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送信日時:	2018年3月25日日曜日 0:04
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件名:	乞食の子、どん底からの向上

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先週に続き同じく札幌市中央区民センター図書室から借りてきた本、こちらは自叙伝を紹介します。

頼 東進著、納村公子訳 「乞食の子」小学館

著者は1959年3月20日、台湾の台中県東勢鎮、郊外の墓地の百姓公廟という無縁仏を祀る建物でまれました
。父は盲目、母は知的障害者でした。上に姉が一人、下に弟がいましたがこの弟は母と同じく知的障害者でした。
乞食の他に生きる手もなく避妊の知識も無いので更にその下に次々に三人の弟妹がうまれました。
更に最後に生まれた女の子は食べさせるものも無いまま生後200日で亡くなってしまいました。

東進はものごころついた時には父の手を引き、乞食をしていました。一家は村から村へ墓地や木の下、地面を
ぐらに放浪しました。この家を支えたのは東進とその姉でした。東進が著しているその様子は全く悲惨の一語に尽き
ます。

10年間の放浪の末に一家は台中県烏日前竹林というところの打ち捨てられた豚小屋に落ち着きました。そこで
やっと戸籍を作り、1969年10月に東進は小学校に上がる事ができました。既に東進は10歳でしたが、長年の夢が
かなって天にも昇る気持ちでした。しかしこれには姉の犠牲があったのです。父の借金のため姉は女郎屋に身売り
されてしまったのです。

東進は毎日学校から帰るや否や父の手を引いて夜遅くまで乞食に出ました。物乞いの他に父は月琴や胡弓を弾
いて思想記という叙事詩をき語る大道芸で日銭を稼ぎました。

東進は父の手を引き夜遅くまで乞食をして自分の時間というものがありませんでした。白痴の母と弟の下に三人の
弟妹がいるのだから生きるためには働く他ありません。特に姉もいなくなってからは炊事、洗濯、父母と弟妹の世話
を一人で担わなくてはならなかったのです。

遊ぶ時間はおろか学習時間も無かったのですが学校の成績は常に一番でした。最初は乞食の子としていじめに
もったれども学校の先生達が境遇を理解して助けてくれました。学校で何度も表彰されると生徒達の尊敬も集まり
、妬み故の嫌がらせを除けばいじめは無くなりました。
こうして中学まではずっと勉強だけでなく運動も一番を通して卒業する事が出来ました。

家庭の事情で大学進学は諦め、台湾省立工業高校に進学し、学業の傍らアルバイトで生活費を稼ぎました。その
アルバイトの一つが社長一人の小さな会社でしたが東進は卒業後そこに就職し、社長と二人三脚で事業を成長させ
、工場を建て、工場長を任されるようになりました。そして恋人もでき世間の偏見を克服して家庭を築く事もできたの
です。

どん底からの向上
私はこの本を読み始めて一気に読んでしまいました。こんなに悲惨な境遇があるものかと空恐ろしさを感じました。
頼一家のどん底からの向上の原動力は東進の学校教育にあったのは確かです。自分の時間が無いのにどうして
東進が学校で一番を通す事ができたのでしょうか。それは彼が父の手を引いて乞食に行く時にも片時も教科書を放
さず、寸暇を惜しんで勉強したからです。道具が無くても木切れで地面の上に字を書いて勉強したからです。

東進の弟妹達や子共三人は東進夫婦が建てた三階建ての家で人並みの生活ができています。東進の最大の支
え手であった姉については現在近くに住んでいると書いてある他記述がありませんでした。私はこの姉さんの多幸
を祈らずにはいられません。

この本は人口二千萬人余の台湾で100万部以上売れたそうです。ちょうど今世紀の初めの事です。
台湾でも今時女郎屋などは違法で生活保護制度により頼一家のような悲惨な境遇は一掃されていると期待したい
ものです。

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    
* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    
* Human Network for Better 21 Century      
* http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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