっ そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人が立っていたのです。
26 てかてか その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、 手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇ぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。
27 すたすた 運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、 またすたすた白服の大人について歩いて行きました。
28 きらきら 谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、 ときどき萱が白く波立っていました。
29 どんどん 「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、 早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、「お早う。」とはっきり言いました。
30 もにゃもにゃ お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、 一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆してしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。
31 きろきろ みんなはやはりきろきろそっちを見ています。 三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。
32 ざあっ その時風がざあっ と吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵があがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、 黄いろな塵は瓶をさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
33 ざわざわ その時風がざあっ と吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵があがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、 黄いろな塵は瓶をさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
34 さあっ その時風がざあっ と吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵があがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、 黄いろな塵は瓶をさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
35 きりきり その時風がざあっ と吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵があがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、 黄いろな塵は瓶をさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
36 ひらり 中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。
37 ぴったり 「うわあ、兄な、木ペン取てわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、 「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、 あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖へ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。
38 ぼろぼろ とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。  すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、 かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。
39 むっくり すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、 「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、 「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。
40 きりきり 嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんうしろでちゃんと見ていました。 そしてまるでなんと言ったらいいかわからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。
41 がりがり 先生はまた黒板に問題を書いて・・・ しばらくたって一郎が答えを書いてしまうと、 三郎のほうをちょっと見ました。すると三郎は、 どこから出したか小さな消し炭で雑記帳の上へがりがりと大きく運算していたのです。
42 さらさら 次の朝、空はよく晴れて谷川はさらさら鳴りました。一郎は途中で嘉助と佐太郎と悦治をさそっていっしょに三郎のうちのほうへ行きました。
43 くるくる それから岸で楊の枝をみんなで一本ずつ折って、青い皮をくるくるはいで鞭をこしらえて手でひゅうひゅう振りながら、上の野原への道をだんだんのぼって行きました。 みんなは早くも登りながら息をはあはあしました。
44 ひゅうひゅう それから岸で楊の枝をみんなで一本ずつ折って、青い皮をくるくるはいで鞭をこしらえて手でひゅうひゅう振りながら、上の野原への道をだんだんのぼって行きました。 みんなは早くも登りながら息をはあはあしました。
45 ずうっ 空に少しばかりの白い雲が出ました。そしてもうだいぶのぼっていました。 谷のみんなの家がずうっと下に見え、一郎のうちの木小屋の屋根が白く光っています。
46 じめじめ 道が林の中に入り、しばらく道はじめじめして、あたりは見えなくなりました。そしてまもなくみんなは約束のわき水の近くに来ました。 するとそこから、「おうい。みんな来たかい。」と三郎の高く叫ぶ声がしました。
47 せかせか みんなはまるでせかせかと走ってのぼりました。向こうの曲がり角の所に三郎が小さなくちびるを きっと結んだまま、 三人のかけ上って来るのを見ていました。
48 きっ みんなはまるでせかせかと走ってのぼりました。向こうの曲がり角の所に三郎が小さなくちびるを きっと結んだまま、 三人のかけ上って来るのを見ていました。
49 ぐうっ みんながまたあるきはじめたときわき水は何かを知らせるようにぐうっと鳴り、そこらの木もなんだかざあっと鳴ったようでした。
50 ぐんぐん 「もう少し行ぐづどみんなして草刈ってるぞ。それから馬のいるどごもあるぞ。」 一郎は言いながら先に立って刈った草のなかの一ぽんみちをぐんぐん歩きました。三郎はその次に立って、 「ここには熊いないから馬をはなしておいてもいいなあ。」と言って歩きました。
51 ぐうっ みんながまたあるきはじめたときわき水は何かを知らせるようにぐうっと鳴り、そこらの木もなんだかざあっと鳴ったようでした。
52 ぷるぷる せなかに草束をしょった二匹の馬が、一郎を見て鼻をぷるぷる鳴らしました。
53 ぱっ 日はぱっ「おおい。ああい。そこにいろ。今行ぐぞ。」ずうっと向こうのくぼみで、一郎のにいさんの声がしました。 と明るくなり、にいさんがそっちの草の中から笑って出て来ました。
54 ばしゃばしゃ 向こうの少し小高いところにてかてか光る茶いろの馬が七匹ばかり集まって、 しっぽをゆるやかにばしゃばしゃふっているのです。
55 べろり 「わあ、又三郎馬おっかながるぢゃい。」と悦治が言いました。すると三郎は、 「こわくなんかないやい。」と言いながらすぐポケットの手を馬の鼻づらへのばしましたが、 馬が首をのばして舌をべろりと出すと、 さっと顔いろを変えてすばやくまた手をポケットへ入れてしまいました。
56 ぴしゃん ところが馬はちっともびくともしませんでした。やはり下へ首をたれて草をかいだり、 首をのばしてそこらのけしきをもっとよく見るというようにしているのです。一郎がそこで両手を ぴしゃんと打ち合わせて、だあ、と言いました。
57 ちらっ 嘉助はもう足がしびれてしまって、どこをどう走っているのかわからなくなりました。  それからまわりがまっ蒼になって、ぐるぐる回り、とうとう深い草の中に倒れてしまいました。 馬の赤いたてがみと、あとを追って行く三郎の白いシャッポが終わりにちらっと見えました。
58 カンカン 嘉助は、仰向けになって空を見ました。空がまっ白に光って、ぐるぐる回り、 そのこちらを薄いねずみ色の雲が、速く速く走っています。そしてカンカン鳴っています。
59 のっこり 草の中には、今馬と三郎が通った跡らしく、かすかな道のようなものがありました。 嘉助は笑いました。そして、(ふん、なあに馬どこかでこわくなってのっこり立ってるさ、)と思いました。
60 ぼうっ 空はたいへん暗く重くなり、まわりがぼうっとかすんで来ました。冷たい風が、 草を渡りはじめ、もう雲や霧が切れ切れになって目の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。
61 どきどき (ああ、こいつは悪くなって来た。みんな悪いことはこれから集《たが》ってやって来るのだ。) と嘉助は思いました。全くそのとおり、にわかに馬の通った跡は草の中でなくなってしまいました。  (ああ、悪くなった、悪くなった。)嘉助は胸をどきどきさせました。
62 パチパチ 草がからだを曲げて、パチパチ言ったり、さらさら鳴ったりしました。 霧がことに滋くなって、着物はすっかりしめってしまいました。
63 シイン 暗い冷たい霧の粒が、そこら一面踊りまわり、あたりがにわかにシインとして、陰気に陰気になりました。草からは、もうしずくの音がポタリポタリと聞こえて来ます。
64 ポタリポタリ 暗い冷たい霧の粒が、そこら一面踊りまわり、あたりがにわかにシインとして、陰気に陰気になりました。草からは、もうしずくの音がポタリポタリと聞こえて来ます。
65 ざわざわざわ すすきがざわざわざわっと鳴り、向こうのほうは底知れずの谷のように、霧の中に消えているではありませんか。
66 キインキイン 少し強い風が来る時は、どこかで何かが合図をしてでもいるように、一面の草が、 それ来たっとみなからだを伏せて避けました。空が光ってキインキインと鳴っています。
67 くるくるくる 空がくるくるくるっと白く揺らぎ、草がバラッと一度にしずくを払いました。
68 バラッ 空がくるくるくるっと白く揺らぎ、草がバラッと一度にしずくを払いました。
69 ぱたぱた 空が旗のようにぱたぱた光って飜り、火花がパチパチパチッと燃えました。嘉助はとうとう草の中に倒れてねむってしまいました。
70 パチパチパチ 空が旗のようにぱたぱた光って飜り、火花がパチパチパチッと燃えました。嘉助はとうとう草の中に倒れてねむってしまいました。
71 ひらっ 又三郎は笑いもしなければ物も言いません。 ただ小さなくちびるを強そうにきっと結んだまま黙ってそらを見ています。いきなり又三郎はひらっとそらへ飛びあがりました。 ガラスのマントがギラギラ光りました。
72 ギラギラ 又三郎は笑いもしなければ物も言いません。 ただ小さなくちびるを強そうにきっと結んだまま黙ってそらを見ています。いきなり又三郎はひらっとそらへ飛びあがりました。 ガラスのマントがギラギラ光りました。
73 のっそり ふと嘉助は目をひらきました。灰いろの霧が速く速く飛んでいます。  そして馬がすぐ目の前にのっそりと立っていたのです。その目は嘉助を恐れて横のほうを向いていました。
74 ごろごろ 嘉助はぶるぶるふるえました。「おうい。」霧の中から一郎のにいさんの声がしました。雷も ごろごろ鳴っています。
75 チョロチョロ 半分に焼けた大きな栗の木の根もとに、草で作った小さな囲いがあって、チョロチョロ赤い火が燃えていました。
76 ガサガサガサガサ 一郎のにいさんが出て行きました。天井が ガサガサガサガサ言います。おじいさんが笑いながらそれを見上げました。
77 ふっ 霧がふっと切れました。日の光がさっと流れてはいりました。 その太陽は、少し西のほうに寄ってかかり、幾片かの蝋のような霧が、逃げおくれてしかたなしに光りました。
78 さっ 霧がふっと切れました。日の光がさっと流れてはいりました。 その太陽は、少し西のほうに寄ってかかり、幾片かの蝋のような霧が、逃げおくれてしかたなしに光りました。
79 もうもう みんなはこわそうに、だれか見ていないかというように向こうの家を見ました。 たばこばたけからもうもうとあがる湯げの向こうで、 その家はしいんとしてだれもいたようではありませんでした。
80 もくもく みんなは萱の間の小さなみちを山のほうへ少しのぼりますと、 その南側に向いたくぼみに栗の木があちこち立って、下には葡萄がもくもく した大きな藪になっていました。
81 ざっ そのうち耕助がも一つの藪へ行こうと一本の栗の木の下を通りますと、 いきなり上からしずくが一ぺんにざっ と落ちてきましたので、耕助は肩からせなかから水へはいったようになりました。
82 くつくつ 「わあい、又三郎何する。」耕助はうらめしそうに木を見あげました。 「風が吹いたんだい。」三郎は上でくつくつわらいながら言いました。
83 ずっ 三郎はやっと笑うのをやめて言いました。 「そらごらん、とうとう風車などを言っちゃったろう。風車なら風を悪く思っちゃいないんだよ。 もちろん時々こわすこともあるけれども回してやる時のほうがずっと多いんだ。」
84 だんだん 三郎はまた涙の出るほど笑いました。  耕助もさっきからあんまり困ったためにおこっていたのもだんだん忘れて来ました。 そしてつい三郎といっしょに笑い出してしまったのです。
85 かんかん ところがきょうも二時間目ころからだんだん晴れてまもなく空はまっ青になり、日はかんかん照って、 お午になって一、二年が下がってしまうとまるで夏のように暑くなってしまいました。
86 うとうと ひるすぎは先生もたびたび教壇で汗をふき、四年生の習字も五年生六年生の図画もまるでむし暑くて、 書きながらうとうとするのでした。  授業が済むとみんなはすぐ川下のほうへそろって出かけました。
87 どぶんどぶん 一郎やみんなは、河原のねむの木の間をまるで徒競走のように走って、いきなりきものをぬぐとすぐどぶんどぶんと水に飛び込んで両足をかわるがわる曲げて、だぁんだぁんと水をたたくようにしながら斜めにならんで向こう岸へ泳ぎはじめました。
88 だぁんだぁん 一郎やみんなは、河原のねむの木の間をまるで徒競走のように走って、いきなりきものをぬぐとすぐどぶんどぶんと水に飛び込んで両足をかわるがわる曲げて、だぁんだぁんと水をたたくようにしながら斜めにならんで向こう岸へ泳ぎはじめました。
89 わくわく すると向こう岸についた一郎が、髪をあざらしのようにしてくちびるを紫にしてわくわくふるえながら、「わあ又三郎、何してわらった。」と言いました。
90 するする 「石取りさないが。」と言いながら白い丸い石をひろいました。 「するする。」こどもらがみんな叫びました。「おれそれであ、あの木の上がら落とすがらな。」 と一郎は言いながら崖の中ごろから出ているさいかちの木へ するするのぼって行きました。
91 どぶん 三郎はじっとみんなのするのを見ていましたが、みんなが浮かんできてからじぶんもどぶんとはいって行きました。
92 ぱくぱく 下流の坑夫をしていた庄助が、しばらくあちこち見まわしてから、いきなりあぐらをかいて砂利の上へすわってしまいました。それからゆっくり腰からたばこ入れをとって、きせるをくわえてぱくぱく煙をふきだしました。
93 ぼお 庄助はまるで落ちついて、立って一あし水にはいるとすぐその持ったものを、 さいかちの木の下のところへ投げこみました。するとまもなく、 ぼおというようなひどい音がして水は むくっと盛りあがり、 それからしばらくそこらあたりが きいんと鳴りました。
94 むくっ 庄助はまるで落ちついて、立って一あし水にはいるとすぐその持ったものを、 さいかちの木の下のところへ投げこみました。するとまもなく、 ぼおというようなひどい音がして水は むくっと盛りあがり、 それからしばらくそこらあたりが きいんと鳴りました。
95 きいん 庄助はまるで落ちついて、立って一あし水にはいるとすぐその持ったものを、 さいかちの木の下のところへ投げこみました。するとまもなく、 ぼおというようなひどい音がして水は むくっと盛りあがり、 それからしばらくそこらあたりが きいんと鳴りました。
96 わあわあ 「さあ、流れて来るぞ。みんなとれ。」と一郎が言いました。・・・  そのうしろでは嘉助が、・・・ それは六寸ぐらいある鮒をとって、顔をまっ赤にしてよろこんでいたのです。 それからみんなとって、わあわあよろこびました。
97 ぴょんぴょん 「発破かけだら、雑魚撒《ま》かせ。」嘉助が河原の砂っぱの上で、ぴょんぴょんはねながら高く叫びました。
98 ぐったり ほんとうに暑くなって、ねむの木もまるで夏のようにぐったり見えましたし、 空もまるで底なしの淵のようになりました。
99 ぐちゃぐちゃ そのころだれかが、見えましたし、空もまるで底なしの淵のようになりました。 「あ、生け州ぶっこわすとこだぞ。」と叫びました。見ると一人の変に鼻のとがった、 洋服を着てわらじをはいた人が、手にはステッキみたいなものをもって、みんなの魚をぐちゃぐちゃかきまわしているのでした。
100 びちゃびちゃ その男はこっちへびちゃびちゃ「あ、あいづ専売局だぞ。専売局だぞ。」 佐太郎が言いました。「又三郎、うなのとった煙草の葉めっけたんだで、うな、連れでぐさ来たぞ。」 嘉助が言いました。
101 がらん みんなもなんだか、その男も三郎も気の毒なようなおかしながらんとした気持ちになりながら、 一人ずつ木からはねおりて、 河原に泳ぎついて、魚を手ぬぐいにつつんだり、手にもったりして家に帰りました。
102 むっ みんなは町の祭りのときのガスのようなにおいの、むっとするねむの河原を急いで抜けて、 いつものさいかち淵に着きました。
103 むくむく すっかり夏のような立派な雲の峰が東でむくむく盛りあがり、 さいかちの木は青く光って見えました。
104 ぞろっ 「ちゃんと一列にならべ。いいか、魚浮いて来たら泳いで行ってとれ。とったくらい与《や》るぞ。 いいか。」小さなこどもらはよろこんで、顔を赤くして押しあったりしながらぞろっと淵を囲みました。
105 じゃぶじゃぶ 佐太郎が大威張りで、上流の瀬に行って笊をじゃぶじゃぶ水で洗いました。
106 ざぶん 「又三郎、来。」嘉助は立って口を大きくあいて、手をひろげて三郎をばかにしました。 すると三郎はさっきからよっぽどおこっていたと見えて、「ようし、見ていろよ。」と言いながら本気になって、 ざぶんと水に飛び込んで、一生けん命、そっちのほうへ泳いで行きました。
107 つるつる 第一、その粘土のところはせまくて、みんながはいれなかったのに、それにたいへん つるつるすべる坂になっていましたから、下のほうの四五人などは上の人につかまるようにして、 やっと川へすべり落ちるのをふせいでいたのでした。
108 ぼちゃぼちゃ 一郎だけが、いちばん上で落ちついて、さあみんな、とかなんとか相談らしいことをはじめました。 みんなもそこで頭をあつめて聞いています。三郎はぼちゃぼちゃ、もう近くまで行きました。
109 ひそひそ みんなはひそひそはなしています。
110 ばたばた すると三郎は、いきなり両手でみんなへ水をかけ出しました。みんなが、 ばたばた防いでいましたら、だんだん粘土がすべって来て、 なんだかすこうし下へずれたようになりました。
111 ぼちゃんぼちゃん 三郎はよろこんで、いよいよ水をはねとばしました。すると、 みんなはぼちゃんぼちゃんと一度にすべって落ちました。三郎はそれを片っぱしからつかまえました。
112 ぐるぐる 一郎もつかまりました。嘉助がひとり、上をまわって泳いで逃げましたら、 三郎はすぐに追い付いて押えたほかに、腕をつかんで四五へんぐるぐる引っぱりまわしました。
113 しんしん ところが、そのときはもうそらがいっぱいの黒い雲で、楊も変に白っぽくなり、 山の草はしんしんとくらくなり、そこらはなんとも言われない恐ろしい景色にかわっていました。
114 ごろごろごろ そのうちに、いきなり上の野原のあたりで、ごろごろごろと雷が鳴り出しました。と思うと、まるで山つなみのような音がして、 一ぺんに夕立がやって来ました。風までひゅうひゅう吹きだしました。
115 ぶちぶち 淵の水には、大きなぶちぶちがたくさんできて、水だか石だかわからなくなってしまいました。
116 どぼん みんなは河原から着物をかかえて、ねむの木の下へ逃げこみました。 すると三郎もなんだかはじめてこわくなったと見えて、さいかちの木の下からどぼんと水へはいってみんなのほうへ泳ぎだしました。
117 ざっこざっこ すると、だれともなく、「雨はざっこざっこ雨三郎、風はどっこどっこ又三郎。」と叫んだものがありました。
118 どっこどっこ すると、だれともなく、「雨はざっこざっこ雨三郎、風はどっこどっこ又三郎。」と叫んだものがありました。
119 がくがく 三郎は気味悪そうに川のほうを見ていましたが、色のあせたくちびるを、 いつものようにきっとかんで、「なんだい。」と言いましたが、からだはやはりがくがくふるえていました。
120 ばたっ 馬屋のうしろのほうで何か戸がばたっと倒れ、馬はぶるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、 はあと息を強く吐きました。そして外へかけだしました。
121 どんどんどんどん 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎられた青い栗のいがは黒い地面にたくさん落ちていました。 空では雲がけわしい灰色に光り、どんどんどんどん北のほうへ吹きとばされていました。
122 ごとんごとん 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっと聞こえたりするのでした。
123 どかどか すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまたじっとその鳴ってほえてうなって、 かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどかとなってくるのでした。
124 はあはあ きのうまで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風が、 けさ夜あけ方にわかにいっせいにこう動き出して、 どんどんどんどんタスカロラ海溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、 もう一郎は顔がほてり、息もはあはあとなって、 自分までがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうちの中へはいると胸を一ぱいはって、 息をふっと吹きました。
125 ぐっ 「ああひで風だ。きょうは煙草も栗もすっかりやらえる。」 と一郎のおじいさんがくぐりのところに立って、ぐっ と空を見ています。
126 ざくざく それから金だらいを出して顔をぶるぶる洗うと、戸棚から冷たいごはんと味噌をだして、まるで夢中でざくざく食べました。
127 こちこち 「うん。又三郎は飛んでったがもしれないもや。」 「又三郎って何だてや。鳥こだてが。」「うん。又三郎っていうやづよ。」一郎は急いでごはんをしまうと、 椀をこちこち洗って、それから台所の釘にかけてある油合羽を着て、 下駄はもってはだしで嘉助をさそいに行きました。
128 ざぶざぶ 昇降口からはいって行きますと教室はまだしいんとしていましたが、 ところどころの窓のすきまから雨がはいって板はまるでざぶざぶしていました。
129 ごとごと 「・・・ 高田さんはきのうおとうさんといっしょにもうほかへ行きました。・・・ 」 「先生飛んで行ったのですか。」嘉助がききました。・・・  「そうだないな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」嘉助が高く叫びました。宿直室のほうで何か ごとごと鳴る音がしました。・・・  風はまだやまず、窓ガラスは雨つぶのために曇りながら、またがたがた鳴りました。
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kedamono      
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けだもの運動会

