昭和史の教訓
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2025/05/25 17:51
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保阪正康著「昭和史の教訓」朝日新書
を読みました。今年は昭和100年に当たりますが、昭和20年の敗戦まで日本はずっと戦争でした。私は
昭和23年生まれですので、戦争は全く知りません。戦争の深い反省の上に日本国憲法に確立された民主
主義、基本的人権、平和主義の三本を国是の柱とする事によって日本は過去80年間戦争をせず、平和を
享受してきました。戦争を直接経験した世代は大半が鬼籍に入りつつある現在、私達は昭和史の教訓を
繰り返し反芻する事が必要だと思います。
保坂正康は昭和史の教訓として
如何なる形であれ、軍事組織が国の主導権をにぎってはならない。
具体的には次の四辺形の枠に枠に囚われてはならない。
(1) 国定教科書による教育の国家統制 -----
国体の本義
(2) 情報発信の一元化---- 情報局、内務省検閲課、大本営発表
(3) 暴力装置の発動 --- 血盟団のテロ、5.15事件(1932)、小林多喜二惨殺(1933), 2.26事件(1936)
(4) 弾圧立法の徹底化 ------治安維持法(1925)
戦争の惨禍は戦死者数などの数字では表せない人権弾圧や家族や恋人の別離や死別、戦争孤児の見殺し
などその不当と不幸は如何なる評価も越えるものです。その巨大な惨禍も元は小さな暴力の容認の積み
重ねの上に成り立ちます。勝手に国軍を動かし、犬養首相の暗殺などの大罪にも関わらず5.15事件の首
謀者に対する刑罰は軽微なものでした。平和を守るためには法により小さな暴力も許さない法治主義が
重要だと思います。
人の行動を基本的に決めるのはその人の信仰です。その意味で私は上の四辺形の内で教育を取り上げた
いと思います。昭和10年代の教育は徹底した皇国史観の植えつけでした。無垢な子供に「天皇は神」と
教えるまでに狂ったものでした。昭和15年(1940)は皇紀二千六百年とされ皇国史観宣伝の一大行事が行
われました。その一環として私の郷里の宮崎市には八紘台が築かれました。戦後は平和台と改称され、
私はそこに小学校の修学旅行で行きました。八紘一宇の文字は昔のままです。
皇国史観教育を徹底するために文部省は「国体の本義」を発行しました。昭和12年(1937)。私は父の遺
品としてその解説書「国体の本義精解」を持っていますが、高校生の時それを読んだ時も我田引水の論
理に反発を覚えました。文体は美文調で大げさな印象です。何より欠けているのは真の知識です。外国
の文化や歴史に関する知識が薄っぺらだと感じます。日本の古代に関しても縄文文化や弥生文化につい
ては一語もありません。即ち科学の完全な無視、或いは無知です。
平和を守るためには日本と外国、世界の歴史と文化について正しい知識を得る事が重要です。その為に
は日本語と外国語及び科学技術の学習が必要不可欠です。特に私は学校教育だけでなく社会に出てから、
働きながら、生活しながら一生学び続ける生涯教育の重要性を強調したいと思います。学校教育は人を
学問の入り口に連れて行くものであり、人が本当に学び、業績を上げるのはその後の長い仕事と生活を
通じて初めて可能になります。
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+ 市吉 修
+ 二十一世紀を楽しく生きよう会
+ HP ; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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