近世(きんせい)の千里川

 

 近世の千里川を見ていきましょう。

 桜井谷や野畑では、昔(むかし)から稲作のほかに、ナツギクやケイトウ

 などの花の栽培(さいばい)が盛(さか)んに行(おこな)われていました。

 今でもそのなごりがありますが、私が子どもの頃は、川の周辺は一面(い


ちめん)の田畑(たはた)で赤(あか)や黄色(きいろ)のきれいな花畑が続(つづ)いていました。

 

千里川には、大正(たいしょう)橋・明治(めいじ)橋・昭和(しょうわ)橋という

ように、それぞれに年号(ねんごう)の名前がついた橋があります。それぞれ

その時代(じだい)にかけられたものです。

畑仕事(はたけしごと)に行くときに使(つか)う橋は、バス道などとちがって

板1枚(まい)を渡(わた)しただけの簡単(かんたん)なものも多く、牛や馬、

荷車(にぐるま)などが渡るには、大変(たいへん)遠回(とおまわ)りが必要

(ひつよう)でした。 右の写真は『明治橋』です。当時(とうじ)は木でできてい

ましたが、昭和42年に集中豪雨(しゅうちゅうごうう)で壊れ、現在(げんざい)

はコンクリートの橋になっています。

 

 昭和9年ごろの桜井谷小学校です。

 私の父も通(かよ)っていました。私も30年ほど前に通っていました

 が、その時の校舎(こうしゃ)とも違(ちが)います。

 当時(とうじ)は豊能郡桜井谷尋常小学校(とよのぐんさくらいだに

 じんじょうしょうがっこう)と呼(よ)ばれていました。

 

 今の春日橋(かすがばし)近くに昭和初期(しょうわしょき)か

 ら昭和26年まで、『摂津乗馬(せっつじょうば)クラブ』があ 

 り、競走馬(きょうそうば)や騎手(きしゅ)の育成(いくせい)

 が行われていたようです。

 

右と下は昭和20〜30年頃の写真のようです。

右の写真は、こちらは勝部(かつべ)2丁目の神明橋(しんめいばし)だそうで

す。木製(もくせい)ですが、りっぱな橋が架(か)かっています。

  左の写真は国道(こくどう)176号線付近

 (ふきん)の千里川らしいのですが、どの辺(あた)りなのでしょうね。

 現在の千里川(クリックするとジャンプします。)のページに阪急電車(はん

 きゅうでんしゃ)が写(うつ)っていますが、あの辺りがそうなんです。見比(み

 くら)べてみてください。(笑)

 水鳥が遊び、どちらもまだコンクリートの川ではありませんね。

 

大阪国際空港(おおさかこくさいくうこう)です。

世の中はどんどん便利(べんり)になってきましたが、1日に400便

(びん)近い飛行機(ひこうき)が離発着(りはっちゃく)し、周辺では、

騒音公害(そうおんこうがい)が問題(もんだい)になりました。

同じような場所(ばしょ)で撮(と)った写真があります。

現在の千里川

 

 

千里川の歴史にもどる