差出人:	Osamu Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
送信日時:	2019年3月16日土曜日 23:08
宛先:	
件名:	医の倫理の崩壊、類型思考の害

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東京都福生病院での死
福生病院に来た44歳の腎臓病の患者に外科医が治療しない選択肢を示しそれを選択した患者が一週間後に死
亡した事件が社会に衝撃を与えています。この病院では最近二十数人が同様に人工透析を放棄して死亡している
そうです。
毎日新聞電子版
公立福生病院の外科医や腎臓内科医との一問一答は次の通り。
 −−なぜ死ぬ選択肢を提示するのか。
外科医   腎不全に根治(完治)はない。根治ではない「生」に患者が苦痛を覚える例はある。本来、患者自身が
自分の生涯を決定する権利を持っているのに、透析導入について(患者の)同意を取らず、その道(透析)に進む
べきだというように(医療界が)動いている。無益で偏った延命措置が取られ…

皆様、上の意見についてどう思われますか。

私見
私はこの医者は医学の原理を忘れた似非医者だと思います。患者の意志を尊重するかの如く言いつつ、その実
患者を突き放していると思います。病人は誰でも病を苦にして精神的に弱くなっています。弱い患者を最後まで支
える事こそ医者の仕事なのにこの病院の方針はそれと反対の事を行っています。治療方針の決定に家族との相談
も無く、夫が駆け付けたらもう治療放棄が決まっていたそうです。この病院は「無益で偏った延命措置」を避けた積り
でしょうが人工透析を行えばまだ長く普通に生活できた筈の人の命を奪った事は殺人ではないでしょうか。
人工透析に国として一兆円を越える費用がかかっているとしてもそれは人工透析によって極めて多くの人々が週
二、三回の病院通いの苦労をしつつ、普通の生活をしているという恩恵を産み出しています。しかもその多くの
人々は労働や仕事、生活を通じてそのコストを遥かに越える社会貢献をしています。

前述のような意見を当病院の言うよう「医療者は誰でも知っている」としたら恐ろしい事です。実際は強制でありなが
ら形は自発的決定で残酷な事が行われる事は大日本帝国の特攻や更に古くは各地に伝説として残る「姥捨て」等
の歴史を思い起こさせます。軍人勅諭をもじって要領を旨とした大日本帝国軍人はTeen agerの若者を形は「志願」
として特攻に強制しました。現在でも「家族に迷惑をかけたくない」と言って自ら老人ホームに入る人々がおられま
すが、それは多くの場合家族により大きな悲しみをもたらしているのではないでしょうか。私は両親の最後まで共に
暮らした事が何にも勝る良き思い出と経験になっています。

上の似非医思想の過ちの源は類型的思考にあると思います。腎臓病に限らず何らかの不治の病にかかっている人
は世の中に極めて多くいます。実際一見健康でも何らかの病を持っていない人は存在しないと思います。アジア大
会で7個の金メダルを勝ち取り、健康そのものだった池江璃花子選手も今白血病と戦っているではありませんか。
薬物中毒、アルコール中毒、賭け事中毒に陥っている人、家庭内暴力、幼児虐待を行う人は体の病は無いとしても
果たして健康と言えるでしょうか。人は誰でも齢を重ねると心身の労苦が重なり、何らかの病に陥る事は避けられま
せん。不治の病に陥る可能性は誰にでもあります。その場合「無益で偏った延命措置」としての医療が受けられない
としたら一体そのような医学とは何なのでしょうか。医者が不治の病に陥っている患者に治療しない選択肢を示した
ら精神的に弱っている患者には強制に等しいものになると思います。また不治の病なるものも医学の進歩と共に変
わります。かっては不治の病であった結核は食生活が豊かになって殆ど姿を消し、日本の国民病であった胃癌は
冷蔵庫のおかげで減塩食の普及により激減しました。再生治療により腎臓病を含め現在不治とされる病気もやがて
克服される事でしょう。人が最後まで希望を持って生きられるようにとことん支える事こそ医学の存在意義ではない
でしょうか。

類型的思考は健康と病気を絶対的に分離します。前述の医者は自分もまた不治の病に陥る事は無いと思っている
のでしょう。他人の立場に立って考える事のできない人は私の定義では知性と人間性に欠ける人です。実用的に
は極めて有効な波動と粒子の概念ですが、その何れかに固執する限り物理の正しい理解に到る事はできません。
同じように自分と他人、病人と健康人を絶対的に分ける類型的思考はそれこそ不治の病に陥った思考法だと思い
ます。

以上をまとめて健康と病気についての私の考えを以下の愚作に示します。

  健康
病を抱えて元気に生きる
知恵ある人ぞ健康ならむ

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    
* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    
* Human Network for Better 21 Century      
*  http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/
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