テロリストは人間ではないのか。

 

                                                                                                       市吉 修

2007/9/22 

 

二十一世紀は9.11のニューヨーク世界貿易センタービルと国防総省本部に対するテロで開けた。あれ以来6年間、米国を中心とした有志連合国がまずアルカイーダ殲滅を掲げてアフガニスタンを攻撃してタリバン政権を倒し、次に大量破壊兵器を口実にしてイラクのフセイン政権を倒した。この間ブッシュ米国大統領、ブレア英国首相、小泉日本国首相も異口同音に「テロとの戦い」と「国際連帯」を叫んで戦争を遂行してきた。その結果今日ではアフガニスタンもイラクも極端に治安が悪化し、米軍の「誤爆」で現地住民ばかりか時には連合軍兵士も死傷し、多くの連合国は撤退して国際連帯も緩んでいる。私が見るところでは両国とも先行きが全く不透明であるばかりか、一体何の為の戦争なのかそもそもの目的も分からなくなっている。

 

ブッシュ大統領は当初の大儀名分に掲げていたイラクの大量破壊兵器の可能性が小さくなると途中から「中東に民主主義を拡大」する事にスローガンを変えたが、それなら今なお王政のサウド家のアラビアやクウェートこそ真っ先に改革すべきであろう。先年パレスチナガザ地区で圧倒的多数で選挙されたハマスを「テロ組織だから交渉しない」などという政策は「中東の民主化」政策とは論理的に矛盾する。イラク、シリア、イランは形式的には国民の直接投票により選挙が行われる民主国である。実態はまだ民主主義と呼べる状態ではないかも知れないが民主主義の確立には西洋においても何世代もかかった大事業である事は大学で歴史を専攻したというブッシュ大統領に分からない事は無いはずだ。

 

過去7年間の米国は暗愚な大統領によって国内も海外も事態が遥かに悪化したと思う。まずタリバン政権を倒した後はアフガニスタンに集中すべきであった。強力な国軍を創設し、各地の軍閥を吸収し、全国通信、交通網を整備し、産業の振興に集中すべきであった。またタリバンの捕虜は迅速に裁判にかけて刑期を終えたら速やかに釈放したならばアフガニスタンに民主主義が根付いたことであろう。タリバンの捕虜は「テロリスト」であると規定してキューバのグァンタナモ米軍基地にまるでナチスの収容所も顔負けの非人道的な拘束を漫然と続けているのは捕虜だけでなくその家族の悲嘆と反米感情をいやが上にも高め、問題はますます悪化している。

イラクにおける致命的な失敗はフセイン政権陥落直後ブッシュ大統領がイラクに行ったが空港で二、三時間米軍兵士と食事をしただけで逃げるように帰ったことである。あの時バグダッドは米軍歓迎一色になっていたので仮にブッシュ大統領がバグダッドの町に出て現地の住民と握手したらイラク全土が開放感と未来に対する期待が高まり、歴史は今とはよほど異なる経路をたどったことであろう。またブッシュ大統領はイラクの戦後をマッカーサーによる日本占領に例えたが、日本占領においては米国は戦闘部隊は速やかに帰国させGHQは軍隊よりも民生の専門家主体で構成し、また大日本帝国の政治体制はそのまま残した間接統治を行ったのに対しイラクの戦後統治はフセイン政権の役人を全部追放した上で直接米軍による軍政を敷いた。ルーズベルト政権は日本との戦争に当たり日本専門家を掻き集めて一大日本研究を進め、日本語の特訓コースを設け、日系米人にも活躍の場を与えた。そこからD..キーン, R.ベネディクト、E.ライシャワー、E.G.サイデンステッカーその他の偉大な日本研究家が輩出したがBush政権の下ではアラビア文化の研究どころか米国のアラビア人をも差別し、弾圧する始末であった。

 

