差出人: OsI [
送信日時: 201694日曜日 22:13
宛先: '
件名: RE: 自然に帰ろう ;死後のありかた; 人間の生き方
 
花木さん、
 
 貴重な情報をありがとうございます。
私は沖縄には何かしら懐かしい気持ちがありますが、その理由の一つが言葉です。
ガマというのは私の郷里では洞窟を意味します。私の田舎では戦争中に山の中腹に掘られた防空壕を学校帰りに探検するのが流行った時期がありました。
 
穢れについても人間は何と色々な考えをするものかと驚きます。性差別は家父長制が優位になったこの千年ばかりの時代の現象でありそれ以前のはるかに長い歴史時代には性差別も貧富の差もありませんでした。その痕跡がアフリカでは現存している例を何年も前にTVで見ました。狩の獲物は村人が完全に平等に分配し、もらった人は特に礼も言いません。獲物は平等に分ける社会なのですから。回教社会のインシャーラ 
あるいはバクシーシにも似た考えがあるのではないでしょうか。
 
日本でも自民党憲法案に「日本の伝統」として復活をもくろむ家族制度は長い日本の歴史では極く最近のものであり、平安時代までの遥かに長い時代の日本の伝統は「妻問婚」でした。即ち家は女系で継承され男は昼間は自分が生まれた家で働き夜は好きな女の本に通う家族制です。万葉集や今日でも日本の民謡にはその痕跡があります。「月のちょいと出を夜明けと思うて、主を帰しておはらはぁ気にかかる」
平安時代に藤原氏が振るった権力の根源は天皇に娘を嫁がせる事にありましたが、それが有効だったのは妻問婚の伝統が残っていたからでしょう。平氏もそれをやろうとして失敗し源氏が鎌倉に幕府を開いて古代から中世へと歴史を進めたのは妻問婚から家父長的家族制度への社会の変化があったからではないでしょうか。ここで女の相対的地位が落ちてご指摘の穢れの観念も出てきたのだと思います。
 
古代ユダヤ教ではタブーが多くてそれを守るのは大変でした。それを一つでも破れば穢れると考えたのでしょう。新約聖書の一場面ですがイエススの弟子達が空腹に耐えかねて食べてはならない時に神殿の供え物を食べたのをイエススを敵視する司祭達がとがめました。それに対してイエススの回答は「人は口から入るもので穢れる事はない。人は口から出るもので穢れるのだ」というものでした。即ち人が発する言葉ですね。私も全く同感です。
 
 Homo Sapiensとは知恵ある人の意味ですが私は時に「人間は何処まで愚かでありうるものか」と考える事があります。私が思うにはそれは人が自分の思い込みを疑わず、思考の限界を考えないからだと思います。
私が考える思考の限界は次のように簡単に表現できます。
 
おのがじし知らざることは考えられず
一事を思わば余事は考えられず
考えるとは考えざることなり
思考の限界を知りて考えるべし
 
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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    
* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    
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* http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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From: mhanaki  
Sent: Sunday, September 04, 2016 11:50 AM
To: 
Subject: RE: 自然に帰ろう ;死後のありかた
 
市吉さま
 
Follow 有難う御座います。次いでながら沖縄、奄美周辺のノロとユタの祈り、祭事や文化についても興味が有って少しづつ調べていますので、そのことも少し触れます。
それは30代から女性解放運動に関わる中で、女性が何故、血に穢れているという理由から国内の宗教的な祭事から遠ざけられてしまったかということに興味を持ったからです。特に山岳信仰は山の神を怒らせるという理由で女性が入山するのを拒んできた歴史が有ります。
 
他方、沖縄では女性が家の守り神であり、王宮の祭祈も女性の神官、ノロが担ってきました。それ故か沖縄地方では穢れるという言葉は女性に対し使われないと「女性と民俗学」の本で読みました。それをもう少し深めたいので2~3年先になりますが沖縄と奄美に滞在して調べてみたいと思っています。何故、そんなことに興味が有るのかというと、私の祖母が有る種のシャーマンだったからではないかと考えます。子どもの頃から呪い(まじない)事は家の中で普通のことでした。彼女は産婆でもあり、ちょっとした薬は自分で作っていました。(その頃は今ほど薬事法に五月蠅くなかった)時々、小さかった私も不思議体験をしたのです。
 