1 プルプル 「いかん。貴様が勝つにきまってるじゃないか。第一そんなものは社会の風教に害がある。退れ。」 狐が頭から雷さんをひっかぶったようにびっくりして眼をプルプルさせて少しずつあと戻りして引っ込みました。
2 じりじり 「おおい。みんな、おれは引き裂き競争がいいと思うよ。これは新案だ。いいか。 みんなで拳をして東西にわかれてな、小さいものから順順に一人ずつ組みついて引き裂きをやるんだ。 勝った方へは新らしいものがかかるということにしてその中で一番強いのが一等としよう。どうだ。みんな。」  みんなは思わずじりじりうしろへさがりました。
3 ガタガタガタガタ 虎ははじめの威勢はどこへやらからだ中の筋がみな別々に ガタガタガタガタ 顫え出して白い泡をはいて じりりじりりとしりごみをしてしまいました。
4 じりりじりり 虎ははじめの威勢はどこへやらからだ中の筋がみな別々に ガタガタガタガタ 顫え出して白い泡をはいて じりりじりりとしりごみをしてしまいました。
5 ぶらぶら 「アッハッハ。虎は今日は何か辛いものを食い過ぎたな。よしよし、許してやろう。」  そこで象が鼻をぶらぶらさせて云いました。 「これは私の考えでは鉄棒ぶらさがり競争というものはどうだろう。みんな一所に鉄棒に取りついて、 それから一番あとに残ったものが一等と、・・・」
6 ブカブカ さて運動会の当日になりました。鳥の方からたのんで来た楽隊は ブカブカどんどんやっています。  獅子大王は一段高いところに白い切れをかけた卓子を控え その横には賞品係りの象があちこちから寄附になった賞品を山のようにつみ重ねて座っています。
7 どんどん さて運動会の当日になりました。鳥の方からたのんで来た楽隊は ブカブカどんどんやっています。  獅子大王は一段高いところに白い切れをかけた卓子を控え その横には賞品係りの象があちこちから寄附になった賞品を山のようにつみ重ねて座っています。
8 ほいほい さて運動会の当日になりました。鳥の方からたのんで来た楽隊は ほいほい ととびつきましたがただ一疋河馬だけは手を外して ドタリと落ちてひどく尻餅をつきました。
9 ドタリ さて運動会の当日になりました。鳥の方からたのんで来た楽隊は ほいほい ととびつきましたがただ一疋河馬だけは手を外して ドタリと落ちてひどく尻餅をつきました。
10 フウフウ そしてそらを向いて フウフウ ととびつきましたがただ一疋河馬だけは手を外して ドタといきをついたまま起きあがりかねていました。 審判官の豹が時計を見ながらせわしくあちこちはせまわりました。
11 ぶるぶるぶる 「十秒」豹が叫びました。虎が「ウォーッ。」と一つ吠えました。 「二十秒。」豹が叫びました。虎の手はもう ぶるぶるぶる とふるえて来てとうとう ばたりと落ちました。
12 ばたり 「十秒」豹が叫びました。虎が「ウォーッ。」と一つ吠えました。 「二十秒。」豹が叫びました。虎の手はもう ぶるぶるぶる とふるえて来てとうとう ばたりと落ちました。
13 のそのそ それから虎は凄い目付きをして舌を出しながら のそのそみんなの下をあるきまわりましたので、 兎や羊などはもう目をつぶっていました。
14 ウンウン 「三十秒。」豹が叫びました。上でもみんなつかれて来て ウンウン うなったり手が ぐらぐらしたりしはじめました。
15 ぐらぐら 「三十秒。」豹が叫びました。上でもみんなつかれて来て ウンウン うなったり手が ぐらぐらしたりしはじめました。
16 ばたばた 「四十秒」と豹が云いました。「なにくそっ、えいくそっああだめだ。」熊がばたり と落ちました。それからすべて鼻の大きなやつや口の大きなけだものが百疋ばかり一諸に ばたばたっと落ちました。
17 くにゃり 「五十秒」と豹が云いましたら猿がいきなり くにゃり と落ちました。 「六十秒。」と豹が云いましたら麒麟と馬と羊が三疋いっしょに落ちました。
18 クルクルクル 「七十秒。」と豹が叫びましたらカンガルーが クルクルクルッとまわって落ちました。
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虔十《ケンジュ》公園林

虔十公園林
1 パチパチ 雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたゝいてみんなに知らせました。
2 どう 風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑へて仕方ないのを、 無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながら いつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした。
3 チラチラ 風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑へて仕方ないのを、 無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながら いつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした。
4 ピクピク 近くではもちろん笑ってゐる息の音も聞えましたし唇がピクピク動いてゐるのもわかりましたから子供らはやっぱりそれもばかにして笑ひました。
5 きらきら 虔十はいきなり田打ちをしてゐた家の人達の前に走って来て云ひました。 「お母《があ》、おらさ杉苗七百本、買って呉《け》ろ。」 虔十のおっかさんはきらきらの三本鍬を動かすのをやめてじっと虔十の顔を見て云ひました。 「杉苗七百ど、どごさ植ゑらぃ。」「家のうしろの野原さ。」
6 もぢもぢ そのとき虔十の兄さんが云ひました。 「虔十、あそごは杉植でも成長《おが》らなぃ処だ。それより少し田でも打って助《す》けろ。」 虔十はきまり悪さうにもぢもぢして下を向いてしまひました。
7 ぽくりぽくり すると虔十のお父さんが向ふで汗を拭きながらからだを延ばして 「買ってやれ、買ってやれ。虔十ぁ今まで何一つだて頼んだごとぁ無ぃがったもの。買ってやれ。」 と云ひましたので虔十のお母さんも安心したやうに笑ひました。 虔十はまるでよろこんですぐにまっすぐに家の方へ走りました。そして納屋から唐鍬を持ち出してぽくりぽくりと芝を起して杉苗を植ゑる穴を掘りはじめました。
8 チーチクチーチク 虔十の兄さんが・・・ 「虔十、杉ぁ植る時、掘らなぃばわがなぃんだぢゃ。明日まで待て。 おれ、苗買って来てやるがら。」・・・  次の日、空はよく晴れて山の雪はまっ白に光りひばりは高く高くのぼってチーチクチーチクやりました。
9 にこにこ そして虔十はまるでこらへ切れないやうににこにこ笑って兄さんに教へられたやうに今度は北の方の堺《さかひ》から杉苗の穴を掘りはじめました。 実にまっすぐに実に間隔正しくそれを掘ったのでした。虔十の兄さんがそこへ一本づつ苗を植ゑて行きました。
10 ぶつぶつ すると虔十の兄さんが、「平二さん、お早うがす。」と云って向ふに立ちあがりましたので 平二はぶつぶつ云ひながら又のっそりと向ふへ行ってしまひました。
11 のっそり すると虔十の兄さんが、「平二さん、お早うがす。」と云って向ふに立ちあがりましたので 平二はぶつぶつ云ひながら又のっそりと向ふへ行ってしまひました。
12 だんだん 杉は五年までは緑いろの心がまっすぐに空の方へ延びて行きましたがもうそれからはだんだん頭が円く変って七年目も八年目もやっぱり丈が九尺ぐらゐでした。  ある朝虔十が林の前に立ってゐますとひとりの百姓が冗談に云ひました。 「おゝい、虔十。あの杉ぁ枝打ぢさなぃのか。」
13 ぱちぱち 虔十は走って行って山刀を持って来ました。そして片っぱしからぱちぱち杉の下枝を払ひはじめました。
14 がらん 夕方になったときはどの木も上の方の枝をたゞ三四本ぐらゐづつ残してあとはすっかり払ひ落されてゐました。  濃い緑いろの枝はいちめんに下草を埋めその小さな林はあかるくがらんとなってしまひました。  虔十は一ぺんにあんまりがらんとなったのでなんだか気持ちが悪くて胸が痛いやうに思ひました。
15 ずんずん すると愕ろいたことは学校帰りの子供らが五十人も集って一列になって歩調をそろへて その杉の木の間を行進してゐるのでした。  全く杉の列はどこを通っても並木道のやうでした。 それに青い服を着たやうな杉の木の方も列を組んであるいてゐるやうに見えるのですから 子供らのよろこび加減と云ったらとてもありません・・・  その杉の列には、東京街道ロシヤ街道それから西洋街道といふやうにずんずん名前がついて行きました。
16 さらさら それからはもう毎日毎日子供らが集まりました。たゞ子供らの来ないのは雨の日でした。 その日はまっ白なやはらかな空からあめのさらさらと降る中で虔十がたゞ一人からだ中ずぶぬれになって林の外に立ってゐました。
17 どしりどしり ところが平二は人のいゝ虔十などにばかにされたと思ったので 急に怒り出して肩を張ったと思ふといきなり虔十の頬をなぐりつけました。どしりどしりとなぐりつけました。
18 よろよろ 虔十は手を頬にあてながら黙ってなぐられてゐましたがたうとうまはりがみんなまっ青に見えてよろよろしてしまひました。
19 のしりのしり すると平二も少し気味が悪くなったと見えて急いで腕を組んでのしりのしりと霧の中へ歩いて行ってしまひました。さて虔十はその秋チブスにかかって死にました。 平二も丁度その十日ばかり前にやっぱりその病気で死んでゐました。
20 はあはあ ある日昔のその村から出て今アメリカのある大学の教授になってゐる若い博士が十五年ぶりで故郷へ帰って来ました。・・・  「あゝ、こゝはすっかりもとの通りだ。木まですっかりもとの通りだ。・・・ 」・・・   「こゝは今は学校の運動場ですか。」「いゝえ。こゝはこの向ふの家の地面なのですが・・・ 」・・・  「・・・ 年よりの方がこゝは虔十のたゞ一つのかたみだからいくら困っても、 これをなくすることはどうしてもできないと答へるさうです。」 「ああさうさう、ありました、ありました。その虔十といふ人は少し足りないと私らは思ってゐたのです。 いつでもはあはあ笑ってゐる人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見てゐたのです。 ・・・ どうでせう。こゝに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するやうにしては。」
21 ポタリポタリ 虔十のうちの人たちはほんたうによろこんで泣きました。  全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さはやかな匂、夏のすゞしい陰、 月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本当のさいはひが何だかを教へるか数へられませんでした。  そして林は虔十の居た時の通り雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落しお日さまが輝いては新らしい奇麗な空気をさはやかにはき出すのでした。
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kiirono      
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黄いろのトマト

