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送信日時: 2014511日曜日 23:53

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件名: 少子高齢化社会への備え

 

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少子高齢化社会への備え

今日のNHK日曜討論のテーマは年金、夜9時からのNHK Specialは認知症徘徊者問題で

した。何れも少子高齢化時代の重要課題です。

 

小子化問題

つい半世紀前までは人口増加が問題となっていました。中国は一人子政策という強制的な対策を採って来ましたがその付けで今や少子高齢化時代を迎えています。日本は何ら政府の強制は無いのに小子化問題は世界の最先端を進行しています。

 

小子化問題の解決には子共を育てやすい社会的環境を整える事が必要だと思います。具体的には子共手当て、保育所の増設、里親制度の活用などです。以前NHKご近所の底力では託幼老所が紹介されていました。即ち、親が仕事に出ている家庭の子は学校の放課後地域の託幼老所に帰り夕方親が迎えに来るまでそこで他の子や老人達と過ごします。遊んだり、宿題をやったり、老人には孫の世話をしているように楽しく、子共も人生の大先達から学ぶ事が多くあります。

 

もう一つは結婚の支援です。全国に5千の結婚紹介社があるそうですが、そういう手段を用いつつ地道に相手を探すしかないと思います。

 

家と人

自民党が憲法改革案として(1)家庭は社会の構成単位である。(2)家族は互いに助け合わなくてはならない、などと一見当たり前過ぎてその実虚偽、有害な事を書いていますが、このような誤謬が少子化問題の一因なのかもしれません。世の中には色々な理由で結婚できない人も多勢いるから少子化問題が生じているわけですが、一体その人達は社会の構成単位ではないのでしょうか。また現在高齢者の1/3は一人暮らしですがその人達はどうでしょうか。家族が助け合うのは自然の情ではありますが色々な事情でそうできない場合もあります。自民党のこのような家単位の社会観は戦前の軍国主義宣伝に用いられた日本一家族論と同根です。即ち子供は天皇の赤子という国民学校での教えですがそれが真っ赤な嘘であった事は戦争孤児に対して日本国が責任を全く果たさなかった事から明らかですその根本的原因は自民党が憲法に明記しようと企んでいる家族国家論だったと思います。日本国が戦争孤児を親戚に引き取らせて後は知らぬ顔をしていたのは「家族は互いに助け合わなくてはならない」という家族思想に基づくものでしょう。それがどんなに欺瞞であったかは戦争孤児の皆様の体験談を聞いて頂けば明らかです。

http://www16.plala.or.jp/senso-koji/

また自民党の方々は今の、というより明治憲法の下での家族が悠久の家族形態であるかのごとく信じておられるようですがそれは歴史的に真実ではありません。万葉集や今昔物語などに伺い知れる古代の家族形態は母系家族でした。時代と共に家族形態が変遷してきた歴史に興味のある方は 高群逸枝著「女性の歴史」(講談社文庫) をご覧下さい。

また自民党の憲法改正案に対する私の批判にご興味がある方は下記URLをご覧下さい。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/Questions%20on%20LDP%20amendments%20of%20the%20Japanese%20Constitution.htm

 

私の感じでは相互に扶助義務があるのは親子であって兄弟姉妹ではないと思います。世の中の実態をみれば「兄弟は他人の始まり」というのが自然な姿ではないでしょうか。

 

少子化問題の原因は若者が結婚したがらない事にあるのでしょうが、それは自民党の古臭い家族観が悪影響を与えていると思います。家庭に入って自由を失うのを特に女性が嫌っているのではないでしょうか。従って少子化問題の解決には結婚と家庭についてもっと自然な本来のあり方を確立する必要があると思います。その試みとして特に若い人に伝えたい事を次の詩にまとめました。

   家と結婚

人は結婚して家を創る

結婚は新たな

自由と責任を生ず

己がことは自ら行い

家のことは共に行うべし

子ができたらば

共に育てて

子の事は

その子のために行うべし

家は家のためにはあらず

人のためにあるなり

 

認知症

私は認知症に非常に興味があります。認知症には人間の精神作用の片鱗がかいま見えると思うからです。家に帰る道が分からなくなったり家族を認識できなくなったりするのと前述の誤った思想のために戦争を起こし、かつその責任を回避したりする人間の狂気の間にはどんな差があるでしょうか。認知症の人に悪人はいません。他方戦争を推進したのは自他共に認める社会の指導者達であり、一般に知能指数が高いとされる人達でした。俗に「頭が良い」とされる人達ですが、その最大の欠点は自己弁護がうまく自己に好都合な事だけを集めて絶対的な真実であるかのごとくひたすら主張し、人を騙すのに長ける余り、自分自身をも騙して反省する事を知らず、自己の偏狭な思想に由来する過ちを正す事ができない人達だったと思います。このように考えるとおそらく人間の知性とは自己の過ちを認識してそれを正す事ができる能力ではないでしょうか。

