West Coast Trail

カナダ・バンクーバー島パシフィックリム国立公園 1999/8/29-9/3

【1】

沿岸原生林のボードウォーク カナダ・バンクーバー島西岸にパシフィックリム国立公園はある。

「経験のあるグループが綿密な計画のもと初めて挑戦できる超ハードコース」

 それがガイドブックにあるウェスト・コースト・トレイルの紹介コメントであった。どういったトレイルであるかは、何も触れられていない。ただそれがパシフィックリム国立公園内を数十キロにわたって貫く沿岸トレイルであることが、情報として提供されていた。
 気になった。
 ガイドブックの脚注に記されたたった数行のそれが自然派の旅心を刺激した。
 歩いてみたい。
 チャリダーの旅でシアトルに近付くにつれ、その思いは強くなった。

 シアトルでウェスト・コースト・トレイルの情報を集めた。
 トレイルはバンクーバー島西岸の雨林地帯に75kmに渡って伸びている。1889年、手付かずの原生雨林だったこの地域はビクトリアとバンフィールドを結ぶ電信線を引くために立ち入られた。1906年、SSヴァレンシア号が沿岸で難破し、126名もの死者が出た。それを期に沿岸で難破した船の生存者を救うため、電信線設置で立ち入られた森林に径を作ったのがウェスト・コースト・トレイルのもととなったものだ。当時は救命トレイル、もしくは難破船員のトレイルとして知られていた。
 一般にトレッキングルートとして歩かれるようになったのは、1960年代以降で、パシフィックリム国立公園のウェスト・コースト・トレイルとして確立したのは、案外新しく、1993年のことだ。今でも電信線設置の名残に触れることができる。

 パシフィックリム国立公園は原生の自然がハイライトである。それだけに入域には厳しい規制がある。ウェスト・コースト・トレイルに入域できるのは一日52人まで。入域過多による自然へのハイ・インパクトを防ぐと同時に、入域者全員にオリエンテーションを徹底させる目的もある。
 トレイルへ向かうためには予め入域登録をしなければならない。入域料として95カナダドルを払う必要がある。規制があることで逆にトレイルへの期待は膨らんだ。それに見合うだけのトレッキングができるのではないか。
 全行程キャンプ指定地でのテント泊となり、サービスなどもちろんない。独力で五、六日間歩き通すことのできる装備と体力が必要になる。

 シアトルからカナダへ再入国。バンクーバー島のヴィクトリアで食糧、装備を揃え、8月29日、小型バスでトレッキングの北側スタート地点パンチェナ・ベイへ向かう。天候が思わしくなく小雨が降っていたが、パンチェナ・ベイへ近付くと、雲が切れ青空が見え出した。
 バンクーバー島には原生雨林を始めとした、自然豊かな景色が流れる。バスからはしかし、その空気は感じられず、自らの足で早く歩きたいという思いは強くなる。

 ヴィクトリアから四時間半かかってパンチェナ・ベイへ到着。少し森の中へ入ったところにインフォメーション・センターがある。小型バスの同乗者のほとんどが同じ目的を持ったトレッカーで、彼等と共にオリエンテーションを受ける。
 電話でトレイルの入域登録をした後、地図などを発送したそうだが、何も受け取っておらず、自分で購入した地図とは別にもうひとつ地図を渡され、それに潮の干満表を貼ってくれた。ウェスト・コースト・トレイルは沿岸トレイルで、場所によっては干潮時にしか通過できないこともあり、潮の干満時間が行程に大きく影響するのだ。更にビデオを見、現況説明と諸注意をレンジャーから受ける。それらを経てトレイル入域の許可証が渡される。

 歩き始めたのは午後1:20。すっきりと晴れ渡った空、森の匂い。海まで迫る原生林と潮の香が独特の雰囲気を創り出している。
 トレイルに起伏は多くなく歩きやすいが、これといった目印もなく、現在地を掴みかねる。高低と海からの距離、そして歩いた時間から見当をつける。

 しばらく行くとなんと灯台が見えてきた。パチェナ・ポイントだ。灯台の方へ行くとトレッカーのサイン帳があり、これに自分の名と国籍「ジャパン」を記す。ページをめくり他の入域者を見る。やはり地元カナダ人が多いが、次いで近隣の米国人、そして英、独などのヨーロッパの国名がちらほらとある。アジア人で来るとしたら日本人くらいなものだろうが、日本名は見当たらなかった。
 その先、視界が開け、水平線を眺めながらの歩きとなる。日本で見ると同じ太平洋が広がっているわけだが、三浦半島の城ヶ島で見る海とどこも違わないように見える。海の近くで育った自分にはこのトレイルの感動は薄いのだろうか。

