差出人: OsI [osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp] 送信日時: 2017年7月2日日曜日 21:50 宛先: ' 件名: 毎年夏に思う事 転送歓迎 配信無用の方はお手数ですが返信願います。本MLは会員の紹介により加入する会員の自主研究会です。返信 または全員へ返信により意見交換をお願いします。二十一世紀世界研究会とは「人が全国どこでも働き、生涯豊か に生きられる世界」を提案し研究する会です。研究しながら理想の二十一世紀世界を実現しましょう。 毎年夏に思う事 それは先の戦争の事です。私の父は軍隊で良い思い出は一つも無いと言っていました。私は子供の時に「ひめ ゆりの塔」という映画を見て戦争の恐ろしさを体感しました。長じて歴史を学んで戦争の底知れぬ理不尽さとそも そもそんな事が起こり得る事に深い危機感を抱いています。 6/26東京新聞の投書 92歳の大石弘子さんが「悪夢蘇る「共謀剤」法成立」と題する投書で次のように書いておられます。 昭和20年の日記には日夜絶えぬ空襲、人々の死、戦災孤児らの餓死寸前の姿を記録している。国が敗れて初め て他の生き方があるのを知った。教育勅語、治安維持法から解き放たれ「戦は嫌だ」と言う事を許された。「死ぬ事」 のみ向き合っていた国民に「生きる」という開かれた世界、自分の命が戻った。「不戦」を口にできるまで、どれだけ の命が失われたか忘れないで下さい。 大貫健一郎、渡辺考著 “特攻隊振武寮、帰還兵は地獄を見た” 講談社 戦争の狂気の典型例に「特攻」があります。大貫さんは戦争末期の操縦士不足対策として設けられた学徒兵操縦 士促成コースの「特操」から集められた特攻要員として短期の訓練を受けた上で昭和20年4月5日、鹿児島県の 知覧基地をたった3機で飛び立ち、予定により一旦喜界島に寄り、その翌日沖縄に向かって飛び立ったのですが 米機の待ち伏せに合い仲間は撃墜され、大貫少尉は徳之島に降り立ったところで米機の攻撃で愛機は炎上してし まいました。 徳之島と喜界が島で飢餓線上をさ迷った上で命令により幸運にも本土に帰れましたがその場所は知覧ではなく 福岡でした。外界との接触を禁じられ押し込められたのが書名にある振武寮でした。ここには大貫さんと同様に 特攻に失敗して戻って来た人が多くいましたが、外部との接触を禁じられ、日夜虐待されました。「貴様ら、何故戻 って来たか、臆病者めが」というわけです。既に新聞には「見事敵艦に突入して撃沈した」として「軍神」に祭り上げ られ、家族にも「戦死公報」が届いていたので、特攻の生き残りは軍にとって邪魔者だったのです! 結局内地防衛 の特攻要員として「今度は必ず死ね」と三重県に移送され、米軍の上陸に備えていたところで8/15の終戦を迎えま した。 当時の日米の差 兵士を日本軍では兵隊と呼び、父によると「お前達の価値は一銭五厘だ」とよく言われたそうです。即ち赤紙の葉 書代です。肉弾三勇士や木島一等兵などの宣伝に見られる兵士の命の軽視は皇軍の非人間的な性格と根本的な 弱点でした。戦争初期に華々しい戦果を上げたゼロ戦は操縦士の間ではマッチ箱と呼ばれたように装甲を薄くして 走行距離と操縦性能を上げた物であり、弾が当たるとぱっと火を噴く代物でした。米機の性能向上に伴い当然日本 軍の操縦士の損失が増え、操縦士不足が日本軍のアキレス腱になりました。米軍は撃墜された操縦士の生還を期 するに足る装備を支給し、また撃墜機に対しては必ず救出作戦を行ったので経験を積んで米軍の操縦士の技量 は向上したのに対し、日本軍は機器の不足以上に操縦士の数と技量が絶望的に低下しました。今思うと日米の差 はマカーサ元帥が「日本は15歳の少年」と評した事に対して私もぐうの音も出ない状態であったと言わざるを得ま せん。 今も大して変わらないのでは 特攻隊の生き残りは戦中は「軍神」と持ち上げられたのに逆比例して戦後は「特攻くずれ」と蔑まれました。また戦争 のために親を失った戦争孤児は「親族に引き取られた」としてその存在すら無視されました。大日本帝国が学校で 教えた「子共は天皇の赤子」はまさに真っ赤な嘘でしたね。他方日本国とアジア諸国に惨害をもたらした軍人には 軍人恩給として責任の重いもの程手厚く報いてきました。 私は日本国が自国の防衛を米国に頼っているのは上の戦争の反省が無いために日本国民が国のために尽くそう という心意気に乏しいためではないかと思います。特に戦争孤児を見殺しにした事は日本国の末代の恥であり、 この問題を疎かにしたら永遠に日本の自主防衛力が強くなる事はないでしょう。なぜなら戦争孤児はもう80歳以上 になりもう直ぐ誰も居なくなりますから。 超党派国会議員で今国会で成立を期すとしていた「戦争被害者支援法」は今回も成立しなかったのではないかと 落胆を禁じえません。 カンボジアの文民警察官派遣 1993年5月4日昼過ぎ、タイ国境に近いカンボジア北西部のバンテアイミアンチェイ州アンピル村で、同村に駐在 している国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の日本人文民警察官5人が、UNTACオランダ海兵隊部隊の 護衛を受け、文民警察専用車など車両6台の編成でパトロール巡回し国道691号を移動中に、身元不明の武装集団 に襲われ、1人が死亡、4人が負傷した。