差出人:	Osamu Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
送信日時:	2019年8月24日土曜日 23:35
宛先:	
件名:	ゼノンの逆理について、論理の限界

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ゼノンの逆理
古代ギリシャの哲学者エレアのゼノンが提出した逆理の一つは「飛んでいる矢は止まっている」というものです。
物体が点から成り立ち、点が位置だけ有って大きさの無いものだとすると同時に二か所には有り得無いので各瞬間
において矢は止まっている。同時に二か所に有り得ないものを幾ら集めても矢は飛ぶ事はできない。

現実には矢は飛んでいますので上の論理は成り立たず逆理と言われる所以ですが上の論理のどこが現実に合わ
ないのでしょうか。

私の考えは以下のようなものです。

運動や変化の可能性
現実には大きさの無い点という物はない。電子顕微鏡で利用されているように運動している電子は点粒子ではなく
波である。ド・ブロイの物質波が示すように運動している粒子は空間、時間に広がりをもった波である。

実は無限に短い時間というものも物理的には無いと思います。非常に短いパルス信号を実現するには非常に大き
な多数の周波数、即ち帯域幅を必要としますので現実には存在しないものです。

まとめると空間と時間には小さい極限は0にはならずある幅をもっている。その中に存在する物は非常に近い二点
に同時に存在しまた非常に近い二つの瞬間に同時に存在する。近接した異なる空間、時間に同時に存在するから
こそ物の運動や変化が有るのである。

粒子の不確定性
時間と空間の大きさに下限がある事は物の運動や変化を無限に厳密に決定する事はできないという事になります。

論理の不確定性
「クレタ人はすべて嘘つきである」とあるクレタ人が言った。
この論理の真偽は不確定です。その原因は「すべての」という全称形式とその範疇にそれを言っている当人が含ま
れる自己言及性にあります。客観と主観が混入しあって客観的な表現ができないのです。

論理の限界を知って思考しよう
大きさの無い点、瞬間等は厳密な学問には必要不可欠な概念であり、生活上にも便利な思考の道具ではありますが
現実には上述のように適用限界があります。論理学の排中律「ものはAかBでありその中間のものは無い」は無批
判に用いると間違いのもとです。実際はものの概念は排中律が成り立つように厳密に定義しなくてはならないという
事でしょう。「名は体を表す」のはそのように人間が名をつけるからです。無反省に使うと論理は色々な本末転倒、
荒唐無稽な結論を導き出します。無限に、永久に、すべての、ありとあらゆる等の一般化は行き過ぎると論理を誤り
ます。我田引水の論理の不毛な実例は世に満ちています。論理の限界を知って考えましょう。
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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    
* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    
* Human Network for Better 21 Century      
*  http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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