イスラエルは民主国か 宗教と科学について

 

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2024/01/06 17:19

 

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二十一世紀を楽しく生きよう会のHPを少し整理しました。

 

イスラエルは民主国か

と題する小文(英文)HPに載せました。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/Is%20Israel%20a%20Democracy.htm

 

私がこれを書いたのは勿論この疑問を深刻に感じているからです。

 

(1)  国連のイスラエル代表が旧約聖書を振りかざしてパレスチナはイスラエルのものだと主張している

のを見ました。このような馬鹿者がイスラエル政府の知的水準を本当に反映しているのでしょうか。

 

(2)Yahoo.Japanの記事で読んたのですが、我々がBBC Worldその他のTVで見ているイスラエルの爆

撃により、毎日100人もの人が殺戮されているその惨状を伝える映像はイスラエル国内では殆ど放送さ

れていない。

それは政府による報道規制のためなのか、報道機関のレベルが低すぎるのか、何れにしろイスラエルの

民主主義の状態に深刻な疑念を抱かざるを得ません。

 

ユダヤ人とは何か、それはユタや教を信ずる者である。イスラムとは何か、それはイスラム教を信ずる

者である。ユダヤ教とイスラム教は典型的な一神教である。論理的には両者は同一である筈であるが、

両者は不倶戴天の敵である。そこから導かれる結論は両者とも虚偽であろう。

 

今のイスラエル政府は宗教政党が入っておりその主張は上記国連の馬鹿者に現されている。即ちナイル

川からヨルダン川までの土地、即ちパレスチナはエホバがユダヤ民族に与えた約束の地カナーンである。

何と馬鹿馬鹿しい主張ではないでしょうか。この地は遥か昔からパレスチナと呼ばれ、イスラエル人は

三千年前にシナイ砂漠から出て、チグリス・ユーフラテス川の古代都市ウルに移動したが、そこに定住

を許されず、川を遡って現在のシリア南部を経て、地中海沿いに南下してパレスチナに入って来たもの

です。旧約聖書自身が彼らは何処に行っても余所者であったと明らかにしています。

 

彼らを何処に行っても余所者にしたのはユダヤ教だと思います。自分達は全能の神エホバに選ばれたと

いう選民思想は内に団結を外に敵対感情を産むのは当然だと思います。普通人間は三代も経てば移住先

に完全に同化するものなのにユダヤ人だけが三千年もその名を冠する集団を継続したのは一重にユダヤ

教のおかげでしょう。そして今毎日多数の人が殺され、負傷しているその主因もユダヤ教にあると思う

のでここで宗教というものについて考えて見ます。

 

先ず

(1) 文字に書かれたものはすべて人が書いたものである。

(2) 人が書いたものは所詮人以上のものではない。

(3) 宗教の誤謬は人が書いたものを神聖視する事にある。

(4) さらにその特定の「教え」を人に強要する殊にある。

 

科学について

科学とは何か

文字通りに解釈すると科学とは特定の対象を専門的に研究する学問である。人は特定の分野の専門家に

なる以外に研究を究める事はできない。従ってある科学の下には更に分科を生じ科学は常に細分化しつ

つ全体として進歩して行く。全知全能の神などは科学には無縁である。

 

原始時代には科学と宗教は殆ど一つであった。農業の始まりと共に私有財産が生まれ土地を巡る村と村

との争いを通じて戦争の勝者が敗者を支配する事から権力が生じ、それは遂に国家の成立に行きついた。

その過程において宗教は勝者の支配を合理化するように進化した。古代国家は何れも宗教国家であった。

日本では政治とはまさに「まつりごと」であった。

 

何処に行っても余所者の弱小ユダヤ民族はそれに反比例して全知全能の神なる概念を生じ内なる結束を

図ったものでしょう。

 

哲学と科学

Isac Newtonの書は「自然哲学にける数学的原理」です。科学は本来哲学と呼ばれていました。哲学、

Philosophyとは「知を愛す」という意味です。自然哲学は現在では自然科学であり、哲学の範囲は殆ど

空です。科学は絶えず細分化され独立していくので哲学に残されたものはますます空になる。

 

しかし私は範囲を定めないところに哲学の神髄があると思います。従ってイワンのバカのように兄達に

こき使われるような一見無知な人間が生活と信条によって返って偉大な哲学者であり得ると思います。

 

方法論の違い

宗教    ; 権威を疑うな。余計な研究をせず、ただ教えを信じよ。それが法である。

科学と哲学 ; 権威を疑え、広く学び、深く考え、仮説を立て、実験をせよ。証明されたものが法である。

 

どちらの方法が真理、真実に到るものか明らかではないでしょうか。

 

旧約聖書の創世記は単に同語反復にすぎませんが、現代の天文学や宇宙論が明らかにしている宇宙は如

何なる宗教にも増して神秘に満ち満ちています。

 

科学と哲学の最大の功績はその方法論にあると思います。それを正しく理解するには科学史の学習が必

要です。今の学校教育では科学と哲学の結論だけを教え、その発達過程はほとんど教えられていません。

従って知識が中途半端で無味乾燥なのだと思います。

 

科学と哲学により独断的な宗教や主張の誤謬を正し、万人に正しい道を探究する事が重要ではないでし

ょうか。

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+ 市吉

+ 二十一世紀を楽しく生きよう会

+ HP ;   http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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