人は見えない籠の中で生きている

osamu-ichiyoshi osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp

 

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2021/09/11 13:49 

 

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配信不用の場合はお手数ですが返信にてお知らせ願います。

二十一世紀人世研究会は人が全国どこでも学び、働き、生涯元気に生活できる世界を研究する会です。

返信または全員に返信により皆様の報交換をお願いします。研究しながら二十一世紀を楽しく生きまし

ょう。

 

パラリンピックが終わって

しばらく虚脱感を味わいました。時間があるとついTVをつけてその都度思いました「もう競技会は終わ

ったんだ」と。今回はTVで多くの競技を観戦できてうんと視野が広がりました。心身に障碍があっても

人に残された能力には偉大なものがあると。

 

顧みてオリンピック、パラリンピックの無観客開催は

残念でなりません。多くの人が眼前に人類最高の技を見、会場の選手と観客が一体化する感動の機会が

奪われ、JOC900億円という興行収入を失いました。職分を弁えない政府の専門委員会の会長が音頭

を取って開催中止を呼びかけ、TVでは「この状態でオリパラをやるのは人類最大の愚行」などと大げさ

な表現で目立ちたいだけの口舌の徒に扇動されて私が見たインターネット上に示された世論調査(?)では

圧倒的大多数が開催反対でした。開催に反対だから競技を見ないという人もありましたが人生に大損を

したと思います。

 

実態はどうだったでしょうか。緊急事態宣言をしても殆ど人流が減らない中でパラリンピックが始まっ

た頃には感染者は減少に転じ今もその傾向が続いています。現実は専門家達が言うのと明らかに異なっ

ています。ど素人の判断はこの夏の第五波の原因は駅、デパート、家庭でのエアコンの使用による密閉

効果に大きな原因がある、それが盆過ぎには暑さも峠を越えてエアコンの使用が減り窓を開ける事によ

り換気が改善した事と熱帯夜が収まって夜に安眠できるようになり人の免疫力が高まったったのだと思

います。

 

今考えて見ると色々納得できます。去年新型コロナの流行が始まったばかりの頃、外国人を乗せたタク

シーやバスの運転手が感染した例が続きましたがそれは自動車の室内密閉が原因だったのでしょう。私

が子供の頃インフルエンザを流行性感冒、略して流感と言っていた頃はその流行期は冬であり、夏には

殆ど流行はありませんでした。流感が流行する頃は学校で室内を暖かくかつ乾燥を防止する事、時々窓

を開けて換気を良くする事、外出では人混みを避ける事、睡眠を十分取る事、みかんなどでvitamin C

を摂る事、耐寒訓練として外で運動する事などを習いました。全国各地の駅伝大会などはその一環でし

たね。耐寒訓練です。子供は風の子と言って外が寒かろうが一日中外で遊んだものです。子供は風の子

は今や死語ではないでしょうか。

 

人は見えない籠の中で生きている

これは実は昔Reader's digestで読んだ「鳥は見えない籠の中で生きている」の人間版です。大空を翔る

自由の象徴の鳥も実は相互の縄張りの中に制限されて生きているという記事でした。人間の場合はその

縄張りは究極的には「思考の限界」です。私は読んだ事はないのですが、E.Kantの純粋理性批判を待つ

までもなく「知らない事は考えられない」という単純な限界があります。政府の「専門」委員やマスコ

ミで目立つ事により飯を食う「有識者」ほど持てる知識に制限されて却って真実を知らない事は十分あ

り得ます。アンデルセンの「裸の大様」では詐欺師が織ったと称し「心の邪なものには見えない」とか

いう服を着たつもりの王様、見えている積りの取り巻きが通りを行進するのを一人の子供が見て大笑い

して「王様は裸だ」と言うので、一挙に事態が明白になりました。これと似た状況は現実には至る所に

あります。

 

学校問題

良く聞くのは深刻ないじめ、教師の過労問題です。教師は授業の他にクラブ活動の指導、会議、報告書

作成等で多忙過ぎて十分生徒と向き合えない、いじめ問題にも対処困難だ等と聞きますがその原因は何

でしょうか。私はそれは学校が閉鎖的で閉じた社会だからと思います。何故学校はもっと地域の力を借

りないのでしょうか。学校は学習の場に専念してクラブ活動は地域のクラブで行うのが良いと思います。

生徒は授業が終われば早々と帰宅して地域のチームでスポーツや文化活動をやるのです。それだけでも

先生は随分負担が減るでしょう。場所は学校でも指導は学校外の人が行うのもよいでしょう。学校は

先生が生徒の教育に専念できる環境を整えるべきです。子供が帰宅後学習塾に通う等とは恥ですね。教

師だけでなく学校、保護者ひいては地域社会の。

 

企業

日本の学校問題にも増して日本企業の問題は深刻です。日本人の大多数が良しとする人生行路は「良い

学校を出て良い企業に入り、定年まで勤める」ものです。ずーっと籠の鳥です。実際それは多くの場合

に当てはまりますが欠陥もあります。会社で私が最後に係った世界的な移動体衛星通信網計画では組織

の壁に阻まれて社内の専門家を結集するのが困難でした。同じ計画で米国の企業が提出する技術文書の

出来栄えが良いのにいつも感心しましたが、その原因がある会合で分かりました。その米国企業の発表

者は実は本業が地域の大学の教授でした。学生を動員して研究させるので高度の技術成果を出していた

のです。また米国の技術者の転職が多いのにも驚きましたが、それにより企業の枠を超えた業界の人的

つながりが強いのでしょう。開放性を本質とするInternetが米国で発達したのも理解できます。

 

開放性を旨とする電子通信情報学会の構造的問題は会員数の減少、中でも企業の現役技術者会員の減少

です。日本企業はますます籠の鳥になってはいませんか。

 

 

アフガニスタン

タリバンによる全土制圧には驚きました。米国による20年間の軍事介入とは何だったのでしょうか。

離陸しようとする米軍の軍用機にぶら下がる人の映像を見て半世紀前の南ベトナムの終末を思いました。

日本国も防衛を過度に米国に依存してはならないでしょう。私も核ミサイル防衛に私が最良と思う方法

の技術的可能性を研究し、学会で発表し、防衛省にも提案しましたが、全く無反応でした。防衛省も籠

の鳥ですね。

タリバンも末端の兵士は戦闘法しか知らないと言いますし、指導者もイスラム教しか知らないとしたら

正しく籠の鳥ですね。

後知恵ですが米国は軍事介入に合わせてアフガニスタンの若者を大量に自国に留学させていたならば今

の歴史は余程変わっていたでしょう。GHQによる日本統治が独立後の日本の成長の基盤を作った事を思

うと米国の政治力の著しい低下を痛感します。ただペシャワル会による国土再生や日本のNPOによる教

育支援等の効果はタリバン政権下でも生きると思います。私見ですがタリバン政治を倒すのは女の力で

あろうと期待しています。

 

人を閉じ込める籠の打破はまず思考の限界を知る事でしょう。

 

思考の限界

知らざる事は考えられず

一事を思わば余事は考えられず

考えるとは考えざる事なり

思考の限界を知りて考えるべし

 

学問

学問は人と人との対話に成る

人は自己との対話で思考す

一人の経験は学問を通じて

万人の知識となる

思考で深まり、対話で広がる

学問は人の自立の基なり

 

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+ 市吉 修 

+ 二十一世紀を楽しく生きよう会

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