黄いろのトマト
1 ミィミィ 私の町の博物館の、大きなガラスの戸棚には、剥製ですが、四疋の蜂雀がいます。 生きてたときはミィミィとなき蝶のように花の蜜をたべるあの小さなかあいらしい蜂雀です。
2 つるつる それは眼が赤くてつるつる した緑青いろの胸をもち、・・・ ある朝早く、 私は学校に行く前にこっそり一寸ガラスの前に立ちましたら、その蜂雀が、銀の針の様なほそいきれいな声で、 にわかに私に言いました。「お早う。ペムペルという子はほんとうにいい子だったのにかあいそうなことをした。」
3 ちょっと 「どうしたていうの話しておくれ。」すると蜂雀は ちょっと 口あいてわらうようにしてまた云いました。 「話してあげるからおまえは鞄を床におろしてその上にお座り。」
4 だぶだぶ 小麦を粉にする日ならペムペルはちぢれた髪からみじかい浅黄のチョッキから木綿のだぶだぶ ずぼんまで粉ですっかり白くなりながら赤いガラスの水車場で ことことやっているだろう。
5 ことこと 小麦を粉にする日ならペムペルはちぢれた髪からみじかい浅黄のチョッキから木綿のだぶだぶ ずぼんまで粉ですっかり白くなりながら赤いガラスの水車場で ことことやっているだろう。
6 しん 蜂雀はいよいよだまってガラスの向うでしん としています。  私もしばらくは耐えて膝を両手で抱えてじっとしていましたけれども・・・  とうとう私は居たたまらなくなりました。
7 ぐじゃぐじゃ 番人のおじいさんはガラスの前に進みました。・・・ 「・・・ 早く涙をおふきなさい。 まるで顔中ぐじゃぐじゃ だ。そらええああすっかりさっぱりした。」
8 ことりことり 番人のおじいさんは私の涙を拭いて呉れてそれから両手をせなかで組んで ことりことり向うへ見まわって行きました。 おじいさんのあし音がそのうすくらい茶色の室の中から隣りの室へ消えたとき蜂雀はまた私の方を向きました。
9 どきっ おじいさんのあし音がそのうすくらい茶色の室の中から隣りの室へ消えたとき蜂雀はまた私の方を向きました。  私はどきっとしたのです。  蜂雀は細い細いハアモニカの様な声でそっと私にはなしかけました。
10 だんだん 「だからね、二人はほんとうにおもしろくくらしていたのだから、それだけならばよかったんだ。 ところが二人は、はたけにトマトを十本植えていた。そのうち五本がポンデローザでね、五本がレッドチェリイだよ。 ポンデローザにはまっ赤な大きな実がつくし、レッドチェリーにはさくらんぼほどの赤い実がまるでたくさんできる。 ・・・ ある年やっぱり苗が二いろあったから、植えたあとでも二いろあった。 だんだんそれが大きくなって、 葉からはトマトの青いにおいがし、茎からはこまかな黄金の粒のようなものも噴き出した。  そしてまもなく実がついた。
11 ギザギザ ところが五本のチェリーの中で、一本だけは奇体に黄いろなんだろう。そして大へん光るのだ。 ギザギザの青黒い葉の間から、 まばゆいくらい黄いろなトマトがのぞいているのは立派だった。だからネリが云った。 『にいさま、あのトマトどうしてあんなに光るんでしょうね。』
12 どんどん 遠くの遠くの野はらの方から何とも云えない奇体ないい音が風に吹き飛ばされて聞えて来るんだ。・・・  それからペムペルが云った。『ね、行って見ようよ、あんなにいい音がするんだもの。』・・・  そこで二人は手をつないで果樹園を出て どんどんそっちへ走って行った。
13 ひょろひょろ そのうち音はもっとはっきりして来たのだ。ひょろひょろした笛の音も入っていたし、大喇叭《おおらっぱ》のどなり声もきこえた。 ぼくにはみんなわかって来たのだよ。
14 ぼやぼや 二人がも一度、樺の木の生えた丘をまわったとき、いきなり眼の前に白いほこりのぼやぼや立った大きな道が、横になっているのを見た。
15 チラチラ その右の方から、さっきの音がはっきり聞え、左の方からもう一団《ひとかたま》り、 白いほこりがこっちの方へやって来る。ほこりの中から、チラチラ 馬の足が光った。間もなくそれは近づいたのだ。 ペムペルとネリとは、手をにぎり合って、息をこらしてそれを見た。
16 ふうふう やって来たのは七人ばかりの馬乗りなのだ。馬は汗をかいて黒く光り、鼻からふうふう息をつき、しずかにだくをやっていた。乗ってるものはみな赤シャツで、てかてか光る赤革の長靴をはき、
17 てかてか やって来たのは七人ばかりの馬乗りなのだ。馬は汗をかいて黒く光り、鼻からふうふう息をつき、しずかにだくをやっていた。乗ってるものはみな赤シャツで、てかてか光る赤革の長靴をはき、
18 ひらひら 帽子には鷺の毛やなにか、白いひらひら するものをつけていた。鬚をはやしたおとなも居れば、 いちばんしまいにはペムペル位の頬のまっかな眼のまっ黒なかあいい子も居た。 ほこりの為にお日さまはぼんやり赤くなった。
19 ぎらぎら 左の方から又誰かゆっくりやって来るのだ。それは小さな家ぐらいある白い四角の箱のようなもので、 人が四五人ついて来た。だんだん近くになって見ると、ついて居るのはみんな黒ん坊で、 眼ばかりぎらぎら 光らして、ふんどしだけして裸足だろう。
20 ふう、ふう その白いのは箱じゃなかった。実は白いきれを四方にさげた、日本の蚊帳のようなもんで、 その下からは大きな灰いろの四本の脚が、ゆっくりゆっくり上ったり下ったりしていたのだ。・・・  時々ふう、ふうという呼吸の音も聞えた。 二人はいよいよ堅く手を握ってついて行った。
21 ひんひん さっきからの音がいよいよ近くなり、すぐ向うの丘のかげでは、さっきのらしい馬のひんひん啼くのも鼻をぶるるっと鳴らすのも聞えたんだ。
22 ぶるるっ さっきからの音がいよいよ近くなり、すぐ向うの丘のかげでは、さっきのらしい馬のひんひん啼くのも鼻をぶるるっと鳴らすのも聞えたんだ。
23 どきどき ただその音が、野原を通って行く途中、だんだん音がかすれるほど、花のにおいがついて行ったんだ。 白い四角な家も、・・・ みんなは吸いこまれるように、三人五人ずつ中へはいって行ったのだ。  ペムペルとネリとは息をこらして、じっとそれを見た。『僕たちも入ってこうか。』ペムペルが胸を どきどきさせながら云った。 『入りましょう』とネリも答えた。
24 じっ けれども何だか二人とも、安心にならなかったのだ。どうもみんなが入口で何か番人に渡すらしいのだ。  ペムペルは少し近くへ寄って、 じっとそれを見た。食い付くように見ていたよ。  そしたらそれはたしかに銀か黄金かのかけらなのだ。
25 どんどんどんどん だからペムペルも黄金をポケットにさがしたのだ。 『ネリ、お前はここに待っといで。僕一寸うちまで行って来るからね。』・・・  ペムペルはそれはひどく走ったよ。そのぼんやりした青じろい光で、・・・  どんどんどんどんペムペルはかけた。
26 ぐるぐる 僕は追いつくのがほんとうに辛かった。 眼がぐるぐるして、 風がぶうぶう鳴ったんだ。
27 ぶうぶう 僕は追いつくのがほんとうに辛かった。 眼がぐるぐるして、 風がぶうぶう鳴ったんだ。
28 ちらちら それからとうとうあの果樹園にはいったのだ。・・・  あの黄いろの実のなるトマトの木から、黄いろのトマトの実を四つとった。それからまるで風のよう、 あらしのように汗と動悸で燃えながら、さっきの草場にとって返した。僕も全く疲れていた。  ネリはちらちらこっちの方を見てばかりいた
29 わっ 二人は手をつないで木戸口に来たんだ。ペムペルはだまって二つのトマトを出したんだ。・・・  番人は『ええ、いらっしゃい。』と言いながら、トマトを受けとり、・・・  『何だ。この餓鬼め。人をばかにしやがるな。・・・ 』 そしてトマトを投げつけた。あの黄のトマトをなげつけたんだ。その一つはひどくネリの耳にあたり、 ネリはわっ と泣き出し、みんなはどっ と笑ったんだ。ペムペルはすばやくネリをさらうように抱いて、そこを遁げ出した。
30 チクチク 私も大へんかなしくなって「じゃ蜂雀。さようなら。僕又来るよ。・・・ ありがとうよ。」 と云いながら、・・・ しずかに廊下へ出たのです。 そして俄かにあんまりの明るさと、あの兄妹のかあいそうなのとに、眼がチクチク ッと痛み、涙がぼろぼろ こぼれたのです。
31 ぼろぼろ 私も大へんかなしくなって「じゃ蜂雀。さようなら。僕又来るよ。・・・ ありがとうよ。」 と云いながら、・・・ しずかに廊下へ出たのです。 そして俄かにあんまりの明るさと、あの兄妹のかあいそうなのとに、眼がチクチク ッと痛み、涙がぼろぼろ こぼれたのです。
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kinoii      
k13
気のいい火山弾

1 ピクピク 「はあ、さうでせうね。今はあなたは、もう僕の五倍もせいが高いでせう。」「さう云へばまあさうですね。」かしはは、すっかり、うぬぼれて、枝をピクピクさせました。
2 くうんくうん 蚊が一疋くうんくうんとうなってやって来ました。
3 ザァザザザ お空。お空。お空のちゝは、つめたい雨のザァザザザ
4 トンテントン かしはのしづくトンテントン
5 ポッシャントン まっしろきりのポッシャントン
6 カンカンカン お空。お空。お空のひかり、おてんとさまは、カンカンカン
7 ツンツンツン 月のあかりは、ツンツンツン
8 ピッカリコ ほしのひかりの、ピッカリコ
9 プルルル 馬はプルルルと鼻を一つ鳴らして、 青い青い向ふの野原の方へ、歩き出しました。
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koori      
k14
氷と後光

氷と後光
1 すやすや 雪と月あかりの中を、汽車はいっしんに走っていました。  赤い天蚕絨の頭巾をかぶったちいさな子が、毛布につつまれて窓の下の飴色の壁に上手にたてかけられ、 まるで寝床に居るように、足をこっちにのばしてすやすや と睡っています。
2 がらん 窓のガラスはすきとおり、外はがらん として青く明るく見えました。
3 かたっ 若いお父さんは、その青白い時計をチョッキのポケットにはさんで靴を かたっと鳴らしました。  若いお母さんはまだこどもを見ていました。こどもの頬は苹果《りんご》のようにかがやき、 苹果のにおいは室いっぱいでした。
4 パサパサ 「ここどこでしょう。」「もう岩手県だよ。」「あの山の上に白く見えるの雲でしょうか。」 「雲だろうな。しかし凍っているだろうよ。」「吹雪じゃないんでしょうか。」 「そうだな、あそこだけ風が吹いてるかも知れないな。けれども風が山のパサパサ した雪を飛ばせたのか、その風が水蒸気をもっていて、 あんな山の稜の一層つめたい処で雪になったのかわからないね。」
5 うとうと そしてみんなはねむり、若いお父さんとお母さんもうとうと しました。山の中の小さな駅を素通りするたんびに がたっと横にゆれながら、 汽車はいっしんにその七時雨の傾斜をのぼって行きました。
6 がたっ そしてみんなはねむり、若いお父さんとお母さんもうとうと しました。山の中の小さな駅を素通りするたんびに がたっと横にゆれながら、 汽車はいっしんにその七時雨の傾斜をのぼって行きました。
7 ごとごとごとごと 電燈は青い環をつけたり碧孔雀になって翅をひろげ子供の天蓋をつくったりしました。 ごとごとごとごと 、汽車はいっしんに走りました。「おや、変に寒くなったぞ。」  しばらくたって若いお父さんは室の中を見まわしながら云いました。電燈もまるでくらくなって、 タングステンがやっと赤く熱っているだけでした。
8 とろっ 「どうしたんだろう。ああ寒い。風邪を引かせちゃ大へんだぜ。何時だろう。ほんの とろっ としただけだったが。」  時計の黒い針は、かっきりと夜中の四時を指し、窓のガラスはすっかり氷で曇っていました。
9 すうすう 汽車は峠の頂上にかかったらしく、青い信号燈や何かがぼんやりと窓の外を過ぎ、 こどもはまた窓のところに、前より少しうつむいて置かれました。深く息をしながらやっぱり すうすう寝ています。
10 ぎらぎら 外が冷えて来たらしく窓は湯気が凍りついて白くなりました。そしてまた夢の合間あいまに、 電燈はまばゆい蒼孔雀に変って紋のついた尾翅をぎらぎら にのばし、そのおいしそうなこどもをたべたそうにしたり、大事そうにしたりしました。
11 どやどや 「盛岡、五分停車、盛岡、五分停車。」それからカラコロセメントの上をかける下駄の音、 たしかにそれは明方でした。(ふう、今朝ずいぶん冷えるな。) 犬の毛皮を着たり黒いマントをかぶったりして八九人の人たちがどやどや 車室に入って来ました。 その人たちの頭巾やえり巻には氷がまっ白な毛のようになって結晶していて、 ちょっと見ると山羊の毛でも飾りつけてあるようでした。
12 こつこつ 向うの横の方の席に腰かけていた線路工夫は、しばらく自分の前の氷を見ていました。 それから爪でこつこつ削げました。 それから息をかけました。そのすきとおった氷の穴から黝んだ松林と薔薇色の雪とが見えました。
13 バァ 「この子供が大きくなってね、それからまっすぐに立ちあがってあらゆる生物のために、 無上菩提を求めるなら、そのときは本当にその光がこの子に来るのだよ。 それは私たちには何だかちょっとかなしいようにも思われるけれども、もちろんそう祈らなければならないのだ。」  若いお母さんはだまって下を向いていました。こどもは苹果を投げるようにして バァと云いました。すっかりひるまになったのです。
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kounbu      
k15
耕耘部の時計

