A.トインビーを思う

 

2023/12/29 22:52

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A.トインビーの試練に立つ文明(Civilization on trial)

をずっと昔に読みました。覚えているのは

 

(1) 国家の寿命は限られているが宗教ははるかに永続的であり、影響は大きい。

(2) 国家の枠でものを考えてはならない。

 

今、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ戦争の悲惨を見るにつけしきりにトインビーの教えを

思い出しています。

 

イスラエルはユダヤ人の国であり、パレスチナ人を排除している。片やパレスチナ人はイスラム教徒で

あり、ハマスはイスラエルを滅ぼしてイスラム国家を設立する事を目指す。

 

これでは正に不倶戴天の敵の関係であり、簡単な問題解決の解は無いですね。

 

ユダヤ教もイスラム教も厳格な一神教である。数学的思考から言えば唯一のものが二つあるならそれら

は同一である筈です。両者は異なるならばそれらは唯一の物ではない。

 

ウクライナ侵略戦争を続けるロシア、ガザを破壊し続けるイスラエル、アフガニスタンのタリバンの女

権抑圧、米国のキリスト教原理主義者のイスラエル一辺倒の肩入れ等の主張を聞くと私は「愚か」以外

の言葉が出て来ません。

 

かく言う日本もかっては皇国史観を国教として学校教育で子供に擦り込みました。それは天皇を神と説

く一神教であり、軍国主義の推進に絶大な力を発揮しました。ナチス・ドイツではアーリア人種優秀論

なるものが国教でしたね。これは科学的装いをした一神教です。ナチスは人類学調査団をチベットまで

派遣したそうです。

 

序にマルクス主義は科学的社会主義と呼ばれるので私は若い時少しかじりました。唯物弁証法の論理は

自然と社会の事物を割り切る刃物の感がありましたが、そのような万能論理は結局大したものではあり

ませんね。特に共産党一党独裁には違和感を覚えました。その論理は正に一神教です。しかし共産主義

が決定的に分かったと感じたのは或るモスクワ滞在の商社員の妻、即ち一主婦が書いた「誰も書かなか

ったソ連」でした。誠に実体験に勝る認識はありません。結局ソ連は70年の寿命が尽きて前世紀末に瓦

解しました。その焼け残りが今のプーチン・ロシアによるウクライナ侵略だと思います。即ちロシア一

神教です。

 

以上の惨状は正にA.トインビーの危惧したように国家の枠でものを考え、権力強化のために意図的にか

あるいは無意識に宗教を利用またはそれに捉われているのではないでしょうか。

 

以上を考えると一神教の弊害を感じます。あらゆる数学的問題を幾何学だけで解こうとする生徒のよう

なものです。イスラム教徒が偶像を破壊するのは見える形に現せるものは相対的なものであるからでし

ょう。この意味でキリスト教は一神教ではないと考えます。何故なら絵画、彫刻で数多く表されていま

すから。旧約新約聖書が一体化されるので同一と考えられ易いですが私はユダヤ教の神とキリスト教の

神は全く別物だと考えます。現に神、精霊、イエススが同一だとする三位一体説がその証拠です。それ

はまるでナマコとキュウリが同じだと主張するような事ではないでしょうか。ヨーロッパでは土着の自

然宗教と習合して人間を聖人に格上げするのも厳格な一神教からみれば神を冒涜するものでしょう。ヨ

ーロッパや南米では聖母マリア信仰が強いのも土着の地母信仰との習合でしょう。

 

宗教は曰く  権威を疑うな。ただ信じよ。権威に与えられるものが法なり。

科学は曰く  権威を疑え、仮説を立てて実験をせよ。実証されたるものが法なり。

 

科学は技術的応用ばかりでなくその広大無辺な探究精神と方法論が宗教の誤謬を正す強力な道具ではな

いでしょうか。飯島泰蔵さんはその著書「電気数学」の序で数学は計算だけでなく何より思考の道具で

あると説かれました。私は科学技術は生活の道具だけでなく精神の道具であると思います。

 

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+ 市吉

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