差出人:   Osamu Ichiyoshi <osamu-ichiyoshi@muf.biglobe.ne.jp>

送信日時:             20201010日土曜日 23:14

宛先:     

件名:      偶然と必然、縁起と因果、相対と絶対、人の生き方

 

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今日CBTツァー

で余市に行って来ました。余市紅志高校の生徒さんがプロジェクトとして案内してくれました。手始め

は同校でブドウのclone増殖の実習を受けました。高校生の案内により顕微鏡の下でぶどうの枝の成長点

を切り取りました。それが増殖するかは神のみぞ知る。このプロジェクトは生徒が地場産業をよりよく

知る事を目的とする高校の試みだそうです。実習も観光案内も高校生達がよくやってくれました。余市

紅志高校は農園や果樹園も持つ総合高校です。直ぐ近くにスキーのジャンプ台もありました。

この地域は見渡す限りのぶどう畑が広がる一大ワイン産地です。その他リンゴ、プルーンや西洋梨など

の果物も豊富です。札幌から一時間で来れる近さなのに対馬暖流のせいで気候は温暖のようで山にも白

樺は少なくまた大きな栗の樹もたくさん実をつけており本州に近い印象を受けました。

 

偶然と必然

今回の旅行も始まりは偶然でした。近くのバスセンターで偶々案内を見つけましたが、現地の高校生と

の交流ができるというので参加しました。物事が偶然に始まり、必然の道を辿り、また偶然に左右され

る事を何千年も前にお釈迦様は発見し縁起と因果の法則として定式化しました。思うに仏教の基礎は縁

起と因果の連鎖に変化止まざる世界の無常観です。

 

私達日本人には極く当たり前に思える縁起と因果の法則は科学界では深刻な対立を生んで来ました。

I.Newtonが集大成した力学ではf = ma 即ち力fは質量mの物体に加速度aを生じる法則に万物は従

い、初期条件が決まると理想的な時計のようにすべてが一定の変化を遂げる事になります。即ち厳密に

決定論的な世界観です。

 

ところが世界は偶然の連続である、人間が把握できるのはせいぜい確率的法則であるという確率論的世

界観もあります。全くの偶然に支配された世界には法則が無いのかというと実は厳密な法則があります。

例えば一団の人間集団の身長の分布は全くの偶然であれば正規分布を成します。もし分布が正規分布か

らずれていたら何らかの原因があるはずです。例えば人種あるいは貧富の差に起因する体格差など。

 

高校で習った気体の状態方程式PV=RTから単純な粒子を仮定する理想気体について分子の速度分布

を表すMaxwell-Boltzman分布式の導出には感動した記憶がありますが、そこでは無数の気体分子の

速度が完全にrandom即ち不規則であるという仮定が基礎になっています。

 

完全に不規則であるという仮定が計算を単純化するだけでなく本質的なものであるというのが量子力学

の基礎を成すSchroedingerの方程式だと思います。初めて習った時に決定論的な因果ではなく生起確率

を与える波動関数が従うというその形式に私は戸惑いを覚えました。尤も全くの勉強不足のせいでも

ありましたが。

 

今思うと極微の世界では無数の偶然が重なって人の目に見える現象に現れて来るのが世界の実相では

ないでしょうか。生物の巧妙な擬態などもおそらく無数の適者生存の過程を積み上げた結果なのでしょ

う。お釈迦様の教えた縁起と因果の法則は微視的世界から巨視的世界まで支配していると思います。

その具体的な法則を見出すのが即ち学問です。

 

相対と絶対

Newtonの世界観では時間は絶対であり、世界のどこでも一様に流れる。また空間も一様であり絶対的な

ものである。私は高校生の頃にはその絶対的時空観に完全に納得していました。

ところがご存知のように現代科学では時空は絶対的ではなく相対的なものであるとされています。有名

A.Einsteinの相対性理論によると動いているものは時間がゆっくり進み、また止まっていても重力の

大きい所ではそこの時間がゆっくり進むのだそうです。これは全く直観に合わない事ですがこの理論は

実験的にも確立されています。例えばカーナビで日常的に用いるGPSシステムでは地球の周りを高速に

回転する衛星の時計を補正するのに応用されています。

 

相対性理論の基本は真空中での光の速度は一定であるという光速度不変の原理です。私はこれを聞いた

時は納得しました。なぜなら光速は真空の透磁率と誘電率の積で決まるのを習っていたので観測者の運

動状態に関わらず真空は同じ真空のままだろうと思ったからです。

 

光速度不変の法則が絶対的な原理であり、時空は観測者と被観測者の運動状態によって変わる相対的な

ものであるというのが現代科学の思想であると思います。

 

ここでよく知られる双子の逆説を見ましょう。双子の兄がロケットに乗って光速に近い速度で宇宙旅行

をして地球に帰ってみたら弟の方がより年を重ねていたというものです。日本人には浦島太郎の話を想

起させるので浦島効果と呼んだ方が分かりやすいですね。ものの本によるとこの逆説は宇宙旅行をした

兄はロケットの加速、減速を繰り返したのに対し地球に止まった弟は何ら加速をしていないのでこれは

逆説ではないという解説がなされますが、皆様はこの説明に納得されますか。

 

いま仮に兄も弟も反対方向に一定の加速度で運動し所定の時間後に反転して移動し真ん中の場所で再会

する場合にはどうなるのでしょうか。二人とも相対的に相手が運動したのだから相手の時計が遅れて

いる筈だと思うのではないでしょうか。しかし二人の様子を絶対的に静止している第三の人が観測した

ら兄弟は全く対称的な運動をしたのだから時計は同じになるはずだと言うと思います。こう考えると絶

対的空間も無いわけでもあるまいという気がします。

 

人の生き方

以前TVであるHomelessの若者が大学に行けないと分かった時にすべての夢を捨てたと言っていました。

また世間では親も学校も子供を有名大学に入れようと狂奔している場合がよくあります。人が失業、失

恋、傷害、病気等で絶望して生きる意欲を失う場合もよくあります。それらの不幸は過度に狭い決定論

的世界観に由るものではいないでしょうか。

 

逆にgambleにのめり込んだり、果報は寝て待てと怠惰に陥ったり、他人もやっているからと悪い事を

する人は過度に行き当りばったりの偶然主義的あるいは相対主義的世界観に陥っていないでしょうか。

 

人はいつ、どこに、どんな境遇に生まれるかは全くの偶然ですが、もの心ついてからは心懸け次第で自

らの人生を切り開いて行く事ができるのではないでしょうか。そのための方法が学問だと思います。

 

学問の探究法は内において論理的に矛盾が無く外において現実に合う理論を確立する事です。学問は決

して大学を始めとする教育研究機関のものではありません。学位やノーベル賞とも無関係です。そこで

私は学問よりも問学問を唱えています。問学問を言い換えると真善美、真実の探求です。その方法は人

の生き方にも通じるものであると思います。

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* 市吉 修   Osamu Ichiyoshi                    

* 二十一世紀を楽しく生きよう会                    

* Human Network for Better 21 Century      

*  http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/

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