体験者の書物を通して知る戦争と平和

 

To: 2022/10/22 21:45

 

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9/15-10/19神奈川県の自宅にいる間に次の書物を読みました。

 

1. 宮良ルリ 私のひめゆり戦記

下守ゆりさんは石垣島出身で師範学校に入るために沖縄本島に行きました。戦争が始まって一度石垣島

に帰る機会があり、家族、親類は引きとめたのですが、軍国教育により典型的な軍国少女であったので

義務感から学校に戻り、ひめゆり部隊に動員され、負傷兵の看護に当たる事になりました。ひめゆり部

隊に動員された仲間の大半は米軍の砲撃で傷ましい最後を遂げました。具体的に内容を知るにはこの書

を読んで頂くしかありません。インターネットでの感想は   https://bookmeter.com/books/177091

 

私は石垣島に宮良という親友がいますので彼に聞いたら何と彼は小学校で宮良先生に習ったのでした。

また親友のお母さんでもあるとの事。残念ながら数年前に他界されました。亡くなった時には沖縄で大

きな反響があり、その新聞記事を送ってくれました。

 

もう半世紀以上前の事ですが私は小学校で「ひめゆり部隊」という映画を見て初めて太平洋戦争のあっ

た事を知り、二、三日恐怖が去らなかった事を覚えています。

 

2.毛利恒之著 ユキは17歳で特攻で死んだ

この本は数年前横須賀で開かれた平和集会で著者から頂いたものですが何年も私の書棚にあったもので

す。荒木幸雄さんは特攻振武72隊で沖縄で戦死されました。生きて帰れない任務の特攻隊員とその家族

の心情は想像を絶するものです。これもその一端でも知るにはこの書を読んで頂く外ありません。 出撃

まで特攻隊員のせわをした旅館の方等の話によると振武72隊はとても明るい部隊だったそうです。出撃

直前に迷い込んで来た子犬を抱っこした荒木幸雄伍長とその周りで子犬に笑いかけている仲間の笑顔の

写真が残っています。荒木さんはその時17歳、隊長の中尉だけが職業軍人ですがこれまた若干22歳、何とも惜しい人々を死なせたものです。しかも6千人も。

 

最初の特攻はフィリピンで帝国海軍が行った神風部隊の攻撃でした。それを率いた関行雄大尉は新聞記

者に語っていました。「もう日本も終わりだよ。俺みたいな優秀な飛行機乗りを殺すなんて。俺なら米空

母の甲板に一トン爆弾を落とす自信がある」。

 

以前「振武寮」という本を読んだ事があります。これは特攻隊でエンジン不調などの理由で特攻に失敗

した人々をまるで犯罪者のように世間から隔離するために福岡市に造られた寮です。世間では特攻を軍

神とか囃し立てていたのでその実像を隠すための処置でした。特攻は軍による組織的な死の強制であり

振武寮では「死にそこない」としてひどい虐待が行われたそうです。

特攻隊を送り出す時に司令官は「俺もきっと後から行くから」と言ったものですが実際にその言葉を守

った者は殆ど皆無でした。皇軍とは正に虚偽に満ちた狂気の軍隊であったとしか言いようがありません。

 

3. 色川大吉 ある昭和史 中央文庫

これもずっと以前古本屋で買った物ですが今読んでいます。著者は私の母より二年後の大正12年生まれ

ですからおそらくもう他界された事でしょう。

 

戦争の直接体験者が殆ど他界された今、私達はその人々が残された手記を大切に読んで、これからの生

活と世界平和の確立に活かして行かなくてはなりません。

 

21世紀には大きな戦争はもう無いと思っていたところに起ったのがロシアによる一方的なウクライナ侵

略戦争です。プーチンのロシアは戦前の大日本帝国にそっくりですね。他方現実の戦場からは現在の戦

争について学ぶ事が多々あります。平和を守るためには戦争をよく知らなくてはなりません。病気の治

療のためにはその病気について熟知する事が必要なのと同じですね。ひとつ戦争の研究をしませんか。

 

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+ 市吉

+ 二十一世紀を楽しく生きよう会

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