差出人:	Osamu Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
送信日時:	2019年2月9日土曜日 20:45
宛先:	
件名:	RE: 児童虐待の原因と防止策

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真に不愉快な事件ですがその根は深いと思います。

基本的な問題は今の日本が憲法の保障する基本的人権思想を確と身につけていな事だと思います。自民党的家
族主義が人々の考え方に深く残っている事が悪の根源だと思います。

9年前大阪で起きた二幼児放棄致死事件では母親が一人で子育てをしていたが風俗店勤務になってから子育て
に嫌気がさして父親に子供をしばらく預かって欲しいと頼んだが断られたため育児放棄をしたものでした。二人の
幼児は冷蔵庫の中の食べ物を食べ尽くした上に餓死したものと思われます。この時も児童相談所の職員が家主に
母親の携帯番号を聞いたが個人情報なので教えられないとかで母親にも連絡が取れず、幼児二人の命に係わる
事なのに部屋に踏み込む事もせず、取り返しのつかない結果に終わってしまいました。

昨年東京都目黒区のアパートで両親に虐待された末に死亡した船戸結愛(ゆあ)ちゃん(当時5歳)は毎朝4時に
起きてひらがなの練習をしてその字で「しっかり するから もう おねがい ゆるして」と書いていたそうです。この家
族は継父でしたが、虐待を隠す目的もあったのか四国から引っ越して来てまもなく起きた痛ましい事件でした。

そして今回の栗原心愛ちゃんの場合も同様に沖縄から千葉県に引っ越して来ました。父親の栗原某は心愛ちゃん
の肺に水が入っていた事実から冷水をかけたどころではなく顔を水に入れて殺害したのではないでしょうか。この
父親は「しつけでやった。悪い事をしたとは思っていない」と言っているそうです。

上の事件に共通するのは問題の家庭が密室化して児童相談所も学校もそして近所の人々も十分関与しなかった
事でした。虐待される児童には地獄に等しい家も外からは並みの家庭にしか見えなかった。実は見ようとしなかった
から見えなかったのだと思います。何故見ようとしなかったかと言えばそれは自民党的家族主義のためだと思います
。自民党は憲法改定案に「社会の単位は家庭である」と書いていますので私はそう呼んでいます。社会の単位が家
族であるのならばそこに割り込む事は違法になってしまいます。

この家族主義は一見当たり前でその実弊害の多い思想です。大日本帝国では日本は天皇家を本家とする家族国
家であると説き、国民は「天皇の赤子」だと学校でも教えていました。これは軍国主義政策の推進に絶大な力を発揮
しましたがそれが真っ赤な嘘であった事は日本国が戦争孤児に対する責任を完全に放棄した事から明白です。戦
中戦後の戦争孤児に対しては国はまともな調査すらせず「親族に引き取られた」で済ましていました。産業が壊滅し
た戦後は国民全体が飢餓に瀕していましたので戦争孤児は厄介者視され、親族の間をたらい回しにされ、多くは
虐待されました。親族のいない、もしくは逃げ出した児童は「浮浪児」として社会から野良犬のように扱われました。
現在の児童虐待、家庭内暴力状況は危機的ですが70年前の戦争孤児の状況は今とは全く次元の異なる民族的
な危機でした。しかし無力な児童の声は社会に届かず、その方々も今は数少なくなりつつありますが、私はこの事
実を日本国民が決して忘れてはならない事であると思います。

以上の議論から私は児童虐待防止策として次の条を含む法律を作る事が必要だと考えます。

(1)児童は人間として尊重され、その基本的人権を侵してはならない。
(2)親権
  もしくは保護者は子の基本的人権を守りつ人間として成長するための十分な養育をする義務と権利を有する。
(3)日本国は親が親権を行使するのに必要なあらゆる援助を行う。
  義務教育は無償とする。
(4) もしくは保護者が親権の義務を果たさない場合はその権利を剥奪される。その場合その子の養育についての
  義務と権利は日本国が責任を持って果たすものとする。
(5) 家庭内暴力、児童虐待が疑われる場合は学校、児童相談所その他の責任ある公的機関は当家庭を訪問して
  児童の保護及び保護者の児童養育支援に努めなくてはならない。またその疑いが晴れるまで当保護者は公的
  責任者の家庭訪問と児童の権利を守るための処置を拒否してはならない。
(6) 前項の処置は当児童が成人するまで継続するものとする。

児童虐待は法律だけで済む問題ではありません。最も重要なのは社会全体が基本的人権についての教養を習得
する事だと思います。人間と社会についてよく考える事が必要だと思います。

ご参考までに私の考えを以下の駄作に示します。

    人間
人はひとたり、世のひとりなり
一人一人の人はひとし
人の内なるところには
人の人たる心があるなり
人は内なる心にて
外なる世界の内を知るなり
人はおのおの人として
一つの世界の分をなすなり。

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    
* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    
* Human Network for Better 21 Century      
*  http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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