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中村哲さんの偉業に学ぶ
過去数年間のペシャワル会報を読み返しました。今更ながら旱魃と不安定な治安の劣悪な環境の中で僻地の医
療に始まり、井戸掘り、用水路開設「アフガン緑の大地」計画に発展してきたペシャワル会の事業の困難さを
痛感します。旱魃は天災ですが、それを何倍にも拡大してしまうのは紛争という人災です。「世界の平和のため
と称して戦争をする不条理」、「旱魃に苦しむアフガニスタンに戦争をする余裕は無い」、「武器で平和を達成する
事は出来ない」、「農村の復興こそ平和を達成する道」「診療所よりも用水路」「飽食の日本の精神の飢餓」等の
中村さんの言葉を思い返しています。
近藤さんの偉業に学ぶ
以前テレビ番組で知りました。水が無いため農業ができず住民が慢性的な飢餓に陥るほどの貧困にあったネパ
ールの僻村に高山から雪解け水を引いてきて豊かな村を実現した近藤亨さんを思い出しました。近藤さんの偉
業については下記URLをご覧ください。
http://www.noguchi-ken.com/M/2012/05/post-407.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E4%BA%A8_(NPO%E7%90%86%E4%BA%8B%E9%95%B7)
人災は天災より甚だし
中村さんと近藤さんの事業は不毛の地を豊かな農村に変える点では共通しています。両者を比べればつくづく
人間にとって人災の被害の深刻さを思います。東日本大震災でも福島原発の事故には人災の深刻さを思い知ら
されました。なかでも人間がなし得る最も深甚な人災は戦争ですね。
戦争は文明社会の産物
戦争は人間の闘争本能の表れという人がいますが浅はかな見方だと思います。生物には生きようとする本能は
ありますが闘争本能は無いと思います。動物の狩りや縄張りや交尾相手を確保するための闘争は生存本能の現
れでしょう。基本的に動物は争いを避けるように行動します。また本来動物は友好的です。人間の飼育下では
母犬が子猫に乳をやったり、アヒルとヤギが離れがたい親友になる場合もあります。インドでは狼に育てられ
た人間の子供すらありました。
ただ人間の場合は他の動物には無い文明社会に生きる事から人間特有の欲望があるのだと思います。原始時代
の遺物を見れば、火の使用を始めとして衣食住や生産道具の文明の基礎はすべて原始時代に確立していた事が
分かります。原始文化の上に文明が築かれた事に対応して原始の心の上に文明の心がかぶさっており、人が原
始の心を忘れ去っている事が文明の危機の原因ではないでしょうか。
原始の心を忘れず
[1] 権力闘争
これが文明社会の不幸の源泉ですね。あらゆる権利は同時に義務と表裏一体ですが、権力を握ると義務を忘れ
て暴走する所に問題の根があります。王権神授説や皇国史観など真しやかな偽説もその合理化に使われました
。それを打破したのがJ.J.ルソーの社会契約論、即ち民主主義です。この前古本屋で社会契約論を見つけて買
いました。110円。民主国の国民は基本的人権とともに義務もある事を忘れてはならないと思います。
[2]児童虐待
児童虐待の事例を見ると「しつけとしてやった」という言い訳が多いと感じます。私は子育てにおいて「しつけ
」という言葉は忘れてもらいたいと思います。国家レベルで言えば「期待される人間像」ですね。戦前はそれが
軍国少年少女でした。「しつけ」に代えて「親や社会人が生活を正せ。子はそれを見て育つから」と言いたい
です。
[3]学問
原始時代には生活が学問の場でした。人は生きて行くためのすべての技を学ばなくてはなりませんで した。今日で
はあまりに膨大な学問は分業による外なく分野別に細分化され、教育の場も大学を頂点とする専門の機関に
より行われます。そのため学問が生活から遊離してしまいました。しかし学問が日々の人間の活動から生まれ
るものであるのは今日でも原始時代と何等変わりません。学問追求の原動力は昔も今も人間の問題とその解の
探究です。名声や権威などは原始時代にはありませんでした。いつかTVで見ましたがあるhomelessの青年
が「進学できないと分かった時、夢を捨てた」と言っていました。学問についての誤解がもたらす災厄の深刻
さを思わずにはいられませんでした。
[4]嘘、偽り
人間は言葉により現実には無いものをも表す事ができます。これは人間の思考を現実から解放して遥かに広大
な非現実の世界を考える能力を与えるものです。それは人間の文化の源であると同時に誤謬を産む危険もあり
ます。それを意図的に行うのが詐欺ですね。嘘、偽りは原始時代には無く、人の言葉は人の心でした。それが
古代の言霊信仰に現れています。原始の言霊信仰を忘れ去っているのが現代の詐欺の横行の原因ではないで
しょうか。
[5] 人、一つ、等し
これらは語源的には同じであると思います。原始時代には人間の平等は疑う事も無い事であったと思います。
人間の不平等は文明時代に入って生じたものです。傲慢、尊大、追従、妬み、敗北感など現代人を苦しめる
ものは文明のもたらした浅薄なものであり原始の心にもどれば遥かに楽になるでしょう。
中村さんや近藤さんは上述の意味で原始の心の持ち主であったのではないでしょうか。
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+ 市吉 修
+ 二十一世紀を楽しく生きよう会
+ HP ; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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