差出人:   Osamu Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>

送信日時:             202095日土曜日 10:26

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件名:      死生観

 

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人の死

を知る事は生きる上で貴重な経験だと思います。人の生に終わりのある事を知れば人は真剣に生きるの

ではないでしょうか。世の中に犯罪や幼時虐待、引き籠りが後を絶たないのは核家族化が進んで子供が

祖父母の死に立ち会う事が少ないのが一因だと思います。

 

生と死に関する思い出

私は六歳下の妹が生まれた時に村中の人が我家に来ていたのを覚えています。それから何日かして一人

で遊んでいる時、ふと人が次から次に生まれて来るのならやがて地上は人であふれるのではないかと考

え、満員の通勤列車のように立錐の余地もない事態を想像して怖くなりました。この疑問は私が小学五

年の時母方の祖父が亡くなった事で解消しました。しかし祖父の死は私に新たな悩みを生じました。即

ち自分もまたいつか死ぬのだと思うと怖くなりました。学校で級友にその恐怖を打ち明けると大笑いさ

れました。級友の言うにはまだずっと先の事だから心配する必要は無い。しかしいつか来る事に私の恐

怖は止まず母に問うと母の答えは「人はいつか生きるのに飽きが来て死ぬのだ」という事でした。今思

えば母の死は正にそうでしたね。

 

死と生について私なりに色々考えた事を以下の駄作にまとめましたのでよろしければご覧下さい。

 

  死の起源

原生生物は

細胞分裂により増殖す

娘細胞の発生は親細胞の消滅なり

原生生物は生と死が一つなり

多細胞生物は

体の一部から子を生ず

子と共に親も生きるなり

多細胞生物は増殖の死に代えて

固体の死が生じたり

 

死が無かりせば

古き記憶は失われ

人は別人になりにせむ

病や傷が重なり

人は不具者になり果て

無限に人口が増大すれば

有限な地球を食らひ尽し

人類は絶滅に到りせむ

死が無かりせば

生は無限に苦しからむ

終わりが無ければ

 

  死生観

死は生の終わりにはあらず

死は生の始まりにあり

死せざるものは生まれざるなり

死を悲しみて生を喜ぶべし

死は生の前にはあらず

死は生の後ろにある

前に進まば、常しへに生きむ

生きるとは

無限の可能性の一つの実現なり

無限の過去が集まり

無限の未来に分かれ行く

今を良く生きるべし

あらゆる事をあらわして生き

限りある

いのちの重みは限り無し

いのちの限り良く生きるべし

いつか死ぬ

身にはあれどもいつ死ぬか

誰も知らざる死を恐れ

生を損なう事なかれ

いのちの限り良く生きるべし

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi    * 二十一世紀を楽しく生きよう会    * Human Network for Better 21 Century  *  http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/   **********************