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送信日時: 2013119土曜日 23:59
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件名: イスラエルの平和運動、国家の功罪

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アダム・ケラーさんの講演会

去る15日、神田の明治大学Liberty towerにイスラエルの平和運動家アダム・ケラーさんの講演を聞きに行きました。Liberty tower16階の教室で行われましたが、参加者の多いのに驚きました。アダム・ケラーさんの活動については下記URLをご覧下さい。

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/bae44ab4ccddd6d8646f8b03edb0aaba

 

イスラエルにも様々な平和運動がある

事は新鮮な驚きでした。アダム・ケラーさんの属している団体グーシュ・シャロームの主張は

[1] パレスチナ国家の樹立

[2] 1967年戦争の占領地からイスラエルの撤退

[3] エルサレムは西がイスラエル、東がパレスチナの首都とする。

[4] イスラエルとパレスチナで協議して問題解決

 

まさに私は同感ですが残念ながらイスラエルでは明日行われる選挙ではナタニエフの保守政権が勝ちそうな状況だそうです。

 

国際支援

一つの有力な国際支援はパレスチナのオリーブ農園の作業支援だそうです。パレスチナ人の農園をユダヤ人の入植者が嫌がらせをして土地を横取りするのを防止するのに有効だそうです。中東地域に旅行される場合には一つ検討願います。

 

国家の功罪

ユダヤ人はヨーロッパで差別、迫害されナチスによって600万人がアウシュビッツ等の強制収用所で虐殺されました。戦前からユダヤ人学校では何処でも募金箱が置いてありました。それはパレスチナの土地を買収してそこにイスラエルを建国するシオニズム運動でした。ユダヤ人は戦後にそれを実現したわけですが、同時に多数のパレスチナ難民を生じ戦後60年経ってもパレスチナ問題は全く解決していません。ユダヤ人問題の解決が新たな悲劇を発生させてしまいました。

 

大阪地裁において戦争孤児が敗訴

今週は日本国の無責任を問う戦争孤児の訴えが大阪地裁で原告の敗訴となりました。軍人には国による戦争被害の補償がなされたのに最もか弱い戦争孤児に対して日本国が何ら救済処置を取らなかったその無責任に対して謝罪と補償を求める裁判です。

判決理由の主要な点は

[1] 軍人は国と雇用関係があったが戦争孤児は国と雇用関係になかった。

[2] 国民一般は等しく戦争被害を耐え忍ぶべきである。これは「平等受忍論」と言うものらしいです。

私の率直な疑問は

(1)    国と国民の関係は雇用関係より薄いものなのか。

(2)    国は最もか弱い戦争孤児を見捨てたのは責任放棄ではなかったのか。

小学校を改称して国民学校と言った学校で「国民は天皇の赤子」と教えていたではないか。それなら最もか弱い戦争孤児を国は最も手厚く保護すべきではなかったのか。

子供の事を心配しながら空襲の劫火の中で死んで行った親達に対して日本国はどう顔向けができるのでしょうか。

同様の事は従軍慰安婦問題にも言えます。日本国が従軍慰安婦に対していち早く謝罪と補償を行っていたならば韓国や中国からいつまでも非難されることはなかったでしょうが。

 

国家の本質

国家の発生過程から分かるように国家とは強い者が弱いものを支配するための権力機構です。日本では人骨遺物から分かるのは縄文時代は平等で平和な社会であった事、弥生時代に入って農業が主要産業として確立してから階級分裂と戦争が生じた事です。高天原神話はその境目の直接民主制の平等な農耕社会を描写しています。国譲りや神武天皇の東征神話は強者による弱者の征服過程を明確に伝えています。

国家が強者による弱者の支配機構であり国の方針は権力闘争で決まるものであれば戦争孤児や従軍慰安婦が見捨てられ、逆に日本を破滅させた軍人が階級が上のものほど手厚く補償されている不合理な現実も理解できます。

 

国民主権の実現

日本国憲法は日本国民が達成した政治の最高峰です。これを押し付け憲法と言う人は日本国憲法の冒頭に署名している吉田茂、幣原喜重郎、和田博雄等の先達を愚弄するものです。戦前に吉野作造が唱えた民本主義に対して民主主義とは何と誇らしい名称でしょうか。民主主義は有史時代の五千年の人類の努力の結晶です。国民主権を素直に解釈すれば直接民主制でしょう。実行上の問題と歴史的経緯から間接民主制が行われているのですがその限界は各国が抱えている巨大な財政赤字、何万年もの管理を要する放射性廃棄物の最終処理問題の解決の目途も立っていないのに進めて来た原子力発電の政策無責任や政治にかかる膨大な費用などに

明確に現れています。他方今日の高度な情報通信網や交通網を活用すれば直接民主制は十分実施可能に成ってきています。それは前回報告した東北の地震災害からの復興にも現れています。

国家は人間社会の統治機構として極めて重要です。その第一の目的は国民福祉であり、逆に国民はその国家を支える義務があります。国家が国民から乖離している段階では戦前の日本の天皇やソ連のスターリンや中国の毛沢東のように指導者崇拝が強制されます。直接民主制においては国家と国民は一体ですから国民の権利と義務も一体です。それは人間の回復とも言えるのではないでしょうか。

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      市吉 修                                Osamu Ichiyoshi                         

二十一世紀を楽しく生きよう会  Human Network for Better 21 Century   

 http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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