耕耘部の時計
1 ツルツル 赤シャツはみんなの仕度する間、入口にまっすぐに立って、室の中を見まはしてゐましたが、 ふと室の正面にかけてある円い柱時計を見あげました。  その盤面は青じろくて、ツルツル光って、いかにも舶来の上等らしく、どこでも見たことのないやうなものでした。
2 くすり 赤シャツは右腕をあげて自分の腕時計を見て何気なく低くつぶやきました。 「あいつは十五分進んでゐるな。」それから腕時計の竜頭を引っぱって針を直さうとしました。 そしたらさっきから仕度ができてめづらしさうにこの新らしい農夫の近くに立ってそのやうすを見てゐた子供の百姓が俄かに くすりと笑ひました。
3 どきまぎ 赤シャツはすっかりどきまぎしてしまひました。そしてきまりの悪いのを軽く足ぶみなどをしてごまかしながら みんなの仕度のできるのを待ってゐました。
4 どんどん 脱穀器は小屋やそこら中の雪、それからすきとほったつめたい空気をふるはせてまはりつゞけました。  小屋の天井にのぼった人たちは、器械の上の方からどんどん 乾いた玉蜀黍《たうもろこし》をはふり込みました。 ・・・ 今朝来たばかりの赤シャツの農夫は、シャベルで落ちて来る穀粒をしゃくって向ふに投げ出してゐました。 それはもう黄いろの小山を作ってゐたのです。
5 ピタッ ほこりはいっぱいに立ち、午ちかくの日光は四つの窓から四本の青い棒になって小屋の中に落ちました。 赤シャツの農夫はすっかり塵にまみれ、しきりに汗をふきました。俄かにピタッ とたうもろこしの粒の落ちて来るのがとまりました。
6 ぽろぽろ それからもう四粒ばかり ぽろぽろっところがって来たと思ふと あとは器械ばかりまるで今までとちがった楽なやうな音をたてながらまはりつゞけました。
7 カランカラン その時、向ふの農夫室のうしろの雪の高みの上に立てられた高い柱の上の小さな鐘が、 前後にゆれ出し音はカランカラン カランカランとうつくしく雪を渡って来ました。
8 チラチラ 午の食事が済んでから、みんなは農夫室の火を囲んでしばらくやすんで居ました。 炭火はチラチラ青い焔を出し、窓ガラスからはうるんだ白い雲が、 額もかっと痛いやうなまっ青なそらをあてなく流れて行くのが見えました。
9 かっ 午の食事が済んでから、みんなは農夫室の火を囲んでしばらくやすんで居ました。 炭火はチラチラ青い焔を出し、窓ガラスからはうるんだ白い雲が、 額もかっと痛いやうなまっ青なそらをあてなく流れて行くのが見えました。
10 がちっ 「さあぢき一時だ、みんな仕事に行って呉れ。」農夫長が云ひました。  赤シャツの農夫はまたこっそりと自分の腕時計を見ました。  たしかに腕時計は一時五分前なのにその大きな時計は一時二十分前でした。農夫長はぢき一時だと云ひ、 時計もたしかにがちっ と鳴り、それに針は二十分前、今朝は進んでさっきは合ひ、 今度は十五分おくれてゐる、赤シャツはぼんやりダイアルを見てゐました。
11 クスクス 俄かに誰かがクスクス 笑ひました。みんなは続いて どっ と笑ひました。すっかり今朝の通りです。赤シャツの農夫はきまり悪さうに、 急いで戸をあけて脱穀小屋の方へ行きました。
12 どっ 俄かに誰かがクスクス 笑ひました。みんなは続いて どっ と笑ひました。すっかり今朝の通りです。赤シャツの農夫はきまり悪さうに、 急いで戸をあけて脱穀小屋の方へ行きました。
13 ガンガンガンガン あの蒼白い美しい柱時計がガンガンガンガン 六時を打ちました。藁の上の若い農夫は ぎょっ としました。そして急いで自分の腕時計を調べて、 それからまるで食ひ込むやうに向ふの怪しい時計を見つめました。腕時計も六時、 柱時計の音も六時なのにその針は五時四十五分です。
14 ぎょっ あの蒼白い美しい柱時計がガンガンガンガン 六時を打ちました。藁の上の若い農夫は ぎょっ としました。そして急いで自分の腕時計を調べて、 それからまるで食ひ込むやうに向ふの怪しい時計を見つめました。腕時計も六時、 柱時計の音も六時なのにその針は五時四十五分です。
15 がたがた 赤シャツの農夫は、窓ぶちにのぼって、時計の蓋をひらき、針をがたがた 動かして見てから、盤に書いてある小さな字を読みました。 「この時計、上等だな。巴里製だ。針がゆるんだんだ。」
16 ぴょん 若い農夫は、も一度自分の腕時計に柱時計の針を合せて、安心したやうに蓋をしめ、 ぴょん と土間にはね降りました。
17 こんこんこんこん 外では雪が こんこんこんこん 降り、酒を呑みに出掛けた人たちも、停車場まで行くのはやめたらうと思はれたのです。
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kumoto      
k16
蜘蛛となめくじと狸

蜘蛛となめくじと狸
1 くうん 蜘蛛はひもじいのを我慢して、早速お月様の光をさいわいに、網をかけはじめました。・・・ 夜あけごろ、遠くから蚊がくうんとうなってやって来て網につきあたりました。
2 ギラギラ 蜘蛛はそして葉のかげに戻って、六つの眼をギラギラ光らせてじっと網をみつめて居りました。
3 パチパチ 「ここはどこでござりまするな。」と云いながらめくらのかげろうが杖をついてやって参りました。 「ここは宿屋ですよ。」と蜘蛛が六つの眼を別々にパチパチさせて云いました。
4 バタバタ 蜘蛛は走って出ました。そして「さあ、お茶をおあがりなさい。」 と云いながらかげろうの胴中にむんずと噛みつきました。かげろうはお茶をとろうとして出した手を空にあげて、 バタバタもがきながら、 ・・・ と哀れな声で歌い出しました。
5 ぱちぱち 蜘蛛はただ一息に、かげろうを食い殺してしまいました。そしてしばらくそらを向いて、 腹をこすってからちょっと眼をぱちぱちさせて 「小しゃくなことを言うまいぞ。」とふざけたように歌いながら又糸をはきました。
6 スルスル その時下の方でいい声で歌うのをききました。「赤いてながのくぅも、天のちかくをはいまわり、 スルスル光のいとをはき、 きぃらりきぃらり巣をかける。」
7 きぃらりきぃらり その時下の方でいい声で歌うのをききました。「赤いてながのくぅも、天のちかくをはいまわり、 スルスル光のいとをはき、 きぃらりきぃらり巣をかける。」
8 すうっ 見るとそれはきれいな女の蜘蛛でした。「ここへおいで。」と手長の蜘蛛が云って糸を一本 すうっとさげてやりました。 女の蜘蛛がすぐそれにつかまってのぼって来ました。そして二人は夫婦になりました。
9 へらへら ある日夫婦のくもは、葉のかげにかくれてお茶をのんでいますと、下の方でへらへらした声で歌うものがあります。
10 すうすう 網は時々風にやぶれたりごろつきのかぶとむしにこわされたりしましたけれどもくもはすぐすうすう糸をはいて修繕しました。
11 キリキリキリ 蜘蛛はキリキリキリッとはがみをして云いました。 「何を。狸め。一生のうちにはきっとおれにおじぎをさせて見せるぞ。」
12 ずんずん それからは蜘蛛は、もう一生けん命であちこちに十も網をかけたり、夜も見はりをしたりしました。 ところが困ったことは腐敗したのです。食物がずんずんたまって、 腐敗したのです。
13 べとべと そして蜘蛛の夫婦と子供にそれがうつりました。 そこで四人は足のさきからだんだん腐れてべとべと になり、ある日とうとう雨に流れてしまいました。
14 どくどく かたつむりは「なめくじさん。・・・ まるで食べるものはなし、水はなし、すこしばかりお前さんのためてあるふきのつゆを呉れませんか。」と云いました。するとなめくじが云いました。「あげますともあげますとも。・・・」かたつむりはふきのつゆをどくどくのみました。
15 もがもが そしてなめくじはとかげの傷に口をあてました。「ありがとう。なめくじさん。」ととかげは云いました。「も少しよく嘗めないとあとで大変ですよ。・・・ ハッハハ。」となめくじはもがもが返事をしながらやはりとかげを嘗めつづけました。
16 ヘラヘラ なめくじはいつでもハッハハと笑って、そしてヘラヘラした声で物を言うけれども、どうも心がよくなくて蜘蛛やなんかよりは却って悪いやつだというのでみんなが軽べつをはじめました。
17 むにゃむにゃ 狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、 「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどおり。なまねこ。」と云いながら、 とうとう兎の両方の耳をたべてしまいました。
18 ボロボロ 兎もそうきいていると、たいへんうれしくてボロボロ兎の耳をかみながら、 涙をこぼして云いました。「なまねこ、なまねこ。ああありがたい、山猫さま。 私のような悪いものでも助かりますなら耳の二つやそこらなんでもございませぬ。なまねこ。」
19 ペロリ さて蜘蛛はとけて流れ、なめくじはペロリ とやられ、そして狸は病気にかかりました。・・・ そしてまっくろになって、熱にうかされて、「・・・おれは地獄行きのマラソンをやったのだ。 うう、切ない。」といいながらとうとう焦げて死んでしまいました。
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kunezumi      
k17
クねずみ

1 ペチン 「ねずみ競争新聞」というのは実にいい新聞です。・・・ ハねずみヒねずみフねずみの三匹のむすめねずみが学問の競争をやって、比例の問題まで来たとき、とうとう三匹とも頭がペチンと裂けたことでも、なんでもすっかり出ているのでした。
2 フウフウ その時みんなのうしろの方で、フウフウと言うひどい音が聞こえ、二つの目玉が火のように光って来ました。それは例の猫大将でした。
3 ホクホク クねずみはこわごわあとについて行きました。猫のおうちはどうもそれは立派なもんでした。紫色の竹で編んであって中はわらや布きれでホクホクしていました。
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kurobudo      
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黒ぶだう

黒ぶどう
1 ぶらぶら 仔牛が厭《あ》きて頭をぶらぶら振ってゐましたら向ふの丘の上を通りかかった赤狐が風のやうに走って来ました。 「おい、散歩に出ようぢゃないか。僕がこの柵を持ちあげてゐるから早くくぐっておしまひ。」
2 タン、タン そして二人は樺林の中のベチュラ公爵の別荘の前を通りました。  ところが別荘の中はしいんとして・・・ 中には誰も居ないやうでした。そこで狐がタン、タンと二つ舌を鳴らしてしばらく立ちどまってから云ひました。 「おい、ちょっとはひって見ようぢゃないか。大丈夫なやうだから。」
3 びくびく 犢《こうし》はこはさうに建物を見ながら云ひました。「あすこの窓に誰かゐるぢゃないの。」 「どれ、何だい、びくびくするない。あれは公爵のセロだよ。だまってついておいで。」「こはいなあ、僕は。」
4 がたがた 赤狐はわき玄関の扉のとこでちょっとマットに足をふいてそれからさっさと段をあがって家の中に入りました。 仔牛もびくびくしながらその通りしました。「おい、お前の足はどうしてさう がたがた鳴るんだい。」 赤狐は振り返って顔をしかめて仔牛をおどしました。
5 ぐんぐん 僕はあのいつか公爵の子供が着て居た赤い上着なら見たいなあと仔牛は思ひましたけれどももう狐が ぐんぐん 向ふへ行くもんですから仕方なくついて行きました。
6 てかてか はしご段をのぼりましたら一つの室があけはなしてありました。・・・  てかてか した円卓の上にまっ白な皿があってその上に立派な二房の黒ぶだうが置いてありました。 冷たさうな影法師までちゃんと添へてあったのです。
7 べろり 「おい、君もやり給へ。蜂蜜の匂もするから。」狐は一つぶべろり となめてつゆばかり吸って皮と肉とさねは一しょに絨鍛の上にはきだしました。
8 きょろきょろ 「そばの花の匂もするよ。お食べ。」狐は二つぶ目のきょろきょろした青い肉を吐き出して云ひました。
9 プッ 「いゝともさ。」狐はプッ と五つぶめの肉を吐き出しながら云ひました。
10 コツコツコツコツ 仔牛は コツコツコツコツ と葡萄のたねをかみ砕いてゐました。 「うまいだらう。」狐はもう半ぶんばかり食ってゐました。
11 カチッ そのとき下の方で「ではあれはやっぱりあのまんまにして置きませう。」 といふ声とステッキのカチッ と鳴る音がして誰か二三人はしご段をのぼって来るやうでした。
12 ひらっ 狐はちょっと眼を円くして・・・ バルコンへ飛び出し ひらっ と外へ下りてしまひました。仔牛はあわてて室の出口の方へ来ました。
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kuruma      
k19


車
1 ぐいぐい 赤髯の男はぐいぐいハーシュの手を引っぱって一台の よぼよぼの車のとこまで連れて行きました。
2 よぼよぼ 赤髯の男はぐいぐいハーシュの手を引っぱって一台の よぼよぼの車のとこまで連れて行きました。
3 ツンツン ハーシュは車をひいて青い松林のすぐそばまで来ました。すがすがしい松脂《まつやに》のにほひがして鳥もツンツン啼きました。
4 しげしげ ふとハーシュは縮れ毛の可愛らしい子供が水色の水兵服を着て空気銃を持ってばらの藪のこっち側に立ってしげしげとハーシュの車をひいて来るのを見てゐるのに気が付きました。 あんまりこっちを見てゐるのでハーシュはわらひました。
5 そろそろ 「そんならお乗りなさい。よおっと。そら。しっかりつかまっておいでなさい。鉄砲は前へ置いて。 そら、動きますよ。」ハーシュはうしろを見ながら車をそろそろ引っぱりはじめました。
6 がたがた 子供は思ったよりも車ががたがた するので唇をまげてやっぱり少し怖いやうでした。それでも一生けん命つかまってゐました。
7 ずんずん ハーシュはずんずん 車を引っぱりました。みちが だんだん せまくなって車の輪はたびたび道のふちの草の上を通りました。 そのたびに車はがたっ とゆれました。子供は一生けん命車にしがみついてゐました。
8 だんだん ハーシュはずんずん 車を引っぱりました。みちが だんだん せまくなって車の輪はたびたび道のふちの草の上を通りました。 そのたびに車はがたっ とゆれました。子供は一生けん命車にしがみついてゐました。
9 がたっ ハーシュはずんずん 車を引っぱりました。みちが だんだん せまくなって車の輪はたびたび道のふちの草の上を通りました。 そのたびに車はがたっ とゆれました。子供は一生けん命車にしがみついてゐました。
10 ぶつぶつ ハーシュはしょげて繩をそこに置いて車の方に戻りました。 百姓のおかみさんはあとでまだぶつぶつ 云ってゐました。「あの繩綯《な》ふに一時間かかったんだ。 仕方ない。怒るのはもっともだ。」ハーシュは眼をつぶってさう思ひました。
11 がりがり 水は二寸ぐらゐしかありませんでしたからハーシュは車を引いて川をわたりました。 砂利ががりがり 云ひ子供はいよいよ一生けん命にしがみ附いてゐました。
12 しぃん 松やにの匂がしぃん として青い煙はあがり日光はさんさんと降ってゐました。
13 さんさん 松やにの匂がしぃん として青い煙はあがり日光はさんさんと降ってゐました。
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magnoria      
m 1
マグノリアの木

