差出人:  OsIPortable <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
送信日時:           2018318日日曜日 12:24
宛先:     
件名:     特攻セズ 美濃部正の生涯
 
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特攻セズ
境克彦著「特攻セズ、美濃部正の生涯」(方丈社)を読みました。今から振り返ると現場
を知らない軍の中枢で企画され戦術的には稚拙、無効、人道的には許されない特
攻を空虚な掛け声で推進した皇軍の中で、特攻よりも夜間攻撃の有効性を主張
して軍に認めさせ、夜間攻撃隊「芙蓉」を組織してしかも軍事的にも大きな成果を
挙げた軍人が日本にいた事を知りました。
美濃部正は江田島64期卒です。この級は最上級生になった時自治会により下級生
に対する鉄拳制裁を自ら禁止するなど下級者に対するリンチが横行した日本軍に
は珍しく合理的な思考のできる人達だったと思います。
美濃部正が軍に特攻即ち必死ではなく生還の可能性もある夜間攻撃の有効性を認め
させたのはそれを裏付ける実績があったからです。美濃部は海軍航空隊の花形で
あった戦闘機ではなく地味だがその実決定的に重要な索敵に長く従事しました。
索敵では夜間飛行が必須で目印も無い海上を何百キロも哨戒して母艦に帰るには極
めて高度な技術が必要でした。乗る飛行機も足に浮き船のついた着水可能な飛行機
で攻撃力は無く敵機に遭遇したら一巻の終わりですが夜間索敵には効果的でした。
尤も後には米軍のレーダが進歩してその利点も失われたと思いますが。
美濃部正は夜間索敵で敵空母を発見して艦載機が艦上に止まっている状態で攻撃
すれば有効だと考え、戦闘爆撃機能を備えた飛行機による夜間攻撃の有効性を軍中
央に訴えました。大半の軍人からは無視されましたが、大本営海軍参謀の源田実(
)を説得して夜間攻撃隊が設置されその指揮をとる事になりました。
訓練期間も三ケ月しかないのに使える軍の飛行場が無く、探し回った末に殆ど忘れら
れていた静岡の藤枝飛行場を発見して隊を発足させる事ができました。そこから見
える富士山にちなんで隊を「芙蓉」と名づけました。
米軍の沖縄攻撃が迫ると芙蓉部隊にも特攻の実施を軍が迫りましたが、美濃部は拒
否しました。それは実績がものを言ったからです。米軍が九州に迫る頃には鹿児島県
の大隅半島の付け根にある八合原に牧場に見せかけた岩川飛行場を急造成して基
地としました。最盛期には千人を超す大きな基地となりましたが最後まで米軍に発見さ
れる事はありませんでした。
戦後は帰郷して農業に従事しましたが海上警備隊の創設と共に再就職し航空自衛隊
の発展に尽くしました。199769日、81歳で永眠しました。
 
大正っ子の太平洋戦記
美濃部正が最晩年に書いたこの本のなかで
太平洋戦争の敗北の原因について
「日本民族が自国中心の国家体制を最善と考えアジア諸国に強要した独善性の過ち」
戦後の日本人に対して
「平和、非戦を叫ぶのみで飽くなき経済繁栄飽食を求め、30億余の貧困飢餓民族へ
の配慮、対策、思いやりに具体策不十分、そんな虫のよい一人よがりが通ずるものか」
「平成の若者よ、心から平和安定を願うなら、日本人の生活を50%切り下げよ。そのお
金で飢餓民族の経済発展を支援せよ。今の日本人にその覚悟と実行力無くして世界
平和を唱える資格は無い」
と述べています。
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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    
* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    
* Human Network for Better 21 Century      
* http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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