初めに

21位世紀が始まり、私も新たな気持ちでスタートしようとしているところに、あ〜ちゃんの緊急入院はとてもつらい気持ちにさせるものでした。
でも負けるわけにはいきません。私もこれからたくさん行動を起こそうと思っています。


ことの始まり

2001/1/13、正午頃、私はかず坊の昼ご飯を作りつつ、あ〜ちゃんもお腹が空いたと泣いていたので、あ〜ちゃんにおっぱいをやった。
すると、突然乳首をギュッと噛むので「痛いなあ」とあ〜ちゃんを見るとチアノーゼ状態。近くのかかりつけの小児科に行った。
原因がわからず、救急車で近くの総合病院へ。ここでも何回も無呼吸になり、挿管して呼吸確保して、今度は市民病院へ。
ついてすぐにCTスキャナーを撮る。主治医の先生に脳の形成に疑問があると言われ、無呼吸の原因が脳からきているものと不安でいっぱい。
このまま、入院、私も付き添い看護で一緒に入院。かず坊は私の実家に預けることにした。

入院中、気管支炎にもなってしまい、その治療を続けながら、脳波の検査、眼科の検査、MRI、採血などをする。
ミルクや薬を鼻から通したチューブに入れて飲まし、手には点滴、胸には心拍計のコードでいっぱい。本当にかわいそうだった。
治療も一段落し、抜管。おっぱいやミルクを普通にやっと飲めるようになった。


結果

脳波の検査では、典型的なてんかんの波が出ていた。難治性の点頭てんかんと言われる。
MRIの結果は、写真を見せてもらったが、頭蓋骨のわりに中の脳がとても小さく、隙間があった。いわゆる小頭症。
また、脳全体にしわが乏しい(滑脳症)、17番目一部欠失の染色体異常、発達不全のため、知能・運動は重度の遅れがあるかもしれない。

先生には命は1年もたないかもしれないと言われた。ショック。たとえ、生きれたとしても歩くことはできないし、よくて車椅子。
知能も遅れるし、運動もできない。こんなひどいことってあるでしょうか。
今は退院し、1ヶ月おきの通院と、1日3回の薬のみ。
まだ、私も何もわからない状態で、今から情報を収集しようとしている最中。少しでも、あ〜ちゃんにとっていいことであったら何でもしようと思ってる。


現在(7才)

頭囲はまだ生後半年程度、足のサイズもまだ赤ちゃんサイズ。
言葉も話せません、体幹がしっかりしていないので、首も完全に据わっていません、お座りもできません、もちろん立てません。
発作も毎日のようにあり、年齢を追う事にさまざまな発作の種類が出始めており、抗てんかん薬は6種類服用。
食事は経口摂取は困難。経管栄養からラコール等の注入中心。
緊張が常にあり、足の状態が左右で違います。外転、内転とバラバラです。
普通の靴も履けずに補装具着用です。
ゼロゼロが頻繁で、吸引・吸入をしています。私にはできないと思っていた吸引の医療行為もできるようになりました。
ついでにマーゲンチューブを胃まで入れることもできるようになりました。
気管支が弱く、気管支炎・肺炎やウイルス感染は常連に近い。

あ〜ちゃんの障害(2007年12月現在)


主な精神障害  精神遅滞
合併精神障害  ウエスト症候群・滑脳症
合併身体障害  中枢性運動障害

療育手帳 最重度
身体障害者手帳 1級