今週から
●気まぐれ日記No.36へ移りました。
●(535) 2014年10月13日
「山とみ50周年」
先週は先斗町の「山とみ」の50周年パーティーに行ってきました。先代のお茶屋時代が50年、今のスタイルになってから50年で創業から100年ということで500名を越える大パーティーでした。私は大学時代のアルバイト先の歌声喫茶「炎」のオーナーに連れて行ってもらってからのお付き合いです。私ども学生にはちょっと高級なお店でしたが卒業してからは飲みに出かける時にはいつもここがスタートのお店でした。私も大学1年の時から行っているわけでもう49年間も行っていることになります。女将さんは私より4歳上ですがまだまだ現役でご活躍ですので私も元気をもらいます。
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山とみ50周年
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毎回忙しい忙しいと書いていますが本当に走り回っています。来月、再来月とたくさん演奏の仕事があり、その準備と打ち合わせにも出かけます。今月に同窓会のお世話も2つあって事務処理も大変です。そんななか版画家の「川瀬巴水」生誕130年展にも行ってきましたが素晴らしい作品に感動でした。
先週の皆既月食の写真を撮ってみましたがカメラの解像度が悪いのでしょう。雰囲気だけどうぞ。忙しいなかにも楽しみを見つけます。
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皆既月食
●(534) 2014年10月6日
「ジジイの自覚」
いつまでも若い気でいるのをそろそろ改めなければいけません。仕事がらもありますが毎日若い頃と同じように飲んでいますが周りから見るともういい歳です。
私の町内では敬老の日には65歳からの老人(?)にお祝いをくれます。最初はまだ爺さんじゃないよと言っていましたがもう3年目にもなるとすっかり慣れてしまいます。私の周りにも歳の自覚がないまま祇園で遊んでいる元気な爺さん(?)がいます。人のことは分かりますが私自身ももうジジイなんだという自覚が必要です。
そういえば散髪屋もシルバー割引ですし薬局チェーンもシルバー登録していて毎月15,16,17日は割引になります。
もちろんその時に必要などはその時に買います。15日の年金支給日に合わせているのでしょう。
そうそうファミレスもフレンドリーなどはシルバー割引がありますし、レストランさとなどもしゃぶしゃぶ食べ放題が割安です。そんなことにはシルバーサービス使っているのにね。
先日たまたま初めて行った「牛角」という焼肉屋。「牛角」のキムチはスーパーなどでも売っているので店の名前はよく知っている。メニューを見ると2900円くらいのコースと3500円くらいのプレミアムの食べ放題コースがあるのですがシルバー(65歳以上)は何と半額とのこと。食べ放題といってももうそんなには食べられないですが好きなものを好きなだけ食べて大満足です。あまり安くて支払いする時に悪いような気がします。
約二ヶ月毎に高校の同級生10名ほどでミニ同窓会をしています。いつも健康のことが話題になりますがこの歳になるとみんな病気持ちです。食事時も3人に1人はもうお酒を飲ま(め)なくなりましたのでしっかり飲んでいるのは私を含め少数。最近は飲み放題にしないほうが安く上がります。
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5日の日曜日の朝、たまたま早く目が覚めて「題名のない音楽会」を見ると櫃本瑠音さんが出演している。その日は「チェロと吹奏楽のための協奏曲」として最初から最後まで彼女がメインの番組で佐渡裕さん指揮で素晴らしい演奏をしていました。彼女と妹さんは923のパーテーにも来てくれましたし去年他の仕事も一緒にしましたが確実に立派な演奏家になってゆきます。来月妹の樹音さんと一緒に仕事の予定もあります。
土曜日の出勤時にあまりに綺麗な夕焼けで空が真っ赤。思わず写真を撮りました。
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我が家近くから夕焼け
●(533) 2014年9月29日
「彼岸花」
早いものでついこのあいだ田植えをしていたと思っていたのにもう稲刈りも終ってしまいました。その田んぼのあぜ道や土手には毎年待っていたかのように色鮮やかに彼岸花が咲きます。彼岸花は種子ができないので球根によって繁殖しますがどんな環境にも耐えて咲く強靭な生命力を持っているようです。曼珠沙華とも言われますがこれは「慶事が起こる前触れには天から赤い花が降ってくる」という仏教の経典の中から引用された呼び名らしい。他にも「狐花」、「地獄花」などとも呼ばれますが「葉見ず花見ず」という呼び名もあるそうです。花が咲くときには葉がなく、葉があるときには花は咲かないということからの呼び名らしいです。
