桶川飛行学校平和祈念館訪問記

 

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2025/05/31 16:45

 

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5/27()に埼玉県桶川市の桶川飛行学校平和祈念館を訪問しました。JR高崎線で大宮から4つ目の駅で

す。

ここは日中戦争の激化にともない需要が高まる飛行兵の養成のため昭和12(1937)に設立されました。

太平洋戦争の戦況が絶望的になった昭和20(1945)以降は専ら特攻兵の養成を行いました。

 

詳細は下記HPをご覧下さい。

https://www.city.okegawa.lg.jp/soshiki/soumubu/jichishinko/shisetsu_ichiran/shogai_bunka/otherfacilities/1937.html#%E6%98%A0%E5%83%8F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%84

 

今回私に新鮮だったのは五井芳夫大尉を知った事でした。五井大尉は飛行学校の教官だったのですが、

自ら志願して特攻を行いました。特攻の最年長だったそうです。即ち32歳、既に三人の子共がありまし

た。五井大尉の心残りはさぞ深かったと思いますが、教え子達を特攻に送り出した責任感から自らも志

願されたのでしょう。五井大尉は昭和20年四月一日に第23振武隊隊長として鹿児島県知覧基地を出撃、

慶良間諸島あたりで特攻を敢行し、帰らぬ人となりました。それに先立ち知覧基地へは自ら飛行機を操

縦して移動しましたが、途中桶川上空で二回旋回し、翼を振って故郷に別れを告げたそうです。

 

特攻兵を見送る司令官は「俺も必ず後から行くから」と言うのが常でしたが、私の知る限り実行したの

は宇垣纏中将くらいでした。宇垣さんは特攻作戦の推進者として当然責任を問われる立場でしたが、五

井大尉はそういう責任は無いのにその優しい心根から止むに止まれず志願されたのだと思います。

 

より詳細は上記平和祈念館のHPに接続し「映像配信」のページから「いのちの言葉ー特攻隊長」を

Downloadしてご覧下さい。

 

気にかかるのは三人の幼子を残された奥様の事です。三人の子供を育てるのにどんなにか苦労された事

てしょう。救いは子供さんが立派に成人された事です。上記映像の中では娘さんが語っておられます。

またもう一人の娘さんが2003年に中央公論出版社から「特攻隊長五井芳夫、父と母の生きた時代」とい

う本を出版されている事を知りました。

 

当日は晴天で荒川沿いにある当地はまさに新緑の季節、五井大尉の特攻死から後4ヶ月余で戦争は終わ

ったのに人間の運命は何とも酷なものです。私は昭和23年生まれですが、あの戦争の深い反省の上に日

本は平和主義を国是として既に80年、一度も戦争する事はなく平和を享受して来ました。これ増々確固

たるものにするのは私達の使命ではないでしょうか。

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+ 市吉

+ 二十一世紀を楽しく生きよう会

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