差出人: Osamu
Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2020年8月22日土曜日 12:34
宛先:
件名: 蛍の墓
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金田茉莉
さんから近著「かくされてきた戦争孤児」(講談社)が送られて来ました。私が戦争孤児問題に初めて接し
たのは15年前金田さんの著書「大東亜戦争と戦争孤児」を墨田の図書館で手に取った時でした。当時既
に後期高齢期に入っていた戦争孤児達が国に対して興した戦争孤児に対する国の無責任を問い謝罪と補
償を求める裁判は「雇用関係が無いのだから国に補償する義務は無い」という最高裁の判決により敗訴
に終わりました。この運動を半世紀にわたって推進した杉山千佐子さんはこの間に103歳で亡くなりま
した。杉山さんは空襲のために片目を失った方です。さぞや無念だった事でしょう。
国が起こした戦争の最大の被害者である戦争孤児に対する日本国の無責任の歴史は永遠の恥だと思いま
す。片や軍人恩給や戦死者の遺族に対する年金は累積60兆円を報いて来ました。しかもあの戦争に対す
る責任の重い者程手厚く、例えば将官級は年間一千万円だそうです。東条英機の遺族がA級戦犯の靖国
神社合祀に固執してきた理由もそこにあるのではないかと私は考えています。何故なら当の東条自身は
首相の座にある時に「戦場で戦死した者以外は靖国神社にまつるべからず」という通達を出しているの
ですから。私は政治家の小沢氏が「あの人達(A級戦犯)は戦争に行ったのではないから靖国神社に祭るべ
きではない、祭りたければ別に神社を造れば良い、現に東郷平八郎を祀る東郷神社などがあるではない
か」というのを聞いて納得した記憶があります。おそらく皇国史観では最悪の朝敵であろう平将門を祀
る将門神社は関東の各地にあります。徳川家康も死後は東照宮で関東の権現に祭られています。藤原氏
に左遷されて筑紫の地に果てた菅原道真も祟りを恐れた朝廷によって大宰府天神に祭り上げられました。
敵をも死後は神仏としてあがめる、これこそ日本の伝統であると思います。
民主主義の国となった筈の日本国の上述の欠陥の原因が私には長らく謎でした。一つには戦争孤児は自
ら声を上げる事はできないのでこの問題が隠れてしまった事でしょう。私でも15年前に金田さんの著書
に出会うまではこの問題に対する認識はありませんでしたから。
更に直接的な原因は日本国がこの問題を意図的に隠して来た事です。国は民間の戦争被害、死亡者、戦
争孤児についてはろくに調査もしていません。それどころか敗戦間際に多くの公文書の焼却が行われま
した。戦後いくつか行った調査もその内容を隠して来ました。戦災保障については戦死した軍人の遺族
年金に日本国は努力をしてきました。その人道的な筈の日本国が戦争の最大の被害者である戦争孤児に
対する責任を何故果たさなかったか、それは日本国の官僚は大日本帝国の官僚の大半がそのまま居座っ
た事が原因だと思います。戦犯追放されていた岸信介が政界に帰り咲いて日米安保条約を締結したよう
に戦前鬼畜米英を唱えていた軍国主義者が戦後は手の平を返すように親米一辺倒の民主主義者に変貌し
た例は日本国の性質をよく示していると思います。
日本遺族会は自民党の一大票田でありそこに手厚く報いたのは間接民主主義の当然の帰結だったのでし
ょう。惜しむらくは政治屋、官僚、裁判官に「国は弱者を保護するためにある」という哲学が欠け「強
者に従い、勝ち馬に乗る」処世術が蔓延している事ですね。
飢饉状態の戦争直後に戦争孤児を押し付けられた「親戚」にとって戦争孤児は厄介者以外の何物でもな
く、家の内外で差別、酷使、虐待されました。それどころか金田さんの場合もそうでしたが、中には戦
争孤児の財産を横取りした親戚もいます。戦争孤児に対する日本国の行動は日本人の人間性を疑わしめ
るものだと思います。
この問題はこれからも重大な意義を有していると思います。平和慣れした私達は私達が常に北朝鮮の核
兵器の脅威に晒されている事を忘れがちです。仮に北朝鮮が言う様、日本が火の海にされたらどうでし
ょうか。当然多くの戦争孤児が出る事でしょう。その時自衛官や国家公務員には国からの補償があるで
しょうが大半の民間人の戦争孤児はまた地獄に放棄される事にはならないでしょうか。現在の仕組みに
ついてご存知の方があれば教示願います。
戦争でなくとも、阪神大震災や東日本大震災で生じた孤児に対して日本社会はどのような支援をしてき
たのでしょうか。情報をお持ちの方があれば是非教示願います。
敗訴には終わりましたが戦争孤児達が起こした裁判によって司法における自然法学の欠如、官僚と政治
屋の視野狭窄、それを選挙する国民の民度、民主主義の未熟等の日本国の課題が明らかになりました。
戦争孤児の大半は既に鬼籍に入りましたが、戦争の記録は確と残されています。関心のある方は上述の
本等をご覧下さい。
火垂の墓
戦争孤児の問題で一般に最もよく知られているのは野坂昭如のこの作品でしょう。何年か前にアニメ映
画がTVで放送され、大きな反響がありました。これは野坂氏の体験ですが同様の例が数知れずあった事
は前述の金田さんの著書など見て頂ければよく分かると思います。
私はこの映画を見た感想を下記の愚作にまとめました。
かの丘に
眠る妹、痛ましや
幼き命、飢えに逝にけり
目印も
無き、小さな墓なりき
闇にホタルが乱れ舞ひにけり
空襲に
母も妹も失ひて
残されし兄も野たれ死にけり
空襲に
焼けにし街に日は落ちて
闇にホタルが乱れ舞ひにけり
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* 市吉 修 Osamu
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