男女の役割日本史

To: 2023/03/05 16:37

 

転送歓迎

配信不用の場合はお手数ですが返信にてお知らせ願います

言葉は単なる符号にはあらず、言葉は人間が作りたる世界なり

人は以言伝心、乞う発信。そして返信、全員に返信して語りませう。

 

とりかえばや物語

という本を札幌中央区民センターから借りて来て読みました。これは平安時代に書かれた本で男子のよ

うにして育った姉と女として育った弟の物語です。姉は男として育ち宮廷に出仕してからは能力を発揮

して高級貴族として出世しましたが、競争相手に女である事を知られ、紆余曲折を経て女として生きる

事になり、遂には帝にも愛され皇后に上り詰める物語です。これに対して弟も姉の変身に影響されて本

来の男としての生き方を始め、秘密裡に姉と入れ替わり、宮廷貴族として活躍するようになりました。

 

男として大いに能力を発揮してやりがいのある生活をしていた姉は女としての生活を始めて、それが

ただ男の訪れを待つだけの生活である事に非常な苦悩を覚えました。この事からこの物語の作者は女で

あろうと推測されています。なおこの本は戦前は読む事を禁じられていたそうです。皇国史観には不都

合な内容だったのですね。

 

LGBTの議論がかまびすしき昨今、日本では千年も前にこの問題に取り組む文学作品ができていたのは

何故でしょうか。余談ながら私は高校生の時古文の参考書の中に「虫めづる姫君」という文を読んだ事

を覚えています。深窓のお姫様が昆虫や爬虫類を集めるのは異常だという話てすが、今ならさぞかし勝

れた生物学者になった事だろうと思いました。私は驚きの詰まった日本文化の奥深さに誇りを抱いてい

ます。

 

源氏物語、末摘花

数日前ラジオで醜女の代表末摘花の解説を聞きました。私は高校生の時光源氏のplayboyぶりに反発を

覚え源氏物語には複雑な思いを抱きました。面食いの光源氏はブスの代表末摘花を疎かにして足が遠の

いたため、末摘花の屋敷は荒れ果て、食べ物にも困る状態でした。偶々光源氏が末摘花を再訪してその

窮状を見、激しく後悔して行動を改めました。

 

妻問婚

上の事柄は古代の妻問婚から後代の嫁取婚への時代的変化の過程を示しています。家の権力が女から男

に移って行く過程です。農業の発生によって原始から文明への時代変化で最初に出た家族形態が妻問婚

です。それは財産が母から娘に受け継がれる母系制です。男は生まれた家で昼間は働き、夜は妻の家に

通います。生まれた子供は母の家の子になります。男は女に飽きればただ通うのを止めればよろしい。

女は男に飽きれば男が来るのを禁止すればよろしい。私はこの家族形態は極めて自然で何となく懐かし

い思いを抱いています。それは多夫多妻制であり男女関係はきわめて自由です。他方では男は一番鶏が

啼くと自宅に帰らなくてはならない事が相愛の男女にはとてもつらかった様です。

 

原始女性は太陽であった

明治時代に女性解放運動を始めた平塚雷鳥が機関誌「青鞜」に載せた宣言文の題です。奈良時代にでき

た日本で最初の戸籍でも多くの戸主は女の名になっています。古事記の神話では八百万の神々の長「天

照大神」は女神です。私は中学校で習った古代史で初めて卑弥呼の名を聞いた時「さもありなむ」と納

得しました。高校で私達は古代の詩歌を約四千首も集めている万葉集を学びました。その防人の歌の中

で「母刀自」という言葉を習いました。これは一家の長としての母に対する親しみと尊敬のこもった最

高の敬称です。

 

妻問い婚の痕跡

は現在も残っています。私達は父の実家を「とじゅ」と呼んでいました。おそらくそれは「刀自ゆ家」

の意味だと思います。余談ですが私は高校で古文を習った時私達の方言は基本的に古文であると気が付

きました。例えば他家を訪問して言う「みやげんそう」は「参りあげそうろう」です。「「惜しい」は「あ

たらし」、「私の本」は「おいが本」です。

 

私は子供の頃村の「にせどん」(若者達)が「よばなし」に行こうなどと話していたのを覚えています。「よ

ばなし」とは「夜這い」です。現に私の祖母は夜這いでできた子を実家に残して別の家に嫁ぎ、私の母

を産みました。両家は親類として子供は兄弟のように行き来していたようです。

 

鹿児島おはら節

月のちょいと出を夜明けと思うて

ぬしを返しておはらはー 気にかかる

 

これは妻問い婚の痕跡ですね。何が気にかかったのでしょうか。おそらく愛する男が他の女の所に行っ

たのではないかと心配したのでしょう。

 

家族の束縛

私は子供の頃本家がとっていた農家向け雑誌「家の光」をよく読みました。そこで身の上相談で多かっ

たのが嫁姑関係、家督相続、親類付き合いなど家族に関する相談でした。自民党が日本国憲法に書き込

もうと運動している家族主義の弊害を私は子供ながらに痛感しました。

 

経済の高度成長と共に古い家族形態が崩れ核家族が急速に普及したのもうなづけます。それにより実お

よび義理の父母の束縛を脱する事は一つの開放でしたが、核家族の中で親の子に対する束縛は却って

強まったのではないでしょうか。閉ざされた家庭の中で夫と妻がする主導権争いが家庭内不和、児童虐

待、離婚の増加につながっているのでしょう。医者の家が子供に医者になる事を強制してそれに応えら

れない子供が遂にぐれてしまった例も聞いています。

核家族化によって現代人は一面では自由になりましたが、他面において返って窮屈になりました。子供

は祖父母との接触が薄れ、両親の支配が強まりました。長い人生経験を持つ老人の知恵が活かされず、

若輩の親が子育てに迷う事も多いと感じます。また現代人は定型的な恋愛の呪縛に縛られて男女関係が

とても窮屈ではないでしょうか。離婚をバツイチというのもその表れでしょう。江戸時代には離婚、再

婚は自然な事でした。三代将軍徳川家光を産んだお江の方は三度目の結婚で父秀忠に輿入れしました。

夫婦が分かれる時は結婚する時各自が持っていたものをそれぞれ持って別れました。現在は財産分割を

巡って泥沼のような争いに巻き込まれる事が多いですね。うかつに結婚できない気がします。LGBT

題がやかましいのもその結婚の窮屈さのせいでしょう。

 

あるべき家族の姿

以前に書いた愚作を再度述べて皆様のご批判に供します。

 

  家族

人は結婚により 

新たな家を創造す

結婚は新たな自由と

責任を生ず

おのが事は自ら行い

家の事は共に行うべし

子ができたらば

共に育てて子のことは

その子のために行うべし

家は家のためにはあらず

人のためにあるなり

 

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

+ 市吉

+ 二十一世紀を楽しく生きよう会

+ HP ;   http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++