過去6年間「テロとの戦い」が大儀名分となり、そのスローガンのもとでは盗聴などの違法行為すら強行されてきたが一体テロリストは人間ではないのであろうか。日中戦争においては日本軍に抵抗する者は馬賊とか匪賊とか呼ばれ、最大の敵の八路軍兵士は赤匪と呼ばれた。中国から見れば八路軍は人民解放軍であり、その兵士は愛国者に他ならない。二十年前のニカラグァにおける反政府ゲリラをリーガン大統領は自由の戦士(Freedom Fighters)と呼んでいた。伊藤博文を暗殺した安重根は日本側ではテロリスト扱いされたが朝鮮人にとっては義士なのである。今日イスラエルにとってパレスチナのハマスはテロリストであるが、パレスチナ人から見れば民族運動の闘士なのである。イスラエルの建国運動においては当時英国統治下にあったパレスチナにおいてユダヤ人は数々の爆弾闘争を繰り返した。歴史を振り返ればイスラエルがハマスをテロリストと呼ぶ資格は無いと思う。イスラエルがパレスチナ占領を続ける限り、テロが持続するのは理の当然であろう。イスラエルは1967年の戦争で占領したヨルダン川西岸に国際社会の非難を無視して入植地の拡大を続けているがパレスチナの土地の蚕食を続ける限りパレスチナ人の抵抗運動が続くのは当然だと思う。ゴラン高原の占領もまた然り。武力に頼るイスラエルの横暴が持続するのは米国の支えがあるからであり、パレスチナ問題の解決無しにはアルカイーダによる対米テロは続くであろう。米国はアメリカ先住民に対して歴史上最大規模の土地の侵略と民族殲滅(Ethnic Cleansing)を行った。自国の歴史を反省してイスラエルが繰り返している同じ過ちを正すこと無しには国際テロの撲滅は実現しないと想う。米国史を先住民やメキシコ、ハワイ、中南米の立場から見れば米国は自由と民主主義の国であるどころか典型的な帝国主義の国家である事が判明する。米国がテロリストと呼ぶ者の多くは反対側から見れば抵抗運動の英雄なのである。

このようにテロリストに客観的な定義はない。人間は誰しも死ぬのは恐ろしい。後に残す家族の事を考えると身を切られるほどつらい。報道機関では簡単に「自爆攻撃」と報じられるテロの実行犯がそこに到るまでに如何なる苦悩があるか考えてみるべきであろう。

 

以上見て来た様に紛争の根本原因には「力に対する過信」があると思う。文明の発生とともに生じた国家とは力の強いものが人民を支配する機構であった。数千年の歴史の発展を経て先進国では今日の民主制度が確立してきたが力に対する信仰は今なお根強い。権力を裏付けるために御用学者によってあらゆる神話が捏造された。神話による権威が権力の一つの源泉である。日本を天皇が支配するその根拠は記紀によって「高天原の神々の決定」に基づき「天つ神が国つ神を征服」したからであるとされた。「朕は国家なり」というルイ14世の言葉に象徴される西洋の絶対王政の権力の根拠は「王権は神が与えた」とする王権神授説であった。しかしそのような権力は今日では通用しない。なぜなら文明、特に情報通信、交通網の発達によって世界が地球村と言われるほどに小さくなったからである。古来天皇は朝議においても御簾の後ろにいて公家にも顔を見せなかった。ましてや市井の民草にとっては天皇は素顔を拝む機会は一生無い文字通りの雲の上の天子様であるとされた。このような距離が保てなくては神秘的な権威は保つことはできないのである。殿様に「お目通りがかない」、「面を上げい」と言われるまでは土下座していなくてはならず「尊顔を拝し奉り」と挨拶して言われることに「御意」と答えるだけの厳しい上下関係が成り立つ為には今日では世界があまりに小さくなってしまったのである。