マグノリアの木
1 じめじめ 霧がじめじめ降っていた。  諒安《りょうあん》は、その霧の底をひとり、険しい山谷の、刻みを渉《わた》って行きました。
2 ほっ もしもほんの少しのはり合で霧を泳いで行くことができたら一つの峯から次の巌へ ずいぶん雑作もなく行けるのだが私はやっぱりこの意地悪い大きな彫刻の表面に沿って けわしい処ではからだが燃えるようになり少しの平らなところではほっ と息をつきながら地面を這わなければならないと諒安は思いました。
3 ガツガツ 全く峯にはまっ黒のガツガツ した巌が冷たい霧を吹いて そらうそぶき折角いっしんに登って行ってもまるでよるべもなくさびしいのでした。
4 ぎっしり それから谷の深い処には細かなうすぐろい灌木がぎっしり 生えて光を通すことさえも慳貪《けんどん》そうに見えました。  それでも諒安は次から次とそのひどい刻みをひとりわたって行きました。
5 ふっ 何べんも何べんも霧がふっ と明るくなりまたうすくらくなりました。
6 つやつや つやつや 光る竜の髯のいちめん生えた少しのなだらに来たとき諒安はからだを投げるようにして とろとろ睡ってしまいました。
7 とろとろ つやつや 光る竜の髯のいちめん生えた少しのなだらに来たとき諒安はからだを投げるようにして とろとろ睡ってしまいました。
8 うとうと (これがお前の世界なのだよ、お前に丁度あたり前の世界なのだよ。 それよりもっとほんとうはこれがお前の中の景色なのだよ。)  誰かが、或いは諒安自身が、耳の近くで何べんも斯う叫んでいました。 (そうです。そうです。そうですとも。いかにも私の景色です。私なのです。だから仕方がないのです。) 諒安はうとうと斯う返事しました。
9 とっと 全く霧は白く痛く竜の髯の青い傾斜はその中にぼんやりかすんで行きました。 諒安はとっととかけ下りました。
10 さっ その時霧は大へん陰気になりました。そこで諒安は霧にそのかすかな笑いを投げました。 そこで霧はさっと明るくなりました。  そして諒安はとうとう一つの平らな枯草の頂上に立ちました。
11 ひらっ 諒安は自分のからだから少しの汗の匂いが細い糸のようになって霧の中へ騰って行くのを思いました。 その汗という考から一疋の立派な黒い馬がひらっと躍り出して霧の中へ消えて行きました。
12 きんきん 霧が俄かにゆれました。そして諒安はそらいっぱいにきんきん 光って漂う琥珀の分子のようなものを見ました。
13 きらっ いつか諒安の影がうすくかれ草の上に落ちていました。一きれのいいかおりが きらっ と光って霧とその琥珀との浮遊の中を過ぎて行きました。
14 ぱっ と思うと俄かにぱっ とあたりが黄金に変りました。霧が融けたのでした。・・・  (ああこんなけわしいひどいところを私は渡って来たのだな。けれども何というこの立派さだろう。 そしてはてな、あれは。)諒安は眼を疑いました。 そのいちめんの山谷の刻《きざ》みにいちめんまっ白にマグノリアの木の花が咲いているのでした。 ・・・ すぐ向うに一本の大きなほおの木がありました。その下に二人の子供が幹を間にして立っているのでした。 ・・・ その子供らは羅《うすもの》をつけ瓔珞《ようらく》をかざり日光に光り、 すべて断食のあけがたの夢のようでした。
15 ずうっ 子供らと同じなりをした丁度諒安と同じくらいの人がまっすぐに立ってわらっていました。・・・  「ほんとうにここは平らですね。」・・・  「ええ、平らです、けれどもここの平らかさはけわしさに対する平らさです。ほんとうの平らさではありません。」 「そうです。それは私がけわしい山谷を渡ったから平らなのです。」 「ごらんなさい、そのけわしい山谷にいまいちめんにマグノリアが咲いています。」・・・  「それはみんな善です。」・・・  「そうです、そしてまた私どもの善です。覚者の善は絶対です。それはマグノリアの木にもあらわれ、 けわしい峯のつめたい巌にもあらわれ、谷の暗い密林もこの河がずうっ と流れて行って氾濫をするあたりの度々の革命や饑饉や疫病やみんな覚者の善です。 けれどもここではマグノリアの木が覚者の善でまた私どもの善です。」
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malibran      
m 3
マリヴロンと少女

マリヴロンと少女
1 きらきら ひとりの少女が楽譜をもってためいきしながら藪のそばの草にすわる。  かすかなかすかな日照り雨が降って、草はきらきら光り、向うの山は暗くなる。
2 ばらばら そのありなしの日照りの雨が霽《は》れたので、草はあらたにきらきら光り、 向うの山は明るくなって、少女はまぶしくおもてを伏せる。そっちの方から、もずが、まるで音譜をばらばらにしてふりまいたように飛んで来て、 みんな一度に、銀のすすきの穂にとまる。
3 ぽたぽた めくらぶどうの藪からはきれいな雫がぽたぽた落ちる。かすかなけはいが藪のかげからのぼってくる。 今夜市庁のホールでうたうマリヴロン女史がライラックいろのもすそをひいてみんなをのがれて来たのである。
4 ふっ いま、そのうしろ、東の灰色の山脈の上を、つめたい風が ふっ と通って、大きな虹が、明るい夢の橋のようにやさしく空にあらわれる。  少女は楽譜をもったまま化石のようにすわってしまう。
5 うっとり マリヴロンは、 うっとり 西の碧いそらをながめていた大きな碧い瞳を、 そっちへ向けてすばやく楽譜に記された少女の名前を見てとった。 「何かご用でいらっしゃいますか。あなたはギルダさんでしょう。」
6 プリプリ 少女のギルダは、まるでぶなの木の葉のように プリプリ ふるえて輝いて、いきがせわしくて思うように物が云えない。 「先生どうか私のこころからうやまいを受けとって下さい。」マリヴロンはかすかにといきしたので、 その胸の黄や菫《すみれ》の宝石は一つずつ声をあげるように輝きました。
7 ピー 停車場の方で、鋭い笛が ピー と鳴り、もずはみな、一ぺんに飛び立って、気違いになったばらばらの楽譜のように、 やかましく鳴きながら、東の方へ飛んで行く。
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manazuru      
m 3
まなずるとダァリア

まなずるとダァリア
1 ピートリリ、ピートリリ やがて太陽は落ち、黄水晶の薄明穹《はくめいきゅう》も沈み、星が光りそめ、 空は青黝《あをぐろ》い淵になりました。 ピートリリ、ピートリリと鳴いて、その星あかりの下を、まなづるの黒い影がかけて行きました。 「まなづるさん。あたしずゐぶんきれいでせう。」赤いダァリヤが云ひました。「あゝきれいだよ。赤くってねえ。」 鳥は向ふの沼の方のくらやみに消えながらそこにつゝましく白く咲いてゐた一本の白いダァリヤに声ひくく叫びました。 「今ばんは。」白いダァリヤはつゝましくわらってゐました。
2 もじゃもじゃ 山山にパラフィンの雲が白く澱み、夜が明けました。黄色なダァリヤはびっくりして、叫びました。 「まあ、あなたの美しくなったこと。あなたのまはりは桃色の後光よ。」 「ほんたうよ。あなたのまはりは虹から赤い光だけ集めて来たやうよ。」 「あら、さう。だってやっぱりつまらないわ。あたしあたしの光でそらを赤くしようと思ってゐるのよ。 お日さまが、いつもより金粉をいくらかよけいに撒いていらっしゃるのよ。」 黄色な花は、どちらもだまって口をつぐみました。  その黄金いろのまひるについで、藍晶石のさはやかな夜が参りました。いちめんのきら星の下を、 もじゃもじゃのまなづるがあわたゞしく飛んで過ぎました。 「まなづるさん。あたしかなり光ってゐない?」
3 いらいら 夜があけかゝり、その桔梗色の薄明の中で、黄色なダァリヤは、赤い花を一寸見ましたが、 急に何か恐さうに顔を見合せてしまって、一ことも物を云ひませんでした。赤いダァリヤが叫びました。 「ほんたうにいらいらするってないわ。今朝はあたしはどんなに見えてゐるの。」
4 おづおづ 一つの黄色のダァリヤが、おづおづしながら云ひました。「きっとまっ赤なんでせうね。 だけどあたしらには前のやうに赤く見えないわ。」 「どう見えるの。云って下さい。どう見えるの。」
5 もぢもぢ も一つの黄色なダァリヤが、もぢもぢ しながら云ひました。「あたしたちにだけさう見えるのよ。ね。 気にかけないで下さいね。あたしたちには何だかあなたに黒いぶちぶち ができたやうに見えますわ。」
6 ぶちぶち も一つの黄色なダァリヤが、もぢもぢ しながら云ひました。「あたしたちにだけさう見えるのよ。ね。 気にかけないで下さいね。あたしたちには何だかあなたに黒いぶちぶち ができたやうに見えますわ。」
7 つやつや 太陽は一日かゞやきましたので、丘の苹果《りんご》の半分は つやつや赤くなりました。  そして薄明が降り、黄昏《くわうこん》がこめ、それから夜が来ました。
8 ふらふら 夜があけはじめました。その青白い苹果の匂のするうすあかりの中で、赤いダァリヤが云ひました。 「ね、あたし、今日はどんなに見えて。早く云って下さいな。」黄色なダァリヤは、いくら赤い花を見ようとしても、 ふらふらしたうすぐろいものがあるだけでした。「まだ夜があけないからわかりませんわ。」
9 ポキリ そのとき顔の黄いろに尖ったせいの低い変な三角の帽子をかぶった人がポケットに手を入れてやつて来ました。そしてダァリヤの花を見て叫びました。 「あっこれだ。これがおれたちの親方の紋だ。」そして ポキリと枝を折りました。
10 ぐったり 赤いダァリヤはぐったり となってその手のなかに入って行きました。
11 ギラギラ 「どこへいらっしゃるのよ。どこへいらっしゃるのよ。あたしにつかまって下さいな。 どこへいらっしゃるのよ。」二つのダァリヤも、たまらずしくりあげながら叫びました。  遠くからかすかに赤いダァリヤの声がしました。その声もはるかにはるかに遠くなり、 今は丘のふもとのやまならしの梢のさやぎにまぎれました。そして黄色なダァリヤの涙の中で ギラギラの太陽はのぼりました。
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matsuri      
m 4
祭の晩

祭の晩
1 だぶだぶ 山の神の秋の祭りの晩でした。・・・ 「空気獣」という見世物が大繁盛でした。 それは、髪を長くして、だぶだぶのずぼんをはいたあばたな男が、小屋の幕の前に立って、 「さあ、みんな、入れ入れ」と大威張りでどなっているのでした。
2 ふらふら 台の上に空気獣がねばりついていたのです。それは大きな平べったいふらふらした白いもので、どこが頭だか口だかわからず、・・・
3 しげしげ それは古い白縞の単物に、へんな簑のようなものを着た、顔の骨ばって赤い男で、・・・ 亮二が不思議がってしげしげ見ていましたら、にわかにその男が、眼をぱちぱちっとして、 それから急いで向うを向いて木戸口の方に出ました。亮二もついて行きました。
4 きらきら その辺一ぱいにならんだ屋台の青い苹果《りんご》や葡萄が、アセチレンのあかりできらきら光っていました。亮二は、アセチレンの火は青くてきれいだけれどもどうも大蛇のような悪い臭がある、 などと思いながら、そこを通り抜けました。
5 もじゃもじゃ 亮二も急いでかけて行って、みんなの横からのぞき込みました。するとさっきの大きな男が、 髪をもじゃもじゃして、しきりに村の若い者にいじめられているのでした。
6 てかてか 何か言おうとするのでしたが、どうもひどくどもってしまって語《ことば》が出ないようすでした。 てかてか髪をわけた村の若者が、みんなが見ているので、いよいよ勢いよくどなっていました。
7 ぱちぱち 「うそをつけ、この野郎。どこの国に、団子二串に薪百把払うやづがあっか。全体きさんどこのやつだ」 「そ、そ、そ、そ、そいつはとても言われない。許してくれろ」男は黄金色の眼を ぱちぱちさせて、汗をふきふき言いました。 一緒に涙もふいたようでした。
8 もにゃもにゃ 男は首を垂れ、手をきちんと膝まで下げて、一生けん命口の中で何かもにゃもにゃ言っていました。
9 がやがや 「山男だ、山男だ」みんなは叫んで、がやがやあとを追おうとしましたが、もうどこへ行ったか、影もかたちも見えませんでした。
10 ごうごう 風がごうごうっと吹き出し、まっくろなひのきがゆれ、掛茶屋のすだれは飛び、あちこちのあかりは消えました。  かぐらの笛がそのときはじまりました。
11 ずうっ おじいさん、山男は山で何をしているのだろう」 「そうさ、木の枝で狐わなをこさえたりしてるそうだ。こういう太い木を一本、 ずうっと曲げて、 それをもう一本の枝でやっと押えておいて、その先へ魚などぶら下げて、
12 ばちん 狐だの熊だの取りに来ると、枝にあたって ばちんとはねかえって殺すようにしかけたりしているそうだ」
13 どしんがらがらがら その時、表の方で、どしんがらがらがらっという大きな音がして、家は地震の時のようにゆれました。亮二は思わずお爺さんにすがりつきました。
14 ぼりぼり 見ると家の前の広場には、太い薪が山のように投げ出されてありました。太い根や枝までついた、ぼりぼりに折られた太い薪でした。
15 ごうっ 亮二はだまって青い斜めなお月さまをながめました。風が山の方で、 ごうっと鳴っております。
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mekura      
m 5
めくらぶどうと虹

めくらぶどうと虹
1 きらきら そのかすかなかすかな日照り雨が霽《は》れましたので、草はきらきら光り、向こうの山は明るくなって、たいへんまぶしそうに笑っています。
2 ばらばら そっちの方から、もずが、まるで音譜をばらばらにしてふりまいたように飛んで来て、みんな一度に、銀のすすきの穂にとまりました。
3 ぽたぽた めくらぶどうは感激して、すきとおった深い息をつき、葉から雫をぽたぽたこぼしました。
4 プリプリ やさしい虹は、うっとり西の碧いそらをながめていた大きな碧い瞳を、 めくらぶどうに向けました。・・・  めくらぶどうは、まるでぶなの木の葉のようにプリプリふるえて輝いて、いきがせわしくて思うように物が言えませんでした。 「どうか私のうやまいを受けとってください」
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mijikaiki      
m 6
みじかい木ぺん

