差出人: Osamu Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp> 送信日時: 2019年4月14日日曜日 13:52 宛先: 件名: 社会の底辺からの向上 転送歓迎 配信無用の方はお手数ですが返信願います。本MLは会員の紹介により加入する会員の自主研究会です。返信 または全員へ返信により意見交換をお願いします。二十一世紀世界研究会とは「人が全国どこでも働き、生涯豊か に生きられる世界」を提案し研究する会です。研究しながら理想の二十一世紀世界を実現しましょう。 社会の底辺からの向上 社会格差と貧困の原因としては社会的原因と個人的原因があると思います。社会的原因としては古代の奴隷制や 中世の農奴制そして近代の無法労働制が挙げられます。これらに共通するのは社会が階級に分裂し人口の大多 数を占める人民には選挙権も与えられていなかったことです。選挙制度が無ければ政治権力を巡る争いは暴力的 な支配階級内あるいは階級間の闘争にならざるを得ません。当時の状況を思えばK.Marx等が共産党宣言の中 で「人間の歴史は階級闘争の歴史であった」としたのも無理ないと思います。ただ史的唯物論とか弁証法とか革命 思想等には私はなじめませんでした。科学技術を学ぶ私にはそれらが空疎に見えましたので。 日本は日本国憲法の下で史上初めて完全な普通選挙による民主制度が確立しました。これは17世紀のスイス出 の思想家J.J.ルソーの社会契約説がアメリカ合衆国の成立、フランス革命等約二世紀に渡る無数の人々の努力の 上に実現した賜物です。 民主主義が確立した国では社会格差の原因を単純に社会に転嫁する事はできないのではないでしょうか。民主国 の国民は社会問題について権利と共に義務あるいは責任も負っているわけです。 戦争直後日本国憲法により初めて完全な普通選挙権が与えられた日本国民は主権者意識が高く公選挙の投票率 は常に8,9割でした。私は子供のころ村の道路に立ったある立候補者がメガホンを口にして「有権者の皆様」と連呼 していたのを覚えています。今や選挙の投票率が5割を切る現状では「有権者」などは絶えて聞かない言葉になり ましたね。 私が会社で支部委員をしていた時の組合研修で聞いた事ですが、戦後直ぐの頃の労働組合の委員長選挙には 自薦、他薦入り乱れて多数の立候補者があったそうです。労働組合は日本の産業民主化に重要な役割を果たした と思います。私は30年間の会社における開発技術者としての経験から思うのですが日本の技術革新を実現した 原動力は労働法に守られた労働環境だったと思います。会社と労働組合は対立関係として取られがちですが、誰 でも活動に参加できる労働組合は労働者と会社の一体感を作り出したと思います。労働組合の全国的連合を通じ て会社の枠を超えた社会人としての自覚も養われたと感じています。 以上のように1960年からの約10年の日本の高度成長の原動力は民主主義だったと思います。他方1980年代以 降の経済成長の鈍化と世界における日本の地位の低下の原因は民主主義の弱体化ではないでしょうか。会社の 労働組合においても末端の職場委員、支部委員のなり手が少なかった事、小学校、中学校でPTA委員のなり手 の少なさに苦労した事などを思い出します。今回の統一地方選挙でも投票率の低さと無投票区数の増加が見られ ました。民主主義の危機を感じます。 社会の底辺からの向上 世界の偉人の多くは社会の底辺から這い上がった人々です。私は小学生の頃色々な偉人伝を読みこの事実を知 って意を強くしました。我が家も貧困にかけては村でもtopを争う状況でしたから。その事を父に言ったら父の言う には裕福な家庭の子が努力したらなお良いだろうと。私も成程と感心しましたが、実際には家の栄華は三代続く事 は少ないようです。このことは社会の本は個人である事を示していると思います。世界の偉人とされる人は単に個人 名で呼ばれます。I.Newton, A.Einstein, W.Shakspear,等々。これに対してSir,爵位、学位、肩書等の尊称で呼ば れる人は人類史的観点からは格が一段下がると感じます。勿論皆偉大な方々なのですが。国家の表彰を拒否した 福沢諭吉や文部省の学位押し付けを拒絶した夏目漱石なども同様に感じたのかも知れません。 Bucker T. Washington, Frederick Douglass 昔B.T.Washingtonの”Up from Slavery”やF.Douglassの”Education of F.Douglass”等の本を読んだ事があります 。世界初の近代民主国家として出発したU.S.Aに黒人奴隷制度があった事に私は驚きましたが、A.Lincoln大統領 による奴隷解放宣言の後も社会の底辺に置かれた黒人の立身出世は至難の業でした。ポケットにほんの僅かのお 金を持って首都ワシントンに出て来てからアラバマ州タイキギに黒人のための大学を作り、発展させるまでのB.T. Washingtonの人生を思い返しています。 サヘル・ローズ 先週サヘル・ローズ著「戦場から女優へ」(文藝春秋)を読みました。もともとイラクとの国境近いイランの村に住んで いたサヘルさんは実は本名不詳です。戦争が始まりイラク軍の爆撃で幼時に家族全員が死亡したためです。瓦礫 の中から奇跡的に5歳くらいの少女を助けだしたのはボランティアのフローラさんでした。フローラさんは当時まだ 学生でした。裕福な家の娘でしたが親の意向を無視してサヘルさんを引き取ったため、家族から断絶されました。 当時日本に留学していた婚約者を頼って来た日本でも婚約者から一月そこそこで義絶されました。サヘル母娘は 最初の二週間は公園の土管の中で生活するなど正に社会の底辺からの出発でした。親子に同情した別の母子家庭 の人が自宅アパートに同居させてくれて土管からは脱出できました。その後も様々な転変を経ましたが異国での生 活の困難は大きく正に飢餓線すれすれでした。中学校では耐え難いいじめにも逢いましたが困難な中でもサヘル さんを支えたのは自分の食べ物を減らしてでも娘の願いをかなえてくれようと努力した母フローラさんの愛だったと 思います。 上の人々の生き方を思うと人を向上させる力は家族の愛と本人の努力及び他人の助けだと思います。社会の構成 要素は人であり、人を疎かにする社会は衰退します。人間社会の成長とは底辺からの個々人の向上だと思います。 それを強めるために私達にできるのは何でしょうか。 ********************************* * 市吉 修 Osamu Ichiyoshi * 二十一世紀を楽しく生きよう会 * Human Network for Better 21 Century * http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/ *************************************