葉見ず花見ず秋の野に ぽつんと咲いたまんじゅしゃげ
から紅(くれない)に燃えながら 葉の見えぬこそさびしけれ 中 勘助
彼岸花の花言葉は「悲しい思い出」だそうですが墓前に咲く彼岸花を見て亡き人を偲び悲しみがよみがえるということでしょうか。
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近所の彼岸花
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文化博物館で行なわれているグループ写真展に行ってきました。「ふんころがし」研究で有名な昆虫学者の塚本先生も出展されています。先生の作品は御所にいる昆虫の写真ばかり。話しをしていると先日亡くなった私の友達とも親しいとのこと。世の中みんないろんなつながりがあります。
●(532) 2014年9月22日
「ほろにが会」
先日はライオンズクラブのほろにが会での演奏でした。ほろにが会はアサヒビールが後援するビールと食事を楽しむ会です。久しぶりに祐香嬢も一緒に「金子みすゞ」を含め1時間半ほどの演奏でした。
この歳になっても毎日本当に忙しく働いているのですが忙しい時にはいろいろ重なるものです。慣れているとはいえライブの前は演奏の打ち合わせと練習も要ります。同じ週には京大OB会団体で昼の営業、また工場の出勤もありましたしカラオケのレッスンもしました。以前から決まっていた高校同級生グループでの飲み会もありましたしその段取りもしていました。そんな時に限って店も忙しく遅くまでの営業で片づけると午前3時とか4時とかになります。また店が忙しいと付き出しも必要でそんな料理にも時間をとられます。連日睡眠不足気味ですがそんな時も相変わらず飲んでいるのでよけいに疲れます。反省!
忙しいとはいえ以前に比べると毎日妻や母の病院へ通っていたころに比べると妹もそれなりに元気にしていますので時間的にはもっと余裕があってもいいような気がしますがまったく余裕がありません。以前より多少料理の時間は増えていますがそれより毎日のウォーキングと昼寝で2時間弱費やされるのが大きそうようです。
このところ急に涼しくなって衣類の入れ替え、扇風機の片付け、エアコンの掃除と今日も一日中働きました。
●(531) 2014年9月15日
「金子みすゞさんの死」
前回の続きみたいになりますが「金子みすゞ」さんは26歳で亡くなっています。それも自ら命を絶たれて。
そんな話しをするとやっぱり天才肌の人はどこか凡人とちがうと、みすゞさんの死を特別な目で見ておられることがよくあります。そんなときにはいつもその事情を説明しています。
みすゞさんは結婚するまでが一番幸せなときだったでしよう。たくさんの本を読み、雑誌に童謡詩を投稿して大きな評価を得、全国の投稿仲間のスターでした。ところが親同然である本屋の主人の勧めで本屋の番頭さんと結婚をさせられることになりましたが相手は自分の思うような人ではありませんでした。詩の創作や投稿仲間へ手紙を出すことも禁じられ、そのうえ主人の遊郭遊びでの性病をうつされるという厳しい毎日です。それでも子供を育てることに喜びを見つけて懸命に生きていましたが、結局離婚ということになり子育を引き取ります。そのあと最終的に自殺することになるのは子供への深い愛情からです。当時女性には親権のない時代、元の主人が子供を引き取りに来るということに対する抗議のための自殺です。元の主人が子供を引き取りに来るという前日に遺書を書いて亡くなります。
元主人宛の遺書には次のように書かれていました。
「あなたがふうちゃん(娘)を連れて行きたければ、連れて行ってもいいでしょう。ただ私はふうちゃんを、心の豊かな子に育てたいのです。だから、母が私を育ててくれたように、ふうちゃんを母に育ててほしいのです。どうしてもというならそれはしかたないけれど、あなたがふうちゃんに与えられるのはお金であって、心の糧ではありません」
その日は写真館へ行って自分の最後の写真を撮り、帰り道に桜もちを買って帰りました。三歳の娘と一緒に風呂に入りたくさんの童謡を歌って、そのあと桜もちを食べて楽しく過ごしたそうです。そのあと遺書と写真の預け証を枕元に置いて睡眠薬を飲んで亡くなります。母宛の遺書には「先立つ不幸をお許し下さい。・・・。今夜の月のように私の心も静かです」と書かれていたそうです。
まだ20代の若さ、死に対する恐怖もあったことだろうと思います。誰を恨むこともなく与えられた人生を懸命に生きたみすゞさん、最後に静かに旅立つ決心をされたれたのは子供を思う強い気持ちからです。
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オクラにはこんなきれいな花が咲きます。ご存知ですが?