みじかい木ぺん
1 がやがや キッコの村の学校にはたまりがありませんでしたから雨がふるとみんなは教室で遊びました。 ですから教室はあの水車小屋みたいな古臭い寒天のような教室でした。 みんなは胆取りと巡査にわかれてあばれています。・・・ がやがやがたがた 笑いながらしきりに何か書いているようでした。
2 がたがた キッコの村の学校にはたまりがありませんでしたから雨がふるとみんなは教室で遊びました。 ですから教室はあの水車小屋みたいな古臭い寒天のような教室でした。 みんなは胆取りと巡査にわかれてあばれています。・・・ がやがやがたがた 笑いながらしきりに何か書いているようでした。
3 にかにか ところがキッコは席も一番前のはじで胆取りにしてはあんまり小さく巡査にも弱かったものですから その中にはいりませんでした。机に座って下を向いて唇を噛んでにかにか笑いながらしきりに何か書いているようでした。
4 がたっ ところがみんなはずいぶんひどくはねあるきました。キッコの机はたびたび誰かにぶっつかられて 暗礁に乗りあげた船のようにがたっ とゆれました。
5 ひらっ そして「いがキッコこの木ペン耳さ入るじゃぃ。」と云いながら ほんとうにキッコの鉛筆を耳に入れてしまったようでした。キッコは泣いて追いかけましたけれども 慶助はもうひらっ と廊下へ出てそれからどこかへかくれてしまいました。
6 ちらっ そのうち授業のかねがなって慶助は教室に帰って来遠くからキッコを ちらっとみましたが、 ・・・ 顔をまっかにしてふうふう 息をついていました。
7 ふうふう そのうち授業のかねがなって慶助は教室に帰って来遠くからキッコを ちらっとみましたが、 ・・・ 顔をまっかにしてふうふう 息をついていました。
8 ピー そのときキッコは向うから・・・ 一人のおじいさんが大へん考え込んでこっちへ来るのを見ました。 おじいさんは変な黒い沓をはいていました。そしてキッコと行きちがうとき いきなり顔をあげてキッコを見てわらいました。「今日学校で泣いたな。目のまわりが狸のようになっているぞ。」 すると頭の上で鳥が ピー となきました。キッコは顔を赤くして立ちどまりました。 「何を泣いたんだ。正直に話してごらん。聞いてあげるから。」
9 しぃん すると鳥はにわかにしぃん となってそれから飛んで行ったらしく ぼろん という羽の音も聞え樺の木からは雫が きらきら光って降りました。
10 ぼろん すると鳥はにわかにしいん となってそれから飛んで行ったらしく ぼろん という羽の音も聞え樺の木からは雫が きらきら光って降りました。
11 きらきら すると鳥はにわかにしいん となってそれから飛んで行ったらしく ぼろん という羽の音も聞え樺の木からは雫が きらきら光って降りました。
12 しくしく おじいさんはやさしく云いました。「木ペン失ぐした。」キッコは両手を目にあてて またしくしく泣きました。「木ペン、なくした。そうか。そいつはかあいそうだ。まあ泣くな、 見ろ手がまっ赤じゃないか。」
13 ぼろぼろ おじいさんはごそごの着物のたもとを裏返しにしてぼろぼろ の手帳を出してそれにはさんだみじかい鉛筆を出して キッコの手に持たせました。キッコはまだ涙をぼろぼろ こぼしながら見ましたら その鉛筆は灰色でごそごそしておまけに心の色も黒でなくていかにも変な鉛筆でした。
14 チラチラ おじいさんはすっと行ってしまいました。風が来て樺の木はチラチラ 光りました。ふりかえって見ましたらおじいさんはもう林の向うにまがってしまったのか見えませんでした。
15 ごそごそ それからそうだ昨日の変な木ペンがある。 あれを使おう一時間ぐらいならもつだろうからと考えつきました。 そこでキッコはその鉛筆を出して先生の黒板に書いた問題を ごそごその藁紙の運算帳に書き取りました。  48×62= 
16 するする 「みなさん一けた目のからさきにかけて。」と先生が云いました。 「一けた目からだ。」とキッコが思ったときでした。不思議なことは鉛筆がまるでひとりでうごいて 96 と書いてしまいました。 するとまた鉛筆がうごき出してするするっと288と二けた目までのとこへ書いてしまいました。 キッコはもうあんまりびっくりして顔を赤くして堅くなってだまっていましたら 先生がまた「さあできたら寄せ算をして下さい。」と云いました。 またはじまるなと思っていましたらやっぱり、もうただ一いきに一本の線もひっぱって2976と書いてしまいました。
17 もじもじ 先生がむちを持って立って「では吉三郎さんと慶助さんと出て黒板へ書いて下さい。」と云いました。 〔キッコは筆記帳をもってはねあがりました。〕そして教壇へ行って テーブルの上の白墨をとっていまの運算を書きつけたのです。そのとき慶助は顔をまっ赤にして半分立ったまま自分の席で もじもじしていました。
18 にがにがにがにが 先生はむちでキッコのを説明しました。「よろしい、大へんよくできました。」キッコはもうにがにがにがにがわらって戻って来ました。
19 どんどん キッコは・・・ ふと算術帳と理科帳と取りちがえて書いたのに気がつきました。 この木ペンにはゴムもついていたと思いながら尻の方のゴムで消そうとしましたら もう今度は鉛筆がまるで踊るように二、三べん動いて間もなく表紙はあとも残さずきれいになってしまいました。 さあ、キッコのよろこんだことこんないい鉛筆をもっていたらもう勉強も何もいらない。ひとりで どんどんできるんだ。
20 ずんずん お話を自分でどんどんこさえながらずんずんそれを絵にして書いていきました。 その絵がまるでほんもののようでしたからキッコの弟のよろこびようと云ったらありませんでした。
21 だんだん ある朝キッコが学校へ行こうと思ってうちを出ましたらふとあの鉛筆がなくなっているのに気がつきました。 さあキッコのあわて方ったらありません。・・・ 「一ダース二十銭の鉛筆を二ダース半ではいくらですか。」 先生が云いました。みんなちょっと運算してそれからだんだん さっと手をあげました。とうとうみんなあげました。キッコも仕方なくあげました。 「キッコさん。」先生が云いました。キッコは勢よく立ちましたがあともう云えなくなって顔を赤くして・・・
22 さっ ある朝キッコが学校へ行こうと思ってうちを出ましたらふとあの鉛筆がなくなっているのに気がつきました。 さあキッコのあわて方ったらありません。・・・ 「一ダース二十銭の鉛筆を二ダース半ではいくらですか。」 先生が云いました。みんなちょっと運算してそれからだんだん さっと手をあげました。とうとうみんなあげました。キッコも仕方なくあげました。 「キッコさん。」先生が云いました。キッコは勢よく立ちましたがあともう云えなくなって顔を赤くして・・・
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nametoko      
n 1
なめとこ山の熊

なめとこ山の熊
1 がらん なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。 淵沢川はなめとこ山から出て来る。・・・ 山のなかごろに大きな洞穴ががらんとあいている。
2 ごう そこから淵沢川がいきなり三百尺ぐらいの滝になってひのきやいたやのしげみの中をごう と落ちて来る。
3 がさがさ 中山街道はこのごろは誰も歩かないから・・・ そこをがさがさ三里ばかり行くと向うの方で風が山の頂を通っているような音がする。 気をつけてそっちを見ると何だかわけのわからない白い細長いものが山をうごいて落ちてけむりを立てているのがわかる。 それがなめとこ山の大空滝だ。
4 ごちゃごちゃ そして昔はそのへんには熊がごちゃごちゃ 居たそうだ。ほんとうはなめとこ山も熊の胆も私は自分で見たのではない。
5 べろべろ 鉛の湯の入口になめとこ山の熊の胆ありという昔からの看板もかかっている。だからもう熊はなめとこ山で赤い舌をべろべろ吐いて谷をわたったり熊の子供らがすもうをとっておしまいぽかぽか撲《なぐ》りあったりしていることはたしかだ。
6 ぽかぽか 鉛の湯の入口になめとこ山の熊の胆ありという昔からの看板もかかっている。だからもう熊はなめとこ山で赤い舌をべろべろ吐いて谷をわたったり熊の子供らがすもうをとっておしまいぽかぽか撲《なぐ》りあったりしていることはたしかだ。
7 ごりごり 淵沢小十郎はすがめの赭黒《あかぐろ》いごりごりしたおやじで胴は小さな臼ぐらいはあったし 掌は北島の毘沙門さんの病気をなおすための手形ぐらい大きく厚かった。
8 ぱっ 小十郎は夏なら菩提樹の皮でこさえたけらを着てはむばきをはき生蕃《せいばん》の使うような山刀と ポルトガル伝来というような大きな重い鉄砲をもって たくましい黄いろな犬をつれてなめとこ山からしどけ沢から三つ又からサッカイの山からマミ穴森から白沢から まるで縦横にあるいた。木がいっぱい生えているから谷を溯っているとまるで青黒いトンネルの中を行くようで 時にはぱっと緑と黄金いろに明るくなることもあれば そこら中が花が咲いたように日光が落ちていることもある。
9 のっしのっし そこを小十郎が、まるで自分の座敷の中を歩いているというふうでゆっくりのっしのっしとやって行く。
10 ざぶん 犬はさきに立って崖を横這いに走ったりざぶんと水にかけ込んだり淵ののろのろした気味の悪いとこをもう一生けん命に泳いでやっと向うの岩にのぼるとからだを ぶるぶる っとして毛をたてて水をふるい落しそれから鼻をしかめて主人の来るのを待っている。
11 のろのろ 犬はさきに立って崖を横這いに走ったりざぶんと水にかけ込んだり淵ののろのろした気味の悪いとこをもう一生けん命に泳いでやっと向うの岩にのぼるとからだを ぶるぶる っとして毛をたてて水をふるい落しそれから鼻をしかめて主人の来るのを待っている。
12 ぶるぶる 犬はさきに立って崖を横這いに走ったりざぶんと水にかけ込んだり淵ののろのろした気味の悪いとこをもう一生けん命に泳いでやっと向うの岩にのぼるとからだを ぶるぶる っとして毛をたてて水をふるい落しそれから鼻をしかめて主人の来るのを待っている。
13 ぼちゃぼちゃ なめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。その証拠には熊どもは小十郎がぼちゃぼちゃ谷をこいだり谷の岸の細い平らないっぱいにあざみなどの生えているとこを通るときはだまって高いとこから見送っているのだ。
14 ごうごう けれども熊もいろいろだから気の烈しいやつならごうごう咆えて立ちあがって、 犬などはまるで踏みつぶしそうにしながら小十郎の方へ両手を出してかかって行く。
15 ズドン 小十郎はぴったり落ち着いて樹をたてにして立ちながら熊の月の輪をめがけて ズドンとやるのだった。
16 があっ すると森までががあっと叫んで熊はどたっと倒れ赤黒い血を どくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまうのだった。
17 どたっ すると森までががあっと叫んで熊はどたっと倒れ赤黒い血を どくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまうのだった。
18 どくどく すると森までががあっと叫んで熊はどたっと倒れ赤黒い血を どくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまうのだった。
19 くんくん すると森までががあっと叫んで熊はどたっと倒れ赤黒い血を どくどく吐き鼻をくんくん鳴らして死んでしまうのだった。
20 ぴんぴん 何せこの犬ばかりは小十郎が四十の夏うち中みんな赤痢にかかってとうとう小十郎の息子とその妻も死んだ中にぴんぴんして生きていたのだ。
21 ぼとぼと 小十郎がまっ赤な熊の胆をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。
22 くるくる 小十郎がまっ赤な熊の胆をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。
23 ずうっ 小十郎はもう熊のことばだってわかるような気がした。 ある年の春はやく山の木がまだ一本も青くならないころ小十郎は犬を連れて白沢をずうっとのぼった。
24 へとへと なんべんも谷へ降りてまた登り直して犬もへとへとにつかれ小十郎も口を横にまげて息をしながら半分くずれかかった去年の小屋を見つけた。
25 しげしげ 小十郎がすぐ下に湧水のあったのを思い出して少し山を降りかけたら愕いたことは 母親とやっと一歳になるかならないような子熊と二疋ちょうど人が額に手をあてて遠くを眺めるといったふうに 淡い六日の月光の中を向うの谷を しげしげ見つめているのにあった。
26 こっそりこっそり すると小熊が甘えるように言ったのだ。「どうしても雪だよ、 おっかさん谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。・・・」・・・  「雪でないよ、あすこへだけ降るはずがないんだもの」・・・ 「雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ」・・・  「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花」・・・  小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになって・・・ 月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないように こっそりこっそり 戻りはじめた。
27 そろそろ 風があっちへ行くな行くなと思いながら そろそろと小十郎は後退《あとずさ》りした。
28 すうっ くろもじの木の匂が月のあかりといっしょにすうっ とさした。
29 どっかり 小十郎が山のように毛皮をしょってそこのしきいを一足またぐと 店では又来たかというようにうすわらっているのだった。店の次の間に大きな唐金の火鉢を出して主人が どっかり 座っていた。
30 たんたん 「熊の皮また少し持って来たます」・・・  「なんぼ安くても要らなぃます」主人は落ち着きはらってきせるをたんたんとてのひらへたたくのだ、 あの豪気な山の中の主の小十郎はこう言われるたびにもうまるで心配そうに顔をしかめた。
31 にかにか 「旦那さん、お願だます。どうが何ぼでもいいはんて買って呉なぃ」小十郎は・・・  「いいます。置いでお出れ。じゃ、平助、小十郎さんさ二円あげろじゃ」 店の平助が大きな銀貨を四枚小十郎の前へ座って出した。小十郎はそれを押しいただくようにしてにかにかしながら受け取った。
32 わくわく 「じゃ、おきの、小十郎さんさ一杯あげろ」小十郎はこのころはもううれしくてわくわくしている。主人はゆっくりいろいろ談《はな》す。 小十郎はかしこまって山のもようや何か申しあげている。
33 べろり 小十郎はちゃんとかしこまってそこへ腰掛けていかの切り込みを手の甲にのせてべろりとなめたりうやうやしく黄いろな酒を小さな猪口についだりしている。 いくら物価の安いときだって熊の毛皮二枚で二円はあんまり安いと誰でも思う。
34 うやうや 小十郎はちゃんとかしこまってそこへ腰掛けていかの切り込みを手の甲にのせてべろりとなめたりうやうやしく黄いろな酒を小さな猪口についだりしている。 いくら物価の安いときだって熊の毛皮二枚で二円はあんまり安いと誰でも思う。
35 どしどし けれどもどうして小十郎はそんな町の荒物屋なんかへでなしにほかの人へどしどし売れないか。 それはなぜか大ていの人にはわからない。けれども日本では狐けんというものもあって 狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまっている。ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。
36 だんだん 旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない。 けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく。
37 ばちゃばちゃ 小十郎が谷をばちゃばちゃ渉《わた》って一つの岩にのぼったら いきなりすぐ前の木に大きな熊が猫のようにせなかを円くしてよじ登っているのを見た。
38 どたり すると樹の上の熊はしばらくの間おりて小十郎に飛びかかろうかそのまま射たれてやろうか 思案しているらしかったがいきなり両手を樹からはなしてどたりと落ちて来たのだ。・・・  「おまえは何がほしくておれを殺すんだ」
39 じっ 「ああ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。 それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。 けれどもお前に今ごろそんなことを言われると・・・ おれも死んでもいいような気がするよ」 「もう二年ばかり待ってくれ、・・・ 二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。 毛皮も胃袋もやってしまうから」  小十郎は変な気がしてじっと考えて立ってしまいました。熊はそのひまに足うらを全体地面につけてごくゆっくりと歩き出した。
40 ちらっ 小十郎はやっぱりぼんやり立っていた。 熊はもう小十郎がいきなりうしろから鉄砲を射ったり決してしないことがよくわかってるというふうで うしろも見ないでゆっくりゆっくり歩いて行った。 そしてその広い赤黒いせなかが木の枝の間から落ちた日光にちらっと光ったとき小十郎は、う、うとせつなそうにうなって谷をわたって帰りはじめた。
41 どきっ それからちょうど二年目だったが ある朝小十郎があんまり風が烈しくて木もかきねも倒れたろうと思って外へ出たら ひのきのかきねはいつものようにかわりなく その下のところに始終見たことのある赤黒いものが横になっているのでした。 ちょうど二年目だしあの熊がやって来るかと少し心配するようにしていたときでしたから 小十郎はどきっとしてしまいました。 そばに寄って見ましたらちゃんとあのこの前の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れていた。
42 つるつる 一月のある日のことだった。小十郎はうちを出るときいままで言ったことのないことを言った。 「婆さま、おれも年老ったでばな、今朝まず生れで始めで水へ入るの嫌んたよな気するじゃ」・・・  小十郎はまっ青なつるつるした空を見あげてそれから孫たちの方を向いて「行って来るじゃぃ」と言った。
43 はあはあ 小十郎はまっ白な堅雪の上を白沢の方へのぼって行った。  犬はもう息をはあはあし赤い舌を出しながら走ってはとまり走ってはとまりして行った。
44 ギラギラ 雪はまるで寒水石という風にギラギラ光っていたしまわりをずうっと高い雪のみねがにょきにょきつったっていた。小十郎がその頂上でやすんでいたときだ。 いきなり犬が火のついたように咆え出した。 小十郎がびっくりしてうしろを見たらあの夏に眼をつけておいた大きな熊が両足で立ってこっちへかかって来たのだ。
45 にょきにょき 雪はまるで寒水石という風にギラギラ光っていたしまわりをずうっと高い雪のみねがにょきにょきつったっていた。小十郎がその頂上でやすんでいたときだ。 いきなり犬が火のついたように咆え出した。 小十郎がびっくりしてうしろを見たらあの夏に眼をつけておいた大きな熊が両足で立ってこっちへかかって来たのだ。
46 ぴしゃ 小十郎は落ちついて足をふんばって鉄砲を構えた。 熊は棒のような両手をびっこにあげてまっすぐに走って来た。 さすがの小十郎もちょっと顔いろを変えた。ぴしゃ というように鉄砲の音が小十郎に聞えた。 ところが熊は少しも倒れないで嵐のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛み付いた。
47 がぁん と思うと小十郎はがぁん と頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。 「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」もうおれは死んだと小十郎は思った。 そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
48 ちらちら とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。 雪は青白く明るく水は燐光をあげた。すばるや参《しん》の星が緑や橙にちらちら して呼吸をするように見えた。 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環になって集って 各々黒い影を置き回々《フイフイ》教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。 そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸《しがい》が半分座ったようになって置かれていた。
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naranoki      
n 2
楢ノ木大学士の野宿

