死は生の終わりにはあらず

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2024/05/05 23:16

 

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世界の平和と繁栄のために

意を発し、想いを語りて世に現しませう。

 

最近知人と身内に立て続けに訃報が続きました。

先週金曜日関西の義兄の葬式に出ました。義兄は一人暮らしをしていましたが、連休で帰省した子によ

って自宅の浴槽で亡くなっているのが発見されました(4/29)。享年90歳。葬式に来られた友人の方の話

では推定死亡日(4/26)の前日には仲間とカラオケに行き、裕次郎の歌など歌ったそうです。司法解剖の所

見によると死因は溺死。実はこのような自宅のふろでの溺死がとても多いそうです。

 

訃報はいつも突然来ます。誠に一寸先は闇ですね。私は現在には一つ、未来には無数の世界があるので

時間は現在から未来に流れて行くのだと考えています。逆に過去に遡るほど、不確定な事が多くなり、

多数の可能性が想定されます。従って過去を知れば未来が分かる。孔子は言いました、温故知新。

 

私は毎朝仏壇に手を合わせ、あの世の冥福とこの世の幸福を祈っていますが、私の知人の大半が既にあ

の世に行ってしまっているのに毎度驚いています。

 

おら、おらで、しとり、えぐも

これは宮澤賢治の「永訣の朝」の中の一文です。妹のトシ子さんが病気で亡くなる朝の事を謳った詩で

すが、その意味は「私は、私一人で逝きます」。私の郷里の方言なら、おら、おいで、ひとい、いっじ。

 

実は家族に見守られて死ぬ事はそうは多くないのだと思います。私の母は私と一言話した後急に呼吸が

乱れだして息を引き取りましたが、父は明け方私が何時ものように全身按摩をかけてやると眠ったので、

私も一眠りして朝起きて父の所に行くともう息をしていませんでした。多くの場合、人は一人であの世

に旅立つ。時が到れば誰もそれを止める能わず。

 

死が無かりせば

人間に死が無いと仮定すれば、それはそれで苦しいものかもしれません。ちょっとした苦しみも永遠に

続くなら耐え難い大きさになるでしょう。死が無いならば何よりまず生物の進化は起り得ず、地球上に

は原始的な単細胞生物しかおらず、しかもそれが無限に増殖して地球に溢れ、有限な地球の資源を食ら

い尽くして結局絶滅に到ったでありましょう。

 

生と死は一つなり

地球上に現れた最初の生命は単細胞生物であり、細胞分裂によって増殖しました。一個の細胞が二個に

分裂する時、娘細胞の誕生は同時に母細胞の消滅です。

 

多細胞生物により個体の死が生じたり

多細胞生物は体細胞より構成されますが、多くの場合特別に生殖細胞を有し、生殖細胞により子孫を残

します。従って原生動物に比べて増殖の死は克服されたと言えますが、寿命が長すぎると前述のように

進化の速度が落ちますので、自然淘汰の法則により、適当に有限な寿命を有するものが進化してきたの

だと思います。

 

このように生と死は生命の両面であり、切り離す事はできません。

死と生について考え続ける事は人間である証かも知れませんね。

以下に私の死生観に関する愚作を紹介します。

 

   死生

死は生の終わりにはあらず

死は生の始まりにあり

死せざるものは生まれざるなり

死を悲しみて生を喜ぶべし

 

死は生の前にはあらず

死は生の後ろにぞある

前に進まば、常しえに生きむ

 

    生死

生まれる前は、何処にやある

何処にもあらず、何処にもある

命を受けてぞ、一個体となる

 

死して後は、何処にか逝く

何処にも行かず、何処にも行く

命を返して、無辺に帰るなり

 

生死の問題は永遠の課題です。

二十一世紀を楽しく生きよう会のHPの詩集の中に私の愚作が少々ありますのでよろしければご覧下さい。

大笑いして頂ければ幸いです。

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+ 市吉

+ 二十一世紀を楽しく生きよう会

+ HP ;   http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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