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オクラの花
●(530) 2014年9月8日
「死」
先週親しい友達が脳溢血で亡くなりました。大学の合唱団で彼が指揮者、私が幹事長という立場で一緒にクラブ活動をしてきた仲間です。前日まで元気でしたのに突然の病気でご家族をはじめ周りの者もただただ驚くばかりです。寂しいことですがこの歳になりますと突如そんな悲しい別れに遭遇して落ち込むことが時々あります。
昔は自分の死ということには大きな恐怖心がありました。それは若い時ほど強かったようで小学校の頃が死に対して一番恐れを抱いていたかもしれません。でも歳をとるにつれ恐怖心は薄まり、もうこの歳になると死というものを現実の問題としてとらえ、当たり前に死を許容できるほどの余裕があります。ただ何時何が起きてもいいように身の回りをきちんと片づけておかなくてはと常々思っているのですが何もできていません。
今回のことではもちろん大きく落ち込みましたが、以前にも家族との別れなどで無気力になり「どう生きていくのか」と悩んだときに心に響いた詩があります。
「生きる!ということ」 伯耆田(ほうきだ)Hiromi作
生きる!っていうことは
前にしか進めないこと
受け入れるということ
笑って強く生きること
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今日8日は高島屋での「生誕130年、竹久夢二展」と堂本印象美術館での「竹内浩一 私の写生展」と美術館巡りでした。行ってみて竹久夢二作詞の「宵待草」という美しい曲があることを思い出しました。
「宵待草」
待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬそうな
こんな時ですのでこの詩の中の「待てど暮らせど来ぬ人を・・・」で亡くなった人のことを思ってしまいす。
そういえば竹久夢二が亡くなったのは9月1日だそうで先日亡くなった私の友人も同じ命日でした。
今日8日は旧暦で8月15日、明日9日は16日でちょうどお盆です。きれいな月を見ながら御霊を送りたいと思います。
ご冥福をお祈りします。
●(529) 2014年9月1日
「鴨川の床」
先週から涼しくなりましたので鴨川の床に行きましたが今頃がよい季節です。京都以外の方のために、貴船や高尾などの川床はほとんどが「かわどこ」ですが鴨川は「ゆか」と言います。昔は鴨川沿いには格調高い店が多く「とこ」なんて言うと京都人ではないなと田舎もの扱いされるほどだったのですが、最近は旅行者や若者もたくさん行けるような気楽な店がたくさんあります。
そもそも鴨川の床は豊臣秀吉の時代に裕福な商人が夏に遠来の客のもてなしに始めたくらいの歴史があります。今では京料理はもとより中華、イタリアン、フランス、タイなどの料理店もあって椅子席で食べられるところも増えています。五月と九月は昼間も床で食べられます。
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鴨川の床
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このところの日記も内容不足ですみません。毎日雑用に追われて走り回っています。
店でももう少し音楽で頑張らなければと思います。以前はよく曲を作っていましたが、また毎月2曲程度新曲を作る予定です。今日は早速1曲作曲。
●(528) 2014年8月25日
「シルバー川柳」
毎年第一生命が募集する「サラリーマン川柳」というのが発表されているがなかなか面白い。
今年の一番に選ばれたのは 「うちの嫁 後ろ姿は フナッシー」
昨年の一番に選ばれたのは 「いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦」 ということでした。
先日「シルバー川柳100句」というのを頂きました。これも全国有料老人ホーム協会というところが毎年募集しているのだそうだ。その中から面白そうなものを選んでみました。
「暑いので リモコン入れると テレビつく」
「名がでない あれ これ それ で用をたす」
「立ち上がり 用事忘れて また座る」
「紙とペン 探してる間に 句を忘れ」
「探し物 やっと探して 置き忘れ」
「お釣りだけ 確かめ品物 置いてくる」
「万歩計 半分以上 探し物」
「腰よりも 口につけたい 万歩計」