 4:35、ミシガン・クリークのキャンプ指定地の海岸に幕営。波の音を聞きながらのキャンプである。快晴、海岸は雄大だがどうしても三浦半島の海を思い出してしまい、人里離れたという気分も薄い。実際には近辺に住居はないのだが。他にも幾パーティーか幕営している。
 この辺りはクマに加えクーガーも時折出没するらしく、クマよけのスプレーが効くのか否か少々不安である。


【2】

2日目の朝 南方は霧  翌日、晴れてはいるが行く手南方にはやや霧が立ち込めている。8時に出発。

 しばらくはビーチとなった海沿いを行くが、砂上は足がとられ歩きにくい。雪の上を歩いていることをイメージして歩く。前方が微かなる霧に霞み、思い描いていた原生林のウェスト・コースト・トレイルの風景に出会った気がして、カメラを取り出した。

 太平洋へと注ぐダーリング川は靴を脱いで渡渉する。水嵩は脛程度で、幅10メートルもなく、困難はない。

 どこから漂着するのか、灰木が多く大木も転がっている。星野道夫氏によって紹介された「旅をする木」の話を思い出す。

「それは早春のある日、一羽のイスカがトウヒの木に止まり、浪費家のこの鳥がついばみながら落としてしまうある幸運なトウヒの種子の物語である。さまざまな偶然をへて川沿いの森に根づいたトウヒの種子は、いつしか一本の大木に成長する。長い歳月の中で、川の侵食は少しずつ森を削ってゆき、やがてその木が川岸に立つ時代がやって来る。ある春の雪解けの洪水にさらされたトウヒの大木は、ユーコン川を旅し、ついにはベーリング海へと運ばれてゆく。そして北極海流は、アラスカ内陸部の森で生まれたトウヒの木を遠い北のツンドラ地帯の海岸へとたどり着かせるのである。打ち上げられた流木は木のないツンドラの世界でひとつのランドマークとなり、一匹のキツネがテリトリーの匂いをつける場所となった。冬のある日、キツネの足跡を追っていた一人のエスキモーはそこにわなを仕掛けるのだ……一本のトウヒの木の果てしない旅は、原野の家の薪ストーブの中で終わるのだが、燃え尽きた大気の中から生まれ変わったトウヒの新たな旅も始まってゆく。」(「旅をする木」星野道夫著、文春文庫より)

 これは星野氏の好きだった「北国の動物たち」というアラスカの動物学の古典にある話だ。ここはアラスカからはだいぶ南になるが、今海岸に打ち上げられている朽ちた大木たちは遥かな時間をその内に刻みながら旅してきたことだろう。どこで生まれ育ち、どれほどの長い歳月をかけこの場所に流れ着いたのか、そんな感慨を抱かせる。

 ルートはやがて左手に立ち上がる森へと登ってゆく。木々と土と緑の深きトレイルとなる。足下は泥がぬちゃついて歩きにくい。
 海から立ち上がる断崖の上の景色の開けた場所に出る。この遥か向こうには日本があるのだ。

 ドイツ人の三人パーティーに出会う。
「今、海に何かいたわ。大きな生物、多分クジラじゃないかしら。何頭かいて、北の方へ行ったわ」
 クジラ、か。まだ生きた姿を直接見たことがなかった。海に生きる最大の哺乳類は確かにこの辺りにもいるのだ。「クジラ」のいる海をしばらくの間眺めていたが、そこにはただ果てしなく水平が広がっているだけだった。

 霧が晴れ、青空が上空にも広がる。海と空の青が水平線で溶け合う。
 急な下りで一旦水線まで降り、流木と巨大な海藻の打ち上げられた海岸を歩く。気候は乾燥しており風は爽やかだ。海沿い、夏にもかかわらず空気が乾燥して感じられるのは、間近まで森林が広がっているからだろうか。