ついでながら先般のメールの続きにもなりますが与論島で体験したのですが、沖縄本島以外の周辺諸島では人が死ぬと浜辺に遺骸を埋め、骨になった頃掘り出し崖にあるその家の先祖代々のガマ(ある種の御嶽)に入れて祭りました。何か困りごとが有るとそこへユタ(巫女)を伴い祭祈をし先祖の言葉を聞くのだそうです。私もガマへ連れて行ってもらったのですが崖の中腹の木が茂った場所にあり何か霊的なものを感じる場所でした。
 
もう1つ出産時の出血は霊的なものなものという事例ですが西アフリカのマリのドゴン族の集落で踊りを見ました。その時の彼らが纏っていた腰蓑は赤くそめられていました。それは出産時の出血を意味していることを教えられたのです。血の穢れといわれ女性はとかく出血することから祭祈の中で遠ざけられますが、世界を見ると考え方は1つではないということを知らされます。いろいろな世界を歩き回ることで固定概念に縛られなくなり、自分らしい考え方を見つけ出せるのも旅のなせる技だと今は思いながら旅をしています。
 
花木陽子
 
 From: OsI [
Sent: Friday, September 2, 2016 10:36 PM
To: 
Subject: RE: 自然に帰ろう ;死後のありかた
 
花木さん、
 
貴重な情報をありがとうございます。
アジア、アフリカを中心に世界中を駆け回っておられる花木さんの御体験に基づくご意見は大層参考になります。
 
もう半世紀よりも前に私の祖父母が死んだ時は村の墓場に埋葬しました。世代を重ねた墓場はどこを掘っても先祖の髪の毛が出て来ると言われていましたので何年か前に村は土葬を止めて納骨堂を作り火葬に切り替えたのだと思います。
 
死者を葬る方法は風土により異なると思います。湿度の高い日本では風葬や鳥葬は
腐敗と臭気がひどくて実施はもともと困難だっただろうと思います。
一旦土葬にして数年後墓から骨を取り出して改めて納骨する地域もあるようです。
 
F.エンゲルスは遺言により死後火葬にして灰は大西洋に散布されたそうです。
 
ところで何故人は死後墓を作ったり、初盆や年回忌などの行事を行うのでしょうか。
私はそれは故人を記憶してその行動から学ぶ事と故人を偲ぶ行事によって生者が集る機会を作る効果があるからだと考えています。
 
死者を偲ぶ事は人間に特有の行動だと思います。動物にはとって存在するのは常に現在のみではないでしょうか。鳥や動物が季節によって大移動を行うのは未来を予想した
 
行動のようにも思えますが内心というものがあるとしたらどう感じているのか興味ある
ところです。野生の象が移動中に象の死骸に遭遇し散乱している骨を一箇所に集めて、その回りに円陣を組みあたかも黙祷をしているかのようにしばらくじっとしていた情景の目撃談を読んだ記憶があります。母チンパンジーが子の死骸をいつまでも持ち歩いているのをTV番組で見た記憶もあります。動物にも親の子に対する深い愛情があるのは我が家で牛を飼っていた経験から明らかです。
 
しかし積極的に故人の墓を作るのは人間だけではないでしょうか。
この意味で死者を野の花で飾って埋葬した証拠のあるネアンデルタール人は明らかに人間であったと思います。
 
F.エンゲルスはその活動は当時から人間の歴史の一部になっており、その著作は後世に残る名作ですので当人の肉体は消滅しても何ら失うものは無かったのではないでしょうか。
 
