差出人:	OsIPortable <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
送信日時:	2018年7月28日土曜日 23:25
宛先:	
件名:	幼児の成長に学ぶ

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二足歩行
大抵の人は誰でも二本足で歩くのは当たり前だと考えていると思います。私達の双子の孫も一歳半で歩くようになり
ました。しかしそれは大変な努力の積み重ねである事が分かりました。歩きそうになってから確実に歩くまでには半
年近い努力が必要でした。私達が歩かせようとしなくても孫達の方から要求して両手を持ってやると歩く練習を無数
に繰り返しました。時に孫の方から手を放して自分で立つ事もよくありました。その都度褒めてやると実に嬉しそうに
していました。
ほんの数mの距離を自力で歩いた時は特に嬉しそうでした。孫達が歩くようになって前より泣かなくなったと感じま
す。それだけ心の葛藤が減ったのではないでしょうか。

言葉
今は言葉の習得真っ只中です。自分の名前を呼ばれると反応するのは随分早くからでしたが私達の言う事は殆ど
分かっているように感じます。自分から話すのはその上に成る事であり今その最中です。最初の言葉はおそらく
「あった」だと思います。いない、いない、ばあーをしていたゼロ歳児の時からよく「あった」と独特の発音で言ってい
ました。今は「かして」「わけて」「いやだ」などを連発しています。

「あった」は最初に言い始めましたが「ない」と言った事は無いようです。無の認識はかなり高度の精神の成長の上
で生ずるようです。即ち始めは有るものの認識を積み重ねて初めて無いものの認識が生じるのでしょう。大人でも形
あるものに囚われて無いものにはなかなか気づかないのではないでしょうか。

「かして」は保育園の玩具で遊ぶ場面でよく使うのでしょう。これは発展形態としては「仮に」とか「仮定」とかの論理
につながる気がします。
「分けて」も同じく保育園でよく使うと思いますがこれも発展形態としては理由という意味の「わけ」とか「わけを話す」
「そういうわけだ」等につながって行くのではないでしょうか。
「いやだ」は勿論自己認識の始まりでしょう。

幼児に学ぶ
上の観察から有るものを活用して新たなものを見出すと共に無いものを考える事、互いに貸し借り、分け合い助け合
う事、現実に立ちつつ、現実に無いものを仮定して思考の範囲を広げる事などが必要だと感じています。
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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    
* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    
* Human Network for Better 21 Century      
* http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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