Subject: 人間の思考の力と限界、我執の弊害

 

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信号空間論

今月韓国仁川大学で行われる日韓衛星通信学会で発表予定の論文をHPに上げましたのでご興味が

あればご覧下さい。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/Rev1AdaptiveInterferencesCancellation.pdf

この論文の要点は異なる通信源から発生する信号は掛け算して積分すると平均がゼロになるとい

う事です。同じ信号同士を掛け算して平均すると信号電力になります。この事は形式的にベク

トルの内積と同じですので発生源の異なる信号は独立したベクトルとして表される信号空間で

システムの解析を行う事ができます。従って独立した信号が5個あれば5次元の信号空間となり

ます。私達は縦、横、高さの三次元空間に住んでいるのでそれよりも多くの次元のある空間は

想像もできませんが、数学的には独立な信号の数に応じて何次元にでも拡張できます。

 

ゼノンのパラドックス

はるか昔の古代ギリシア時代にエレアのゼノンが提出したと言われる逆説に「飛んでいる矢は止

まっている」、「俊足のアキレスは少し前にいるのろまの亀を追い越す事ができない」などが

あります。飛んでいる矢が止まっているという逆説の論点は飛んでいる矢は各瞬間においてある

空間を占めている。故に矢が飛ぶ事はありえない。アキレスと亀の論点はアキレスが亀の居た所

に行くとその間に亀は必ず少し先にいる。これを無限回繰り返さなくてはならないのでアキレス

は亀を追い抜く事はできないというものです。これは点とは位置だけあって大きさの無いものと

いうユークリッド幾何学の定義に通ずるものがあるのではないでしょうか。各瞬間に一点にしか

存在できない点がなぜ移動する事ができるのかという事です。

現実には点が動いて線となり、矢は空間を飛んで移動していますのでゼノンの逆説は当たらない

のですが、論理的にはどう論破できるでしょうか。

物理学では質量のある点として質点を定義して運動方程式を立てあらゆる力学的問題を解決して

いますが上のゼノンの逆説にはどう答えているのでしょうか。

私の理解では運動する質点は波である、即ち同時に無数の点に広がっているという事です。人が

歩く時には両足を前後に動かします。即ち同時に二点に足をつける事により動くのですが極微の

世界において質点は波として同時に複数の点に存在する事により移動するというわけです。

 

論理の限界

上の例が示すように人間の論理とはその拠って立つ前提によって真実の一面しか捉えない性質が

あります。ゲーデルの定理によれば特定の体系ではどうしても証明できない真理がある、すなわち

数学ではあらゆる真理を証明する事はできません。これから言えるのはどんなに賢いとしても人は

常に謙虚でなくてはならないという事でしょう。

 

我執のもたらす不幸

仏教では人間の苦しみの根源は我執、すなわち自己の立場へのとらわれであると説いています。

人は己以外のものではありえず自己に囚われているのですから我執に陥りやすいのは当然ですし、

むしろ我執の無い人は根無し草のごとく漂流してしますかも知れません。しかし人間の知性とは

極微の素粒子から極大の宇宙、有限から無限へとあらゆる位置に心をおいて物事を探求し、人間性

とは他人の立場に己をおいて自分の事のように思いやる事ではないでしょうか。

 

政治のもたらす不幸

シリア内戦の破壊と難民の惨状には心が痛みます。チュニジアから始まったアラブの春は最後に

シリアに行き着きました。当初はアラブ諸国が民主化して更に発展するものと期待していましたが

シリアはとんでもない内戦状態に突入しました。それに加えて米国、EU,ロシアなどが絡み、

泥沼のような状態になっています。アサド政権が民主化要求を武力弾圧した事が過ちの発端ですね。

これにEUと米国が反政府側に立って介入したことが間違いの元だったのではないでしょうか。

 

政治家は我執の権化

同じ事でも立場が違うとこんなにも違って見えるものかと政治討論を聞くとあきれます。共通する

のは政治屋は我執の塊であるという事です。まだシリアが内戦に入る前ですがEUと米国はアサド

氏が辞める事を交渉の条件にしていました。同じ事は東日本大震災の時に当時の管首相が自民党に

協力を求めた時に谷垣総裁が管さんが首相を辞めると約束すれば協力すると答えていました。私は

その時谷垣氏の権力への執着心を感じました。政治屋や軍人が立派な事を言いつつ状況が変わると

如何に豹変するものかは戦前、戦後の歴史を読めば明らかです。アサド氏は政権を降りたら生命も

危険でしょうから辞職を前提にした交渉を拒絶するのは当たり前でしょう。

同じ事は北朝鮮についてもいえるのではないでしょうか。北朝鮮はずっと米国に平和条約の締結を

懇願していましたが、米国は北朝鮮の体制を根拠に拒絶してきました。仮に米国が北朝鮮と和解し、

北朝鮮が開国したら早晩金体制は崩壊していたかも知れません。北朝鮮の国民が自由に外国と行き

来すれば今の金体制がそう長く続くとは思えません。人権抑圧の北朝鮮体制を保っているのは米国

ではないでしょうか。

 

直接民主制こそ究極の道

今や世界中を人が行き来している時代に国際交流を外交官だけに任せておく必要はありません。

情報通信網を活用すれば、仕事、娯楽、学問は時空を超えて人間交流が可能です。戦争は政治権力

を争うものですが民草には殺し合いをする理由はさらさらありません。人種偏見を打ち砕くのは運

動競技や学問芸術における個人の成果ですね。

本日相模原市は国際祭りがあり私達もちょっと覗き見して来ました。このような民間交流を積み重

ねる事が大事だと思います。何より楽しいですね。

 

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* 市吉 修 Osamu Ichiyoshi

* 二十一世紀を楽しく生きよう会

* Human Network for Better 21 Century

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