天国の特別な子ども
(原文)
Heaven's Very Special Child
A meeting was held quite far from earth.
"It's time again for another birth",
Said the Angels to the Lord above,
"This Special Child will need much love
His progress may seem very slow,
Accomplishment he may not show;
And he'll require extra care
From the folks he meets down there.
He may not run or laugh or play,
His thoughts may seem quite far away.
In many ways he won't adapt,
And he'll be known as handicapped.
So let's be careful where he's sent;
We want his life to be content,
Please, Lord, find the Parents who
Will do a special job for You.
They will not realize right away
The leading role they're asked to play.
But with this child sent from above
Comes stronger faith and richer love.
And soon they'll know the privilege given
In caring for the gift from Heaven.
Their precious charge, so meek and mild
Is Heaven's Very Special Child".
Edna Massimilla
Reprinted with permission
This Is Our Life Publications
PO Box 21, Hatboro, Pa.19040 U.S.A.
(祐子の『詩』についてJDS第313号に載せた記事)
天から授かったすてきな詩 大江祐子(協力会員)
JDSの臼田さんから原稿のご依頼をいただき、当時を振り返りつつ、この詩を訳した時のメモや古い資料を探してみました。最初に丹羽先生からお預かりして帰った本の最後の、"Editor's
Note"(編集後記)には、「この詩はBeaven
Fallsのある一女性から送られたもので、毎晩『mental
retardation』(精神遅滞)についての本を読んだ後、しばしじっと、自分の二人の息子たちが健常で、健康であることを考え、神様に感謝する夜が続いた。そして、何らかの遅滞をもって生まれたお子さんをお持ちのご両親が、この詩をご存知になればきっと慰めを得られるのではないかと思う、と書かれていました。そこで、私たちはこの詩が、「The
News Tribune's第12課の『It touches 1 in 10』シリーズの最後の締めくくりにぴったりだと思い、採用することにした」とあります。
著者のエドナ・マシミラさんについて、どんな方なのか知りたいとJDSの編集部の方からもご質問がありましたが、丹羽先生がお書きになっているように、残念ながら判明しないまま現在に至っています。
その本は、全体がアメリカでダウン症児を育てている両親の手記のような内容でしたが、最後に載っていたこの詩が、あまりにも素晴らしく、感動的な言葉で綴られていたので、丹羽先生のお許しを得て、訳してみることになりました。やさしい内容ではあっても、日本語にそのまま置き換えると、ぎこちないものになってしまい、悩んだ箇所がたくさんありました。提出する前日の夜中になっても困っている私を、側で見ていた主人が見かねて、ここはこうしてみたらどうかなどと、良い表現を提案してくれ、大いに助けてもらいました。しかし、詩の持つ良さのすべてを満足に訳せたわけでもありません。しかし、できるだけ平易な言葉で、どなたにも理解していただけるよう努力したつもりです。そして、どうにかお清書して、先生にお渡ししました。それから暫くして会報『こやぎ』に載せていただき、活字になった喜びに浸っておりました
*
その後、パンフレット『この子とともに強く明るく』の中に採用されることを伺って、驚きとともに嬉しさの両方を大いに味わいました。大量に印刷されたおかげで、パンフレットが世の中に出てからは、この詩が一人歩きを始め、新聞社、出版社、日本各地のさまざまな施設からの申し出もあって、こやぎの会の諸岡さんや丹羽先生のご承諾のもとに、いくつかの出版物に転載されたり、自家出版なさった方の本や、コミック誌の『どんぐりの家』の中にも採用されたり、テレビ朝日の朝の番組でもとりあげられたりしたことを後から知り、本当に驚いています。
いろいろな方から、「感動しました」「泣きました」などというお言葉を頂戴しますが、それは原詩(英語)のもつ力強さの賜物だと思います。
私にとって、この詩は天から授かったすてきな贈り物であり、大切な、大切な宝物になりました。訳してから約24年後の今、この詩に出会うことができた幸せに心から感謝しています。この詩を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
(JDSニュース第313号―1999年1月20日発行)
(『天国の特別な子ども』詩との出会い)
天国の特別な子ども」との出会いは26年前 大江祐子
この詩に出会ったのはもう26年前になります。アメリカのダウン症児を持つ両親たちの手記を集めた本の最後のページに載っていたのです読み進むうちに、一行一行、言葉の中に込められた作者のメッセージが胸に熱く響き始めました。
