RE: 室蘭旅行報告
小笠原 覺
To:
2022/09/19 21:48
NHK 第二の100分de名著(月曜日、今日も10:25〜)で
「アイヌ神揺集」(知里幸恵)を紹介しています。
アイヌの人たちは文字を持たなかったので・・
19歳で世を去った知里幸恵さん、アイヌの一少女が アイヌ民族のあいだで
口伝えに謡い継がれたユーカリの中から神揺を集めたものです。
これを読むと原始自然のなかで 狩猟、採取、漁業で生活していたのがうかがえます。
江戸時代に 松前藩(コメが取れなかったので、禄高は無く)は
渡島半島の一部に和人地域をつくり その他の蝦夷地と交易でなっていた様です。
アイヌの人には森、川、土地は共有物で 土地所有権はなく
みんなで 自然のなかで狩猟、採取、漁業で生活していました。
そこに明治になると廃藩置県で幕藩体制が無くなると
特に下級武士等は集団で蝦夷に移転して生活し始めました。
その人たちは 慣れない土地で原生林を切り開き
農地を開拓し 牛馬を養い 土地を所有していき
アイヌの人はますます奥地に行ったように思います。
アイヌの人には 土地の所有意識、その権利意識もなく、稲作、農業の知識もなかったからです。
私が日高で経験したことは 昭和20〜30年ごろですから その変化の過渡期だったと思います。
確かに北海道の発展は入植した和人の苦闘と苦労の成果だと感謝しますが
その陰でアイヌの人たちの苦しい一面もあったことに思いを馳せたく思います。
私が育った頃には北海道米も有りましたが 三等米と言われてました。
しかし今は北海道米のななつぼし、ユメピリカ等が評価を上げているのは嬉しいことです。
これには新米の研究、土地改良等があると思いますが
図らずも温暖化も影響しているようです。
稲の適温は25度、昼夜の温度差が大きいいことだそうで
新潟、魚沼郡は少し高地でそれに適したとか聞きます。
参考までに
小笠原
From: 小笠原 覺
Sent: Wednesday, August 24, 2022 12:45 AM
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Subject: RE: 室蘭旅行報告
市吉さん
私も今年後期高齢者になり 時々昔のことを時々鮮明に思い出すことが有ります。
今回 忘れないうちに記させて下さい。
小学生の時日高、浦河の田舎に父の勤務で住んで その小さな小学校に通っていた時の経験です。
1. クラスの中で3〜4人ほどが弁当を持ってこられない子が居ました。
冬の時期で 漁業の人の子供達です。冬季は海が荒れて漁に出られず収入が無くなるのです。
新人の先生は何日かはパンを買うようにお金を渡してましたが 毎日なのでそれも続かなくなるのです。
そうなるとその子供たちは、外に出られないのでダルマストーブの周りに集まり
我々の弁当の音をおとなしく聴いているのです。食べ盛りの子供たちの悲しい姿でした。
私の弁当を一緒に食べようとも言えなかった自分の姿を今も鮮明に覚えています。
2. 不登校の女の子がいて 先生が心配して家庭訪問をするので私が付いてゆくことになりました。
海岸線を遠く歩いて行き 岸壁の端に洞穴があり 入口にむしろが垂れていて そこが住居でした。
先生は中に入り 確認、話したようですが その後帰ってくることがありました。
詳細状況を知り・理解出来ませんでした。
3. 学校まで片道5Kmあり 帰りは集団で帰ることがあり
その途中でケンカがすることがあり その時ある子が他のある子に 「あ、犬がいる(アイヌがいる)」と叫ぶのです。
それでケンカは終わりになるのです。外から来た私にとって衝撃でした。
農家でもアイヌの人の土地は奥深い田舎で 土地の良くなかったことを覚えています。
和人とアイヌの人の間には 歴史を持った深い溝を時々見ました。
「北海道の自然が厳しく 北海道人は自然と対峙しながら生きている」と思っていました。
あの当時「雪道を帰る時に ある人が雪倒れした(亡くなった)」とも聞いたことを覚えています。
あれから70年経ち 今は大きく変わり 便利に 裕福になりましたが
北海道人の原点は一面に こんなところに在るのかと思い出します。
忘れてしまう前に一度記しておきたかったのです。
こんな暗い話をしてしまい 御免なさい。
小笠原
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差出人: "小笠原 覺"
To:
