差出人:	Osamu Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
送信日時:	2019年5月13日月曜日 21:34
宛先:	'
件名:	学習理論再考

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幼児の言語爆発
現在二歳五か月の孫達の言語習得は正に爆発と言っても良いくらいでもうその語彙の範囲は私も把握できなくなり
ました。今日は孫息子が風呂に入る時自分の裸について「ちんちんが無い」などと言っていました。夕食ではちきれ
んばかりのお腹で見えなかったのでしょう。
幼児の言語学習の爆発的な発達は大人が外国語を学習する時の進歩の遅さと好対照をなしていますが、その違
いの原因は何でしょうか。
思うにそれは幼時の言語習得は生活と一体化し、かつ覚えようという意欲と未知のものを知ろうという問題意識の働
きにあると思います。以前にも報告しましたが言葉をしゃべる以前の孫達がぐずる時きげんを治す決定打は好奇心
を刺激する事でした。人間は本源的に好奇心の塊でありそれがあらゆる学問、芸術、技術の源であると思います。
多くの大人は常識に邪魔されてそれを忘却しているのではないでしょうか。

学習理論の誤謬
それは教育と学問の混同です。よく大学の序列なるものが取りざたされ、日本の大学は世界的にはランクが低下し
ているとか識者が警鐘を鳴らしています。アジアで一番序列の高い大学はシンガポール大学だと聞いた事があり
ますが、私にはあまり意義が感じられません。何故なら経験から教育と学問とは似て非なるものであり、本当にもの
をいうのは教育ではなく学問であると私は考えているからです。学問とは生活と一体化した生涯学習であり、教育と
は生活と遊離したいわば社会的遊びですね。また学問の主体はその当人であり絶対的なものですが、教育の主体
は教師であり、相対的なものです。ですから比較が可能で世界の大学の序列なるものができるわけでしょう。
私見によるとほとんど意味はありませんが。例えば吉田松陰の松下村塾などば全くその評価対象にもならないと思
います。

学問により世を良くしよう
日本の各地には多くの子供食堂がありますが、これは正に学問の実践です。そのようなものが如何に持続して行け
るのか私には不思議です。そしてその意義は絶大です。日本ばかりでなく世界を救う可能性があります。またその
運営者の大多数は婦人です。権威ある男女同権調査なるものが日本を世界の最下位にランクつけていますが、
それは日本の子供食堂を知らない者のおざなりの調査の結果だと思います。
権威を装うものの言い分は話半分に聞いて、学問即ち自ら実践して身につけたものを活かして世界を良くして行き
ましょう。

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    
* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    
* Human Network for Better 21 Century      
*  http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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