旧島松駅逓所訪問報告
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2022/08/28 23:01
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以前午後になってから足車と自転車で出かけて結局行きつかなかった旧島松駅逓所に今日、往きは鉄道、
帰りはバスで行って来ました。国道36号沿いにあります。この国道は又の名を室蘭街道と言います。先々
週室蘭に行った時、国道36号終点の場に立ちました。場所は室蘭港です。こうなると我が家の真下を走
り、騒音を蒔き散らしているこの道路の他の端も見て見たいですね。三年前の大地震で大停電が起こっ
た時にもこの国道だけは交通信号がちゃんと機能していました。北海道の大動脈です。
この旧島松駅逓所は明治17年に中山久蔵氏が札幌県から駅亭取扱いを命じられ自宅を駅舎として運営し
ました。今も残るその家は大きな長屋風のものです。駅逓所とは今の室蘭街道沿いに約20km毎に置か
れた馬車駅です。物流を担う人の休憩と宿泊を提供する交通の拠点でした。
中山久蔵は仙台藩士に仕えて明治維新の前から何回か白老に来ていました。明治2年に北海道移住を決
意し明治4年に千歳郡島松村に入植しました。その時既に44歳。明治6年にはより良い条件を求めて現
在の地に引っ越し、同年赤毛品種による水稲栽培の成功にこぎつけました。寒冷地北海道に稲作は無理
だとして開拓使が禁止していた時の事です。中山久蔵は赤毛から選別した種を無償で各地の農民に配り、
今日の米所北海道の基礎を築いた人で寒冷地稲作の祖と言われています。開拓使判官松本十郎によると
中山久蔵は疲れを知らぬ工夫と努力の人でその長い人生1828-1919の最後まで楽しんで働いていました。
ここは明治14年の明治天皇の来道の際は休息所としても用いられました。
Boys, be ambitious!
で有名なW.S.Clark先生が札幌農学校初代教頭の任期を終えて帰国する時、生徒達が見送りのために島
松に来た理由が今回の訪問で分かりました。ここは札幌から来ると札幌本道(今の室蘭国道)の最初の駅逓
所だったのですね。明治10年4月16日の事です。この年は九州では西南の役が起った年です。誠に歴
史は無数の人の歴史の総体ですね。時の流れは誠に不可思議です。Clark先生は死の直前に己が人生を振
り返って札幌で過ごした月日が最も有意義だったと述懐されたそうです。当時の旅行は太平洋を横切る
船旅だけでも何週間もかかりましたので今なら火星に宇宙旅行に行ったような感じでしょう。それから
約70年後にその太平洋を挟んで日米間に大戦争が起ろうとは誰が予想したでしょうか。
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+ 市吉 修 + 二十一世紀を楽しく生きよう会
+ HP ; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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