差出人:	OsIPortable <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
送信日時:	2018年6月17日日曜日 20:58
宛先:	
件名:	認知症とは何か、その予防と治療

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現代社会の病根は認知症
ではないでしょうか。高齢化に伴う認知症は本人にとって深刻な苦悩であるばかりでなく家族にとっても負担が大きく
、介護離職などによる社会的損失も莫大です。
しかし認知症とは単に加齢によるものばかりでしょうか。認知症とは知性と人間性の欠損なりと定義すれば認知症は
年齢には関係なく生じる社会的病理だと思います。

先週は幼児の虐待死、新幹線の中での無差別殺人など胸糞が悪くなるような事件が続きました。新幹線での殺人
曰く「社会をうらんでいた。誰でもよいから人を殺したい願望が常にあった。」これこそ認知症ではないでしょうか。

自民党は「カジノを含む」統合型リゾート法なるものを強行採決しましたが、何故カジノを含む必要があるのでしょうか
。これに呼応して北海道では苫小牧市議会が誘致を進める議決をしましたが、無駄だと思います。すぐ近くにある
夕張市がかって国の政策に盲従してリゾート施設を建設した結果、期待した収入は無く、維持費ばかりかかって遂
に財政破綻した事をもう忘れたのでしょうか。
この問題から教訓を学んだのであれば市議会の議決に対して北海道の賛成は得られないでしょう。
カジノが成り立つには誰かが大損する必要があります。先週の日曜討論で長妻氏が他人の不幸の上に成り立つ
事業は受け入れられないと言っていましたが全く同感です。人のギャンブル依存症により成り立つギャンブル産業
はお金だけ見れば経済成長に見えるかも知れないが人道的見地からは経済衰退です。
また日本はパチンコや競馬など庶民の射幸心産業が盛んなので外国のようなカジノ市場は無いと思います。
国会議員は選良とか言われますが、私の定義から言えば、カジノの合法化を進めるような議員は認知症の部類に入
ります。その理由は人間性の欠如です。

知性と人間性
哲学者は知性と人間性、思考と言語について山のような文献を残していますが私は簡単に次の詩にまとめています。

知性とは異なる位置に身を置きて あまねくものを究むる事なり
人間性とは他人の立場に身を置きて 我が事のごと思う事なり

知らざる事は考えられず 一事を思わば余事は考えられず
考えるとは考えざる事なり 思考の限界を知りて考えるべし

人は人との対話によりて 己が外なる世界を知れり
人は自己との対話によりて 己が内なる心を知れり
言葉は単なる符号にあらず 言葉は人間が作りたる世界なり
言葉は人の心を表す 人は言葉で人間になれり

以上の定義に照らせばカジノを推進したり、高度プロフェッショナル等と知能の低さを示すような言葉で残業代ゼロ
法案を強行採決するような「選良」は私の見解では認知症の部類に入ります。高プロなどと言わなくても現在でも
フリーの専門家として多くの人が企業の現場で働いているではありませんか。

幼児虐待をする親は自己に固執して当の幼児の立場に立つ事ができない認知症患者だと思います。重要なのは
人間としての幼児の人権でありそれを侵害する親は親権を制限されて当然だと思います。ひとたび幼児虐待を行っ
た親は親権を制限して児童相談所や警察が当人と面会するのを親が拒否できないように家族法の改正を提案します
。虐待がひどい時には親権を剥奪して幼児の保護を何より優先すべきです。

社会個人主義(読んで字の如く、社会の構成要素は個人である)は実は日本国憲法の基本哲学です。憲法の前文
は「我々日本国民は」で始まっているではありませんか。ここに自民党の憲法案にあるように「天皇陛下は国の元首
である」とか「社会の基本は家族である」とか上述の根拠により私からみれば荒唐無稽の考えが現実の社会にまだ広
く残存している事が日本の病根だと考えています。

認知症の予防と治療
それは社会個人主義の徹底だと考えています。「一人は皆の為に、皆は一人の為に」One for all, All for oneですね
。これは日本発の標語だと聞いた事がありますが、新約聖書の中でイエススが説いた羊飼いの例え話に最も端的
な表現がなされています。
西洋の先進国が戦争被害者を軍、民の差別なく救済したのはあるいはこのキリスト教の思想が根底にあるのかも知
れません。日本国においては国民の価値は「雇用関係」より下に置かれているのは社会個人主義が不徹底で社会
強者主義の段階に留まっているからではないでしょうか。社会の貧困のは哲学の貧困だという気がします。

何年か前に東北大学の川島隆太先生の講演を聞いた事があります。その研究室では高齢のアルツハイマー病患
者を治癒せしめている事、その有力な手段は本の朗読であるとの事でした。本の朗読は脳の広汎な分野を刺激す
るそうです。
従って社会的認知症の予防と治療の有力な一つの方法は読書です。これは前述の知性と人間性の定義に照らし
てみてもよく理解できるのではないでしょうか。

知性と人間性の本質が「異なる位置に身を置く」想像力と行動力にあるとすれば上の読書にはあらゆる学問、芸術
、運動があて嵌ります。結局人間性とは人間的な行動にありという単純な命題に帰着する事になります。

私は以上に加えて「自然に親しむ」事を提案します。今日私達は自転車で札幌市郊外の芸術の森に行きました。
きは上りなので一時間半、帰りはたった半時間の自転車行でした。豊平川、真駒内川沿いの新緑が快適でした。
自然は言葉を語りません。従って以心伝心です。そこから人間が出てきた本来の故郷に帰る気がします。芸術とは
人間の心情の発露ですのでこのような自然林の中に芸術の森があるのは自然な事だと感じました。自分の体と心を
動かして移動する自転車は誠に快適な道具です。

荒野を一人で旅すれば人は誰でも人が恋しくなります。無人島で何年も一人で暮らしたロビンソン・クルーソーは捕
えたオウムに言葉を教えて疑似会話をしていました。時に自然に親しみ、人間の心を取り戻す事は社会的認知症
の予防と治癒に最も有効だと感じています。

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    
* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    
* Human Network for Better 21 Century      
* http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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