「飲み代が 酒から薬に 変わる年」
「症状を 言えば言うほど 薬増え」
どれも思い当たる節があるようなことです。
●(527) 2014年8月18日
「阿波踊り」
お盆の間にこんなに雨が降ることもめずらしい。お盆休みのあいだも各地で大雨の被害。京都も夕立やら台風やらで連日雨空。16日の大文字の送り火の日も激しい雨で中止になるのでないかというほど。
そんなお天気の良くない15日に徳島の阿波踊りへ行ってきました。バスでの往きも帰りも途中は雨が降って明石大橋などはガスでほとんど見えないほど。ところが晴れ男の私としては面目躍如。向こうでの阿波踊り本番中だけはまったく雨が降らずパレードも大盛り上がりでした。ただ高速道路はお盆のことで渋滞、朝8時から深夜0時までの長時間ツアーは飲んでだらだらしているだけでも疲れます。翌日も工場出勤日で朝8時前起床なのに京都へ帰ってからまた居酒屋で一杯、バタンキュー。
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阿波踊り
●(526) 2014年8月11日
「台風被害」
近畿圏へ台風が直撃でいろんなところに被害が。923も9日(土)は休業です。7日から10日まで4日間ある清水陶器市も9日から片付け始めていてほとんど2日だけで終ってしまいました。9日の淀川花火大会も始まって以来初めて中止になったらしい。甲子園での高校野球も開会式とその直後の龍谷平安と春日部共栄の第一試合が11日に順延です。
そんな台風の雨の中で空いているだろうと耳鼻咽喉科へ行くことに。一ヶ月半前の風邪以来いつまでたっても咳と喉の違和感が戻らない。ひょっとすると酒の飲みすぎのせいで喉頭がん、咽頭がん、食道がんなどではと疑ってみる。カメラ検査ではまだ炎症の残りがあるとのことでポリープもなくきれいだそうだ。なるべく大きな声をださない方がよいというが仕事がらそうはいかない。とりあえず大したことはなく一安心。
土曜日は臨時休業なのでゆっくり買い物へ行って夜は豚シャブ。ところが夜にパソコンをしようとするとキーボードのキーが一つがとれている。自分で直そうとするのですがこれがなかなか厄介で夜中にギブアップ。ネットで調べて日曜日に豪雨の中パソコン修理に持っていくと、ほとんど直らないといわれていたのが何とか直る。ラッキーでしたが忙しい連休でした。
写真は一週間前の河川敷での鴨川納涼の賑わいと台風の雨で川床の下まで水で溢れる鴨川。
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三条大橋から鴨川
●(525) 2014年8月4日
「タクシー」
仕事がら毎日通勤でタクシーを利用します。去年まではナンバーも923号(9235)にされたお父さんの車で30年近くも乗せて頂きました(気まぐれ日記No.21-312に記載)。昨年のお父さん引退後のタクシーは昔会社を経営されていた社長で923のお客さんであった方の車に乗せてもらっています。その方は以前は毎日のように祇園に来られお茶屋さんにも出入りされていた方なのですが、たまたまトラブルに遭遇、今はタクシーに乗っておられます。ずっとお世話になってきた方でタクシーで後ろに乗せてもらっているのも気が引けるような気持ちでいます。
毎日のことですからそんな運転手さんとは親戚のような親しいお付き合いになります。先週は去年まで乗っていた923号のタクシーの運転手さんの傘寿のお祝いと感謝の会をしました。もう80歳ということでご家族から無理やりに引退するように言われ昨年3月で車を降りられました。永年お世話になりながら突然の引退でしたので何かお礼の会をと思っていたのですが、昨年は店の40周年もあってのびのびになっていたわけで、一緒に参加する女性郡の都合もあってやっと今です。感謝の気持ちで食事の会をしてカラオケスナックへご招待。その3日後には今のタクシーの運転手さんに誘われて焼肉の「おおた」へお誘い頂き格別美味しいお肉を堪能です。運転手さんとは深いお付き合いです。
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サマージャンボを買いましたが今回はミニというのにしました。4億円と前後賞での6億円はユニットあたり4本しか当たらないそうですがミニのほうは前後賞もなく6千万円が90本も当たるらしい。もう6億円も当たっても使うのは大変で6千万円で充分。明日が発表ですが6千万円どうしましょう!
