差出人:	Osamu Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
送信日時:	2019年3月2日土曜日 22:35
宛先:	
件名:	子供に学ぶ学問の本質

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孫達の急成長
保育園に行くせいか言葉の発達の急速なのには驚きます。まだ二歳二か月ですが、昨日は私が帰りに「また明日ね」
と言ったら「また遊ぼうね」という言葉が返って来ました。双子なのでとかく一つの物の取り合いになったりしますが、
そのような時にはよく「半分こ」とか「順番こ」とか言っています。勿論それらの言葉は保育園でその状況の下で覚え
ているのですが、既に言葉の深い構造の一端を掴んでいると思います。「半分こ」の「こ」とは鬼ごっこ、にらめっこ、
あいこ、だましっこ等の「こ」ではないでしょうか。意味は「もの」とか「こと」だと思います。東北弁では雪を「雪こ」、牛
を「べこ」とかのように下に「こ」をつけて表す例があり、物理学では原子、電子、陽子、中間子、素粒子など「子」を
つける名称が多々ありますがこれらは言語的には同根でしょう。なお私の郷里の都城では牛は「べぶ」です。南九州
と東北とは共通するものがあると感じます。例えばアケビを「とんぼ」と言います。確か蜘蛛を「こぶ」と呼ぶのも共通
していた気がします。
孫達の言葉の急成長の原因は言葉を生活の中で実地に学んでいる事です。今では医者とも例えば「痛くない」など
と言葉で意志疎通ができるようになりました。孫達は「これ何」と聞く事も覚えましたのでこれから増々言葉の成長は
加速していくだろうと思います。

ある不登校児の家庭教師
を始めました。週二回のアルバイトです。中学一年生ですが、学校からは毎日授業の配付品などが届けられており
、テストなども自宅でやっています。英語の教科書を見ると単語に仮名をふっていましたが、これでは全くものには
なりません。それは読ませてみれば直ちに分かります。

上述の孫達の急成長に比べると学校教育の歩みが遅々たるものになるのは何故でしょうか。それは学習が生活
から遊離している事によると思います。更にはおおにして学校教育の目的が大学受験に歪められているのが根本
的な過ちだと思います。これでは試験が終わると中身は直に忘れてしまいます。A.Einsteinは学校教育の成果とは
学校で習った事をすべて忘れた後にその人の中に残っているものだと言いました。受験に歪められた教育は試験
が終わると残るものは大してありません。

私はその生徒に英語の読み方を徹底的に指導しました。表音文字の英文は見たら直ちに発音できる事、逐語読み
は意味が無く、数語を見て意味の繋がりにより句が成り、句の繋がりに文が成る事を教えつつ、何度も練習させまし
た。まだ一月ですが、急速に効果が出ています。
私が生徒に教えている事は考えないと出てこない事は身についていない事です。英語は考えなくても書を目で見た
ら口がかってに動いて発音でき、日本語に訳さなくても意味が分かるところまで行かないと完全に習得したとは言え
ません。話す場合は言葉を考えなくても自然に口が動き、考えた事が言葉になってが出てくる状態に至って初めて
その言語を習得したという事が言えます。
前述のA.Einsteinの教育の成果とはこの段階まで完全習得した学問であるのでしょう。それは寝ても考えるくらい
の日々の努力で初めて習得できるものであり、試験前の一夜漬けでは決して身につかないものです。

何も英語に限らず数学もそうです。
(1)問題を読む
(2)式を立てる
(3)式を解く
(4)解を吟味する。
上の(1),(2),(4)の段階は考えますが(2)においては考えなくても手が勝手に動いて解が出るようにならなくては使い
物になりません。それが如何に神業に近いところまで到りうるものかは珠算の達人の計算力や全身麻痺に到っても
なお宇宙論や基礎物理学で偉大な業績を上げ、予想以上に長生きして昨年永眠したS.Hawkingの例が示してい
ます。
これは学問に限らず人間のあらゆる運動や芸道についても言えます。運動選手は試合においては考えなくても体
が勝手に動いて競技をしている筈です。頭で考えるのは作戦であり、それを体が自然に動いて実行しています。

習得した学の危険
そのようにして習得した学、言わば条件反射的学は実は危険なものです。日本の政治屋はとかく「日本の」と来れ
ば「勝れた技術」と続けたがりますが、これはおおにして中身が無いですね。学校で習った事も根本的に誤りであり
うる事は戦前の皇国史観が典型的な例です。天皇は現人神などと学校で真面目に教えていたのですから。皇国
史観は国民を戦争に駆り立てるのに絶大な効果を発揮しましたが、日本人の従順さの危険性を明確に示す好例で
す。トルストイ翻訳者の北御門二郎さんは良心的忌避を貫き、銃殺覚悟で出頭したら「精神病により兵役免除」の宣
告を受けました。他方戦車隊の少尉であった司馬遼太郎は後に戦中戦前を振り返って「集団発狂していたとしか思
えない」と語っています。時代が変わると正気と狂気も完全に入れ替わってしまいます。

学の危険を正すのは学問
学だけでは危険であり、その過ちを正し得るのは問、合わせて学問です。闘争を美化する者はその敵たる者もまた
同じ人間である事を無視しています。自分に不都合な事は不問に付す。出世や生活の為には他人ばかりでなく
自分をも欺くのが他の動物にない人間の特長です。人が動物や植物に接すると安心できるのはそのためでしょう。
自分の奥深い所に出る「問い」こそ真実と真理の探究の源であり、学問の基礎です。
私は高校で習った孔子の言葉に学問と人間性が簡潔に表現されているのを感じて思わず笑った記憶があります。

学問について;  学びて思わざれば即ち昏し。思いて学ばざれば即ち危し。
人間について;  君子は和して同せず、小人は同して和せず。

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    
* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    
* Human Network for Better 21 Century      
*  http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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