親父との旅

ネパール ムスタン 2001/10/7-22

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カグベニ集落 ソバ畑
ヒマラヤの北側、チベット高原へと向かってゆくと、草木は減り荒涼としてくる。ムスタン王国の境界となっているカグベニは、ヒマラヤを縦断するカリ・ガンダキ川が作り出した谷にある集落で、昼になると決まって強い風が吹く。そんな環境でも彼等の主食ともなるソバは確実に育っていた。
チュサン〜ツェレ
トレッキング2日目、境界を越えムスタンへ入ると、トレッカーはほとんど見なくなる。風が舞い上げる砂埃に、帽子、マスク、サングラスという防備のあやしいいでたちで歩く実父とは、二人きりの初めての長旅だった。
ヤムド・ラ3770m
チベットの峠(ラ)には必ず祈祷旗タルチョが結ばれている。ヤムド・ラに立った瞬間に広がったチベット大地は、未知なる地への憧憬が育む旅心を満たしてくれた。いにしえより繰り返されてきた先人達の探求の旅の気概を、一端でも理解できたような気がする。
ツァラン ゴンパ(寺)の小坊主
高地や平原といった厳しい環境にチベット仏教は根づいた。生活が旅である遊牧の民の自然な信仰なのだろう。聖地巡礼、輪廻、解脱、仙人など、旅をすることの、純粋にして究極の理由を提示している。その土地を自分の足で歩き、自分の目で見るだけでそれが感じられる。
ツァラン遠景
100年も前、汚れのないチベット仏教の経典を求めて西蔵入国を試みた河口慧海は、ある期間ツァランに滞在していた。ともすると大地に同化して消滅してしまいそうな土色の集落も、いつのころからか変わることなく人が住み、慧海の訪れた時も、そして今も、そこにあり続けている。
ロー・マンタン
ムスタン王国の都がチベット大地の凹みに現れたのは、歩き出して5日目のことだった。純粋にチベットの残るムスタンのトレッキングは、純粋なチベットの旅を体験できる有数のルートでもある。しかし近年、中国からの車道整備が進んでいる。国境は写真奥のスカイライン付近だ。
チョサル・ゴンパ
断崖にへばりつくように作られた遺跡と見紛うゴンパ(寺)でも、僧の読経が絶えることなく、今なお生きている。ロー・マンタンの向こうにも点々と集落やゴンパが在り、決して閉ざされた世界ではないが、流行も雑念もなく滔々と流れる時があった。
ロー〜ゲミ アンナプルナ山群
いくら歩いても離れ切らなかった白いヒマラヤの麓に再び戻ってゆく。親父は何度教えても峰の名を憶えようとしなかったが、しきりに感動しながら楽しんでいる姿を見て、この旅に誘い出してよかったと思った。以降親父はネパールにはまり、自分で訪れるようになった。
馬方のオヤジ
ムスタン王にも仕える馬方の白い馬に跨って、親父は帰路の旅をした。この馬方の旅荷は背中に布で括りつけたドブロクの入れ物だけだった。身軽で歩くのも速く、王との懇意を問わず語り、馬から離れることなくよく働いた。
ダクマール
淡色のチベットにあってここダクマールは色彩がある。赤の断崖に黄緑の草木、水路には清冽な水が流れている。水路にいっぱいに流れる水を見るだけで豊かな気分になれる。
ニィ・ラ(峠)3960m
チベットの民に倣ってタルチョにタカ(白布)を結びつける。祈りの旗は旅人の足跡となり、大きな峠ほどその数も多くなる。それだけ祈りの深さも増し、聖性が大きくなってゆく。
グュ・ラ4135m
親父が最も印象的と称えた峠は、ムスタンの境界となっている。北は青い空と乾いた大地、南は白い峰々の屹立するヒマラヤが展開する。この峠に登り詰めると広がる山々の姿と対面する瞬間は、呆けてしまうほど感動的である。
ダウラギリ8167m トゥクチェ・ピーク6920m
8000m峰のダウラギリとアンナプルナの間にカリ・ガンダキは流れている。川の標高は2000m台。高差は実に5500mにもなり、世界最深の峡谷と言える。飛行機さえも谷の中を飛ぶ。
マルファ
アンナプルナ山域で最も美しいと言われる集落。石積み白塗りの建物の続く主道は廊下状で、敷き詰められた石畳の下には水路がある。広い大地を歩いてくると、異空間のようである。季節にはリンゴが実り、強いリンゴ酒が作られていた。

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