●(524) 2014年7月28日
「大船鉾」
先日の後祭りで150年ぶりに大船鉾が復活しました。いつもは祇園祭の巡行が終ってから天神祭までの間には一週間ほどの余裕がありましたが、今回は後祭りの巡行が24日に行なわれましたので翌25日の天神祭りへと連続で続きます。これなら関西地域へ観光で来られる方はどちらも見ることができます。
今回の巡行は烏丸御池から逆廻りの巡行ですので我々も見たことのない光景です。
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大船鉾
●(523) 2014年7月21日
「鉾建て」
祇園祭も49年ぶりに山鉾巡行が前祭(17日)と後祭(24日)に分かれ、今年の後祭では150年ぶりに大船鉾が復活巡行します。たまたま風邪治療で街中の医者に行こうとするとちょうど鉾建ての日。例年は10日なのですが今年は台風のためほとんどが11日に鉾建てをしていました。写真は月鉾の鉾建てです。月鉾は全山鉾の中でも最も大きく最も重い鉾です。鉾先までは約25mあります。
京都以外の方は鉾を組み立てるところを見ることはないでしょうけれど、鉾柱は長いので最初は横にして組み立てて鉾建ての日に起して建てます。
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月鉾の鉾建て
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風邪で声の出ないつらい日が続きましたがやっと治りそうです。約一ヶ月もかかりました。やっと歌えそうです。秋にたくさん仕事があるので大事にしなくてはと思います。
その風邪が妹にうつったようです。妹も20年ぶりの風邪ですがやはり兄妹で症状は同じ。熱はないのですが声がでない、セキがでる、そしてなかなか治らない。可哀そうですがあと一週間はかかりそうです。
●(522) 2014年7月14日
「新聞」
我が家の購読紙は京都新聞と報知新聞、そもそも妻が隠れ巨人ファンでスポーツ紙は報知新聞だったのですが、阪神ファンの私もそのまま今でも報知です。忙しい毎日も朝起きるとまず新聞です。
先月は一月限定で日本経済新聞をとりました。前にも書きましたが923の40周年にも来て頂いた福地茂雄さん(アサヒグループホールディングス相談役)が「私の履歴書」ということで一ヶ月に渡って人生を書いておられ大変興味深く読ませて頂きました。偉い方も若いときから偉い訳ではなく最初は得意先周りから始まっての苦労話。初めはみんな同じ立場から頑張ってこられたのだなと親しみを感じました。実に謙虚に地道に真面目に仕事をされてこられたことが伝わり感動しました。
京都新聞に連載されていた五木寛之さんの「親鸞」完結編も先日で終ってしまいました。以前の激動編に続きこれも毎日朝の楽しみでしたので終って残念です。
あとは水曜日の夕刊に掲載されている永田和宏さんのコラム「一歩先のあなたへ」を毎週欠かさず読んでいます。永田さんは私の友達の同級生で店にも来られたこともあるのでよけいに親しみを覚えます。もともと理学部の物理志望からタンパク質の研究へと、私も勉強はしなかったのですが似たようなコースをたどっているので勝手に親近感を感じています。また永田さんは和歌の世界でも有名人で4年前に亡くなられた奥様(河野裕子さん)とご夫婦で歌会始めの選者でした。
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連日の深酒で先週土曜日も高校の同級生と飲み会、体も少々疲れ気味です。風邪も一向によくなりません。私の風邪は本当にしつこく、もう半月以上になります。反省して日曜日は久々に酒を抜いて一日中料理。新生姜も2キロほど買って酢味噌漬け。もう今年2回目です。
キュウリの花はご存知ですか。畑には今いっぱい咲いています。
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キュウリの花
●(521) 2014年7月7日
「つら〜い一日」
先週の土曜日にホテルで仕事がありましたが声がでなくて歌えません。親しい方の傘寿のお祝いの会で一人での仕事でしたのでほとんどギター演奏でお許し頂くことに。歌は数曲だけ、いつもより5度ほどもキーを下げて囁くように歌うのが精一杯。仕事に行って声がでないほどつらいことはありません。長い一日でした。
丁度一週間前に店で大声で歌ったあと突然声がでなくなりました。その後の経過で風邪の症状もあります。もともと風邪をひいてしまうとなかなか直らない体質ですので常々気をつけているのですがとうとうやってしまいました。多分十年以上ぶりの風邪です。この仕事までには一週間はあるし”まぁ大丈夫だろう”とたかをくくっていたのがいけません。日が経ってもまったく声が改善せず風邪のせいで時々激しく咳き込みます。当日会場で咳が出ると困りますので咳止めだけでもと、前日になってから知り合いの医師のところへ行って応急処置ですが手遅れ。当日も咳止めシロップをがぶ飲みです。
元気とはいえ若い頃と同じような生活で、毎日ビールなど冷たいお酒を飲み続けているのも反省しなくてはいけないのでしょう。もともと声も悪く喉も弱いのですから・・・。一時はこのまま声がでなくなるのではとも考えました。そうなると秋に決まっている仕事などはどうするのだろうという不安もよぎります。
この日の傘寿の方は私の一回り上の戌年で今までに大した病気がないとのこと。そもそも私もいい歳なんですから少し節制が必要です。こんな歳まで元気に歌わせて頂いていることに感謝しなければいけません。頂いている仕事を全うするにはしっかり健康管理もする責任があります。今日もまだ半分くらいしか直っていないような状況で完治までにはもう一週間ほどかかりそうです。
といいながらも連日飲んでいます。皆さまくれぐれも健康にはご留意を!!
