古代(こだい)の千里川周辺(しゅうへん)
豊中市の広報(こうほう)などで紹介(しょうかい)された写真(しゃしん)をもとに千里川周辺(しゅうへん)
の昔(むかし)をふりかえってみます。
上流部(じょうりゅうぶ)の北緑丘団地(きたみどりがおかだんち)付近(ふきん)は、古代(こだい)
から人が住んでいたようです。 紀元前(きげんぜん)今から6000年以上(いじょう)前(まえ)です。
これは千里川近くで出土(しゅつど)した埴輪(はにわ)です。
縄文時代(じょうもんじだい)の野畑遺跡(のばたけいせき)からは、
土器類(どきるい)といっしょに女子の埴輪がでてきました。
野畑遺跡(のばたけいせき)周辺(しゅうへん)には、窯跡(かまあと)も多く
ほかにも、石のやじりや魚獲り(とり)の網(あみ)をしずめるおもり
石錘(せきすい)なども出てきました。
当時(とうじ)は狩猟(しゅりょう)中心で、鹿(しか)や魚をとって暮(く)らしてい
たことがよくわかります。昔の人々は千里川で魚をとっていたのですね。右の
写真は、発掘(はっくつ)している時のものです。開発(かいはつ)が進(すす)
み、今ではこのあたりでも土が見られなくなってきましたが、私が子どもの頃
(ころ)までは、広大(こうだい)な雑木林(ぞうきばやし)がつづきキジやタヌキ
に会うことができました。ちょうど、そのころ発掘されていたようです。知らない
間に6000年の歴史(れきし)の上で遊(あそ)んでいたのですね。