人類脳は仮想脳ですので死後の事を生前から考え、かつ死を怖れます。一休和尚の最後の言葉は「死にとうない」だったそうですが、これが一番正直で人間らしい言葉だと思います。特攻隊員が残した七生報国などの言葉にも生きたい気持ちがにじみ出ていると思います。
私は「生を惜しむな、名を惜しめ」などという考えには違和感を覚えます。知人の訃報に接して感ずるのは生の有り難味ですね。
 
死後の世界を人は知りえず
世にある限りこの世を知るべし
人の世にある、如何に短き
世にある限りこの世を生きるべし
 
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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    
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From: mhanaki 
Sent: Friday, September 02, 2016 5:06 PM
To: '
Subject: RE: 自然に帰ろう
 
初めまして。初めて投稿します。
 
市吉さんのご両親のお骨を村の納骨堂に安置されたというのを拝見していいことだなと思いました。そこで私も死んだらこうやって始末してもらえたらという思いを書いてみることにしました。
 このところ、終活というのをよく耳にするようになりましたね。皆さんは自分が死んだ後どう埋葬あるいは処置されたいと願っていらっしゃいますか?
 
 以前の私でしたら墓に埋葬されるのが当たり前のように思っていましたが、 でも一方で墓ばかり作ったら耕作地が潰されるし、墓地の代金は高いし、だれも参ることのない墓はどうせ廃棄されるし、大体仏壇を作ったり、お墓も作ったりと仏さんも居場所が大変ですよね。仏さんは瞬間移動するから大丈夫?
 
 私たち庶民がお墓を作るようにになった歴史を考えてみたことがありますか?江戸時代、農民がお寺で管理されるようになったとき村に共同墓が有って、そこにお骨を納めてもらったと聞いたことが有ります。まあ、頭のいい皆さんには反論されそうですが。そのあたりの信憑性は精査して頂くことにして。
 
 私はこの38年、主に中東、中央アジア、アフリカと旅してきて自分の固定概念からとても自由になってきたかと感じます。その一例というか死んだらこうして貰えたらと願っていることを少しお話する事をお許しください。
 
今はもう許されませんが(コッソリとはやっているようですが)イランのヤズドというところにゾロアスター教の聖地が有って、かって彼の地の者が死ぬと沈黙の塔というところに葬られました。(写真を添付しました)
 
小高い丘を登ると日干し煉瓦で囲まれたサークル状のテラスが有り、死んだ人はこのテラスに置かれ、夏だと2か月、冬だと4か月で骨になるので真ん中のホールに骨をいれたのだとか。アレクサンダー大王のペルシャ人の妃もこのような沈黙の塔に葬られました。貧富の差はそこにはなかったのだと聞いています。一般には風葬と言われていますが鳥葬でも有ったようです。
 
もう一つはチベットの鳥葬です。見るのはなかなか難しいのですが私の知人がこの儀式を見ていたく感激していました。私はカメラマンの野町氏の写真集でしかまだ見たことはないのですが、ぜひ一度見たいと願っています。この2つに通じているのは、人は自然の一部という考えでしょうか?体を切り刻んで鳥に食われ、鳥の肉体の一部になり、あるいはウンコになって大地に帰る。なんて素晴らしいと思っています。
 
只、今の私に可能なのは海への散骨かガンジス川に骨を撒いてとお願いするだけでしょうが。自分が存在したという証明も要らないし、生まれた時と同じように無に帰れたらいいと願っています。まだこれからもいろいろな埋葬のしかた考え方に出会うかもしれませんがご紹介した2例はとても感銘した事例でした。
 
 多分、思っていることの半分も伝わらなかったでしょうが、私の戯言にお付き合い頂いて有難う御座います。また12月はアフリカです。今追いかけているのは黒人奴隷の歴史です。人生の中で今が一番勉強しているかもしれません。これまでおバカを認めて勉強をサボった附けが回ってきました。
 
花木陽子
 
-----Original Message-----
From: OsI 
Sent: Sunday, August 28, 2016 9:12 PM
To: '
Subject: 自然に帰ろう