 クラナワ川には自走式ケーブルカーが設置されている。幅50メートルほどの流上に木製のゴンドラをぶら下げただけのもので、それに乗って自分でケーブルを手繰って渡る。二人以上なら、一人が乗って他のメンバーが対岸でロープを引くというかたちで渡れるが、単独だと自分でロープを引かなければならない。ケーブルが弛んだ真ん中までは勝手に進んでくれるが、その先は登りとなり、ロープを掴んで手繰り寄って行く。

 対岸は鬱蒼とした森だが、大木の間をぬって木道が作られている。下流の海に向かって滝が落ちているツシアット川に出る。このツシアット滝は清流が海岸で滝となって落ち、そのまま海へと流れ込む奇観である。川にかかる木橋を渡って森をしばらく進み、海側の土崖にかけられた木梯子を数十メートルも降りるとビーチに出る。ここを少し戻ると滝下へ至る。落差はないが幅があり、独特の風情を作り出している。

 まだ昼過ぎだったが、ここで幕営を決める。一時間ほどして昨晩も隣にテントを張ったモントリオールから来たアジア系の単独者がやって来て、再び隣人となる。ハイシーズンということもあり、夕刻になって幾つものテントが張られてきた。しかし単独の者は少ない。
 滝から飲み水を取り、打ち寄せる白波を眺めている。
 歩いて旅すると考えることも多い。


【3】

Cribs Creek 8月31日。8km弱先のニティナット峡谷はネイティブの人による渡し舟が運行されている。渡しの時刻が11時であるため、それに合わせて出発する。

 岸壁がアーチ状にくり貫かれた奇観のツシアット・ポイントを通過。続けてビーチを歩き、途中樹林に入る。
 海岸は断崖となり、森の中の径を歩いていくと、ニティナット峡谷へ行き当たる。渡し舟は対岸へ行っているようで見えない。後続のパーティーが次々とやって来て、皆で待つ。
 対岸から二人のトレッカーを乗せて渡し舟がやってきた。この交通を取り仕切っているのはネイティブのひとたちで、この辺りはネイティブの居留区に指定されている。だが周りは海と深い森。数十キロ道さえ無い地域。彼等はここで暮らしているのか。いったい毎日何をして過ごしているのだろう。

 現地の人とはいえ、英語も普通に話し、服装もカジュアルな洋服。ネイティブとして尊敬しなければとか、民族を大切にといった風情もなく、馴染みやすいと言えば馴染みやすい。彼等自身、ネイティブとしての誇りや、白人社会の国家から特別視されているといった意識を持ち合わせているのだろうか。実際彼等がこのカナダにおいてどういう立場で、白人社会をどう見ているのか、また、カナダの人たちは彼等をどう見ているのか、勉強不足で分からない。だがもともとこの地に住んでいた者に対し、侵入者である白人たちが、ここはネイティブ居留区だと線を引き、囲ってしまうことに違和感がある。何か違っているような。
 対岸からは森の緑の中の木道歩きとなる。ネイティブの子供たちとすれ違う。

 よく整備された木道をペースを上げて歩くと、やがて川幅の広いチーワット川に出る。長い吊橋を渡った先で再びビーチへ降りる。しばらく先の幕営指定地付近で森の中のトレイルに戻ろうと思っていたが、見過ごしてしまったか、どこから戻るのかわからぬまま歩き抜けてしまい、岩礁帯に入ってゆく。踏み跡も消え、左側は断崖が立ち上がり、この辺りから森のトレイルに入ることはもはや不可能となってしまった。
 岩礁の上をこのまま進んでいいものか。
 この先で横断が厳しいとされている入り江があり、そこには単独では入り込みたくない。戻るべきかと思いながらも、このまま進めば森のトレイルへ入るポイントがあると信じて先へと向かう。

 徐々に潮の満ちゆく時間で、このまま岩礁帯を行って、進むことも引き返すこともできぬ状況に陥ることを想像してしまう。

 ごつごつとした黒い岩と打ちつける波の創り出す海の強さに気圧されつつも、進む。このトレイルで初めて不安にかられる。
 やや切り詰まった気分で進んでいると、前方に横断が厳しいとされている入り江の断崖が見えてきた。そこに突っ込むべきか。いずれにせよ状況を見ようと近付いてゆく。と、すぐに左手に漁用の丸い浮きのぶら下がった森のトレイルへのサインがあり、ほっとする。ちょうど何組かのトレッカーが断崖に掛けられた梯子から降りてくるところだった。すれ違いざま、地元カナダ人のパーティーのメンバーに話しかけられた。

