差出人: OsI
[osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2014年10月5日日曜日 19:46
宛先:
件名: 消費税を含む国民経済のモデルと経済成長のしくみ
転送歓迎
配信無用の方はお手数ですが返信願います。本MLは会員の紹介により加入する会員の自主研究会です。返信または全員へ返信により意見交換をお願いします。二十一世紀世界研究会とは「人が全国どこでも働き、生涯豊かに生きられる世界」を提案し研究する会です。研究しながら理想の二十一世紀世界を実現しましょう。
消費税を含む国民経済のモデル
消費税を含む交換経済のモデルを検討しました。ご興味があれば下記URLをご覧下さい。
消費税とは何か
消費税は間接税と呼ばれますが、交換経済の隅々から直接税を徴収するものなので真の意味の直接税と呼ぶべきものだと思います。消費税が無ければ労働者の賃金と事業者の利得、即ち国民所得になるものの一部が強制的に国庫に徴収されます。国民経済全体でその額はγ(S-R)となります。此処でγは消費税率、Sは国内総生産、Rは原料費及び総輸入費です。
消費税は本来の国民所得の一部を直接国庫に移したものですので、全額国民のために使われなくてはなりません。政府は全額社会福祉に使われると言っていますが、国民は確り監視する必要があります。
交換経済の成長力の源
交換経済の原動力は消費だと思います。売れる物を作ることが企業活動の原則です。消費とおおにして混同される浪費との違いは何でしょうか。消費は費消された物やお金、時間に匹敵する成果が残るのに対して浪費は何も残らないものです。ここで成果とは知識や経験、健康、人間交流であり次段の生産の源泉となるものです。何より楽しく生きる事ですね。
交換経済を回転させるものは需要であり、需要を満たすための生産ですが、その過程で加えられる創意工夫による生産性の向上が経済成長の一つの源です。もう一つの源は新産業の創造です。蒸気機関の発明による鉄道事業、内燃機関の発明による自動車産業、発明王エジソンに典型的に見られる諸発明による電気産業などは社会に根本的な成長をもたらしました。物質だ
けでなく、金融、郵便、保険、消費者ローン、健康保険、年金など無数の発明によって便利な現代社会が形成されて来ました。また政治においても、原始民主性、古代の氏族制、国の発生以後の氏姓制度、大化の改新による天皇中心の律令政治とその崩壊に続く藤原摂関政治、その腐敗に対して地方から勃興した武士による幕府政治、戦国時代を経て中世から近世への社会変換を達成した、織田、豊臣、徳川政権、長い鎖国の中の太平の眠りを覚ました黒船来航にたたき起こされて一挙に近代化の波をかぶった明治維新、遅ればせに参加した帝国主義世界の中で自国の力を遥かに越える帝国主義的膨張の結果、自国および他国の民を破滅させた第二次世界大戦、そしてその痛切な反省の上に成立した今日の平和民主国日本への変換は同時に社会の成長でもあったと思います。
このように考えると社会成長の源は社会の問題の発見と研究、その解決手段の提供に他なりません。IBMの初代社長のThomas Watsonのofficeには"think"という文字が掲げられていました。また宮崎県の偉人、岩切章太郎氏は「心配するな、工夫せよ」と言われていましたがまさに至言ですね。果てし無く膨大な人間社会の発展の源はいとも小さき一人一人の人間の思考にあり。
ここで一言注意。人間社会は歴史を通じて奇跡的な成長を遂げて来ましたが、その過程では戦争に端的に示される悲劇や過ちを無数に繰り返しています。それは即ち人間の思考の本質的な限界を示していると思います。
思考の限界
知らざる事は考えられず
一事を思わば余事は考えられず
考えるとは考えざることなり
思考の限界を知りて考えるべし
社会福祉は社会の負担か
経済学者の中には社会福祉は社会の負担と断じて、年金、医療費の減額を主張する人がいますが、その主張は正しいでしょうか。私には交換経済を知らないものの主張だと感じられます。勤労者Aが高齢者Bを養う、それだけ切り出せば確かに一方的な負担ですが、現実の交換経済の中では需要が経済を動かすのですから、社会福祉の充実は需要増を介した好景気として勤労者の所得増加になるわけです。よく金は天下の回り物と言いますが、実はそれと同時に知恵も回っているのです。そして知恵は回る毎に増えて行く事ができます。知恵が増えて行く事が経済及び社会の成長の源です。今日の若者は未来の老人です。老人が最後まで人生を楽しむ事が社会を明るくし、現役世代が将来に希望を持って働き、必要な経費を惜しまず学ぶための需要を通じて経済社会の成長を実現する原動力です。更に子供は未来の青年であり、社会全体で育てるものだと思います。このように考えてくると年金生活者は働かずにお金をもらう事に後ろめたさを感じる必要はありません。むしろ人生を楽しんでいない、あるいは長い人生で培った折角の知恵を社会のために活かしていないとしたらそれこそ後ろめたく感じるべきではないでしょうか。
幸福社会
子供が幸せな社会は幸せだ
誰でも初めは子供なのだから
青年が夢をもてる社会は幸せだ
夢は現実の始まりなのだから
中年が幸せな社会は幸せだ
社会を支える柱なのだから
老年が幸せな社会は幸せだ、
誰でもいつか老人になるのだから。
*************************************
* 市吉 修 Osamu Ichiyoshi
* 二十一世紀を楽しく生きよう会
* Human Network for Better 21 Century
**************************************