差出人: OsIPortable <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2018年6月10日日曜日 0:33
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件名: 幼児虐待に思う
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今週は胸くそが悪くなりました。
言うまでもなくそれは東京都目黒区のアパートで両親に虐待された末に死亡した船戸結愛(ゆあ)ちゃん(当時5歳
)の事です。毎朝4時に起きてひらがなの練習をしてその字で「しっかり するから もう おねがい ゆるして」と書い
ていたそうです。幼い胸で何を思っていたか思うだけでも胸のつぶれる思いがします。
それは正に加害者の両親が言うべき言葉でしたね。私はこの両親の非人間性に反吐の出る気がします。このような
幼児虐待にはお決まりのパターンがあります。先ず若い子連れの女が男と一つになり、その男が連れ子を虐待して
どういうわけか母親も体を張ってかばう事をしない事です。私が胸糞が悪いのはその獣性です。
ライオンは家族で群れ(プライド)を作って生きる動物ですが、外から来たオスに群れを乗っ取られると前のオスの子
ライオンは殺されるのです。野生のクマも子熊の死亡原因の第一はオス熊による子殺しだそうです。オスは自分の
子孫を残すために、はやく乗っ取った雌と交尾ができるように子殺しを行うわけです。
幼児虐待の話を聞くたびに形は人でも心は獣、あるいはまだ人間になっていない未熟な若者の愚行に怒りを感じ
ます。
自民党的家族主義の害
自民党は憲法改正案として「家族は社会の基礎である」と書いています。このような自民党案を私は以前学校生徒
のレベルと評しましたが、たいていの人はそのような家族主義的世界観に概ね賛同していると思います。だから
自民党はそう書いているのですね。政治屋が欲しいのは何より選挙時の票ですから。
私は敢て言いたいのですがこのような単純思考が巨大な社会的災厄の根本的な原因になっています。
戦前の家族主義は皇国史観に基づき日本は天皇家を本家とする家族国家であるというものでした。従って子供は
「天皇の赤子」であり、日本人は天皇のために死ぬのが尊いとする軍国教育の一つの思想的基盤となっていました。
これが「真っ赤な嘘」であった事は日本国が当の国の戦争によって生じた何万人もの戦争孤児に対する責任を全く
果たさなかった事から明白です。役人曰く「戦争孤児は親戚に引き取られた。」即ち国家の無責任の原因はその
家族主義にあったのです。国全体が飢餓に直面していた当時親戚に引き取られた戦争孤児は厄介者であり、疎外、
虐待、酷使され学校にも行けなかった子供もたくさんいました。親を失った悲しみに加えて幼児や児童に強いられ
た非情な境遇は正にこの世の地獄だったと言っても過言ではありません。
今回の犯罪に対しても家族主義がその原因となっていると思います。一家が東京に引っ越して来た時香川県と東京
都の児童相談所は一応引き継ぎを行いました。東京都の職員が自宅訪問した時母親が「もう関わらないで欲しい」
と言っていたそうです。そのためそれ以上都の児童相談所は関わらなかったのではないでしょうか。
個人こそ社会の基礎である
事を私は声を大にして訴えます。幼児虐待を行う親はもはや親の資格はありません。手遅れにならない内に親権を
剥奪すべきだと思います。この事を出産時にすべての親に公的に説明すべきだと思います。子育てができない時
は親権を返上しても恥ではない事も。なにより大切なのは当の子の基本的人権です。
近代社会の理論的基礎を確立したJ.J.ルソーが自分は育てられないとして子を孤児院に捨てたと聞いて若い日の
私は憤慨したものですが、あるいはルソーの行動は正しかったのかも知れません。「結んで開いて手を打って結んで
、また開いて手を打ってその手を上に」という誰でも知っているあの童謡を作曲したルソーが子供を愛していなかっ
た筈はありませんので。
社会の基礎が家族でなく個人である根拠を以下に述べます。
世界の偉人、例えばJ.S.バッハが音楽の父と呼ばれるのは正に当人の活動の結果であり、その家族は関係ありま
せん。勿論その為の環境で育てた功績は大ですが。
福沢諭吉が咸臨丸に乗り、初めて海外、米国に行った時、米国の初代大統領G.ワシントンの子孫について質問し
たら会場にいた米人の誰も知らなかった事に感動したのは米国の個人主義の先進性と日本の家族主義の後進性
を確認したからでした。
発明王T.A.エジソンの最初の結婚により生まれた二人の息子は父親が再婚して新たな家庭を持って疎外されたと
感じたのか、ぐれてしまいました。親子の諍いが続いた末に二人は遂にはエジソンという名を捨ててしまいました。
改名によって彼らは偉大すぎる父親の家族の桎梏から抜け出そうと行動したわけです。
船戸一家は一月に東京に引っ越してから死に至る三月まで一度もゆうあちゃんを外出させなかったのは「虐待がば
れないように」だったそうです。この蛮行の裏にも誤った家族主義があると思います。
以上の考察により自民党は書くなら「社会の基礎は個人である」と書くべきだと思います。この社会個人主義から
自然に基本的人権、国民主権、平和主義の日本国憲法の三原則が導かれます。
幼児虐待の防止のために
児童相談所の役割の重要性は言うまでもありませんが、もっと地域社会の寄与が必要だと思います。船戸結愛(ゆあ)
ちゃんの継父は無職だそうですが、一体どうやって家族を養っていたのでしょうか。子供二人を抱えて無職では子
を保育園に預ける事もできず、働く事も困難です。
五歳で体重12kgという極端な栄養失調、最初に引っ越しの挨拶に来た時以外は一歳の長男を連れて外出する事
はあったが結愛(ゆあ)ちゃんは一度も外出させないとか真冬に裸足でベランダに放置した事があった等々、近所
の人達は異変に気づいていた筈です。
幼児虐待の防止のためには地域社会が虐待の被害者だけでなく加害者もまとめて救う事が肝要だと思います。
私達は今双子の孫の育ての手伝いで札幌に住んでいます。結愛(ゆあ)ちゃんと同じ五歳まで支援するには後4
年の札幌暮らしが続きそうです。子育ては実に大変です。幸い近くに〇歳児から預かってくれる保育園があります
ので孫達の両親は共働きを続ける事ができます。週日の孫迎えや夕食の準備と孫達に食べさせる事、皿洗い等を
祖父母がやってくれるので父母が双子と向き合うゆとりが多少ともできています。
私は南国の宮崎で約二年間両親の最後まで共に暮らした事が何にも勝る「終活」になりましたが、今は北国の札幌
で「孫活」をしている事が何にも勝る人間の研究になっています。
なお私達が孫達のために働いているのは単に家族だからではありません。孫達が幼いとはいえ皆一個の人間だか
らです。
従って幼児虐待に気がついたら単に親を排撃するのではなく反対に助けてやるべきです。食事のおすそわけ、幼
児の一時預かり、公的補助を受ける手続きの手伝い、地域の行事への参加、その他何でも気楽に相談できる環境
を整備する事が大切です。
ゆうあちゃんの死を無駄にしないよう私達はやる事が沢山あると思います。自宅に引きこもらず、勤めて地域を歩き
回る事から始めましょう。
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* 市吉 修 Osamu Ichiyoshi
* 二十一世紀を楽しく生きよう会
* Human Network for Better 21 Century
* http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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