「日本からだよ。東京だ」
「へえ、めずらしい。日本人にはここでは会わない。日本人でここに来るってのは新しいことじゃないのか」
 そう言われちょっとばかり嬉しくなった。

 梯子を登り森林帯の中の歩きとなる。一旦ビーチに出た後、再びビーチと森のトレイルのふた手にルートは分かれるが、先ほどの不安から今度は森の中を行くことにする。
 起点より40km地点を通過し、ウェスト・コースト・トレイルの行程の半分以上を踏破したことを知る。
 一気に下ってビーチへ出たところがクリブス・クリークで、幕営指定地となっている。午後も3時となり、今日はここで泊まることにする。

 ここまではさして困難も感じないルートだったが、この先が難所となるようで、どれだけのものか非常に楽しみだ。
 しばらくして、あの隣人だったモントリオールの単独者もやって来て、互いに自己紹介をする。リックという名で、また同泊となった。

 明け方、やや冷えてテントが露で濡れた。
 9月1日、快晴。南遠方の米国ワシントン州になるオリンピック半島には霞がたなびいている。
 ルートは深い森へと入り、起伏の多いどろどろの径となる。鬱蒼たる森は近くに海があることさえ忘れさせる。
 カルマナー・ポイントへ近付くと海からトドの鳴き声が聞こえてきた。ずぶとく吼えるような声には野生の力強さが感じられる。
 トドの生息地の先でビーチへと降り、この先はずっと海岸沿いを行くことになる。左手に売店のテントらしきものが見え、犬の吠える声。ネイティブのおばさんに声をかけられる。

「どこまで行くの」

 湾曲したビーチを歩いてゆくとカルマナー・クリークへ突き当たる。内陸側に自走式ケーブルカーが設置されているが、それを使うほど流れはきつくなく、靴を脱いで渡渉する。渡った先も砂のビーチは続く。砂が柔らかいところは歩きにくく、水際の岩礁が出ているところがあればその上を歩く。
 重荷に肩が疲れてきたころ、ザックを下ろして休む。その折、ザックの外側にくくりつけていた、渡渉で使った濡れたサンダルの片方が無いことに気付いた。どこかで落としたのだ。やってしまった。すぐ近くで落としたのかと、少し戻って探してみるが見当たらず、ずっと探しに戻るのも億劫に感じられる。長いこと旅の友として使ってきて愛着はあるが、壊れかけていたし、諦めることにする。ただ、このトレイルに自分のものを残してきてしまうことが気にかかる。

 オリンピック半島がはっきり見えるほど近くなってきたころ、ウォルブラン・クリークへ達する。ここにもケーブルカーがあるが渡渉し、森の中へ入る。ここでどこが南進トレイルか迷い、ケーブルカーのところまで流れに沿って遡って径を確認する。所々木梯子が掛けられており、少し標高が上がってくる。台地状の地形をくねりながら径は伸び、泥沼地帯が頻繁に出てくるようになる。難所と言われる地域に入ったようだ。

 森の高い木々が切れ、そこだけ空が開けた一帯を通過する。ひとりで歩いているからか、青い空が悲しげで美しい。
 泥濘で休むに適当な場所もなく歩き続ける。深い峡谷となっているローガン・クリークを見下ろす場所に達し、休憩をとった。ローガン・クリークには吊橋がかかり、その場所まで木梯子でかなりの高比を降りることになる。高度感のある高い木梯子が続き、ようやく吊橋の位置まで降りる。橋を渡って対岸を再び木梯子を登って標高を上げる。この先も同じような地形の泥濘が続く。

 再び峡谷となった、カライト・クリークの流れを見下ろす場所に至る。今度は水流までひたすら木梯子を下ってゆく。ここにはケーブルカーがあるが、水量は落着いており、脛ほどの渡渉で簡単に渡れた。
 数分森へと入ったところから、海側へと径が分かれている。カライト・クリークの幕営指定地へと行く踏み跡だ。本日の宿泊地である。五分ばかり海に向かって歩くと、両側が岸壁となった入り江に出る。波の音が岸壁に反響し、大きく聞こえる。3時になるが誰も着いておらず、露で濡れたままのテントとマットを干し、テントを張る。
 夕刻になり風が冷たく感じられ、もう夏の終りの匂いがする。

