人生死生 

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2022/05/15 13:33

 

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先週は色々な事がありました。

 

葬式

私と同年の義弟の葬式に関西に行きました。享年75歳。死因は肺の病気です。現役時代に屋根職人をし

ていたので石綿を吸い込み肺硬化症になったのかも知れません。糖尿病を患っていたのも死期を早めた

のでしょう。

 

一人暮らしの義兄

序に当年88歳になる義兄を訪ねて一泊しました。こちらは今までに大腸癌の手術、間質性肺炎を患いま

したが比較的元気でまだ車を運転しています。自宅は車が無くては生活に不便な所ですが、山の下に降

りると電車が通り、大阪まで小一時間で行けます。私から見れば交通の便も良く自然も豊かな一大住宅

団地です。市営の体育館やテニスコート、露天風呂のついた浴場もあります。朝すぐ下の広い運動場に

降りて地域の住民に交じって私達もラジオ体操を行いました。義兄が借りている小さな畑まで散歩し、

そこでとれたイチゴを朝食に頂きました。

 

四方面会

昨日土曜日に私の同郷人会が上野でありました。私の参加は十年ぶりです。都営新宿線の小川町から足

車で中央通りを会場の上野まで駆けました。中央通りは人出が多かったのですが約1.5km10分で着

きました。数年ぶりの故郷会にて思いきり都城山田弁で語りました。

 

神田古書店街

帰途足車で靖国通りまで降りて小川町から神保町までゆっくり古書店をのぞきました。古本屋に来ると

昔の友達に会うような事がよくあります。今回も大学で指導を受けた先生の著書を見つけて買いました。

もう他界されて数十年も経つのにその書物を開くとお声が聞こえるように感じられます。

 

沖縄復帰50

1972515日に沖縄は日本に復帰しました。1966年に私が大学に入った時学生寮で同室の男が沖縄

出身でした。彼は物価を判断するのにいちいちドルに換算していました。1969年に私が米国留学した一

年間に共に過ごした仲間の一人は沖縄出身で米軍の奨学資金で留学しており彼はちゃんと4年間で大学

を卒業しました。私が就職したのは19734月であり沖縄復帰の翌年です。私達が1977年に新婚旅行

に出かけたのも沖縄でした。私が会社を定年退職する直前の2005年の頃は離島向け衛星通信計画で伊江

島にも何回か行きました。定年退職後は学会の研究会で遠く西表島にも行きました。その際先の級友に

も再会し石垣島を案内してもらいました。

 

沖縄は米軍基地の負担が大きな問題として残っています。ウクライナの戦況を見ると現在の戦争はミサ

イルによる正確な遠距離攻撃と宇宙からの監視が鍵になっています。堂々たる金食い虫の戦車や戦艦、

飛行機は時代遅れになりつつあります。特に日本は四方を海に囲まれており、宇宙からの監視、遠距離

RADAR及びミサイルが有効であり規模及び面積としての基地は縮小が可能ではないでしょうか。また

人員も騒音も少なくて済み基地負担も減らせると思います。

 

人生

人が生きるとはどんな事でしょうか。「ひと」とは一つであり単数を表すと共に「人の事にかまうな」と

いうように他人を表す事もあります。即ち日本語の「ひと」とは個人と同時に他人すなわち人全体を表

す集合名詞でもあるとも言えるでしょう。私は日本語の人間(にんげん)と英語のhuman beingに興味を

覚えます。漢詩を習った時に人間を「じんかん」と読み、文字通り人の住む所、村という意味だと知り

ました。同じ漢字を使っても日本語と中国語では概念がまるで違います。英語のhuman beingも名詞と

しては二語から成る特殊な形をしているのに感じ入ります。manといえば男に限定され、personと言え

ば個人に限定されます。homoと言えば別の意味に誤解が生じます。

 

日本語の「ひと」は個人を表すと同時に人全体をも表すものです。日本の江戸時代の士農工商の身分制

度は世界的にも典型的な封建制度でしたが日本語からみると日本人は本来平等感が強い筈だと思います。

 人は一たり 世の一人なり 一人一人の 人は等し

 

孤独

先述の義兄の一人暮らしは私にも参考になります。遅かれ早かれ人は一人暮らしになりますから。個で

あるとともに全でもある人にとって孤独は苦ではないでしょうか。昨日は故郷弁で私達は大いに語りま

したが、東京で孤軍奮闘していた頃の石川啄木の次の詩に彼の孤独がよく表れていると思います。

  ふるさとの なまりなつかし 停車場の 人混みの中に そを聞きに行く

 

死生

人生の意味は死によって生ずるのではないでしょうか。仮に死が無いとしたら生も無いと思います。

生物の体内では無数の細胞が生まれ、死んでいます。生とは死の再生なり。

 

  死は生の 終わりにはあらず 

  死は生の 始まりにあり

  死せざるものは 生まれざるなり

  死を悲しみて 生を喜ぶべし

 

  死は生の 前にはあらず

  死は生の 後ろにぞある

  前に進まば 常しえに生きむ

 

  いつか死ぬ 身にはあれども 

  いつ死ぬか 誰も知らざる死を恐れ 

生を損なうことなかれ

 

  限りある いのちの重みは 限りなし

  いのちの限り よく生きるべし

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+ 市吉 修 

+ 二十一世紀を楽しく生きよう会

+ HP ;   http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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