あの世の冥福はこの世の幸福にあり
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2024/05/12 13:31
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世界の平和と繁栄のために
意を発し、想いを語りて世に現しませう。
先週は義兄の葬式でしたが今週は義弟の三回忌
でまた関西に行って来ました。何年ぶりかで妹達とその子達、四国から来た義弟の弟夫妻と再会しまし
た。皆元気ですが、現役世代の子等のメタボぶりが少々気にかかりました。
葬儀や法事の意味
もう10年近くなりますが、私の両親の葬儀には宮崎まで関東や関西からも親類が集まってくれました。
都城の親類も多勢来てくれ、随分久しぶりに皆さんと再会しました。その時葬儀の一つの意味は死者の
ためばかりでなく生者のためにもあるのだと感じました。即ち親類縁者が集まる数少ない機会です。
万葉集
の挽歌の巻に有馬皇子の歌があります。
有馬皇子、自ら痛みて松枝を結ぶ歌二首
岩代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば またかへり来む
家にあれば けに盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
これに続いて後年その松を見て有馬皇子を偲んで謳われた歌が三首載せられています。
実は上の事は昨日NHK教育ラジオで聞いた事です。解説者が強調されたのは死者に対する供養は生き
ている人が死者の事を語る事だという事でした。
有馬皇子の歌を高校で習った時に私は感銘を受けました。更に次の歌を覚えています。
ももつたふ 磐余の池に なく鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
おそらくこれは皇子が処刑される直前に造られたものでしょう。歌から分かるように私は有馬皇子は極
めて優秀な人だったと思います。しかしそれがために警戒されて若くして政敵の謀略にかかり処刑され
ました。
しかし万葉集を通じて千年後の私達が有馬皇子の事を偲んでいます。このように時を越えて人が再び見
える事、それこそ世の中の進歩の根源ではないでしょうか。
あいとぶらい
愛する者を 失いし人が
絶望と悲嘆を 越え行く道は
世にある人の 間にぞある
人は世を越え 共に生きるなり
死者に対する 最大の供養は
生者がいのちを 全うする事
あの世の冥福は この世の幸福にあり
人は相訪らひて 共に生きるなり
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+ 市吉 修
+ 二十一世紀を楽しく生きよう会
+ HP ; http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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