送信済み: 月曜日, 2022/8/22 00:55
件名: RE: 室蘭旅行報告
市吉さん
いつも読ませて頂いてます。
今回室蘭市のことが書かれていまして
私の青春を過ごしたふるさとなので懐かしく少し書かせて貰います。
室蘭には国指定史跡「東蝦夷地南部藩陣屋跡モロラン陣屋跡」が有り
我々は陣屋と言ってた海水浴場がありました。
調べると、幕末に南部藩藩士が噴火湾東部にロシア・アメリカの異国船に対する沿岸警備に当たったと
有ります。
その前まではアイヌの人の狩猟中心の原始共同社会だった様ですが。
私のころは鉄鋼の街で 富士製鉄(今の日本製鉄)、日本製鋼所関連の人が中心で
製鉄工場の排煙でその社宅は赤く染まっていたのを思い出します。
自然港でもあり それに石炭の積み出し港として外国船も見られました。
隣には伊達町が有りまして そこは伊達藩の方々が移住されて農業を支えてきました。
北海道には 北広島、新十津川、伊達町等の地があり
旧幕藩の方々が移住して開拓してきた流れを残しています。
でも各幕藩の下級武士などが 飢えと寒さに耐えてこの北方の地で原始林を開拓して
住み着いたと本当に感心します。
冬にはマイナス20〜40度になり よく木綿の服で 食べる物の少ないことを思うと
想像を絶します。
思い出して書かせて頂きました。参考まで
小笠原
From:
<mailto:osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
To:
Subject: 室蘭旅行報告
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8/17-20室蘭に行って来ました。
研究会
今回の旅行の目的の第一は電子通信情報学会の宇宙航空関係研究会への参加です。分野としては
電波探知(Radar), 電波伝搬、遠隔観測等、参加者は大学や企業の研究者、技術者等です。私の発表の
演題は「宇宙空間における対象物体の自動捕獲法」です。
先日関東地方一円で火球が観測されたと報じられました。おそらく何処かに隕石が落ちたのだと思います。
宇宙から落下してくる物体が更に大きい場合は原子爆弾にも匹敵する大災害を生じる恐れがあります。
自然物だけでなく今後は宇宙船の故障やあってはならない事ですが核弾頭が飛んで来ないとも限りません。
平和国家の日本は他国に脅威を与える核兵器は持たないけれども核兵器を有する他国からの攻撃には備え
るべきです。
プーチンのロシアによるウクライナ侵略戦争を見ればそれは緊急課題ではないでしょうか。
研究会が行われた会場の生涯学習きらんには室蘭の地方史文献を集めた場所がありそこで遠く藤原氏に
つながる伊達一族の歴史を読みました。幕末の戊辰の役で逆賊とされ行き所を失った仙台藩の人々が明
治に入り、北海道に新天地を求め惨憺たる苦労の末に開拓に従事して新たな歴史を重ね、約150年後に
私達がそこに集うのを思いました。まさに現在は無数の過去の積み重ねの上にあります。
室蘭民族資料館
昨日はホテルをcheck out後東室蘭駅から洞爺湖温泉行きのbusに乗り民族資料館に行きました。幕末
に北からロシアが南下してくるのに備えて北辺の警備を急ぐ幕府の命により南部藩の番屋が置かれた所
です。バス停の名も番屋。資料館はバス停を降りて徒歩五分の所にあります。ここでは原始時代から今
日までの当地の歴史が陳列されています。勿論アイヌ文化も。噴火湾地方では英国人牧師夫妻の養女と
なったバチラー八重子がアイヌ人であったようにアイヌ人と和人の関係は割に良かったのではないかと
いう印象を私は持っています。明治の始めに当地を旅した女人旅行家イサペラ・バードも有珠善光寺の
鐘の音が天国の様に響いたと書いていました。和人とアイヌ人が和して住んでいたとしたらそれは布教
の効果かも知れませんね。
資料館からまたバスで東室蘭駅に戻りそこから高速バスで札幌に帰りました。三泊すればその地域があ
る程度分かります。
来る時は見知らぬ町も去る時は故郷の如思わるる。
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+ 市吉 修
+ 二十一世紀を楽しく生きよう会
+ HP ; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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