石狩地方の歴史に触れて
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2022/07/30 23:47
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先週は石狩川が日本海に注ぐ海岸地帯にある石狩に再度行きました。そこで思いがけない再会がありま
した。1884年(明治17年)の秩父困民党事件で欠席裁判により死刑を宣告された首謀者の一人井上伝蔵で
す。井上伝蔵は事件後一年も村内の知人宅の蔵に潜伏してから密かに北海道に渡りました。名前も伊藤
房次郎と変えて石狩で結婚した内縁(逃亡者なで正式な手続きができず)の妻と商売をやる傍ら当地では
俳人としても活動しました。ここはとても俳句の盛んな土地柄で到る所に句碑があります。石狩歴史公
園に彼の句碑「俤(おもかげ)の目にちらつくやたま祭り」があります。お盆などに秩父に残した家族の事
が目にちらついたのでしょうか。伊藤家は後に札幌、そして遠く野付牛(北見)に引っ越しました。彼は死
の直前に家族に素性を打ち明けました。これで晴れて家族は表舞台に出てこれたわけです。より詳細は
下記URLなどをご覧ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A9%E7%88%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
当地の豪商(呉服)であった中島商店の子孫である中島勝久さんが自宅の蔵から出た北前船以来の品物を
展示している私設資料館「尚古社」を訪ねて色々な話を聞きました。変名の伊藤房次郎の由来を示す資
料も見せて頂きました。古いものを残す事は大事ですね。
当時は石狩が主要な町であり、札幌は辺境の開拓地だったのですが、時代の変遷に伴い逆になりました。
現在の石狩は町としては過疎の小村になりましたがそのおかげで石狩川の河口は太古以来の自然の状況
を残しています。
秩父困民党事件の他の参加者は月形市にある樺戸集治監等に送られ人権無視の劣悪な環境で強制労働さ
せられ、多くが死亡したのです。私達は去年そこを訪れました。札幌から当別まで電車で、当別からは
バスに乗りました。その当別は戊辰戦争の結果逆賊とされ、すべてを剥奪された仙台の支藩岩出山の武
士達が主の伊達邦直以下一団となって入植した土地です。その苦闘は本庄睦夫の「石狩川」に小説とし
て語られています。
何気なく暮らしている地域はその実長い歴史の上に現在があります。そして日々の活動が新たな歴史を
産み出していきます。
今日は札幌の南区の山中にある芸術の森で開かれたPacific Music Festival 2022に行きました。野外音楽
堂で開かれ、子供達は虫を探したり、遊び回っているのもあまり気にならない雰囲気です。PMFは1990
年に音楽家のバーンスタインの主導で始まった若手音楽家のための音楽祭でコロナ禍のため3年振りの
開催となりました。これは正に今進行中の歴史ですね。
私達は真駒内までは豊平川の河原の道を足車と自転車で行きました。真駒内からはバスです。豊平川で
は多くの人が走ったり、BBQをしたりしていました。私は河原の森からツクツク法師の声が聞こえたの
で北海道でも蝉が鳴く事を知りました。願わくは蚊がいない状況は続いて欲しいですね。
歴史を技術面から見ると
今あるものは過去の発明なり
有り得るものの実現は今の発明なり
有り得ざるものの実現は未来の発明なり
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+ 市吉 修
+ 二十一世紀を楽しく生きよう会
+ HP ; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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