­­­Re: 我家にて

To: 2023/04/10 19:04

 

茂木さん、

祖父母が孫の世話をするのは原始時代以来の人間の家族の姿だと思います。アフリカの平原に生きる

チータでも子育てに苦労する母親のためにその母即ち子等の祖母が獲物を取ってあげた例すらあります。

 

核家族は封建的な家族制度の弊害からの脱却として急速に先進国で普及しましたがそれ自体問題を孕ん

でいると思います。即ち経験の無い親が子育てを行うのですから心理的にも不安定です。学校歴信仰な

どは私から見ると愚かさを通り越して滑稽です。子供に対して親の権力は絶対ですから間違うと児童虐

待が起ってしまうし、夫婦間の意見の違いは喧嘩になってやがて離婚に到り易い。少子化の原因が核家

族にあるとすると政治屋が声高に叫んでいるように金をつぎ込む事はどぶに捨てるに等しい結果に終わ

る可能性があるでしょう。

 

今日は近くの団地の子供食堂に行きました。以前からここで子供の学習支援をしていたのですが、孫育

て支援で札幌にいた五年余は殆どここには来られませんでした。今日は子供は学習室に来ませんでした

がこれからは毎週私も来れるのでぼちぼち活動を進めたいと思います。

 

市吉

 

------ Original Message ------

差出人: "茂木_通常DIONメール

送信済み: 月曜日, 2023/4/10 10:18

件名: Re: 我家にて

 

市吉様

 長い間、貴重な時を過ごせて、よかったですね。娘さんも安心して仕事ができて、とても助けられた

と思います。

自身の子育ての時は、余裕がなく病気の時なんかは本当に大変でした。でも今思い出すのは、子供の大

人ではしないようなことをしたときの驚きや、感動です。

 市吉さんはそれをまじかで、余裕をもって、優しく見守れたのは、まさにお孫さんからのギフトです

ね。そして、市吉さんからお孫さんたちに伝えられたであろう数々の知恵や物語。きっと今お孫さんた

ちは恋しく思っていることでしょう。

 

茂木

 

From: osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp

Sent: Sunday, April 09, 2023 10:16 PM

To:

Subject: 我家にて

 

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言葉は単なる符号にはあらず、言葉は人間が作りたる世界なり

人は以言伝心、乞う発信。そして返信、全員に返信して語りませう。

 

4/5()に帰宅

しました。前回は日曜日に松前に行った事を報告しましたが、函館から新幹線で青森に到り、そこで二

泊してから新幹線で東北から関東地方まで約三時間で到着しました。途中で気が付いた事を報告します。

 

三内丸山遺跡

青森に着いて真っ先に見にいきました。路線バスで15分くらいで着きます。ここには紀元前3900年か

2200年まで1700年もの間切れ目なく縄文前期から中期まで人か定住していました。1700年間とは

日本という国家よりも長い歴史です。その期間の長さだけでなく遺跡に使われた柱の巨大さ(直径1m)

も驚かされます。高さは30mにもなる建造物が経っていたと推定されます。それが何だったかは未知で

すが私は海で漁をする人のための灯台だったのではないかと思います。ここは海に近い高台でしたので

海産物をよく食べていましたから。

今から6000年前に既にここでは人が定住生活をしていました。それは最初から土器を伴う事からも頷け

ます。当時は縄文海進時代で気温は今より2度程高く、人々は栗を栽培し、栗は柱が示すように巨木に

育っていました。今では栗がそんなに大きくなるのは珍しいと思います。

そんなに長い間に一度も戦争の痕跡が無い事から私は原始時代には権力は無く従って戦争も無かったと

考えます。佐賀県の吉野ヶ里遺跡のような環濠などの防御施設はありません。現代人が権力を制御でき

ていないのはプーチン・ロシアのウクライナ侵略戦争の惨禍から明らかです。社会契約論を著して権力

の起源を明らかにしたJ.J.ルソーに習って私も原始時代に学べと唱えたいです。

三内丸山に人が住まなくなり、ここが忘れ去られた原因は気候変動のようです。即ち縄文海進の終わり、

気候が寒冷化して栗が大きく成らなくなり、食糧を求めて人はより低地に移動して行ったようです。

 

新幹線の速さ

には驚きました。当初は東北地方をゆっくり南下しつつ各所に寄ろうかと考えましたが、青森から東京

まで三時間ならさっと帰ろうと決めました。

 

札幌から函館に来て気が付いたのは山に所々杉の人造林がある事でした。原生林はまだ葉が出ず灰色な

のに杉林の部分だけ緑です。函館から青函トンネルをくぐって青森に来ると大体同様の景色ですが杉林

の比率が少し高くなりその傾向は南下するにつれて続きます。途中から桜が咲きだし、しばらく満開の

地域が続き宇都宮あたりで気がつくと桜は満開を過ぎ、山は新緑で黄緑から緑へと変わって行きました。

 

我家にて

過去五年余の大半を札幌で過ごしましたが、その間事故もなく我家は無事でした。双子の孫は零歳から

六歳に到り、先週小学校に上がりました。孫達が四つん這いから立ち上がり、二足歩行をする過程、言

葉以前から意味不明の宇宙語を経て言葉を習得する過程、オムツが取れる過程、一人で食事や着替えが

できるようになる過程、そして体がどんどん大きくなる過程を共にできたのは幸いでした。

 

Home is home.

これからは自分の時間はすべて自分のものなので大きな解放感を覚えます。

これからやりたい事はたくさん有ります。今後ともよろしくお願いします。

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