今日の権力構造を支えるものは政府が情報を隠し、報道機関が政府の発表ばかりをたれ流し、御用学者が物知り顔で政府の主張を理論付けるところ、即ち政府による情報独占にある。今回のアフガニスタン、イラクにおいては米軍による報道管制のため現地からの情報に乏しく、今から見ると噴飯物の偽情報、例えばフセインによるアフリカからの大量ウラン買い付け、これぞ生物化学兵器の写真として示された単なるトラックの偵察写真、イラクは40分で生物化学兵器を使用できるという英国政府の発表とか、また世界中の不安を掻き立てたイラクの大量破壊兵器の存在など、政府の発表をそのまま報じた報道機関の責任は重いと思う。更に悪質なのは国民を騙す政府とそれをしたり顔で弁護する御用学者である。イラクの大量破壊兵器について「フセインが見つからないからフセインがいないとは言えないでしょう」などという小泉首相の言明は今では実に空しく響く。米軍のアフガニスタン、イラク爆撃によって生じた、人的、物的、社会的損害は測り知れない。来年ブッシュ統領は大統領辞任後、一兵卒としてイラクに行き自らの決定が如何なる悲惨を巻き起こしたか身をもって知ってもらいたいと想う。

 

上のことを考慮すると世界の平和は「テロリストもまた人間なり」との客観的事実に立って人間としての権利を守り、公平な裁判を行い、真実を明らかにすることだと想う。国家機構が力による支配であり、報道機関が単なる政府の広報機関に堕落している現実を打破する一つの道として次のステップを提案する。

 

[1] 誰でも何処からでも安価に全国向けに放送したり、会議を行うことができる普遍通信網の実現。

[2] 上記普遍通信網を用いた万人会議の実施。

[3] 上記万人会議を通じて人民の政治への参加を強化し、究極的には直接民主制へと移行。

 

従来の「勝てば官軍」なる権力闘争においては負ければすべてを失う。テレビ等の政治討論会を聞けば分かるように真偽に関わらず論者は自分の意見はすべて正しく論敵の意見はすべて間違いであると主張する。一旦テロリストというレッテルを張れば相手が人間であることも認めない。こうして互いに恐怖に支配され、軍備競争に歯止めがかからない。人間は知らない相手が無性に怖いのである。最初は話がすれ違うばかりでも話し合いを続けると相手もまた人間であり、その主張にも一理があることも分かって来る。こうして誰でも全国民に訴える道があれば自然とテロもなくなる。本来テロは無力感と絶望の果てに他に訴える手段が無いから起こるのであって、もしも全国向け放送や会議ができる通信網と万人監視の下で公正な裁判が行われる体制が確立すれば自ずとテロは収束するのである。

上の普遍通信網として私はインターネットと衛星放送を結合した直接衛星LANの実現を提案している。その詳細については下記URLを参照して頂きたい。 http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

 

文明と共に社会の秩序を保つために発生した国家は本質的に力によって人民を支配する機構であった。通信、交通網の未発達な段階においてはそれは必然的にピラミッド型の階級社会となった。産業の発達と共にピラミッド型社会は徐々に意義を失い、西欧において封建制度から絶対王政、更には市民革命やアメリカ独立革命による民主制へと社会は進化した。今日では間接民主制もまたその限界が明らかになっている。即ち金の力による報道機関の独占、政府による情報操作そして御用学者による世論の誘導によって社会の公器が支配的地位にある集団の私的な利益に用いられ、弱者、貧者、少数者の意見は抹殺され、「テロとの戦い」のスローガンのもとで国家による遥かに甚大な破壊と人権の蹂躙が続いている。

 

以上のように見てくると社会の進化の次の段階は万人が直接意見交換が可能な普遍通信網の実現と活用により、間接民主制の弊害を正し、政治への人民による直接参加を強化し、やがては直接民主制への移行に到ると思われる。例えテロリストでも人間としての権利を保障され、普遍通信網により言論の自由と手段が与えられるならば初めてテロが消滅すると思う。自衛隊のインド洋上の有志連合国への給油活動が問題となっている今、所謂「テロとの戦い」の意味をじっくり問い返すべき時だと思う。