楢ノ木大学士
1 ごくごく 楢ノ木大学士は宝石学の専門だ。ある晩大学士の小さな家へ、 「貝の火兄弟商会」の、赤鼻の支配人がやって来た。「先生、ごく上等の蛋白石の注文があるのですがどうでせう、 お探しをねがへませんでせうか。もっとも ごくごく 上等のやつをほしいのです。・・・」
2 にやっ 「たびたびご迷惑で、まことに恐れ入りますが、いかゞなもんでございませう。」 そこで楢ノ木大学士は、 にやっ と笑って葉巻をとった。 「うん、探してやらう。蛋白石のいゝのなら、流紋玻璃を探せばいゝ。・・・」
3 ぶつぶつ 四月二十日の午后四時頃、例の楢ノ木大学士が 「ふん、此の川筋があやしいぞ。たしかにこの川筋があやしいぞ」とひとり ぶつぶつ 言ひながら、からだを深く折り曲げて眼一杯にみひらいて、 足もとの砂利をねめまはしながら、兎のやうにひょいひょい と、葛丸川の西岸の大きな河原をのぼって行った。
4 ひょいひょい 四月二十日の午后四時頃、例の楢ノ木大学士が 「ふん、此の川筋があやしいぞ。たしかにこの川筋があやしいぞ」とひとり ぶつぶつ 言ひながら、からだを深く折り曲げて眼一杯にみひらいて、 足もとの砂利をねめまはしながら、兎のやうにひょいひょい と、葛丸川の西岸の大きな河原をのぼって行った。
5 ずんずん 両側はずゐぶん嶮しい山だ。大学士はどこまでも溯って行く。けれどもたうとう日も落ちた。 その両側の山どもは、一生懸命の大学士などにはお構ひなく ずんずん 黒く暮れて行く。
6 ちょろちょろ 遠くの雪の山脈は、さびしい銀いろに光り、てのひらの形の黒い雲が、その上を行ったり来たりする。 それから川岸の細い野原に、 ちょろちょろ 赤い野火が這ひ、鷹によく似た白い鳥が、鋭く風を切って翔けた。
7 ごろり この石へ寝よう。まるでね台だ。ふんふん、実に柔らかだ。いゝ寝台だぞ。」 その石は実際柔らかで、又敷布のやうに白かった。そのかはり又大学士が、 腕をのばして背嚢をぬぎ、肱をまげて外套のまゝ、 ごろり と横になったときは、外套のせなかに白い粉が、まるで一杯についたのだ。
8 ごう 水がその広い河原の、向ふ岸近くを ごう と流れ、空の桔梗のうすあかりには、山どもが のっきのっきと黒く立つ。 大学士は寝たまゝそれを眺め、又ひとりごとを言ひ出した。 「ははあ、あいつらは岩頸《がんけい》だな。岩頸だ、岩頸だ。相違ない。」
9 のっきのっき 水がその広い河原の、向ふ岸近くを ごう と流れ、空の桔梗のうすあかりには、山どもが のっきのっきと黒く立つ。 大学士は寝たまゝそれを眺め、又ひとりごとを言ひ出した。 「ははあ、あいつらは岩頸《がんけい》だな。岩頸だ、岩頸だ。相違ない。」
10 もや、もや、もや、もや 「諸君、手っ取り早く云ふならば、岩頸といふのは、地殻から一寸頸を出した太い岩石の棒である。 ・・・ この棒は大抵頸だけを出して、一つの山になってゐる。それが岩頸だ。ははあ、面白いぞ、 つまりそのこれは夢の中のもやだ、 もや、もや、もや、もや
11 ぎろぎろ 注文通り岩頸は丁度胸までせり出してならんで空に高くそびえた。 一番右はたしかラクシャン第一子まっ黒な髪をふり乱し大きな眼を ぎろぎろ 空に向けしきりに口を ぱくぱく して何かどなってゐる様だがその声は少しも聞えなかった。
12 ぱくぱく 注文通り岩頸は丁度胸までせり出してならんで空に高くそびえた。 一番右はたしかラクシャン第一子まっ黒な髪をふり乱し大きな眼を ぎろぎろ 空に向けしきりに口を ぱくぱく して何かどなってゐる様だがその声は少しも聞えなかった。
13 ぐづぐづ 楢ノ木大学士がもっとよく四人を見ようと起き上ったら 俄かにラクシャン第一子が雷のやうに怒鳴り出した。「何を ぐづぐづしてるんだ。潰してしまへ。 灼いてしまへ。こなごなに砕いてしまへ。早くやれっ。」
14 どしゃどしゃ 「全体何をぐづぐづしてるんだ。砕いちまへ、砕いちまへ、はね飛ばすんだ。はね飛ばすんだよ。 火をどしゃどしゃ 噴くんだ。熔岩の用意っ。熔岩。早く。畜生。いつまでぐづぐづしてるんだ。 熔岩、用意っ。もう二百万年たってるぞ。灰を降らせろ、灰を降らせろ。なぜ早く支度をしないか。」
15 ぐらぐら しづかなラクシャン第三子が兄をなだめて斯う云った。「兄さん。少しおやすみなさい。 こんなしづかな夕方ぢゃありませんか。」兄は構はず又どなる。 「地球を半分ふきとばしちまへ。石と石とを空でぶっつけ合せて ぐらぐら する紫のいなびかりを起せ。まっくろな灰の雲からかみなりを鳴らせ。
16 きらきら えい、意気地なしども。降らせろ、降らせろ、 きらきら の熔岩で海をうづめろ。海から騰る泡で太陽を消せ、生き残りの象から虫けらのはてまで灰を吸はせろ、 えい、畜生ども、何をぐづぐづしてるんだ。」
17 のろのろ あいつは地面まで騰って来る途中で、もう疲れてやめてしまったんだ。今こそ地殻の のろのろ のぼりや風や空気のおかげで、おれたちと肩をならべてゐるが、 元来おれたちとはまるで生れ付きがちがふんだ。
18 へたへた きさまたちには、まだおれたちの仕事がよくわからないのだ。おれたちの仕事はな、 地殻の底の底で、とけてとけて、まるで へたへた になった岩漿や、上から押しつけられて古綿のやうにちぢまった蒸気やらを取って来て、 いざといふ瞬間には大きな黒い山の塊を、まるで粉々に引き裂いて飛び出す。
19 ひょっ 石と石とをぶっつけ合せていなづまを起す。百万の雷を集めて、地面をぐらぐら云はせてやる。 丁度、楢ノ木大学士といふものが、おれのどなりをひょっ と聞いて、びっくりして頭を ふらふら 、ゆすぶったやうにだ。
20 ふらふら 石と石とをぶっつけ合せていなづまを起す。百万の雷を集めて、地面をぐらぐら云はせてやる。 丁度、楢ノ木大学士といふものが、おれのどなりをひょっ と聞いて、びっくりして頭を ふらふら 、ゆすぶったやうにだ。
21 こそこそ 「水と空気かい。あいつらは朝から晩まで、俺らの耳のそば迄来て、世界の平和の為に、 お前らの傲慢を削るとかなんとか云ひながら、毎日 こそこそ 、俺らを擦って耗して行くが、まるっきりうそさ。何でもおれのきくとこに依ると、 あいつらは海岸の ふくふく した黒土や、美しい緑いろの野原に行って知らん顔をして溝を掘るやら、 濠をこさへるやら、それはどうも実にひどいもんださうだ。話にも何にもならんといふこった。」
22 ふくふく 「水と空気かい。あいつらは朝から晩まで、俺らの耳のそば迄来て、世界の平和の為に、 お前らの傲慢を削るとかなんとか云ひながら、毎日 こそこそ 、俺らを擦って耗して行くが、まるっきりうそさ。何でもおれのきくとこに依ると、 あいつらは海岸の ふくふく した黒土や、美しい緑いろの野原に行って知らん顔をして溝を掘るやら、 濠をこさへるやら、それはどうも実にひどいもんださうだ。話にも何にもならんといふこった。」
23 さらさらさら 「誰かやったのか。誰だ、誰だ、今ごろ。なんだ野火か。地面の挨を さらさらさら っと掃除する、てまへなんぞに用はない。」
24 ばたばた するとラクシャンの第一子がちょっと意地悪さうにわらひ手を ばたばた と振って見せて「石だ、火だ。熔岩だ。用意っ。ふん。」と叫ぶ。
25 ぽっ ばかなラクシャンの第二子がすぐ釣り込まれてあわて出し顔いろを ぽっ とほてらせながら「おい兄貴、一吠えしようか。」と斯う云った。
26 ぐうぐう 兄貴はわらふ、「一吠えってもう何十万年を、きさまは ぐうぐう 寝てゐたのだ。それでもいくらかまだ力が残ってゐるのか」
27 ぽっかりぽっかり 無精な弟は只一言「ない」と答へた。そして又長い顎をうでに載せ、 ぽっかりぽっかり 寝てしまふ。しづかなラクシャン第三子がラクシャンの第四子に云ふ 「空が大へん軽くなったね、あしたの朝はきっと晴れるよ。」
28 べろり いたづらの弟はそれを聞かずに光る大きな長い舌を出して大学士の額を べろり と嘗《な》めた。大学士はひどくびっくりしてそれでも笑ひながら眼をさまし寒さに がたっと顫《ふる》へたのだ。
29 がたっ いたづらの弟はそれを聞かずに光る大きな長い舌を出して大学士の額を べろり と嘗《な》めた。大学士はひどくびっくりしてそれでも笑ひながら眼をさまし寒さに がたっと顫《ふる》へたのだ。
30 すたすた わが親愛な楢ノ木大学士は例の長い外套を着て夕陽をせ中に一杯浴びて すっかりくたびれたらしく・・・  すたすた 歩いて行ったのだ。
31 がらん 俄かに道の右側に がらん とした大きな石切場が口をあいてひらけて来た。
32 こくっ 学士は咽喉を こくっ と鳴らし中に入って行きながら三角の石かけを一つ拾ひ「ふん、こゝも角閃花崗岩」と つぶやきながらつくづくとあたりを見れば石切場、石切りたちも帰ったらしく小さな笹の小屋が一つ 淋しく隅にあるだけだ。
33 にやにや 「・・・ 今夜はこゝへ泊らう。」大学士は大きな近眼鏡をちょっと直して にやにや 笑ひ小屋へ入って行ったのだ。
34 もそもそ 土間には四つの石かけが炉の役目をしその横には榾《ほだ》もいくらか積んである。 大学士はマッチをすって火をたき、それからビスケットを出し もそもそ 喰べたり手帳に何か書きつけたりしばらくの間してゐたがおしまひに火を どんどん 燃して ごろりと藁にねころんだ。
35 どんどん 土間には四つの石かけが炉の役目をしその横には榾《ほだ》もいくらか積んである。 大学士はマッチをすって火をたき、それからビスケットを出し もそもそ 喰べたり手帳に何か書きつけたりしばらくの間してゐたがおしまひに火を どんどん 燃して ごろりと藁にねころんだ。
36 うとうとうとうと 「ふん、実にしづかだ、夜あけまでまだ三時間半あるな。」つぶやきながら小屋に入った。 ぼんやりたき火をながめながらわらの上に横になり手を頭の上で組み うとうとうとうと した。
37 みりみり 突然頭の下のあたりで小さな声で云ひ合ってるのが聞えた。・・・  「そんなに張ってゐるぢゃないか、ほんたうにお前この頃湿気を吸ったせいかひどくのさばり出して来たね」 「おやそれは私のことだらうか。お前のことぢゃなからうかね、お前もこの頃は頭で みりみり 私を押しつけようとするよ。」
38 そろそろ 「どうも実に記憶のいゝやつらだ。えゝ、千五百の万年の前のその時をお前は忘れてしまってゐるのかい。 まさか忘れはしないだらうがね、えゝ。これはどうも実に恐れ入ったね、いったい誰だ。変に頭のいゝやつは。」 大学士は又 そろそろ と起きあがりあたりをさがすが何もない。声はいよいよ高くなる。
39 かやかや 「はっはっは、ジッコさんといふのは磁鉄鉱だね、もうわかったさ、喧嘩の相手はバイオタイトだ。 して見るとなんでもこの辺にさっきの花崗岩のかけらがあるね、そいつの中の鉱物が かやかや 物を云ってるんだね。」
40 にこにこ なるほど大学士の頭の下に支那の六銭銀貨のくらゐのみかげのかけらが落ちてゐた。 学士はいよいよ にこにこ する。
41 ギギンギギン 「まあ、お待ちなさい。ね、あのお日さまを見たときのうれしかったこと。 どんなに僕らは叫んだでせう。千五百万年光といふものを知らなかったんだもの。あの時鋼の槌《つち》が ギギンギギン と僕らの頭にひゞいて来ましたね。
42 パチッ 大学士は又笑ふ。「それはね、明らかにたがねのさきから出た火花だよ。 パチッ て云ったらう。そして熱かったらう。」ところが学士の声などは鉱物どもに聞えない。
43 ピチピチ 「実にどうも達観してるね。この小屋の中に居たって外に居たって たかが二千年も経って見れば粘土か砂のつぶになる、実にどうも達観してる。」その時俄かに ピチピチ 鳴りそれからバイオタが泣き出した。
44 ふんふん 一寸脈をお見せ、はい。こんどはお舌、ははあ、よろしい。そして第十八へきかい予備面が痛いと。 なるほど、 ふんふん 、いやわかりました。どうもこの病気は恐いですよ。 それにお前さんのからだは大地の底に居たときから慢性りょくでい病にかかって大分軟化してますからね、 どうも恢復の見込がありません。」
45 キシキシ 病人は キシキシ と泣く。 「お医者さん。私の病気は何でせう。いつごろ私は死にませう。」 「さやう、病人が病名を知らなくてもいゝのですがまあ蛭石病の初期ですね、所謂ふう病の中の一つ。 俗にかぜは万病のもとと云ひますがね。
46 ぴたっ いよいよ今日は歩いてもだめだと学士はあきらめて ぴたっ と岩に立ちどまりしばらく黒い海面と向ふに浮ぶ腐った馬鈴薯のやうな雲を 眺めてゐたが、又ポケットから煙草を出して火をつけた。それから くるっ と振り向いて陸の方をじっと見定めて急いでそっちへ歩いて行った。
47 くるっ いよいよ今日は歩いてもだめだと学士はあきらめて ぴたっ と岩に立ちどまりしばらく黒い海面と向ふに浮ぶ腐った馬鈴薯のやうな雲を 眺めてゐたが、又ポケットから煙草を出して火をつけた。それから くるっ と振り向いて陸の方をじっと見定めて急いでそっちへ歩いて行った。
48 ポツン 大学士の吸ふ巻煙草が ポツン と赤く見えるだけ、「斯う納まって見ると、我輩もさながら、洞熊か、 洞窟住人だ。ところでもう寝よう。
49 ぼとぼと 闇の向ふで濤が ぼとぼと 鳴るばかり鳥も啼かなきゃ洞をのぞきに人も来ず、と。ふん、斯んなあんばいか。 寝ろ、寝ろ。」大学士はすぐ とろとろ する疲れて睡れば夢も見ない
50 とろとろ 闇の向ふで濤が ぼとぼと 鳴るばかり鳥も啼かなきゃ洞をのぞきに人も来ず、と。ふん、斯んなあんばいか。 寝ろ、寝ろ。」大学士はすぐ とろとろ する疲れて睡れば夢も見ない
51 せっせ 「すっかり寝過ごしちゃった。ところでおれは一体何のために歩いてゐるんだったかな。 えゝと、よく思ひ出せないぞ。たしかに昨日も一昨日も人の居ない処を せっせ と歩いてゐたんだが。
52 ぞろっ 巨きな、蟇の形の足あとはなるほどずうっと大学士の足もとまでつゞいてゐて それから先ももっと続くらしかったがも一つ、どうだ、大学士の銀座でこさへた長靴のあとも ぞろっ とついてゐた。
53 どかどか 学士はいよいよ大股にその足跡をつけて行った。 どかどか 鳴るものは心臓ふいごのやうなものは呼吸、そんなに一生けん命だったが 又そんなにあたりもしづかだった。
54 ざらざら 青ぞらの下、向ふの泥の浜の上にその足跡の持ち主の途方もない途方もない雷竜氏が いやに細長い頸をのばし汀の水を呑んでゐる。長さ十間、 ざらざら の鼠いろの皮の雷竜が短い太い足をちゞめ厭らしい長い頸をのたのたさせ 小さな赤い眼を光らせ チュウチュウ水を呑んでゐる。
55 チュウチュウ 青ぞらの下、向ふの泥の浜の上にその足跡の持ち主の途方もない途方もない雷竜氏が いやに細長い頸をのばし汀の水を呑んでゐる。長さ十間、 ざらざら の鼠いろの皮の雷竜が短い太い足をちゞめ厭らしい長い頸をのたのたさせ 小さな赤い眼を光らせ チュウチュウ水を呑んでゐる。
56 そろりそろり 「一体これはどうしたのだ。中生代に来てしまったのか。中生代がこっちの方へやって来たのか。 ああ、どっちでもおんなじことだ。とにかくあすこに雷竜が居て、こっちさへ見ればかけて来る。 ・・・ 」いまや楢ノ木大学士は そろりそろり と後退りして来た方へ遁げて戻る。
57 びちょびちょ そして雷竜の太い尾がまづ見えなくなりその次に山のやうな胴がかくれ おしまひ黒い舌を出して びちょびちょ 水を呑んでゐる。蛇に似たその頭がかくれると大学士はまづ助かったと いきなり来た方へ向いた。
58 ぎくっ 東京のまちのまん中で赤い鼻の連中などを相手に法螺を吹いてればいゝ。 大体こんな計算だった。それもまるきり電のやうな計算だ。ところが楢ノ木大学士はも一度 ぎくっ と立ちどまった。その膝はもう がたがた と鳴り出した。
59 がたがた 東京のまちのまん中で赤い鼻の連中などを相手に法螺を吹いてればいゝ。 大体こんな計算だった。それもまるきり電のやうな計算だ。ところが楢ノ木大学士はも一度 ぎくっ と立ちどまった。その膝はもう がたがた と鳴り出した。
60 うじゃうじゃ 見たまへ、学士の来た方の泥の岸はまるでいちめん うじゃうじゃ の雷竜どもなのだ。まっ黒なほど居ったのだ。長い頸を天に延ばすやつ 頸をゆっくり上下に振るやつ急いで水にかけ込むやつ実にまるでうじゃうじゃだった。
61 ふっふっ その厭らしいこと恐いこと大学士はもう眼をつぶった。ところがいつか大学士は自分の鼻さきが ふっふっ 鳴って暖いのに気がついた。
62 にゅう 「たうとう来たぞ、喰はれるぞ。」大学士は観念をして眼をあいた。 大さ二尺の四っ角なまっ黒な雷竜の顔がすぐ眼の前まで にゅう と突き出されその眼は赤く熟したやう。
63 がさがさ その頸は途方もない向ふの鼠いろの がさがさ した胴までまるで管のやうに続いてゐた。
64 カーン 大学士は カーン と鳴った。もう喰はれたのだ、いやさめたのだ。眼がさめたのだ、 洞穴はまだまっ暗で恐らくは十二時にもならないらしかった。
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nekono      
n 3
猫の事務所

