日本アルプス主稜線縦走 南アルプス編

日本 南アルプス 1998/8/20-26

晴れた南アルプス 当初15日間の予定で入った北アルプスは、悪天もあり23日間という予想以上の日数を要し、それだけでひとつの遠征を成したような充実感があった。
 日本アルプスの主稜線をつなげて歩くという本来の企画を完遂する強い思いがなくなりつつあること感じていたが、南アルプスを縦断するため再び山へ向かうことにした。

「くっさーい!山から降りてきた人はよく泊めるけど、あんたほど臭い人は初めてだわ」
 松本の安宿、西屋旅館の女将はそう言いながらも、23日間ものアカに悪臭を放っているぼくを温かく迎えてくれた。口は悪いが気の好い宿のオバちゃんである。下界へ降りると自分でも臭い。こんなにも臭いのは初めてだ。近くの銭湯でほぼ石鹸一個を使ってアカを落とした。
 4日間の充電で南アルプスへ向かった。

 甲斐駒ケ岳の黒戸尾根は日本三大急登のひとつとされ、標高差2200mの長い登り。そのきつさからか、ここをトレースする者は少なく、北アと比べて静かな山旅ができる。一泊目の七丈小屋上のテント場にも他に幕営者は見られなかった。

 南アの稜線はこの先の北沢峠で一旦切れてしまっているが、甲斐駒は三角錐の際立つ非常に魅力的な山容で、どうしても外せなかった。

 峠を挟んで甲斐駒(2967m)と仙丈ヶ岳(3033m)へのトレイルは人が多かった。仙丈から南の稜線へ入ると再び静かな山旅となる。

 北アで痛めた左膝には気を遣って歩いた。朝のうちはいいが、テント場へ着く頃には痛くなってくる。それが毎日だと回復力がつくのか、翌朝には痛みが薄らいでいることが多かった。比較的天候は好く、美しくも自然溢れる水と緑の山稜に魅せられた。

 南アも南方の光岳を目指しているつもりだった。けれど何かが違う。そこへ達しようという強い意志はどうしても沸いてこなかった。

「もう終わりにしようかな……」
 そんな思いが何度も頭を過る。

 膝も痛い。この頃は腰の痛みに耐え切れずに朝起きてしまう日が続いていた。

 目標は光岳だが、そんな曖昧な気持ちのまま歩き続けていても、一向に終わりは見えてこなかった。終わりなき旅などない。帰るからこそ旅なのだ。

 南アには北アの槍を前に抱いた「足がもげてでも」という想いはどうにも沸いてこない。山に魅力がないわけではない。自分の気力の問題なのだ。足がもげるなら、その前に山を降りた方がいいと思った。

 西穂山頂に立った時、すでに今回の山は終わっていたんだと思う。
 かといって一旦入山した南アもすぐに降りる決心もつかずに数日は歩き続けた。

 三峰岳(2999m)を越え、塩見岳(3047m)に立つ。晴れ。眺め最高。下って三伏小屋キャンプ指定地にテントを張る。南ア5日目のことである。

 終わりにするなら三伏峠からの下山が最も近い。その先には便利な下山路は見当たらなかった。

「降りよう。降りたい」
 と何度も思った。しかしどうしてもここで終わりにするという決断が下せない。なぜ降りたいという思いに素直になれないのだろうか。そうまでして山に残る理由はあるのだろうか。
 すでに強い意志も情熱も持てなくなっていることには気付いていた。ひとつの積極的な行動に出るためには、未知なるものへの探求心という情熱とロマンが原動力となる。特に山や旅はそうだと思う。情熱が失せた時、それが実質的な旅の終わりだ。

 6日目の朝、曇り空を見上げて思った。

「もう終わりにしよう。ここで降りても後悔ないし、充分旅を楽しんだじゃないか。終わっていいんだ」

 下山の決心がつくと、嬉しくなってきた。降りたら入山以来の山稜が途切れてしまうというということより、街の魅力が勝っていた。

 下山の日、悪天の夏に相応しく雨となった。濡れても、しかし、気分は晴れ晴れとして、唄いながら下った。それにしても濡れすぎである。

「やっと、終わったな」

 町に降り、安堵と充実感が心を満たしていた。北アから続いていた山行も納得の下山である。
 
 日本アルプス主稜線縦走という計画は、山行として見れば途中敗退という形で幕を閉じた。しかし自分の中ではトレッキング、そして旅という点で、充分以上の手応えを得ることができた。

 山行中出会った、ある人が言った。
「そんなこと会社辞めなきゃできないよな」
 時にそれでもやる価値があるものだってある。
 一つのことに全てを賭す、そんな情熱を持つ喜びは、何ものにも代え難いと思う。

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