 

年金

今朝のNHK日曜討論では現役世代の負担軽減のためには年金給付の減額をすべきだという学者がいましたがそうでしょうか。現に今年は年金が減らされかつ消費税が増額され、アベノミクスという私から見たら誤謬 (デフレとは安倍氏等がいう物価の下落ではなくてGNPの縮小だと思います。物価は生産者の普段の努力によって下がるのが当然) の政策により円安が生じ輸入品の値上がりから電気料金などの生活に必須な料金負担も増加しています。

年金の減額が続けば消費が冷えて経済が縮小し、デフレが本当に進行してしまいます。徹頭徹尾交換経済化した今日の産業構造では経済成長の原動力は消費であり (国民総収入=国民総支出) その最も効果的な手段は社会福祉です。学者は年金受給世代と現役負担世代と二つに分けて考えていますがその経済は巡り回って実は一つです。実際今日の若者は明日の老人であり両者は人間社会全体として見れば実は同じものだと思います。また現に多くの年金受給者が行っている社会奉仕活動はお金に換算すればGNPに相当な寄与をしているものだと思います。統計には表れませんが主婦の寄与は更に大きいものでしょう。統計に見える数字だけをあげつらって社会の断片的な見方しかできない学者がふりまく誤謬の社会的弊害は小さくないと思いますが皆様は如何お考えでしょうか。

 

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi

* 二十一世紀を楽しく生きよう会

* Human Network for Better 21 Century

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差出人: OsI [osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp]

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件名: RE: 少子高齢化社会への備え;人は何で生きるか

転送歓迎

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社会福祉は社会の負担か

社会の構成員を現役負担世代と退役受益者世代など単純に対立的に扱うと認識を間違う事を前回説明しました。

[1] 交換経済において国民総収入=国民総支出であって社会福祉は需要創造を通じて経済成長

  の有力な源にもなり得る。

[2] 今日の若者は明日の老人であり、少子高齢化問題とは現在の老人よりもむしろ現在の若者

  の問題である事。

 

人間の本質は助け合い

もしも人間が徹頭徹尾利己的な動物であるならば結婚して子共を育てたり、年老いた両親を養ったり、身寄りの無い病人の世話をしたりはしないでしょう。そうすれば人間は数代で絶滅する事になります。青年にとって子供は昔の自分であり、老人は将来の自分の姿です。健常者も怪我や病気でいつ身体障害者になるかも知れないし、老齢に到れば最後には必ずと言っても良いほど何らかの身体障害者になってしまいます。従って壮年の健常者が子共、老人、身体障害者を養うための社会福祉負担を嫌ってその責任を果たさないとしたらそれは自分自身を損害する事になるでしょう。                                                                                                他の動物に見られない人間特有の行動の一つは老いたる両親を養い、死後は墓を立てて供養することでしょう。自己以外のものに対する思いやりは実は自分自身のためにするのだと思います。情けは人のためならず。それは人間の本質ではないでしょうか。

 

人は何で生きるか

昔米国滞在中に買った古本Theodore L. KazimiroffThe Last Algonkianを私は何回読みました。Algonkianは米国東部のインディアンの一部族ですが白人移住者の増加に圧迫されて部族は遠隔地に移住させられました。まだ子共だったJoeTwoTrees の一家は後に残りましたが後日両親が亡くなったためJoeTwoTreesは故郷を離れて放浪の旅に出ました。米国東部の冬は寒さが厳しく、食べ物もありません。森の中の洞窟を住処にして深い雪の中を毎日食べ物を探し回る厳しい生活でしたがある日一匹のウサギを捕らえました。勿論食べるために捕まえたのですが、JoeTwoTreesは結局そのウサギを食べずに反対に養ってあげました。厳しい一冬が過ぎて春が来たら一斉に植物が芽を出し、花が咲き乱れて野イチゴなどの食べ物も豊富になりました。その野ウサギも何処かに出て行きましたがJoeTwoTreesがその地を発つ時に姿を見せました。何と何匹もの子ウサギを育てていましたがJoeTwoTreesにも子ウサギに触らせてくれました。人間と野ウサギの奇妙な一冬の共同生活でしたがこの物語が教えているのは「人はパンのみにて生きるにはあらず、人は自分以外のものに対する愛があって最も強く生きられる動物である」という事ではないでしょうか。

社会福祉は社会の負担に止まらず成長の原動力でもある

以上の事を勘案すると社会の負担とされる社会福祉が実は社会の発展の源でもあると思います。人はその思考力によって自我を拡大し、動物や植物、山や川、海に到る大自然の中にも自己の反映を見るのだと思います。ましてや社会福祉は同じ人間同士の助け合いです。人を人として尊重することが、人間らしい人間社会の原則ではないでしょうか。

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