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送信日時:             2018819日日曜日 15:28

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件名:      本当に世界を変えるには

 

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働き、生涯豊かに生きられる世界」を提案し研究する会です。研究しながら理想の二十一世紀世界を実

現しましょう。

 

各種の評価順位

女性の地位とか大学の評価とか生産性とかで日本の国際的地位が下落の一途を辿っていると警鐘を鳴ら

す有識者が数多くいます。

 

昨日は日本では女性の国会議員の比率が世界でも最下位クラスにあるとかで、男女議員枠の割り当て制

を主張する案の紹介や米国から来た女性活動家が女が政治に入る方法を伝授する研修会の様子をテレビ

で見ました。その研修に参加した一人は単身で子育てをしている若い母で、我が子が塾に行けないので

勉強に不利だと嘆くのを聞いて社会を変えなければならないと思い参加したと語っていました。

 

他方東京医科大学は女子の入学者数を減らすために何と入学試験の成績の採点で女子の点数を一定の比

率で減点する不正が十年来行われた事が発覚しました。

 

皆様、以上のような方法は本当に世の中のためになるでしょうか。

 

私には上の例はトルストイ民話「イワンの馬鹿」の国で失敗して滅びた大悪魔がこの世では大成功して

いる事を示していると思います。大悪魔の説とは「如何にして働かないで楽に暮らすか」を説くもので

した。働かないで暮らせるわけがありませんので言葉を代えれば「如何にして他人を自分のために働か

せるか、世の中で人の上に立つか」という事でしょう。簡単に言えば出世競争、権力闘争ですね。

 

私は以上の風潮は根本的に間違っていると思います。

まず塾に行けない子が成績で不利になるとは本当でしょうか。以前紹介した「乞食の子」頼東進は塾

どころか毎日学校から帰ると盲目の父の手を引いて乞食に行かなくてはならないので学習時間も環境

もありませんでしたが小学校から中学卒業までずっと主席を通しました。それは彼が片時も教科書を

放さず、地面をノート代わりにして勉学したからです。

 

私が独身時代に時々夕食を食べに行った横浜菊名駅の裏にあった店は戦後外地から引き揚げてきて女手

一つで子供5人を育てたおばさんが一人でやっている店でした。生活に追われて子供の世話をする余裕

も無かったと思いますが母親の苦労を見て子供達は銘々勉学して皆東大に行きました。当時長男は米国

においてある大会社の社長を務めていました。

 

私は学校の他に子供が塾に行くと聞くと「一体何時読書をするのか」と疑問に思います。文明、文化何

れも「文」が付いています。大脳の中の大きな部分を言語中枢が占めている事からも分かるように生物

としての人の本質は言語にありますが、その上に築かれる人間の文明や文化の本質は文、即ち文字の使

用にあります。ある未開人が手紙の読まれるのを見て「ものをいう紙」と叫んだのは真実そのように見

えたのでしょう。(The Last Algonquian)

https://www.amazon.com/Last-Algonquin-Theodore-Kazimiroff/dp/0802775179

 

私も幼時初めてラジオを聞いた時には小さな箱の中に居る小人の姿がありありと想像されました。

 

女性の政治参加が議題になっているのを見て、森まゆみ著、明治快女伝 (労働旬報社)を再読しました。

明治時代は平民の国政参政権もない純然たる階級社会でしたが、女性の地位はとりわけ低くて「女、三

界に家なし」、「幼時は親に、嫁しては夫に、老いては子に従う」とか言われ、「嫁して三年、子無きは去

る」などと当時の家制度のもとではまともに人間扱いされていませんでした。林芙美子の「放浪記」を

読むと、どこに行っても女給ゃ女中しか女の務め口が無かった時代が如何に女にとって生きるのが難し

かったかを痛感させられます。

 

そのなかで「青鞜」を起こして女性解放の狼煙をあげた平塚らいてうと同志、それに寄稿した与謝野晶

子他の婦人達、後に青鞜社を受け継いで運動を担った伊藤野枝他の婦人達は世間の誤解、中傷ばかりで

なく、生活のため、子育てのために身を削る戦いの人生を生きました。女性のための教育、廃娼、母性

保護、人権のための闘争、労働運動などに多くの婦人が人生を捧げました。我々の世代も国会議員とし

て知っている市川房江、山川菊栄、神近市子等の他に世間に知られずとも社会の発展に尽くした婦人の

活動は到底ここでは述べられません。ただ真に世を変えるためには如何なる努力が要るのかを知るには

この本の一読をお勧めします。

 

他方東京医科大こそ入学試験の成績に細工するなどと卑怯な事をやらずに医学部の定員に最初から男女

枠を決めて公開しておくべきであったのではないでしょうか。

 

先人の努力に比べれば現在の私達は考えが甘い気がします。「過労死」が国際語になる等は国の恥だと思

います。オーストラリアでは五時過ぎには職場に誰も残っていません。英米も同様でした。不当な処遇

に対して昔は「懐に辞表を偲ばせて出勤する」とか、「上司に辞表を叩き付ける」とか言った気概があっ

たと感じます。

 

イワンの馬鹿の国の住民は「如何にして他人を自分のために働かせるか」ではなく「如何にして自分が

働いて家族を養い、働けない他人を助けるか」を考える人達です。その国の規則は「手に豆のある人は

先に食卓につけるが、無い人は残り物を与えられる」という事でした。バカのように働く、実はこれ

こそ各々の道で真の実力をつける道に他なりません。ある一流のピアニストが言っていましたが

「一日練習を休むと自分に分かる、二日休むと音楽家仲間に分かる、三日休むと聴衆に分かる」そう

です。

 

政治で世の中を変えるにはいきなり選挙に打って出るよりもまず身近な所から始めれば良いのではない

でしょうか。現に子供食堂、学習教室、夜間学校設置運動、地域の環境整備活動、PTA活動などに尽力

されている人は世に少なくありません。それらを具体的に進めて行く上で政治的な問題に行き当れば

初めて政治の舞台への登場が課題となり背中を押してくれる支援者も現れるでしょう。

 

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+      市吉 修 

+     二十一世紀を楽しく生きよう会

+     HP ;   http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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