http://www.mekong.ne.jp/directory/society/takada.htm 文民警察官を丸腰で危険地帯に送るなどとは何たる無責任でしょうか。私は以前これをNHK特集で見た事があり ますが、通信機すら無かったそうです。私が専門の衛星通信では当時既に世界中どこでも使える衛星通信システ ムがあったのに任務に必要不可欠な装備も支給せずに日本人を危険な地に送り出した日本国政府には上述の特 攻作戦にも似た無責任体質を感じます。 戦争と社会的不公正の原因 直接的には政治屋の質の劣化でしょうが究極的には国民の民度の低さではないでしょうか。ヒトラーのナチス帝国 は「千年帝国」と宣伝しましたが15年ももちませんでした。大日本帝国は「万世一系の天皇これを統治す」と書かれ ましたが、日本国の歴史は高々1500年です。戦前皇紀2600年祭なるものが祝われ、我が故郷の宮崎にはそれに ちなんだ歴史的建造物が建てられました。私の母はまだ八紘台と呼んでいましたが、今の呼称は平和台である塔 もその一つです。両親の最後まで共に暮らした約一年半の間に私はよく自転車でそこに行きました。中国語をしゃ べる団体客もよく来ていましたが、この塔がその名にふさわしい世がそれこそ万世に続く事を切に願っています。 そもそも万世一系とは何でしょうか。今日の人類学によると文字どおり人類は全て兄弟です。先祖を辿れば誰でも 天皇家に行きつきます。同様に坂東に独立国を作ろうとした、つまり皇国史観から見たら逆賊の最たるものである平 将門も先祖を辿れば必ず共通の祖先に合流します。今日の遺伝学から見れば万世一系なるものは無意味ですが 、それが軍国主義の鼓吹に巨大な力を発揮した事は無知の深刻な危険を明確に示していると思います。 もう一つは自立心の欠如です。国家の権力の源泉は理不尽な命令でも実行する非人間的な権力機構ですがその 源は勤め人の出世主義と失業への恐怖ではないでしょうか。何れもその根源は自立心と自立のための知識の欠如 、人の自立を助ける社会的機構の不備だと思います。 平和な世界を支える力 上述の事から先ず正しい知識が必要です。現在の国家が発生したのはほんの最近の事です。中東、アフリカの大 半の国は建国後まだ高々70年です。米国も1776年の独立宣言からまだせいぜい250年です。日本は聖徳太子 の頃国号を日本と定めたのはほんの千年あまり前の事です。権力者はまるで宇宙開闢以来の国のように印象づけ ますが、国家なるものが発生したのは人類史の上ではほんの最近の事でした。 人が人間に進化する「悠久の」間には当然社会の身分も無く人は自由に世界を生きました。悠久の時の流れから すれば極めて短期間に人間は故郷のアフリカを出てから南米大陸の南端、広大な太平洋の島々にも拡散しました。 福沢諭吉の学問のススメの冒頭には「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」とありますがその天は余計 なもので人は元来平等でした。私は以前日本語の人と一つ、等しいは同一語源であり日本文化の根源には人間の 平等観があると説いた事がありますが、實は英語ではOne (someone, anyone, everyone),フランス語ではOn, スペ イン語ではUnoが全く同じ発想で用いられているのを発見しました。人間の自由と平等思想は各国の言葉にもある ように人間性の根幹を為すものだと思います。 前述の大貫さんの兵隊仲間には色々な人がいましたが、その中の二人、一人は大地主、他方は小作人の息子でし たが共に戦争に生き残れば小作制度を廃止して日本の農業を発展させようと夢を語り合っていたそうです。小作制 度は軍備拡張から大日本帝国が農民を食い物にした結果である事を以前報告しましたが、当時の志ある人々に は判っていたのだと思いました。小作制度が無ければ、あるいは小作料の上限を10%に制限すれば戦争は避けられ 、日本は戦後の「一億総中流」という繁栄を半世紀も前に迎える事ができたと思います。1925年の普通選挙法の 効果が出るのが遅すぎましたね。時に歴史の流れは際どい筋を流れますが、正しい道を歩むには国民の知識水準 が決定的な働きをします。 戦後の農地改革が円滑に遂行されたのはGHQの力だけでなく上述のように日本国内にその機が熟していたため だと思います。 今月半ばには両親の一周忌と中学の古希同窓会に出るため帰郷しますので、その時鹿児島の知覧を訪れる予定 です。 平和を守る事は全ての人間を守る事です。世界の現状を見てもそれは簡単な事ではないと痛感します。皆様のお 考えをお聞かせ下さい。 *********************************************** * 市吉 修 Osamu Ichiyoshi * 二十一世紀を楽しく生きよう会 * Human Network for Better 21 Century * http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/ ***********************************************