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米寿まで卆寿までお元気で
●(520) 2014年6月30日
「続、修学旅行」
永平寺の近辺にもそば屋さんがたくさんありましたが、ひと山越えたところの「ごっつおさん亭」というそばレストラで昼食です。でも自分でそば打ちをしてそれぞれが作った分を昼食として食べることになりますので結構真面目にやっています。みんな可愛いエプロンをして初体験ですが師匠の指導もよろしくなかなかの出来ばえで美味しく頂きました。
最後に戦国時代の一条谷朝倉氏遺跡へ行きました。朝倉氏は100年もの間この地で越前国を支配していた大名ですが織田信長に滅ぼされ町全体を焼き尽くされます。町はそのまま400年ものあいだ当時のままの状態で土の中に埋もれていた遺跡で日本のポンペイ、北陸のポンペイなどと言われています。昭和40年ごろから保存、発掘され城下町全体をし少しずつ復原しています。
来てみて知ったのですがこの一条谷はソフトバンクCMのロケ地で何度もCMで使われたようです。そもそも白戸家のお父さん(犬)の出身地が一条谷ということです。
復原された町並みでは戦国武将の甲冑着付け体験をしていて私ともう一人が着ることに。どこへ行っても賑やかなことです。
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そば打ち体験
同級生の方は⇒
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戦国武将
●(519) 2014年6月23日
「半世紀ぶりの修学旅行」
高校の同級生15名と先生で「半世紀ぶりの修学旅行」をしました。先生は鯖江のお寺のご住職ですので福井へ行くことになりましたが先生は84歳でまったくお元気です。
定員21名の小型サロンバスで京都からは13名、千葉から朝に着いたばかりの者もいます。酒とつまみを積み込んで朝9時に出発ですがバスに乗ったとたんから賑やかなことです。鯖江の先生のお寺で昼食を頂いて、そのあとは先生も一緒に越前海岸の呼鳥門、東尋坊を観光してあわら温泉清風荘へ。
ホテルでまた2名が合流して夜の大宴会です。宴会終了後も全員一部屋に集まってまた深夜まで飲み続けてバカ話。
二日酔いの翌朝も9時にホテル出発で永平寺へ拝観お参り。昼食は「ごっつあん亭」というそば屋でそば打ちをして自分で作ったそばを食べたのですがなかなか上出来。
そのあと一条谷朝倉氏遺跡に立ち寄り帰洛ですが、すっかり昔に戻っての賑やかな2日間でした。
私はさながら添乗員です。バスの最前席に座り各観光地へ着くたびに入場券の配布やクーポンの提出。集合時間の連絡と出発時の人数確認もすっかり板につきました。
呼鳥門(風化して穴が開いた巨岩) 東尋坊 先生のお寺
同級生の方は⇒
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旅館 永平寺 添乗員の私
●(518) 2014年6月16日
「片付け」
もうこのことは何度も書いているように思いますが、毎日の生活で一番できないのが掃除と片付けです。もうこの歳になると何時突然病気で倒れるか分かりません。独り身の私としては身のまわりを片付けておかなくてはと、常々思っているのですがなかなかできません。もちろんたまには頑張って片付けもするのですが片付けるよりも増えていく方がはるかに多いようです。家の部屋の3室ほどは物置状態になっていて、近所のレンタルルームにもギターや音響機材や古いレコードなどが山積みでレンタルの家賃も無駄なことです。
先月も姉が泊まりに来るということで掃除、片付けを始めたのですが掃除の途中でいろんなものがでてきます。親のお見合い写真や婚礼写真、私たちの子供の頃の写真、私の小学校からの通知表や表彰状。私のために両親が大切にとっておいてくれたのでしょう。他人には何の価値もないものばかりですが捨てるらは躊躇してしまいます。掃除の途中でそんなものを見てしまうとついつい仕事の手が止まってその日が終ってしまいます。
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