生活の自然哲学

2021/01/30 15:18

宛先   市吉修     その他53件の宛先

 

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しょう。

 

点とは位置だけあって大きさが無い

ものであると古代の幾何学を集大成したEuclidの幾何学原論に定義されています。この定義は厳密に論

理的な幾何学を構築する上では必要不可欠なものです。

 

飛んでいる矢は止まっている

と古代ギリシアの哲学者エレアのゼノンは主張しました。現実には矢は飛んでいるのでこの主張は逆説

であり、ゼノンのparadoxと呼ばれます。ゼノンの言うには、物体が点の集まりだとすると点Aから異

なる点Bに移動するにはその中間の点Cを通過しなくてはならない。更に点CAの中間の点Dを、、、

この過程には終わりが無いから物体は移動できない。

 

皆様、この逆説をどう論破されますか。

 

物や光は粒子でもあれば波でもある。

光が波である事は干渉性から明らかですが光が金属片にぶつかって電子をたたき出す光電効果の実験か

らそれが実は粒子として物と作用する事が1905年に理論的に明らかにされました。それに対して粒子の

流れは逆に波として干渉性を示す事が実験的にも明らかになりました。極く簡単に言えば粒子は止まっ

ていれば点、動いていれば波と言えるのではないでしょうか。動いている粒子は位置に合わせて運動量

vectorを持っています。運動する粒子は空間的に広がりをもった波束(wavelet)である。更にその位置と

運動量については両者を同時に完全に正確に決める事はできない(不確定性原理)。上の不確定性原理から

極微の世界では現象を決定論的に記述する事は出来ない。ただ求める物理量の観測値の生起確率を求め

る理論は厳密に成り立つというのが現代物理学です。

 

ゼノンの逆理の解

私が思うのはもし物を構成する粒子が運動していれば広がりのある波であるのならばゼノンの論理は解

消されるのではないかという事です。静止していれば点、運動していれば空間的に広がりのある波束、

ただ観測事実を述べているだけで論理的には何も論破になっていないではないかとゼノン先生に言われ

れば何も言い返せませんが。

 

暮らしの中の物理学

 

Broad Band

過去数年間の通信網では通信路の高速化が著しくBroad bandが時の言葉となりました。実は通信路の周

波数帯域幅とそれを通じて送る事のできるパルス信号の時間幅とは逆比例します。これは数学的には上

述の不確定性原理と全く同じです。単位時間に多数のパルスを送るにはパルスの時間幅は小さくなくて

はならない、即ち通信路の周波数帯域幅は大きくなくてはならない、broad bandでなくてはならないわ

けです。

 

物が目にみえるわけ

私達が物を見る事ができるのは光が物に当たるとその原子に一旦吸収されそこから再放射されるためで

す。その際各原子は位置が決まっているので不確定性により運動量は不確定です。即ち再放射はあらゆ

る方向に起り、私達は何処からでも物を見る事ができます。

 

鏡による光の反射

私達が自分の顔を鏡で見る事が出来るのは鏡が反射の法則によって光を反射するからです。鏡の各点の

原子は当たった光をあらゆる方向に反射しますが、各点からの再放射光の位相が揃う方向は反射の法則

が示す方向であり、それ以外の方向では再放射光が互いに打ち消し合う事がわかります。

 

確率と生活

気体の状態方程式PV=RT, ここでPは圧力、Vは体積、Tは温度、Rは定数、は実験的に積み重ねられ

た気体の基礎法則ですがそれを気体分子運動論として計算的に導く際に確率が用いられます。気体の圧

力とは実は無数の気体分子が壁にぶつかって与える衝撃の総和です。この導出を高校で習った時は目に

見える現象と目には見えない極微の世界の明快な繋がりに感動しました。そこで用いられる確率の仮定

も自然に納得できした。

 

実生活においてすべては確率の世界です。生きている事とは不確定世界にある事ではないでしょうか。

天気予報も昔は断定的な表現でしたが今は確率を用いています。

 

偶然と必然

古典力学では事物は厳密に決定論的に推移します。それを用いて人は家を建て、機械を造り、天体の運

行を予言して暦を造ってきした。決定論は有用な反面、行き過ぎると人は運命論に陥る危険があると思

います。進学に失敗して夢を捨てたなどというあるhomelessの青年の場合のように謂わば自由意思を放

棄する原因になっているのではないでしょうか。

 

必然的に見える現象は実は無数の偶然の上に成り立っていす。生物の環境に対する驚嘆すべき適応も実

は無数の突然変異と適者生存の積み重ねの上に成り立っていると思います。人間は自由意思を駆使して

自らの未来を拓く事ができます。最善の努力の結果は期待に添わないものであっても運命として受け入

れるしかありません。本当の運命とは自由意思に基づく行動の積み重ねの上に成り立つのではないでし

ょうか。

 

以上の事を考えると何千年も前にお釈迦様が教えた因果と縁起の説に今更ながら感銘をうけます。未来

とは不確定でありどんな夢もその実現の確率はゼロではない。正しく努力を重ねればやがて道は開ける

のではないでしょうか。

 

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+      市吉 修 

+     二十一世紀を楽しく生きよう会

+     HP ;   http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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