隠し部屋へようこそ

プロフィール

まず私の簡単なプロフィールを少し書いておこう。
大阪城に程近い下町の小さな○屋の店主である。
年齢はなぜか秘密である。
趣味はもちろん熱帯魚、それから体を鍛えることである。
休日にはおじさんソフトボールをやっている。

アクア暦はどれくらいになるのであろか。
中学生の時代には金銀の鯉を飼うのが好きであった。
高校生の時代はサッカーに夢中になっていたので飼育はしていない。
大阪の会社に就職したのであるが、東京へ転勤になり4年ほど過ごした後
退職して大阪へ帰ってきてからアクアな生活は始まった。
昭和62年のことである。
我が家の長老、クラウンテトラ。シクラソマではありませんが。
まず、小さいショートノーズクラウンテトラを飼育し始めた。
こいつは現在40cmほどになり、今でも60ワイドの水槽に閉じ込められながらも 元気に生きている。



その後はアフリカンに走った。
最近では分類やネームが色々と変わりあまり知識がついていってないので 昔の記憶で話を進めるが間違っているかもしれない。
ゴールデンゼブラシクリットいう名前のムブナの一種であったろうか。
一匹だけ買ってアフリカンな生活の始まりである。小さい間はブルーの縞々で綺麗な魚であったのに、
成長するとオレンジ色になったのに驚いた記憶がある。
それからアーリーやトレトケファルス、フロントーサ
タンガニア湖の小型種などにも触手を伸ばし、色々と楽しんでいた。
争いはあるものの混泳で死なすということもなく、私の印象ではわりと平和なシクリッドであった。




フロントーサ、アフリカンシクリッドです。
ハイブリッドがたくさん生まれてしまったり、東南アジアブリードのいい加減なインボイスに嫌気がさし
次には小型シクリッドに移行した。


アフリカ河川産のペルビィカクロミスのコレクションに走ったり
ディスカスのペア飼いをちょこっと楽しんだり
アピストも少し齧ったが当時は難しかった。
当時他の魚を★にした記憶はあまりないがアピストだけは別であった。
息が荒いなと思っているとすぐに★になってしまうのである。
自分の管理の悪さを棚に上げて、弱い魚は嫌いだと思い込む性格の人間である。


水草水槽に挑戦したこともあるが、手入れの面倒さに挫折した。
とにかく飽きっぽい性格なので、飼っては引き取ってもらいの繰り返しで、
我侭勝手極まりないアクアな生活を突っ走っていた。


ここ数年は残っている魚を何の意識もなく、餌を与え水を換え
飼育する日々が続いていた。ラミレジィです。

2002年のお正月。
ほろ酔い気分の私は、久しぶりに熱帯魚屋へ足を運んだ。
そこで見つけた面白そうなシクリッド。
アメシクな生活の始まりである。

考えてみると私はシクリッドが好きである。
大きくても小さくても自己主張がはっきりとしているし
色彩や柄の多彩さ、同じ種でもいろんな個性があるからである。
ネオンテトラの群泳のような、どの子がどの子なのかわからないようなのは好きではない。
あくまでも個人的な勝手な意見である。

さてショップで見つけたというのはフラワーホーンであった。
この時点でアクア雑誌など見なかった私にとってフラワーホーンの情報はなく
完全に未知なる魚であった。
店長を捕まえて情報を得ることにした。
なにやらアメリカンシクリッドの改良品種であると教えてもらった。
次に90水槽で飼えるのか聞いてみた。単独であるなら十分であるらしい。
混泳はできるのか?と聞いてみた。
この時点で私は大きめの奴を一匹、小さい奴を5匹買ってやろうかと考えていたのである。
無知とは恥であり恐ろしいもんだ。

その店長は私の計画を聞くとこう言った。
『多少の争いはあるでしょうが、大きいのが一匹いることでそんなひどいことにはならないでしょう』と。
繰り返す。無知とは恥であり恐ろしいもんだ。
もちろん常套文句である『混泳はやってみなければわかりません。自己責任でお願いします』
とは言わなかった。

さて、90の水槽が空いていたこともあり計画通り大きい奴を一匹、小さい奴を五匹買い
ご機嫌で家に帰り、もちろん水合わせはして水槽に放した。
新しい魚を水槽に入れた後は、なんだか嬉しくてじっと見ているもんである。
魚たちはまだ水槽になじんでいないのであろう。各々思い思いに行動し、威嚇はするものの
争いまで発展する様子はない。

寝た。

朝、起きて水槽を見た。
なんと小さい奴の二匹が無残な姿になっており、大きい奴の口から小さい奴の尾びれが出ていた。
一晩で3匹★になってしまったのである。
三度繰り返す!無知とは恥であり、恐ろしいもんだ。

さっそく隔離である。小さいやつ二匹を物置から引っ張り出した45cm水槽に移動させた。
観察していると一日中喧嘩している。おまえらは闘魚かよ!と突っ込みは入れなかったが
両者互角で日に日にボロボロになり、どうしたもんかと頭を悩ませていた。
この時点でセパレーターという恐ろしい武器が存在したことを私は気づかなかった。
大きい奴は90に単独で、何食わぬ顔で泳いでいる。
憎たらしくなったが自分の無知が招いた結果である。魚には罪はないのである。

さて、パソコンは仕事で使うこともあり持っていたのだが、
機械音痴であることも手伝い、インターネットなどはほとんど使わない状態であった。、
友人にインターネットのいろはを教えてもらいフラワーホーンについて調べることにした。
いろいろと見ているうちに『シクラソマランド』というところにたどりついた。
掲示板を見ていると、なかなか親切そうでマニアックな人たちが楽しそうな雰囲気でカキコしていた。
悩んだ。フラワーホーンについて聞いてみたかったが、もちろん私はカキコなどしたことがないのである。
一時間ほど悩んだだろうか、意を決して書き込んでみることにした。
今思えばこれが運命の別れ道であったのだろう。
かくして私はどっぷりとアメリカンな生活にはまりこんでいった。

つづく………かもしれない。