 旅の間は独りの時間を持ち続けたいと思う。旅人によっては「人に出会うのが旅の魅力」ということも言う。だが今は、独りの時間をストイックに楽しみたい。ウェスト・コースト・トレイルでも複数で楽しんでいるトレッカーが多く、独りでもくもくと歩いている者はそう多くない。なぜ自分は単独を好むのだろう。第一に自由ということがある。もうひとつ、思考が内向するからだ。考えが自分自身の中へと向かい、今はそういうことが必要な時間であり、好きだからということもある。

 植村直己氏は、北極圏を犬橇で旅し、途方もなく長い時間を独りで過ごしている。その時間、彼は何を思っていたのだろう。

 今日歩いている時、体はトレイルを歩いているが、頭はトレイルとは別のことが支配していたことがある。目に見えるもの、移りゆく風景だけがトレイルを歩いているという微かな意識をもたらし、思考は別の場所に飛んでいるのだ。それは歩く旅の貴重な時間だと感じている。

 未明5時、尿意でテントを出る。月明かりが煌々と眩しい。波音は休むことなく岸壁に反響している。ここにも自然の時間は常に流れているのだ。ここに誰もいなくても、打ち寄せる波は岸壁にその音を反響させているのだろう。

 朝方はまた冷え、テントの内側に結露した水滴が寝ている顔にぽたりぽたりと落ちてきた。濡れたままテントを畳む。
 カライト・クリークの流れを遡りトレイルへと戻る。今日は梯子登りから始まる。足下の悪い森林地帯を進む。この日の行程はずっと森の中で、海岸に降りることはない。峡谷にさしかかる度、木梯子の登り降りが繰り返され、朽ちかけた木道と泥濘がペースを落とさせる。キャンパー・クリークまで4.5キロメートルほどだが二時間は充分かかる。ここにもケーブルカーがあるが、使用不可とのことで、降りて流れを渡るが、浅く、靴を脱ぐことなく飛び石を伝って対岸へ達することができた。流れで飲み水を一リットル補給する。

 対向者が多くなく静かな歩きだが、泥濘に時間がかかる。だがこれまでの行程でもさほど疲労がたまっておらず、体は動く。沿岸トレイルであるため、きついアップダウンがないからだ。
 森の中で幾度か休憩をとりながら歩く。150ヤード・クリークを越え、標高をやや上げる。
 やがてスラッシャー・コーブの分岐に達し、ここを右へ折れて、本日の幕営地スラッシャー・コーブのビーチへ向かう。海まで木梯子を交えた一気の下り。午後2時半、幕営地着。ここにはすでに数パーティーがキャンプしている。今日南側起点から入域した者が大半であろう。南側対岸にはポート・レンフリューの町が見え、その右奥にはオリンピック半島。
 明日はウェスト・コースト・トレイルの最終日となる。残りは6、7kmといったところだろう。
 4時頃、エンジン付きゴムボートがやって来てレンジャーが三人上陸してきた。許可証のチェックを受ける。カナダの国立公園はこういったことがかなり厳しい。ウェスト・コースト・トレイルでも時折海岸をボートでパトロールしており、監視の目が光っているようだ。そういうところが歩く側にとっては気に入らない。レンジャーの仕事、国立公園の管理体制など、高く評価してもよい点は多々あるが、監視的になり過ぎる部分は考えてもらいたいとも思う。人里離れた原生林を歩いているのに、突然監視人が現れてチェックしてゆくのは興ざめである。
 予備食を食べ、海をぼうっと眺める。狭いビーチに潮が満ち、何度も打ち寄せる波を見ている。
 夜、なかなか寝つけず、波の音をずっと聞いている。


【4】

スラッシャー・コーブでの日の出(テント内より) 翌朝はそれほど冷えず、テントが湿ることはなかった。これから天候が崩れるのだろうか。
 前日降りてきた木梯子を登り返しトレイルへ戻ると、森の中にまた径が続いている。この辺りが全行程で最も起伏の激しいところ。とはいえ高差100メートルも登り降りする場所もなく、日本の山稜歩きに比べるべくもない。起点に近いからか、木梯子も必要以上に設置されている。原生の自然が魅力の当地にもかかわらず、整備の手が入り過ぎているようだ。

 トレイルの終着点ゴードン・リバーへと近付く。思ったより時間がかかり、最後の1kmが長く感じられる。
 南側を起点にこれから歩いてゆくトレッカーに出会う。皆ザックは大きくきれいだ。もう歩き終えようとしているからか、汚れたザックを背負ってなぜか少し得意な気分になる。