その本は、大学時代の恩師・丹羽淑子先生がアメリカから持ち帰り、翻訳して欲しいと卒業生たちに呼びかけ、託されたダウン症児養育に関する本やパンフレットの中の一冊で、偶然手にしたのですが、私が出会うべく定められていたのではないかと思えるのです。昭和30年〜40年代に卒業した同窓生たち20数名が母校に集まり、それぞれ手にした本を持ち帰り、1ヵ月後に報告や感想を述べることになりました。先生はその中の一冊を選び、日本のダウン症児を持つ両親のために翻訳し、出版することを考えておられたのです。
その集まりの少し前、丹羽先生はダウン症で生まれたお孫さんの真理佐(日米混血児のMarisa)ちゃんが、アメリカで受けているさまざまな優れた療育をつぶさに見てこられ、日本のダウン症児療育に役立つような活動をしたいと心に決めて帰国されたようでした。私は、本の内容よりその詩に感動したことを先生にお伝えしました。
先生は、ペンシルベニア州・重症心身障害児の療育施設に入院中の真理佐ちゃん訪問の際、主任のシスター・アンから手渡されたカードにその詩が書かれていて、「日本の障害児をもつ両親たちに、この詩の心を伝えてほしい」と言われたこと、そしてその同じ詩を私が選んだことをとても喜んで「あなたが訳してみて」と勧めてくださったのです。それがすべての始まりでした。
宿題をいただいてからの1ヵ月は大いに悩み続け、書いたり消したりの毎日だったと記憶しています。やさしい言葉ではあっても、日本語にそのまま置き換えると、ぎこちないものになってしまいます。提出する前夜になっても呻吟している私の側で見かねた夫が、ここはこうしてみたらどうなどと、良い表現を提案して助け舟を出してくれました。けれど、詩の持つ良さのすべてを満足に訳せたわけでもなく、大いに苦しみました。できるだけ平易な言葉で、どなたにも理解していただけるよう努力はしたつもりです。どうにかお清書し提出してから忘れていましたが、暫くして、その訳詩がダウン症児の親の会会報『こやぎ』に載りました。そのときはただ驚いて、自分の訳したものが活字になったことがとても嬉しく、喜びは格別でした。
丹羽先生はそのときから一昨年87歳で引退なさるまで、東京代々木の花クリニックで20数年間「ダウン症児の発達相談」を続けてこられ、その間に800名以上のお子さんとご家族のためにカウンセリングをしてこられました。
赤ちゃんから数年間見守り続け、ご両親や療育者にさまざまなアドバイスをしてきたお子さんたちの中で、現在24歳になった池畑幸枝さんが、最近NHKのテレビ番組「にんげんゆうゆう」と「にんげんドキュメント」で、菓子職人として立派に自立なさっている姿が紹介され、視聴者の私たちに感動を与えてくださいました。丹羽先生もテレビ画面で思わず幸枝さんに再会できたことを、たいへん喜んでいらっしゃいます。
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話は戻りますが、「詩」はこやぎの会発行のパンフレット『この子とともに強く明るく』の扉ページに採用され、1万部も印刷され配られたおかげで、パンフレットが世の中に出て「詩」が一人歩きを始めました。いつの間にか、大学、新聞社、日本各地のさまざまな施設などの印刷物に載ったようです。そしてまた、いくつかの出版物(中公新書「先天性異常」や、三省堂出版「ようこそダウン症の赤ちゃん」など)に転載されたり、自家出版なさった方の本や、コミック誌の『どんぐりの家』の中にも採用されました。また、テレビ朝日の「モーニングショー」でもとりあげられたことを後から知り驚いたものです。
一昨年はBS 放送の「JINKEN」というテレビ番組の中で、ダウン症児の弟について書いた中学三年の兄の作文(コンクール入賞)を紹介する場面で、女優の山田まりやさんによって朗読されました。
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詩の原作者であるエドナ・マシミラさんについては、詳細不明なまま長い時が過ぎていましたが、訳してから四半世紀後に、京都在住の鈴木伸という方が、八方手を尽くして探り当ててくださいました。鈴木さんは、九州の久山療育園で最初にこの詩に出会った十数年前から、原作者と訳者を探そうとずっと努力を続けてこられたとのことで、最後にダウン症協会、そして訳者の私にたどり着かれたことを、一昨年12月のある日の朝、突然の電話で詳しくお話してくださいました。びっくりしながら受話器を握り締め、興奮してそのご報告を伺いました。なんとラッキーなことでしょう。
エドナ・マシミラさんについて、鈴木さんの素晴らしいひらめきと、たゆまざるお働きによって、詩の原作者探しの物語は、インターネットの力が大きな助けになって完結したということをここでご報告します。
私が詩に出会ったときのいきさつをすべてお話した後、鈴木さんがエドナさんに手紙を出され、それに対してエドナさんから鈴木さんにお返事が届きました。お手紙には、牧師夫人であったエドナさんは85歳で健在でいらっしゃること、アメリカ作詞家・作曲家協会(ASCAP-American
Society of Composers, Authors and Publisher.)の一員であり、詩や歌の著作を続けていらっしゃること。43歳で天に召された娘さんのルーシーさがダウン症で生まれたおかげで、自分には、特別な助けを必要とする子どもたちのための詩を書く能力が与えられたと思うと書かれていました。現在も詩や歌のほかに、ゴスペル音楽も手がけていらっしゃることが静かな文章の中に語られています。
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この訳詩は今まで印刷物のみならず、インターネット上のホームページでもたくさん紹介されたおかげで広く知られ、感動した、泣いた、励まされたなどと、ありがたいお言葉をたくさんいただきます。それはひとえに、マシミラさんの原詩(英語)のもつ力強さのゆえだと思います。私にとってこの詩は天から授かったすてきな贈り物であり、大切な、大切な宝物になりました。訳してから約26年後の今、この詩に出会えた幸せに心から感謝しています。
2003年2月18日 以上
このエッセイは、雑誌「ゆうゆう」8月号(主婦の友社/2003年)に載ったものをリライトし、加筆したものです。(大江祐子)