差出人: Osamu
Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2020年7月11日土曜日 23:51
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課題山積
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提案し研究する会です。研究しながら理想の二十一世紀世界を実現しましょう。
幼児放置死亡
今週は気が暗くなる報道が多かったのですが中でもこのニュースには暗澹たる思いがしました。東京
大田区にて一人で三歳の娘を育てていた24歳の女が娘を一人家に閉じ込めて鹿児島の男友達に会いに
行き、一週間留守にして娘を死亡させたものでした。娘の胃は空で激しい脱水を起こしていたそうです。
詳細は下記URLをご覧下さい。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200707/k10012501581000.html
この女は離婚後一人で娘を育てていたそうです。私達はその子と同じ三歳の双子の孫育て支援で札幌に
もう二年半余住んでいますので子育ての大変さはよく分ります。同時に子育ての喜びも十分受けている
のですがこの女にはそれが感じられなかったのでしょう。
上の記事によるとこの女は娘を溺愛していた時期があったそうです。実際幸せそうな写真をnetに掲載
していました。溺愛と虐待は表面上反対ですが根は一つですね。即ち自己本位で相手の人格を認めてい
ない。他人の立場に立って考える事ができない。即ち人の人たる知性が未発達なのだと思います。この
女に限らず離婚した男やその父母についても人間性を疑わざるを得ません。
更にその元を辿れば自民党的家族主義の日本社会に到ると思います。自民党は「社会の基礎は家族で
ある、家族は互いに助け合わなくてはならない」趣旨を憲法に書き込む運動を続けています。この一見
無邪気な思想の結末が今回のような児童虐待の原因だと確信しています。
私は日本国の基は日本国憲法の基礎にある個人主義だと考えています。日本国憲法は「我々日本国民は」
で始まっています。国民とは即ち個人の集まりです。これに対して家族主義とは古くは曽我、物部、
葛城、大伴等の古代の豪族そしてそれらに担ぎ上げられた天皇家に始まる政治形態であり、それは第二
次世界大戦の惨害によって根本的に歴史のゴミ箱に行った筈ですが自民党の思想はそれを一歩も脱する
事がなく、その党を政権につけている日本国民もまだ同じレベルにあるのだと思います。その表れは個
人主義という言葉が利己主義の意に解される事が多い実態にも出ています。
私の個人主義とは「社会の基礎は個人にある、人は人として尊重される。人は互いに助け合うべし」と
いうものです。私の信念は言わば「人道社会主義」ですね。人道社会主義に基づき以下の方策を提案し
ます。
地域親制度
(1) 妊娠の始まりと共に未来の母親を病院と地域が支える。「ご懐妊おめでとう」と自治会や民生委員等
の地域親が未来の両親を訪れてお祝いの品を与える。その一つは子供手帳でありそこには次の事が明
らかにされている。
(2) 子は社会の一員として尊重される。
(3) 親が子に対して有する親権は親が子育ての義務を果たす限りにおいて成立し、子育ての責任が果た
せない場合には消失する。
(4) 日本社会は両親の子育てを最後まで支援する。遠慮なく地域親に頼る事。
(5) 両親が親権を失う、即ち子育てを放棄する場合には日本社会が養親として子を成人するまで育て上
げる。実の親は個人的親権は放棄しても国民の一人として全体的な子育てに寄与する。
既に全国各地にある子供食堂などはそれを実践しています。それをもっと拡大して国や地方自治体の制
度としても確立したいと考えます。皆様のご意見をお聞かせ下さい。
少子高齢化社会
幼児虐待に現れる社会の病理が少子化の原因になっているのだと思います。上の人道社会主義が実践さ
れれば人が安心して子供を産み、育てる事ができ少子化傾向が反転する事が期待できます。
しかし人は子を産む権利はあっても、かって大日本帝国が戦争政策としてやったような子を産む事を強
制する事はできません。従って現在の少子化がずっと進むとしても成り立つ国造りが必要です。
生産年齢の拡大
私は定年を迎えた時に「まだまだ働けるのに残念だ」という気持ちと「このままの形では会社に残って
も仕方が無いな」という気持ちが混在していました。あれから10年経ち世の中も随分変わりました。
生産年齢18-60は半世紀前の制度であり今は18-70でも十分可能だと思います。その根拠は健康年齢が
伸びた事と産業の機械化、情報化、交通通信網の発展です。
私が会社でやったのは新たな通信装置やシステムの開発であり、装置の試験のためには工場に行かなく
ては全く仕事になりませんでしたが、今はその装置の大半はcomputer化され、開発の内容はPC上で
仕様作成から設計、製造、試験、運用説明書の作成まで実行可能です。産業のHardwareからSoftware
への構造変化によりTeleworkで大抵の事が可能になっています。人は「全国どこでも学び、働く」事に
加えて「年齢を問わず働く」事も可能になっています。従って生産年齢とは個人差はありまがFrom 18
until deathも可能だと思います。
私は両親の死に至るまで共に郷里の宮崎で暮らし、今は札幌で三歳の孫達のすぐ近くで暮らしています。
私の両親は死の瞬間まで精神は確かで話も通じましたし、今孫達は三歳にして既に会話によって何でも
学ぶ事ができます。正に三つ子の魂は死に至るまで健全です。親の死に至るまで共に暮らすのはこの上
ない「終活」であり孫達の世話をするのはこの上ない人間学の場です。多くの人がこの二つから逃げて
いるのは何とももったいない学びの機会喪失ですね。親の面倒を見なかった人は老いて行く自分の行く
末が不安であり、孫の世話から逃げた人は未来に対する確かな展望が見えにくいと思います。私は両方
とも十分見届けていますので確信を持って言えます。
人は成長する、生まれてから死ぬまで。
年をとると心身が衰えるのは世間の常識ですが、かなりの誤解があると思います。例えば夜何度もトイ
レに起きるとか、年寄は眠りが浅い等は年齢による不可避な現象だという常識は私の経験では誤解です
ね。それらの原因はずばり「昼間の活動不足」だと思います。
体の健康で大事なのは血の巡りであり、それには体操が有効です。また筋肉を鍛えるには運動するしか
ありません。心の健康で大切なのは知の巡りだと考えています。即ち学問ですね。それは教育とは異な
るものです。教育で大切なのは教え方ですが、学問で大切なのは学び方です。課題に対して「昼も夜も
考え、問い続ける事、解決に到るまで」が学問の方法であり、人は自分の居る所が即ち大学であり、世
界の中心だと思います。
新型コロナ
累積財政赤字
大水害
大震災
その他
課題山積ですね。
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