猫の事務所
1 ばたばた 軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。ここは主に、 猫の歴史と地理をしらべるところでした。  書記はみな、短い黒の繻子の服を着て、それに大へんみんなに尊敬されましたから、 何かの都合で書記をやめるものがあると、そこらの若い猫は、どれもどれも、みんなそのあとへ入りたがつて ばたばたしました。
2 どっかり 大きな事務所のまん中に、事務長の黒猫が、まつ赤な羅紗をかけた卓を控へて どっかり腰かけ、その右側に一番の白猫と三番の三毛猫、左側に二番の虎猫と四番のかま猫が、 めいめい小さなテーブルを前にして、きちんと椅子にかけてゐました。
3 こつこつ 事務所の扉を こつこつ叩くものがあります。「はひれつ。」事務長の黒猫が、 ポケツトに手を入れてふんぞりかへつてどなりました。・・・   ぜいたく猫がはひつて来ました。「何の用だ。」事務長が云ひます。 「わしは氷河鼠を食ひにベーリング地方へ行きたいのだが、どこらがいちばんいいだらう。」
4 ヘッ 「四番書記、トバスキーとゲンゾスキーについて大略を述べよ。」 「はい。」四番書記のかま猫は、もう大原簿のトバスキーとゲンゾスキーとのところに、 みじかい手を一本づつ入れて待つてゐました。そこで事務長もぜいたく猫も、大へん感服したらしいのでした。  ところがほかの三人の書記は、いかにも馬鹿にしたやうに横目で見て、 ヘッとわらつてゐました。
5 するする ある日となりの虎猫が、ひるのべんたうを、机の上に出してたべはじめようとしたときに、 急にあくびに襲はれました。・・・ 足をふんばつたために、テーブルが少し坂になつて、べんたうばこが するするつと滑つて、たうとう がたっと事務長の前の床に落ちてしまつたのです。
6 もしゃもしゃ べんたうばこは、あつちへ行つたりこつちへ寄つたり、なかなかうまくつかまりませんでした。 「君、だめだよ。とどかないよ。」と事務長の黒猫が、 もしゃもしゃパンを喰べながら笑つて云ひました。 その時四番書記のかま猫も、・・・ 弁当を拾つて虎猫に渡さうとしました。 ところが虎猫は急にひどく怒り出して、・・・ 
7 じろっ 「いや、喧嘩するのはよしたまへ。・・・。」  虎猫は、はじめは恐い顔をしてそれでも頭を下げて聴いてゐましたが、たうとう、・・・  「どうもおさわがせいたしましてお申しわけございません。」それからとなりのかま猫を じろっと見て腰掛けました。
8 ポロポロ それから又五六日たつて、・・・   今度は向ふの三番書記の三毛猫が、朝仕事を始める前に、筆が ポロポロころがつて、たうとう床に落ちました。 三毛猫はすぐ立てばいいのを、骨惜みして早速前に虎猫のやつた通り、両手を机越しに延ばして、 それを拾ひ上げようとしました。
9 だんだん 三毛猫は殊にせいが低かつたので だんだん乗り出して、 たうとう足が腰掛けからはなれてしまひました。かま猫は拾つてやらうかやるまいか、 この前のこともありますので、しばらくためらつて眼をパチパチ させて居ましたが、 たうとう見るに見兼ねて、立ちあがりました。
10 パチパチ 三毛猫は殊にせいが低かつたので だんだん乗り出して、 たうとう足が腰掛けからはなれてしまひました。かま猫は拾つてやらうかやるまいか、 この前のこともありますので、しばらくためらつて眼をパチパチ させて居ましたが、 たうとう見るに見兼ねて、立ちあがりました。
11 ガタン ところが丁度この時に、三毛猫はあんまり乗り出し過ぎて ガタンとひつくり返つてひどく頭をついて机から落ちました。・・・  ところが三毛猫はすぐ起き上つて、かんしやくまぎれにいきなり、 「かま猫、きさまはよくも僕を押しのめしたな。」とどなりました。
12 さっさ 今度はしかし、事務長がすぐ三毛猫をなだめました。 「いや、三毛君。それは君のまちがひだよ。かま猫君は好意でちよつと立つただけだ、君にさはりも何もしない。 ・・・」事務長はさっさと仕事にかかりました。そこで三毛猫も、仕方なく、 仕事にかかりはじめましたがやつぱりたびたびこはい目をしてかま猫を見てゐました。
13 ごうごう かま猫は、やつと足のはれが、ひいたので、よろこんで朝早く、 ごうごう風の吹くなかを事務所へ来ました。 するといつも来るとすぐ表紙を撫でて見るほど大切な自分の原簿が、自分の机の上からなくなつて、 向ふ隣り三つの机に分けてあります。
14 どきどき 「ああ、昨日は忙がしかつたんだな、」かま猫は、なぜか胸を どきどきさせながら、 かすれた声で独りごとしました。
15 ガタッ ガタッ。 扉が開いて三毛猫がはひつて来ました。 「お早うございます。」かま猫は立つて挨拶しましたが、三毛猫はだまつて腰かけて、 あとはいかにも忙がしさうに帳面を繰つてゐます。
16 ガタン、ピシャン ガタン、ピシャン。 虎猫がはひつて来ました。「お早うございます。」かま猫は立つて挨拶しましたが、虎猫は見向きもしません。
17 ガタッ、ピシャーン ガタッ、ピシャーン。 白猫が入つて来ました。その時かま猫は力なく立つてだまつておじぎをしましたが、 白猫はまるで知らないふりをしてゐます。
18 ガタン、ピシャリ ガタン、ピシャリ。 「ふう、ずゐぶんひどい風だね。」事務長の黒猫が入つて来ました。 「お早うございます。」三人はすばやく立つておじぎをしました。かま猫もぼんやり立つて、 下を向いたまゝおじぎをしました。
19 きいん かま猫はもうかなしくて、かなしくて頬のあたりが酸つぱくなり、 そこらがきいん と鳴つたりするのをじつとこらへてうつむいて居りました。
20 ずんずん 事務所の中は、だんだん忙しく湯の様になつて、仕事は ずんずん 進みました。みんな、ほんの時々、ちらっ とこつちを見るだけで、たゞ一ことも云ひません。
21 ちらっ 事務所の中は、だんだん忙しく湯の様になつて、仕事は ずんずん 進みました。みんな、ほんの時々、ちらっ とこつちを見るだけで、たゞ一ことも云ひません。
22 しくしく たうとうひるすぎの一時から、かま猫は しくしく 泣きはじめました。そして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたりまた泣きだしたりしたのです。  それでもみんなはそんなこと、一向知らないといふやうに面白さうに仕事をしてゐました。
23 うろうろうろうろ その時です。猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向ふに いかめしい獅子の金いろの頭が見えました。獅子は不審さうに、しばらく中を見てゐましたが、 いきなり戸口を叩いてはひつて来ました。猫どもの愕ろきやうといつたらありません。 うろうろうろうろ そこらをあるきまはるだけです。・・・  獅子が大きなしつかりした声で云ひました。 「お前たちは何をしてゐるか。・・・ えい。解散を命ずる」
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nijino      
n 4
虹の絵具皿

1 ひょい むかし、ある霧のふかい朝でした。王子はみんながちょっといなくなったひまに、 玻璃《はり》でたたんだ自分のお室から、ひょいと芝生へ飛びおりました。そして蜂雀のついた青い大きな帽子を急いでかぶって、 どんどん向こうへかけ出しました。
2 はあはあ 王子は霧の中で、はあはあ笑って立ちどまり、ちょっとそっちを向きましたが、またすぐ向き直って 音をたてないように剣のさやをにぎりながら、どんどんどんどん大臣の家の方へかけました。
3 もじもじ 大臣の子はすこしもじもじしました。王子はまたすぐ大臣の子にたずねました。 「ね、おい。僕のもってるルビーの壺やなんかより、もっといい宝石は、どっちへ行ったらあるだろうね」  大臣の子が申《もう》しました。「虹の脚もとにルビーの絵の具皿があるそうです」  王子が口早に言いました。
4 パチパチ 「金剛石は山の頂上にあるでしょう」王子はうなずきました。 「うん。そうだろうね。さがしに行こうか。ね。行こうか」 「王さまに申し上げなくてもようございますか」と大臣の子が目をパチパチ させて心配そうに申しました。
5 ぐいぐい その時うしろの霧の中から、「王子さま、王子さま、どこにいらっしゃいますか。王子さま」  と、年とったけらいの声が聞こえて参りました。  王子は大臣の子の手をぐいぐい ひっぱりながら、小声で急いで言いました。 「さ、行こう。さ、おいで、早く。追いつかれるから」
6 どんどん その時うしろの霧の中から、「王子さま、王子さま、どこにいらっしゃいますか。王子さま」  と、年とったけらいの声が聞こえて参りました。 王子は大臣の子の手を どんどん ひっぱりながら、小声で急いで言いました。 「さ、行こう。さ、おいで、早く。追いつかれるから」
7 せかせか 二人はやっと馳けるのをやめて、いきをせかせかしながら、草をばたりばたりと踏んで行きました。
8 ばたりばたり 二人はやっと馳けるのをやめて、いきをせかせかしながら、草をばたりばたりと踏んで行きました。
9 すうっ いつか霧がすうっとうすくなって、お日さまの光が黄金色に透ってきました。 やがて風が霧をふっと払いましたので、露はきらきら光り、きつねのしっぽのような茶色の草穂は一面波を立てました。
10 きらきら いつか霧がすうっとうすくなって、お日さまの光が黄金色に透ってきました。 やがて風が霧をふっと払いましたので、露はきらきら光り、きつねのしっぽのような茶色の草穂は一面波を立てました。
11 だんだん ふと気がつきますと遠くの白樺の木のこちらから、目もさめるような虹が空高く光ってたっていました。 白樺のみきは燃えるばかりにまっかです。「そら虹だ。早く行ってルビーの皿を取ろう。早くおいでよ」  二人はまた走り出しました。けれどもその樺の木に近づけば近づくほど美しい虹は だんだん向こうへ逃げるのでした。
12 ずんずん 森の中はまっくらで気味が悪いようでした。それでも王子は、ずんずんはいって行きました。
13 ばらん 小藪のそばを通るとき、さるとりいばらが緑色のたくさんのかぎを出して、 王子の着物をつかんで引き留めようとしました。はなそうとしてもなかなかはなれませんでした。 王子はめんどうくさくなったので剣をぬいていきなり小藪をばらんと切ってしまいました。
14 ポッシャリ そして二人はどこまでもどこまでも、むくむくの苔やひかげのかずらをふんで 森の奥の方へはいって行きました。すると小さなきれいな声で、誰か歌いだしたものがあります。 「ポッシャリ 、ポッシャリ、ツイツイ、トン。はやしのなかにふる霧は、  蟻のお手玉、三角帽子の、一寸法師のちいさなけまり」  霧がトントン はね踊りました。
15 トントン そして二人はどこまでもどこまでも、むくむくの苔やひかげのかずらをふんで 森の奥の方へはいって行きました。すると小さなきれいな声で、誰か歌いだしたものがあります。 「ポッシャリ 、ポッシャリ、ツイツイ、トン。はやしのなかにふる霧は、  蟻のお手玉、三角帽子の、一寸法師のちいさなけまり」  霧がトントン はね踊りました。
16 ポシャポシャ