 11時25分、ゴードン・リバーに出る。この僅か数十メートルの川で、「フェリー・スケジュール」というものがあり、木にくくり付けられたボードに時間が書かれている。

「9:15  10:45  1:15  2:45 3〜6時はフロートを上げよ」

 すぐ対岸に終着点の集落がある。これだけの川で、
「何がフェリー・スケジュールだ」
 と少し腹が立つ。とはいえ渡渉するには深すぎ、泳いで渡るにもザックが大きすぎる。待つ以外に術はない。次は1時15分だ。靴を洗ったり、本を読んで待つ。

 1時をまわったところで、フェリーというのか、小さなボートがやって来た。ほんのちょっとだけ乗って対岸のネイティブ居住域へ渡った。ネイティブだけの集落は初めてで、異文化の空気を感じる。旅においてこういった折に異国へ来たと感じるものだ。

 集落の端にウェスト・コースト・トレイルのインフォメーションがあり、ここで許可証を返却する。六日間の旅はこれで終るのである。これからトレイルへ入るトレッカーが何パーティーかいて、ちょうどオリエンテーションが終ったところだった。

 街へのバスが3時に来るそうだが、レンジャーに、
「予約をしておいた方がいいですよ」
 などと言われる。
「またか」
 と思う。何でも予約、予約に少々腹が立ってくる。ウェスト・コースト・トレイルも要予約、宿も予約、交通機関も予約。こういったシステムにいいかげん嫌気がさしてくる。もうこんな「予約」の旅はうんざりだ。3時のバスは予約せず、乗れるならそれで良いが、乗れぬならヒッチハイクして街へ行くことにする。今晩の宿のユースホステルは既に「予約」してあるのだ。

 街へのバスがやってくる。
「予約してないが、乗れますか?」
 そう訊くと、人数の確認してからだけど多分大丈夫だろうという返事だった。結局「予約」していた三人が来ないようで、乗ることができた。途中別のトレイルを歩いてきたトレッカー五人を拾ってもなお二、三席空いていた。

 車内でうとうととする。目を開ける度、景色は変わってゆく。オリンピックの山並みと入り江の美しい自然の風景から、徐々に家が増え、店が増え、車が増え、都会へと近付いてゆくことがわかる。信号に停まることも多くなる。夕刻五時過ぎ、ヴィクトリアの街へ着いた。

 入域規制の厳しい分、原生の自然の残る素晴らしいトレイルに違いないという期待が大き過ぎたのかもしれない。残念ながら期待に充分応えてくれるトレイルではなかった。ルート上に体力的にも技術的にも困難といえる場所はなく、潮の干満時間に気を使えば、難なく歩き通せる。あとは天候による環境の変化でその印象は変わってくることだろう。今回は安定した天候が続き、その点恵まれていたと思う。海に囲まれた日本で生まれ、海岸の身近な町で育った自分には、ウェスト・コースト・トレイルの風景は新鮮味に欠けていた。

 トレッキングでは山谷を歩くことがほとんどであり、海と戯れるルートは稀であると言えるだろう。ウェスト・コースト・トレイルは沿岸トレイルという点で興味深い。原生の自然とともに、クジラやトド、海岸の小生物など海の野生とも歩く中で出会うことができる。水平線と緑深き森、峡谷に清流が海と出会う場所に触れられることも稀少であると思う。
 そんなカナダ有数のトレッキング・ルートに足跡を残せたことは素直に嬉しい。

West Coast Trail
場  所 Pacific Rim National Park, Vancouver Is. Canada
入域規制 全長75kmのトレイル南北に2つだけ入域ポイントがある。
日に計52人までの入域を受け付け。要予約。入域料C$95/人。
許可証が渡される。問い合わせはPacific Rim NP Officeへ。
地  図 街の書店やアウトドア店で手に入るが、
潮の干満表(Tide Table)と共に入域時にももらえる。
交  通 West Coast Trail Expressという会社が
Victriaから直行バスを運行。所要4時間半。
コンディション 適期は夏。ロッジなどの宿泊施設は皆無で、幾つかあるキャンプ
指定地(トイレ有)でテント泊しながら歩く。6日間が一般的。
樹林帯のトレイルはしっかりしているが、海岸が歩けるかは状況による。

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